五十嵐 「売上、数字。それをきっかけに独立の準備をしようと考え始めて」

しかし、五十嵐は独立の道を選ばず、世話になった人に恩返しをしたいと、その人が立ち上げた株式会社土屋に転職。ブロックマネージャーとして東北の管理を任されます。

五十嵐「困っているアテンダントがいたら車を走らせる。それだけです。誰しも直属の上司には言えない悩みがある。その上司に対する不満だったり、体制に対する不満だったりがあるので。飛び越えて、相談に乗っています。
私のモットーは、『いつも笑って過ごす』。介護でも、時には黒子に徹し、時には親友のように熱く語り、時には家族のように喧嘩したり心配したり。そんな介助の中で得るクライアントの愉悦が自身の喜びになる。それを感じて私も笑って過ごせます」

そんな五十嵐の信頼の厚さは、次のエピソードでもうかがえます。

五十嵐 「東北ブロックにはサブを務めてくれているエリアマネージャーがいるのですが、彼が日帰りで訪れていた秋田から戻って来る時に、急に電話がかかってきて、『相当ヤバいです』と。雪で立ち往生したらしく、すぐに仙台から車で救出に向かいました」

五十嵐は車を走らせながら、アテンダント達に想いを馳せたとのこと。

五十嵐 「ものすごい雪の量で。こんな雪の中を、いつも支援に行ってくれているんだと。ぐっときますね。それでも支援が滞らないのには、雪国のやり方があるんでしょうけど、頭が下がります」

「福祉の総合商社」を目指すという社の方針の下、五十嵐は介護保険事業の一つであるデイホーム土屋の立ち上げにも奔走します。

五十嵐 「経験があったので、デイサービスの運営を任されましたが、前面には出ないようにしています。デイホーム土屋の立ち上げや全国展開、方向付けに携わっています。立ち上げたデイホームの一つは、古い住宅を借りたもんで排水溝が劣化していて、修理代がかさむことが分かって解約。今は、宮城のたいわに移した施設をどう動かしていくか、その思案段階ですね」

長年悩まされていた掌蹠膿疱症にも徐々に改善の兆しが。関西に移住した当時、デイホームの実質1号店であるデイホーム土屋吹田のある大阪・吹田市で、評判のクリニックに通院したのが効いたそう。

五十嵐「そこから徐々にではありますが症状が改善されて、ここ1年ほどでほぼ完治に近いような状態にまでなりました。この病気に悩まされている人たちは全国に10万人以上いるんです。車イスを使用したりして、日常生活もままならずに大変な思いをしている人もいる。そうした中で回復し、健康体で仕事ができることのありがたみを感じています」

現在、株式会社土屋でさまざまな事業に携わる五十嵐。会社の将来について、こう語ります。

五十嵐 「まずは介護業界のリーディングカンパニーになっていければと。そのための取組みをしていきたいですね。そして、介護の質を上げていく。土屋には胸に響くようなミッションビジョンバリュー(MVV)がありますが、そのことだけ考えて仕事しててもいいぐらい、あれがすべてだと思っています。だから、常にそこに立ち返りながら、社長の思い描く会社の理想像を忠実に具現化していきたい。
社員全てがそういう意識で、きっちりと本質に立ち返って、同じ方向を向いていければと。そうした力が集結すれば会社が成長するスピードも上がっていくでしょうし、正しい方向に向かうと思っています。基本なくして応用なし。左を制する者は世界を制するんです(笑)」

最後に、五十嵐より、介護の仕事をしようかどうか迷ってる人に向けてメッセージを。

五十嵐 「効率よく楽して稼ぎたいという人が、やっぱり多い。でも世の中に楽な仕事はないと思いますし、どんな事でも本気でやったら楽じゃない。ただ、本気でやれば結果的に楽しくなると思うんです。考え方を変えるのが大事です。楽しめる仕事に自らしていただければと思いますし、そうできる仕事が介護の仕事と思います。
誠実に真剣に、そして親身になって仕事と向き合うと、クライアントは喜んでくれる。そして、その喜びの中に、自分も喜びを見出すことができると私は思います。なので、そういった意識で臨んでいただけたら嬉しいです」

「人生に無駄はない」という言葉を耳目にかけはするものの、実感としてそれが役立つ場面が実際いつ来るかはわからないものです。

「役に立つ」、「これで安心」という太鼓判にはてなマークがつく昨今、五十嵐がそうであったように、迷いの中で何かやってみた経験と実感が、思いもよらない場面で自分や誰かの支えになることがあります。

私たちが生きる人生や社会の現実は、まさに不確定不定形そのものであり、その中で、「最初から迷っているのだ」と肚の座っている五十嵐は、迷いや困難に直面した同僚たちと、迷いを楽しむかのように確実に、歩みを進めています。