介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

荒木友子

山形 管理者

もう少しよく味わって、もう少しよく見て、もう少しよく聴く。「今この瞬間」を生きるために。

 《interview 2026.06.23》

「『何のためにこの仕事を始めたんだろう』って考えた時、1対1で、じっくり人と関わりたかったことを思い出した」――上京、結婚、4人の子育て。
そしてさまざまな仕事を経て、介護の仕事に足をふみいれた荒木友子(あらきともこ)。
その関わりの中で葛藤を抱えながら、彼女が今、たどり着いたのが重度訪問介護の仕事でした。
「大切なものを大切にする」、そんな選択をした時、見えてきたものとは――現在、ホームケア土屋山形で管理者として働く荒木の声に耳を傾けます。

CHAPTER1

内に秘めた、負けず嫌い。そこが小さな頃から変わらないところ

憧れをすごく抱くタイプなんです。今から振り返ると滑稽なんですが、いつまでも夢を見てる子でした

―最初に、お子さんの頃からのお話を伺ってます。どんなところで生まれ育ったのかなってところから伺ってもいいですか。

山形県の東根市で生まれ育ちました。
東根市といえば、サクランボで有名なんです。

我が家は父、母、兄と4人暮らしで、兼業農家でサクランボづくりをしていました。

今、実家のあたりはかなり住宅街になってますが、その頃は自然の豊かな地域でしたね。

―荒木さんは、小さい頃、サクランボを育てたり、取ったり、というお手伝いをされていたんですか?

そうですね――サクランボが出始めた頃に、“手伝う”というよりは“食べに行く”っていう感じでした(笑)。

手伝うのは二の次で、食べて満足。それが仕事だと思ってました(笑)。

―(笑)。「小さい頃、こんなことをして遊んでいた」「友達とこんなことして過ごしていた」など、思い出されることがあったら伺いたいです。

私は小さい時から引っ込み思案というか、人見知りがあって。
友達と遊ぶというよりは、割とひとりで遊んでいた記憶が多いです。

たとえば、自分で作詞作曲して、ステージをつくって歌って――でも、それを友達にも見せてたような気もしますね。

一部の友達の前でだけですが……引っ込み思案、なんて言いながらそういうこともしてました(笑)。

―こっそり、されてたんですね。

はい、こっそりです(笑)。
目立つようなことは好きじゃなかったので。

―その頃、憧れていたお仕事や、夢などありましたか?

「目立つことは好きじゃない」と言いながらも、実はアイドルになりたくてコンテストに応募したことはありましたね(笑)。

書類で落ちてしまったんですが、そういう気持ちを内に秘めてました。

―中学生や高校生、10代になると、熱中するものも少しずつ変わってくるのかな、と思います。その頃はどんなことに熱中して過ごしていましたか?

私はひとつのことに没頭するタイプだったので、中学、高校は部活動に熱中してました。

特に高校時代はテニス部で、頑張ってた記憶がありますね。
日に焼けて真っ黒になりながら。

―大会を目指して練習したり?

大会を目指してましたが、「まずはその前にレギュラーを取らなきゃ」って――レギュラーが取れるか取れないかの境目を行ったり来たりしていた記憶があります。

でも、高校3年生の最後の試合ではレギュラーが取れたんですよ。

普段、私は大人しいタイプ、とまわりから思われるんですが、その時には気持ちが燃え上がって、部活中は大声を張り上げて――すごく変わるタイプなんです(笑)。

熱中しだすと、「プロのテニスプレーヤーになろう」なんて雑誌を買い込んだりして。なれないのにね(笑)。

でも憧れをすごく抱くタイプなんです。
今から振り返ると滑稽なんですが、理想を追うというか、いつまでも夢を見てる子でした。

―先ほど、引っ込み思案のところもあった、とおっしゃってましたが、荒木さんの中で、その頃と変わらない部分ってありますか?

変わらない部分は――マイペースなのかな。
うーん、マイペースでもないんだよな……。

ただ、人に優しく接するようにはその頃から心がけていた気がします。争い事があまり好きじゃないタイプだったので。

でもどうなんだろう。
昔と違って、変わってる方が大きいのかなと思っていて。

―そうなんですね。

でも多分、芯は強いと思います。
そこですかね。“内に秘めた負けず嫌い”。

表からは、「大人しそうだな」とか「優しそうだな」って思われるんですが、心の中では燃え上がってる。

そこは変わってないかな。

―青い炎みたいな感じでしょうか(笑)。

青い炎、そうですね(笑)。

CHAPTER2

「この先、何の仕事なら長く続けられるか」と考えて――介護の仕事との出会い

2歩も3歩も遅かったんです、最初は。でも心の中では、「やってやるぞ」っていう気持ちはどこかでありましたね

―学校を卒業してから、どんなこと、どんなお仕事をされてきたんでしょうか。

高校を卒業して最初は、地元の会社に勤めました。
そこからは――私はパッと行動に移すタイプなんです。

その後、東京に出てお花屋さんに勤めたり、18才からお付き合いをしていた主人と結婚して、こどもができて。

「これをやってきました」とひとことで言うのは難しいんですが、仕事はいろいろさせていただきましたね。

ただその頃は、生きることに必死だったっていう気がします。

―山形から東京に出られたんですね。

はい、主人とは地元が一緒なんですよ。
東京で四人のこどもを育てましたね。

その後、仕事の都合で宮城で暮らして、その後、山形に戻ってきました。

―住んでみて、「ここが合っていたな」と感じたり、印象に残っている土地はありますか?

私は割と順応性が高くて、すぐその土地に馴染むのかな、って思います。

その場所その場所で、その時間を楽しむっていう感じなんです。

―介護の仕事を13年ほど続けられてきた、と伺ってます。最初に介護の仕事と出会ったきっかけはどんなものだったんでしょうか。

そうですね。
こどもを4人育てていく上で、「この先、何の仕事なら長く続けられるか」と考えた時に、「やっぱり介護の仕事が必然的なのかな」って――。

親がそれなりの年齢にもなってきたのもあったし、先のことを見据えた時に「今の自分に合ってるのかな」って思ったんです。

それで、介護のヘルパー2級の資格(今でいう初任者研修)を最初に取りました。

その後、認知症の方と関わる施設にいきなり飛び込んでね。
でも資格が取れたからといって、すぐにみなさんと同じように仕事ができるわけじゃないので、まわりとくらべると2歩も3歩も遅かったんです、最初は。

でも心の中では、例の“負けず嫌い”が出るというか(笑)。

顔には出さないけれど、「やってやるぞ」っていう気持ちはどこかでありましたね。

先輩ヘルパーさんからしてみれば、「もたもたしてるな」なんて受け止められていた部分もあったと思います。

最初はへこむんです。
でも、その施設で私が排泄介助をした時、そこにいたケアマネージャーさんに「おむつの当て方がすごく上手だ」って言ってもらえて。

「その言葉があったから、ここまで来れたのかな」と思ってます。「やればできるんだ」、って。

CHAPTER3

重度訪問介護へ――「何のためにこの仕事を始めたんだろう」を考えた時、「もっと1対1でじっくり関わりたいな」と思ってた

“1対1で寄り添って”“小さな声を聞いて”というフレーズに、「あ、これだ!」と直感して

その後、介護職として障害者施設や訪問介護、看取りに特化した訪問介護等で働かせていただきました。

ただ、いろいろ疑問に思うところもあって――それで、たどりついたのが重度訪問介護(重訪)の土屋だったんです。

―いくつか業種を変えて働かれてきたんですね。転職をするとき、荒木さんの中で「今度の仕事では、こういうところに携わりたいな」という思いがあったんでしょうか?

そうですね。
それまでは施設での介護がほとんどだったんですが、結局時間に追われるんです――。

それが流れ作業のようで、本当に自分が「人」として接することができてるのかどうか、すごく疑問に思ってしまったところが多々ありました。

訪問介護も、30分や1時間といった限られた時間の中で利用者さんとお話をするのが、「短い間で端的に喋ってる」ように感じるようになってしまって――「何のためにこの仕事を始めたんだろう」って考えた時に、「もっと1対1でじっくり関わりたいな」と思ってたことを思い出して。

土屋に入って、重訪に関わるようになって、その思いが叶えられました。

―重訪自体は、まだ多くの方に知られていないお仕事かと思います。荒木さんはどんなふうに出会われたんですか?

出会えたのは本当に偶然なんです。

年齢もあったので、「この次の仕事が、私にとっては多分最後の介護職になるんだろうな」と思って、スマホで転職先を探していたんです。

そしたら、「重度訪問介護」っていう言葉がポン!と出てきて、「これは一体なんなんだろう」と土屋のホームページを見たら――“1対1で寄り添って“、”小さな声を聞いて“っていうそのフレーズに、私の中で「あ、これだ!」と思った。

それは直感かもしれないですね、ある意味。

もともと迷わないタイプなので、そこからすぐに土屋への転職を決めました。

CHAPTER4

クライアントが笑顔で迎えてくれたこと。やり取りにすれ違いがあったこと。両方とも、今をつくる大切な経験

初めての重度訪問介護。「今までやってきた介護とは全く違うな」という驚きと、緊張と。

―2023年にホームケア土屋に入社されます。それまで様々な介護のお仕事をされてきた荒木さんが、はじめて重訪の現場に入った時のお気持ちや、感じられたことを聞かせてください。

そうですね。

最初はA L Sの方の支援に入ったんですが――「今までやってきた介護とは全く違うな」という驚きもありましたし、「いろいろな介護の仕事の経験があるからといって、この重訪の世界にいきなり飛び込んで、果たして自分にできるのか」っていう不安と緊張もありました。

もちろん、安易に考えてた部分も多分あったと思うんですが――毎日が緊張の連続でしたね、本当に。

でも、「やめよう」とは思わなかったんです。

緊張もしたけれど――以前、クライアントインタビューにも登場いただいた、石塚樹里さん(いしづかじゅり/ホームケア土屋山形クライアント)のように前向きに頑張ってるクライアントと出会えたことが大きくて。

入社して初めての現場が、石塚樹里さんのお宅で、樹里さんもちょうどお仕事を始められたばかりの時だったんですね。

これは私の勝手な思いなんですが――「樹里さんと一緒になって、私も成長させてもらってるな」って思えて、本当に嬉しかったんですね。

石塚さんのお宅に伺うと、ご家族も屈託のない笑顔で迎えてくださるんですよ。

お母様も「樹里、ほら荒木さんが来たよ」「今日、荒木さんが入ってくれるんだって。よかったね」なんて言ってくださって、「あぁ、こんなふうに慕ってもらえてるんだな」と思ったらすごく感激してね。

それがすごく自分の励みになりました。

本当にそういう思いとともに、ここまで来れたんだと思います。

―コミュニケーションが通じる、通じ合う嬉しさもある一方で、この仕事では“通じなさ”も同時に抱えてらっしゃる方も多いのではないかと思います。どちらがいい、ということではないのですが――荒木さんがこれまで関わられてきた中で、“通じなかった”というご経験はありますか?

そうですね。
今振り返ると、正直なところ、反省している部分もあるんです。

あるクライアントがアテンダントの私を呼ぶための「コールを押したかどうか」で、認識がすれ違ってしまったことがありました。

A L Sは症状が進行していくと、全身の筋肉を動かすことが難しくなります。

そのクライアントは顔の筋肉を動かすことが難しくなって、無表情になっていて――。

発声もしづらくなっていたので、伝えたいことをご自身で視線でパソコンに入力して、伝えてくださっていました。

でも、文字だけの会話になるんです。

その一方で、私は一方的に喋っていて――そんな中で、文字しかない情報からクライアントの感情まで読み取れなかったんですね。

それで、その方の“無表情”を自分の尺度で解釈してしまった。「私はクライアントからよく思われてないんだ」って――今思うと、その方はそんなつもりで言ったわけではなかったんだと思います。

でも、その頃の私はA L Sという難病や重訪の仕事への勉強不足もあったんでしょうね。

コミュニケーション不足もあったし、お互いにすれ違ってしまって――すごく悲しくなって、当時の管理者に電話して、泣いた記憶があります。

今、話していて思い出しました。

ただ、「その認識は違ってたな」って今なら思います。

その頃は仕事を始めたばかりで、そういったちょっとしたすれ違いをどうしたらいいのか、まだわからなかった――今はそんなことはないんですよ。

でも、「言葉って難しいな」とは今も感じます。

「あの時、もっと違う声かけができたんじゃないかな。そしたらもっと違う方向に行けたかもしれない」――そんなふうに思いますね。

CHAPTER5

今、この人と接してる。この一瞬一瞬を大切にしよう

目の前の人にはご家族がいて、いろんな人生を歩んできて、それで今、ここにいる――こうして今、出会えたことが嬉しい

―介護の仕事では、「人と関わる」ことが常に真ん中にあります。仕事の中でも、生活の中でも、荒木さんが「この部分を大切にして人と関わってます」というところを教えてください。

そうですね。
人と関わる上で大切にしていることは――2年前に、兄と母を亡くしたんです。

父もかなり前に亡くなっていて。

その時に「人生って、本当に一瞬一瞬、大事にしなきゃいけないんだな」って――そう思うと、私にとっての転機はここかもしれないですね。

介護の仕事をする上でも、自分の家族も含めた人と関わる上でも、「この人と接してる、この一瞬一瞬を大切にしよう」っていうことを強く思うようになりました。

それは一生のうちでわずかな時間かもしれないけれど、「一生懸命、この時間を過ごそう」って――。

家族といる時も、「この“あたりまえ”が、幸せなんだな」って思ってるところです。

これから先、どれだけ重訪の仕事に携わっていけるかわからないですが、クライアントさんと話をする時はひとつひとつの言葉や時間を大切にしていけたらいいな、と思ってます。

―そうだったんですね。もし差し支えなければ――お兄様とお母様とは、最後、どんな時間を過ごされたのかを聞かせていただいてもよいでしょうか。

そうですね……。
母とは最期の時間を過ごせたので、ずっとそばにいて、小さい頃からの話をたくさんしましたね。

母には苦労かけっぱなしだったし、母も苦労した人でしたし――思い出したら泣けてきました。

ずっと話をして、ずっと一緒にいたような気がします。

兄は癌だったんです。
ついこの間、会ったばかりだったのに、急に電話が来て、「あぶない」って言われて。

病院に着いた時には息を引き取っていました。

でも、ふたりともに言えるのが、すごく穏やかな顔だった。それはすごく良かったかな。

穏やかな顔で、本当に幸せそうな顔で息を引き取ったので――ただ、一気に自分の身内がいなくなったので、しばらくはショックでしたね。

私はいろんな施設や在宅で介護をしてきて、本当にいろんな人と出会ってきました。

おじいちゃん、おばあちゃん……どんな人にも背後にその人の人生があるんだな、って思うことがあります。

あたりまえなんですが、目の前の人にはご家族がいて、そしていろんな人生を歩んできて、それで今、ここにいる――。

なんていうのかな。

その先で、こうして、出会えたことが嬉しい、っていうか。

別の仕事をしてたら、絶対こんなふうに人と出会えなかっただろうし、お話もできなかった。

介護の世界に入ったことで、お年寄りや障害者の方とも出会えて。
その出会いは自分にとっては宝なのかな、と思ってます。

CHAPTER6

根っこにあるのは、「人のために」という思い

人が困っていたら、見て見ぬふりできないところがあって。多分、そういう思いがあってここまで来てるんだと思います

―ここでは、荒木さんがお休みの日、どんなことをして過ごしているかを聞かせてください。「こんなことが好きです」「こんな趣味があります」とか……

そうですね。私は割と多趣味なんです。

旅行に行ったり、神社に行って御朱印を集めたり、城巡りをしたり――それから、今はできていないんですが、洋服をつくったり、小物をつくったりもしていたことがありました。

今ハマってるのは、お部屋に観葉植物やグリーンをどういった配置で飾るかを考えること。

なかなか休みもままならないんですが、そういったことで息抜きをしてますね。

―その時々でブームみたいなものがあるんですか?

そうなんです。
ある意味、やりきって、次に行く(笑)。

正直なところ、熱しやすく冷めやすいところもあるのかな、って思います。

―これからのところも伺っていきたいです。「これからこういう部分に関わっていきたいな」といった思いについて聞かせてください。

私は今、土屋のCSR活動である「医療的ケア児地域生活推進委員会」に入っているんです。

もともと「医療的ケア児(医ケア児)に特化した事業所があったらいいな」と思っていたところもあったので、関連する委員会にも関われて、今、とても充実してます。

山形県には医ケア児が100人以上いるんです。

そのみなさんが幸せになれるような事業を、これからもお手伝いができたらいいなと思ってますね。

以前、訪問先で医ケア児のご家族が、「医ケア児さんと、そのご兄弟が辛い思いをしてることがある」と仰っていたのを伺いました。

ご本人はもちろんですが、ご家族も、兄弟の方も幸せになれるような支援ができたらいいな、とは思うんですが、医ケア児の場合は、制度上、親御さんがその場にいないと支援に伺うことができないんです。

もちろん制度そのものを変えるのはすぐには難しいとは思います。

でも今後、私たちが医療的ケア児のお子さんを支援している間に、例えばそのご兄弟がお母さんとお父さんとご飯を食べに行ったり、どこかに遊びに行ったり――そういうことができればいいな、という思いがありますね。

―医療的ケアが必要なお子さんには今も関わられているんですか?

そうですね。月に1回、2回ぐらいですが。

そのお子さんはまだ小さくて、ご兄弟はいないんですが、ただ、お母さんがずっと付きっきりで見てらして。

いつもふたりっきりなんです。

もちろん、訪問看護のナースさんやデイケアさんも訪問で行かれてはいるんですが、「お母さんが少しでも自分の時間を持てるように」という思いで、伺ってますね。

―管理者になられてからはまた違う側面が見えてこられているのでは、と思います。今はどんなところに嬉しさや、やりがいを感じられてますか?

管理者になった今は、支援の現場に行くことはだいぶ少なくなりました。

でも、たまにクライアントのお宅に訪問行った時に、笑顔で「いつもありがとう」っていうお言葉をいただけることがあって。

もちろん、私に、じゃなく、その現場に入ってくださってるアテンダントに対してなんですが。

「土屋さんがいないとダメなのよ」「うちに支援に入ってくれてありがとう」って――。

ホームケア土屋の事業全体に対して感謝の言葉をいただけることが今は喜びです。

―この仕事を続けていく原動力について、最後に伺えたらなと思います。

原動力……なんだろう。

自分は割と曲がったことが嫌いというか、どこか正義感が強いところがあって、「人のために尽くしたい」っていう思いがあるんです。

人が困っていたら、見て見ぬふりできないところがあって。

多分、そういう思いがあってここまで来てるんだと思います――平和主義者、なんですかね(笑)。

原動力は、きっと、クライアントの方からの「ありがとう」の言葉やアテンダントの皆さんの協力してくれる姿勢ですかね。

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