介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

前波優

九州 ブロックマネージャー

「してあげる」ではなく、相手の「こうしたい」を支える仕事の輝き

 《interview 2024.8.20》

九州ブロックのブロックマネージャーとして働く前波優(まえばまさる)。これまでさまざまな仕事や仲間とのやりとりを経験してきた前波は、2018年に重度訪問介護と出会います。目の前の人との関わりからつみ重ねてきた日々と仕事。
やわらかに、朗らかに、一歩ずつーーこれまでも、これからも、彼が眺める景色の先には常に“私たちを待っている人”がいました。
人と出会い、人に導かれながら、自分らしく働ける場所を仲間とつくってきた前波の、仕事遍歴を尋ねます。

CHAPTER1

待ってくれてる人がいる仕事

「自分って何ができるんだろう」と「何もできないな、自分って」のあいだで

小さい頃の記憶ってあまりないんですがーー兄弟でよく遊んでましたね。
2歳上の兄のおもちゃにされていたというか(笑)。

生まれたのは長崎市です。小さい頃は幼馴染や同級生とよく山で遊んでいました。
今は市内から少し離れたところに住んでいますが、海にも山にも近いところで自然豊かな場所です。

小学生の頃は夏休みの間は祖母の家に預けられとってーー祖母の家は海が近かったので、海で遊ぶことの方が多かったかな。でも実は泳げないんですが(笑)。

―10代の頃は?

中学からは柔道部に入って、高校1年生の途中まで続けていました。
高校ではもともと柔道を続ける気はなかったのでそこからアルバイト生活に入りましたね。

長崎市内にある新地中華街で中華料理屋さんのウェイターを2年ちょっとやっていました。
その後、就職をするのですが、その頃はちょうど就職難と言われていた時期だったんですよ。

それもあって高校を卒業する時は、教室に来た求人票で最初に目に留まったところに応募してーー当時、長崎ではいちばん大きかったホテルに入社しました。

―ホテルではどんな仕事をされていたんですか。

ベルサービスとドアマンを3年半ぐらいやりましたね。
ホテルの仕事は楽しかったのですが、ただ3年ぐらい経ってくると「自分って何ができるんだろう」というようなことを思うんでしょうね。

逆に言うと「何もできないな、自分って」と思ったこともあって。
どこの職場でも不満がゼロの職場ってないじゃないですかーーだからきっと3年ほど経って「違う世界を見てみよう」という思いで、仕事を移ったんだと思います。

その後は短期間でふたつ仕事をしました。
測量設計事務所という全く違う仕事です。でも働いて2ヶ月ぐらいで「これは長く続ける仕事ではないな」と思ってーー。

でも言われた期日まではちゃんと働いて、退職して。
そのあとは「好きなことやろうかな」と、主にタイヤを扱っている車関係の小さな会社でタイヤ交換作業、営業や集金等の仕事をしていたんですが、そこもいたのは4か月ぐらいかな。

「最初に言っていたこととだいぶ違うな」ということがあって。
「やっぱり、望んでいる人、待ってくれてる人がいる仕事がいいな」という思いが自分の中にあったんです。

それで身近に病院に勤めている人がいたので「1回、介護の仕事に飛び込んでみようかな」と。それまでは「自分には介護の仕事は無理だ」って決めつけていたんですよ。

CHAPTER2

介護の仕事との出会い

経験は全くなかったけれど、はじめてみたら「介護やったことあるの?」なんて言われたのを覚えてます

< 20代 病院勤務をしていた頃>

―その当時、前波さんが感じていた“介護職へのハードル”ってどんなものだったんですか?

なんなんでしょうね……。介護をしてる自分の姿がイメージできなかったんだと思います。
でも実際にやってみたらーー経験は全くなかったのですが、先輩の人から「経験者?」とか「介護やったことあるの?」なんて言われたのを覚えてます。

おそらく相手に行なう行為の意味を考えて関わろうとしたら、体がスッと自然に動いたんでしょうね。
技術とかそういったところは先輩たちのいいところを盗んで習得してました。

―病院に勤めることになったきっかけは何だったんでしょうか。

車の会社を退職後、就職先を探しました。
今では考えられませんが、当時は「男性なので(介護職には)採用しません」といったことがあからさまにあったりして、面接を受けさせてももらえなかったーーなんて苦労もありましたね。

22歳の時だったかな。ある病院の看護部長さんが拾ってくれて。
面接の時に「働きながら介護福祉士の資格取得を目指せますか?」と聞いたら、「うちで働けば、実務経験になるよ」と。

当時は実務経験が3年あれば介護福祉士の国家試験が受験できたんです。
それで「明日から来る?」なんて言われて、「行きます」って即答して(笑)。
そこから病院の看護助手として介護の仕事を始めました。

その後は、特別養護老人ホームの従来型とユニット型と呼ばれるところで働いてー―この二つも違う会社です。私、転職回数が多いんですよ(笑)。

―いろんな仕事を経験されているんですね。転職を考える時というのは、前波さんの中に「そろそろかな」というタイミングやきっかけがあるんですか?

そうですね。今までの転職は一応、自分の中では理由があってーー全部前向きな転職をしてきたつもりなんです。
病院では7年弱働いて、その間に介護福祉士の資格を取りました。

ただあたりまえですが、病院は医療という面が主なのでーー私自身はそういう分野とか業種はそんなに気にしない方なんですがーー“介護福祉士として働こう”ということを考えた時に、病院以外の介護の仕事や施設にも行ってみようかなと思って特養に転職をしたんです。

特養の従来型を4年経験したあとは「また違うところを」とユニット型の施設に転職しました。ここは短かったですね。

2年はいなかったかな。「なんか違うな」と思うと割とすぐ転職を決断しちゃう方なんですよ(笑)。

CHAPTER3

自分らしく働ける場所へ

入居者の人と対等に話すことができたーーそこが、自分らしくいられたところだった

< 30代 特養で働いていた頃>

―重度訪問介護(重訪)に関わるのはその後ですか?

救護施設に勤めてから、別の仕事を1年やって、その後ですね。

―別のお仕事?

ええ。救護施設で働いていた時に以前、介護の仕事を一緒にやってた仲間から、「一緒に仕事やらない?」と声をかけてもらったんです。

その当時は30代半ばくらいでしたけれど、自分が介護の仕事を60歳、65歳まで続けるイメージが描けてなかったんでしょうね。

「チャレンジできるのも今の年齢ぐらいまでかな」っていう思いもあったので、声をかけてもらって「じゃあ、一緒にやってみようか」なんて始めたのですが、それが全然違う業種で。
清掃業だったんです。

―清掃業ですか。

独立を目指して「仲間とやろう」っていう仕事だったんですよ。
だから最初は“修業”って感じですよね。

業界そのものも初めてだし、自分たちで運営していく経験もないしーーその1年の間に私は会社を2つ変えているんです。

というのも「修行だ」と思って最初の半年間ほど続けていたら、自分を誘った人が先に辞めてしまって(笑)。

辞めたらその人が、「こっちの方がいいよ」ってまた声をかけてきてくれたので、「確かにこの会社におっても先が見えないなぁ」と2社目に移りました。

まぁでも、2社目の方が大変だったんですけどね。
そこでも自分を誘った人が先に辞めてしまいました(笑)。

―そうだったんですか(笑)。

でも、こればっかりは仕方ないですね。
それぞれの人生なので。自分で選んだことなので、その人のせいにもしてないし、その人の誘いがなかったら今がないんです。

もし、その人からの誘いがなかったら、おそらく救護施設に定年まで勤めてたんじゃないかなーー。

救護施設の仕事は好きで、自分には合っていたなと思います。
今、施設で働くという面で仕事を選ぶなら「救護施設を選びたいな」と思いますね。

でもね、あの時誘われんやったら今、関わっている皆さんとも会えなかったですもんね。

―そうですよね……。ちなみに救護施設という施設は、どんな場所なんですか?

中に入居されている方の共通点はひとつです。
全員が生活保護を受けているという方たちで、長崎県にも3か所しか施設がなくて、九州全体でも50か所ぐらいしかないような施設なんです。

入所されている方は、知的障害、身体障害、精神障害の方もいらっしゃいますし、高齢の方もいるし、若い方もいます。健常者と呼んでいいのかな、そういう方もいます。

ホームレスだった人もいれば、DV被害者の方も犯罪を犯した方もいます。
入所されている方の介護と指導が、救護施設での業務内容だったんですね。

私はその時初めて、“指導”という業務がある仕事に勤めたのですが、今思っても救護施設では「自分らしくいられたな」と思えるところがありましたね。

なんて言いつつ、たまに怒ってましたけどね(笑)。
自分は人に迷惑をかける人がちょっと許せないところがあって「ちゃんとルールを守ろうね」なんて怒ることもありました。

でも、その施設がいちばん、自分はにしっくりきてたと思います。

―前波さんにとってその場所が「自分らしくいられた」のはどんなところですか?

入所されている方は本当にいろんな人方がいました。
おそらく、その方たちと対等に話せたーーというところが自分らしくいられたところだったと思います。

ただ救護施設に入所されている方たちの中には、望んで入所されていない方もいらっしゃったので、「ここは刑務所か」みたいなことを言われる方もいました。

私は刑務所には行ったことはないのですが、でもおそらく刑務所よりはいい場所だったんじゃないかなと思います(笑)。

CHAPTER4

在宅の現場で聴いた「ありがとう」の重み

人との出会い。「ありがとう」という言葉が、単純に力になる

< 30代 特養で働いていた頃>

―そこから重訪の仕事に移られたのにはどんな流れがあったんでしょうか。

清掃業は、大きな店舗の清掃となると営業が終わってから、深夜に仕事をしなきゃいけないことも多くて、休みなく働いていたこともあったんですが、正直1年ぐらい続けると、売り上げ等、色々が見えてくるものがあって「この業界で勝負しない方が良いな」って正直思ったんです。

それで転職を考えた時に、介護職以外の他の仕事も応募したのですが――当時、私は35歳を超えていてーー35歳までしか応募できないところが結構あったり、年齢で書類選考で落とされるんだということも初めて知って。

「あらららら……」と。
その時たまたま、転職サイトで(土屋の)前会社の求人を見つけて、そこに“医療介護スタッフ”って書いてあったんですよね。

これは今だから話せることかもしれませんが、20年前に自分が病院や施設で働いていた頃は、今で言うところの“医療隣接行為”(※介護現場では実施のニーズがあって、本来なら医師又は看護師が実施することが望ましいとされる行為)を行なわざるを得なかったという現実がありました。

法的には1スタッフとして行なってはいけない行為だけれど、行なわないと目の前の人が死んでしまうーーそんな状況が医療や介護の現場には多々あったんです。

そういう状況を経験していたので、重訪の仕事に関してはあまり抵抗がなかったですね。「医療介護スタッフって何?」という感じで興味が湧いて、応募をしました。

―介護職の中でも幅広くお仕事をされてきていますよね。続けていく中で見えてきたものはありますか?

そうですね。
見えてきたところはーー介護の仕事は本当に最初から抵抗なく入れたんですが、たまに「これが身内だったら自分はできるのかな?」なんて考えることはあります(笑)。

でもやっぱりーーどの人も言うと思うのですが、やりがいみたいなところですよね。
「ありがとう」っていう言葉が、単純に力になるのかなと思います。

病院勤務時代、最初からいい患者さんたちと出会えたことも大きいなとは思っているんです。糖尿病で両足を切断していて、目が見えない方が入院されていたのですが、部屋に入ると、自分の声だけで「前波さんね」とわかってくれる方がいました。

自分だけ特別扱いされていたのかなーーといっても、そんなふうに関わってくれたのはその人だけですけど(笑)。

その方のご家族からも喜ばれて手紙をもらったりもしました。今ではいい思い出です。

それから、おそらく精神の病気をお持ちのおばあちゃんがいたのですが、退院する時に「ほら、あんたも一緒に車に乗らんとね」なんて言われたり。

鬼みたいな顔で入院されてきたのですが、退院する時はすごくいい笑顔になっていてーー。
そういう出会いも、今では「仕事を続けてきてよかったな」とは思います。

これが重訪になると、「“ありがとう”の重さが違うな」と思います。
たまに採用面接でも言っていますが、在宅の方からの「ありがとう」は本当に違いますからーー。

もちろん施設、病院もいい仕事です。

ただやはり、自分たちがいることでその方の生活が成り立ってる、生活ができているっていう部分での責任感や、より命の近くにいる重みというものがこの仕事にはあってーーその点を感謝していただけるのは本当にやりがいになりますね。

CHAPTER5

耳をひらいておくこと

“広く浅く”の関係から、“狭く深く”の関係へーー重訪で知った自分たちがここにいる意味

< 救護施設で働いていた頃>

―それまでの介護職から重訪の現場に入った時、どんなことを思われました?

いちばん大きな違いはーーひとりで何十人を見る世界から、1対1の世界にいくので、“広く浅く”の関係から、“狭く深く”の関係に変わったなというところです。

それから、自分は障害福祉サービスに関わるのがその時が初めてだったんですよ。

それまでは介護保険や医療保険の分野で働いていたので、入社時に統合課程の研修を受けて「これまでと関わり方を変えないといけないな」って思ったんですね。

例えば高齢者介護をしていた時は、ご本人の残存機能を活かすために時間がかかっても「靴下を履いてみましょうか」とご本人を促すような支援をしていました。

でも障害福祉サービス、重訪に携わるようになってからは、クライアントの自己決定、自己選択が関わりの軸になってきます。

その時から自分は「そういう立ち位置でクライアントを支えよう」というスタンスに変えました。

―「スタンスを変えました」とサラッと仰っていますが……関わる姿勢ってすぐに変えられるものなんでしょうか?

そうですね。
最初は「こんなゆっくりしとっていいのかな」って正直、思いましたよ(笑)。

最初に支援に伺ったクライアントの方から、いろんな話を聞かせてもらえたことは、今ではいいことだったなと思います。

私たちがいること、自分たちが手足が不自由な方の代わりになることで、クライアントの方が安心して過ごせる、望む生活が叶えられるーー。

支援している時に、ヘルパーが入る前のクライアントの生活について教えてもらったことがあったんです。

そういう話を聞くと、「ゆっくり過ごしている中にも、自分たちのいる意味があるんだな」と思えましたね。そしたら抵抗なく、スッと今の仕事への切り替えができたかなと思います。

今思えば、重訪を選んだことは正解だったなと思います。

クライアントが主となるのでーーまぁご自宅で、よっぽど体に悪いことを「手伝ってくれ」なんて言われたらそれは考えますけど(笑)。

支援現場では「そんなこと、他の施設だったら絶対に無理だろうな」みたいなことも「どうぞどうぞ」っていう感じでやってましたね。

―仕事でも、日常でも、前波さんは人と関わる時、どんなことを大事にされているんですか。

相手の話を聞くことですね。

―そう思うようになったのはいつ頃からでしょう。

いつ頃からかな……。
でも20代半ばぐらいには「聞く耳がある人とない人って、相当差が出るな」ということは正直思いました。

聞きすぎるのも良くない時もあるのですが。
聞く耳がない人って、周りの人から何も言われなくなるじゃないですか。

そうなると、それ以上の成長はないというかーーもちろん、「言われるうちがいい」みたいなところもありはするんですが、でも自分自身は言われることがあまり好きな方でもないので、人からは言われないようにやっていたんじゃないかなって思いますね。

―逆に、前波さん自身は人に受け止めてもらった、話を聞いてもらったという経験はありますか。

20歳ぐらいまではあまり自分の話をまわりにしてなかったような気がしますね。
でも今に至っては、なんでも話せる相手――もちろん話す相手は選びますがーーにはめちゃくちゃ本音で話して、聞いてもらってます。

自分は、話をして発散をするタイプなんだなぁっていうのはあるんです。
もちろんワァワァは言いませんよ(笑)。

話を聞いてもらって、「あぁ、自分ってそうだよな」って自分の中が整理できるというかーーでも聞かされてる方はどうなんでしょうね……(笑)。

CHAPTER6

声をかけてもらえることの幸せ

目の前のことを、やれるだけ、ちゃんとやって、自分らしく

―九州ブロックマネージャーとしてたくさんのスタッフの方たちと関わりながら働かれていると思います。九州ブロックにはどんな方がいらっしゃるんでしょうか?

今、私は九州ブロックマネージャーになって2年目なんですが、協力してくれる方たちが周りにいなかったらやれてこなかったな、と思うんです。

お願いごととか、「こっちの方を向いてみんなで頑張ろう」といった声かけをさせてもらった時に、素直に一緒に動いてくれた方が多いんじゃないかなと思います。

「協力的な人が多い」というところは、九州ブロックの皆さんの強みかなと思いますね。

―アテンダントからスタートし、マネージャーに移っていく中で、前波さんの中で見える景色は変わってきましたか?

今、九州には事業所が10ヶ所あるのですが、コーディネーターになるとアテンダントとクライアントを何名か担当して、管理者になると1つの事業所を担当して、エリアマネージャーになると複数の事業所を担当してーーと、立場が変わると人数や事業所の数は増えますが基本的な仕事の内容は大きく変わりません。

でも、担当する規模が大きくなっていくことで、見方が変わるというか、見る角度は変わってきます。

そこでどれだけ自分らしさを出しながら、みんなでいい方向に行けるかを考えなきゃいけないところがありますよね。

私は重訪の仕事を始めるまでは、ずっと1介護スタッフ、現場のスタッフという立場だったんです。

でも土屋には、たまたま立ち上げから関われて「こんな役割、やってみる?」といろいろと声をかけてもらってからは、初めての経験だらけでここまできたので。

本当に機会を与えてもらったなと思います。

やれるかどうかなんて、もちろんやってみないとわからないですけど、声をかけてもらえるってそれだけで幸せなことだなと思うんです。

重訪に出会ってからの6年は「目の前のことをやれるだけ、ちゃんとやろう」という感じでここまできました。

その中で、今まではなかったんですが「介護をしたいと思う人が増えてほしいな」と考えるようになってきましたね。

介護の仕事ってやっぱりひとりでできる仕事じゃないんです。
「仲間を大切にしていきながら、困ってる人がひとりでも減ればいい」っていう思いだけで動いてきたんですよね。

今でもその思いは変わりません。
この仕事に関しての喜びはそこでしょうね、ずっと。

―逆にーー前波さんの中で変わらないものってどんなところでしょうか。

今も、中学の同級生と会うと「前と全く変わらん」って言われるんです。
自覚もないんですが、元々こんな感じだったんでしょうね。

10年、20年ぶりに会って「変わらんね」ってーー見た目じゃなくて、「中身が変わらん」って言われるのって、いいことなのかどうかわかりませんが(笑)。

でも本当に最初から変わってないのは、自分が“仲間”と信じた人は、絶対に裏切らない。そこはずっと変わりませんね。

CHAPTER7

そこに、待ってる人がいる

「子どもって笑顔の回数が大人よりすごく多い」。だから、自分も負けないぐらい笑っとこう

―最近考えていること、困っていることはありますか?

この仕事は本当にたくさんの、いろんな人の声が聞こえてきますよね。
その中でどこまで自分が判断して対応するのが正しいのかー―対応力、判断力、決断力。

そういうところは誤っちゃいけないなと日々、思います。
そこは組織が大きくなればなるほど、この先も悩むんじゃないかな。

―そうですね……。
では、これからのことをお聞きしたいです。
「こんなふうに働いていきたい」「こんなふうに生きていきたい」という思いはありますか?

今は今の仕事がいちばん好きなので。もう転職にも飽きたんです(笑)。

―転職も飽きるんですね(笑)。

もういいかなと思ってます(笑)。
まぁそれは冗談ですがーーだから、というわけではないですが、「今の会社で自分にできることを」と今は思います。

嬉しいことに、たまに上司の方が「やりたいことある?」なんて聞いてくれたりするんですが、自分は高校時代から本当にやりたいことがしっかりないまま、ここまで来たんです。

その中で上司の方から「今の仕事が自分に向いてる」と思ってもらえてるのか、「この仕事を前波に任せてみたい」と思ってもらえてるのかーーだからこそ、声がかかったところには前向きに、自分にやれることを精一杯やるだけですね。

自分のことがなかなかわからない、自分が何をしたいかわからない人って結構多いと思うんです。だからこそ、声をかけてもらえることは幸せだなと思います。

もちろん、無理なことには「無理です」って言わなきゃいけないとは思うのですが(笑)。

―仕事の質問から少し離れて……お休みの日はどんなふうに過ごされているのかを教えてください。

プライベートは完全に娘ですね。今、2歳の娘がいるんです。
休みの日はできるだけ一緒にいれるようにして、動物園とか水族館に連れて行ってあげています。

休みの日は娘と出かけるか、家でゆっくりしてるかのどちらかかな。
そこははっきりしてるかもしれないですね。

幸い、身近に身内がちょこちょこいてくれるので、ひとりの時間も取れてる方だと思います。

―ひとりの時間では何を?

ひとりでいる時はめちゃくちゃテレビを見てます(笑)。
見る種類は完全に決まっていて、その中の1つに笑える番組は絶対に入れてますね。

でもずっとお笑いの番組を見てると、自分の中の笑いのハードルが上がってきて、最近はひとりで見ていても、「くすっ」ってなるのがたまにあるかないかぐらいになってしまいました(笑)。

「子どもって笑顔の回数が大人よりすごく多い」という話を、どこかで聞いたことあるんです。だから、自分も負けないぐらい笑っとこうかなと最近は思ってますね(笑)。

―最後にお聞きしたいのですが……前波さんはなぜ介護という仕事を続けていると思われますか。

そうですねーー。介護の仕事を始めて、20年ちょっと経ちました。
前会社に入った最初の頃に「困ってる人がいなかったら自分たちの仕事は必要なくなるのに」って思ったんです。

でも残念ながら、年を重ねたり、事故があったり、難病があったりー―色々あって、私たちの仕事は今のところなくなっていません。

だからきっとこの仕事を続けてる理由があるとしたら、最初のところじゃないですかね。
“待ってる人がいるから”。

だから続けていけるわけでーー。
それから、人対人の関わりが自分は嫌いじゃないんだろうなって思います。

でも「自分、人見知りなんだよね」なんて、半分冗談で言ったらみんなから否定されましたが(笑)。まぁ、「自分で自分のことが全然わからない人間なんだ」と自分では思うんです。

―前波さんは、ご自身のことを人見知りだと思われているんですか!?

半分、適当ですよ(笑)。自分は自分のことをごく普通な人間だと思ってます。
だって、自分って自分でしかわからないからですね。

自分は標準な人間だと思ってるんですが、どうも標準じゃないところがあるらしくて、人からはよくそこを突っ込まれはするんです。

―(笑)。人と出会うことで、知らない自分と出会っていけるということがこの仕事にはありますね。

そうですね。出会いがなかったら、何も変化がないと思うんです。
出会いがあるから変化して、いろんな経験をさせてもらえたり、クライアントの人生や思い出のちょっと端っこにおらせてもらうーーそんなところが、介護の仕事をやっているとあります。
そこはやっぱりこの仕事のいいところだな、と思いますね。


TOP
TOP