定期巡回

定期巡回サービス土屋

宮澤潤

西宮 計画作成責任者

関わる人たちそれぞれの「心遣い」の形に出会えるのは、在宅支援のいいところ。

 《interview 2026.04.10》

定期巡回サービス土屋 西宮で計画作成責任者として働く宮澤 潤(みやざわじゅん)。
「この仕事で、志をもって働きたい」。
そんな思いを胸に、2025年、土屋へ転職しました。
高齢者福祉の仕事に20年ほど関わる中で宮澤が培ってきたのは、目に見えないものへのまなざしです。
クライアント、家族、スタッフ、そして自分自身の中でそれぞれに湧きあがる、優しさ、嬉しさ、愛しみ、誇り――「心のことを大事にしていかなあかん」と語る宮澤のこれまで、そしてゆるやかにこの春から始まる動きを追います。

CHAPTER1

田んぼを走ったり、夏はセミを取ったり、鬼ごっこしたり――外でばっかり遊んでいた記憶

家の近くには山があって、田んぼがあって。活発な子でした

―小さい頃のお話から伺ってます。宮澤さんが生まれ育ったのはどんなところで、どんなお子さんだったのかな、というところから聞かせてください。

大阪の箕面(みのう)というところで生まれ育ちました。
今は栄えていますが、私がちっちゃい頃は田舎で、駅を降りると後ろに山があって、田んぼもありましたね。

田んぼって、稲を刈った後は原っぱみたいになるんですよね。
そこをばーって走ったり、夏はセミを取ったり、鬼ごっこしたり。

外でばっかり遊んでいた記憶があります。

当時はファミコン(ファミリーコンピューターゲーム)が流行ってたので、ひとりでそんなんもしてましたが、基本、活発な子やったと思いますね。

―その後、10代の頃はどんなふうに過ごしていたんでしょうか。

中学と高校の頃は音楽が好きでよく聞いてましたね。
ロックとか、その時代に流行ってるような音楽を。

C Dをいろいろ漁って、誰かが「この音楽がいいよ」なんて言ってたらそれを聞いてみたり。

そんな感じでしたね。

―ご自分で演奏もされていたんですか?

コピーバンドみたいなのはやってましたね。
でも、全然うまくないし、活動はしてないので――楽器を手に持って遊ぶ程度です(笑)。

1曲、2曲弾けるようになったら、みんなでちょっと曲を合わせてみたりはしてましたけど、全然弾けてなかったので。恥ずかしいですね(笑)。

その後――高校2年の終わりに、自分は高校を辞めてるんです。辞めてからは、バイトをしながらフリーターみたいな感じで過ごしてました。

そこからいろんな仕事を経験していたのですが、20代半ばで「ちゃんと資格を取って、ちゃんと仕事したいな」と思って。

そこから当時のヘルパー2級、今で言う介護職員初任者研修の資格を取って、介護の世界に入りましたね。

――介護の資格を取ろうと思ったきっかけはどんなことだったんですか?

きっかけは――自分で決めて学校を中退したんですが、社会に出てみると、高校を途中で辞めていることで社会的ハンデがあるんだな、と感じたんですよね。

当時は、レストランのウェイターやパチンコ店のホールスタッフをしてみたり。

警備員や大型トラックの荷下ろし、金属加工業の現場の仕事をしたこともありました。

そんな中で、高校卒業認定――当時でいう大検(大学入学資格検定)――を勉強して、合格できたんですよ。

そこで自信を持って、「次はヘルパー2級を取ろう」となって。

―その先に「介護の仕事をやってみたい」とか、「何か仕事に繋がれば」といった思いはあったんでしょうか。

そうですね。

介護の仕事は、ご病気や障害を持つ方の手助けをしながら働いてる姿がいいな、って思って――「自分もそんなふうになりたい」とかいう、憧れというか、そういうものがあったんですよね。

身内の介護をしてたとか、身近にご病気や障害を持つ方がいたというようなことはなかったんですが。

資格を取ってからは、最初に特別養護老人ホーム(特養)で働き始めたんですが、ひとつひとつが衝撃でしたね。

車椅子や寝たきりの方、認知症をお持ちの方と接する経験もそうそうなかったし、排泄のお世話も初めてだったので、正直、戸惑いもありました。

入職当初は、ご病気でしんどそうにしてる方と接していたら、自分までしんどくなってしまったこともあって。

その時の上司が心配して、声をかけてくれたぐらいでした(笑)。

人との距離感が近い仕事は初めてだったので、利用者の方の手を引いて歩行するとか、手に触れるのはやっぱりちょっとこう――照れくさいというか、恥ずかしい思いはありましたね(笑)。

でも、働いているうちに、見方がどんどん変わっていきますよね。

病気や障害があってもできること――楽しみにされてることはその人の中に変わらずにあって、そこも含めて関わっていくので。

CHAPTER2

介護の仕事を続けてきて――ひとりひとり、こちらが支えているようで実は教わっているような

人との距離感が近い介護の仕事。やっぱりちょっと照れくさいというか、恥ずかしい思いはありましたね

初めに働いた特養には6、7年ほどいました。
その後、老人保健施設(老健)に1年。

その時に、ケアマネージャー(ケアマネ)の資格を取って。

老健から「ケアマネせえへんか」と言われたんですが、一度、居宅介護(居宅)のケアマネをしてみたくて、そこから居宅に転職して、ふたつの事業所で、合わせて4年ほど働いていましたね。

その後は小規模特養で現場に入りながら、施設でケアマネを勤めました。

そこも、6、7年ほど。これまでの経歴を合わせると、高齢者福祉に携わって20年ほどになります。

―長いご経歴の中でひとつ、と言えないと思うのですが……今も思い出す利用者の方とのやり取りや出会いがあったら、伺いたいです。

そうですね。
ひとりひとり、みんな――こちらが支えてるようで、教わるようなそういう感覚があるんですよね。

今、パッと思い浮かんだのが、前職の小規模特養でショートステイもしていたんですが、そこに緊急でいらした方がいたんです。

同居していたご子息が緊急入院してしまって、どうしようもなくていらした方だったんですが――高齢女性の方で、おそらく何ヶ月間かお風呂に入っていなかったのでは、と思います。

お体に触れようとしても、パッと介助者の手を払うんです。本当は綺麗な服を着たい思いもあるんやと思います。

でも服を着替えるサポートをしようとすると、抵抗をされて。

頑なというか、まわりの人を受け入れないようなところのある方で、なかなか関係を築いていけなかったんですね。

「どうやって関わっていこうかな」と思っていた時――私が夜勤をしてる時に、ほんまに困った顔をされたことがあったんですよ。

「痒くてしょうがない。助けてください」って。

それで、「ここは介護を受け入れてくれる時や」思うて、急いで清拭のお湯を持ってきて。

それで清拭をしたら、めちゃめちゃ気持ちいい表情をされたんです。気持ちいいから、受け入れてくださったんですよね。

で、自分は「これならもうちょっといける」って思うて(笑)、今度はドライシャンプーを持ってきて頭を洗って――全身の清拭が終わったら、その方が泣きながら「ありがとうございます、ありがとうございます」って言いはったんですよ。

それをきっかけに、その方はお風呂に入るようになられました。

ただ、その後、ショートを退所するまで、逆に頼られるようになってしまって。

依存的な関係になってしまったところもあって、困ったこともあったんですが(笑)。

―(笑)。でもそんなひとつの関わりがきっかけで、まわりとの関係性が変わってきますよね。

そうですね。

施設にあった服を着て、髪の毛も整えて、髪飾りもつけて。最初は身なりがボロボロだった方が綺麗になってーー「ここで生活してます」みたいな感じになられたんですよ。

そういう姿を見られたことは嬉しかったですね

CHAPTER3

介護を一度離れて

1年ほど介護とは別の仕事をしながら、ずっと悶々として――それで戻ったんです。「もう1回、居宅のケアマネしよう」、と。

―高齢者福祉を19年ほど、と伺いましたが、宮澤さんの中で「介護でやっていこう」と決めたきっかけは何かあったんでしょうか?

そうですね。
目標――例えば、初めはヘルパー2級の資格を取って、まずは現場の仕事ができるようになりたくて。

身体介護が一応はできるようになった時、今度は「介護福祉士の資格を取ろう」と思って。

介護福祉士が取れたら、「今度は、ケアマネージャー取りたいな」と――その時その時で目標があったんです。

それと、いろいろな仕事の経験があったんですが、多分、介護の仕事って他の仕事と比べると、エネルギーを使う量が全然違うんですよね。

それだけエネルギー使って頑張ってやってきたら、やっぱり仕事に愛着が湧いてくるじゃないですか。

そんな感じでここまで続けてきました。

ただ、一度だけ――初めて居宅で働いた時、もともと施設での経験しかなかったので、在宅介護の制度ややり方があまりにわからなかったんですよ。

それで「違う仕事しようかな」って思うて、1年ほど介護から離れて警備員の仕事をしたんですが、働きながらも悶々として――先輩方からいろいろ言われたり、大変なこともあったんですが、介護と比べたら自分の中では楽な仕事やったんですよね。

あれこれ考えて支援せんで、決まったことしたらいいので。

でもずっと悶々として――それで戻ったんですよ。
「もう1回、居宅のケアマネしよう」、と。

その後、居宅で2年半ほど働いて、最終的に、その地域で「支援が難しい」と言われていた利用者の支援を受け持てるようになれました。

施設の中で決まってる時間やルーティンで動くのではなく、利用者のご希望を伺った上で時間を決めて、「何時にこの方の家に行って、何時に別の方の家に行ってお話して……」とかね。

そういうふうに動けること自体も嬉しかったですね、やっぱり。

CHAPTER4

訪問介護では、「ケアマネさん」なんて呼ばれて頼りにされていました

施設での決まったルーティンから、利用者のご希望に合わせた訪問介護の関わり方を知って広がりました

―ちょっと戻っちゃうんですが、特養や老健といった施設での介護から、居宅介護という訪問介護の仕事に行かれたのは、どんな流れがあったんでしょうか。

そうですね。
初めが特養だったので、特養のことしか知らなかったんですが――デイサービスとか、訪問介護、定期巡回とか、いろんな介護サービスがありますよね。

その中でも居宅のケアマネは、施設で働くケアマネよりも外に広がるような気がしたんですよね。

感覚的なものなんですが、「きっと、いろんなことできるんちゃうかな」って。

―訪問介護になると、その地域全体のいろんな方――ご本人はもちろん、ご家族も相談員の方も含めて、また違う関わりになってくるのかな、なんて思います。

そうですね。

施設では毎日同じ方と接するので、ご利用者の方とも親しくなりますし、ご家族の方がいらした時は、現状をお伝えしたり相談をしたりとかもあるんですが、在宅での関係はもっと密でしたね。

在宅では「ケアマネさん」なんて呼ばれて、頼りにされていました。

「ケアマネさんやからちょっと聞いてほしい」って言われてご家族から悩みを相談されることもありましたし。

連携を組んでいくためにも、“顔の見える関係”でいることが大事だったので、地域のデイサービス、訪問介護、看護の方にも“ケアマネとして自分の顔”を知ってもらって。

施設での決まったルーティンから、利用者の方のご希望に合わせた在宅介護の関わり方を知って広がりましたね。

ケアマネとして関わる時も、みなさんそれぞれのやり方で関わられていて、そういう姿を見ることで、自分も自分のやり方を見つけて関わるようになりました。

―施設で働いていると見えなかった部分もあったのでは、と思います。

そうですね――あるご家族のお母さんが認知症になってしまったことがありました。

ケアマネからすれば、「じゃあ、訪問看護に来てもらって、薬の管理してもらって、娘さんも疲れてはるんやったら、ショートステイでもして、レスパイトして……」なんてそこからの流れがパパパッと思い浮かぶんです。

でもそのご家族の娘さんは――私に相談をしてくれたんですが、初めてのことやし、何もわからへんから、「どうなってしまうんや」って泣かれてしまって。

「まずは、こんなふうにやってみましょう」ってお声かけして。

そういう姿を見て自分も初めて、「あそこまで思い詰めてはってんな」って感じたことがありました。

別のお家でも、気丈に振る舞っていたご家族の方が介護ストレスを抱えて、睡眠薬を飲まないと眠れない状態になっていたり。

そういった姿はやっぱり施設では見えづらいところでもあって、ご利用者の方はもちろんですが、ご家族の姿を知れたことも大きな違いでした。

―その頃、関わられていた方の中で印象に残っている方はいらっしゃいますか?

そうですね。

癌に罹られていた方で、出会った頃は自分の足で歩いていて元気やったんですが、その後、お亡くなりになって――。

奥さんも娘さんもまだ若かったんです。

亡くなってから、奥さんから「ちょっと顔見たって」って電話をいただいて。

その時は同じ事業所の看護師とふたりで会いに行って。
その方は福祉用具の業者からベッドを借りられていたんですよ。

使っていた方が亡くなったら、本来なら、業者はベッドを持って帰らなあかんのです。

でもその業者の方は――あまり冴えない感じの方だったんですが――「福祉用具の引き取りの期間と関係ないですから、ベッドは好きなだけ置いてください」なんて言ってくれて。

ご家族も、寂しい気持ちもあって、ベッドだけしばらくずっと置いてあって。

亡くなられて間もない頃は「寂しいから」と孫がそのベッドで寝てたんですよ、なんて話を後から奥さんから聞いたことは心に残ってますね。

CHAPTER5

「志をもって、この仕事で働きたい」

3年後、5年後、介護業界で自分がどんなふうに働いているか、この先のビジョンが見えなくなってきた――その時出会ったのが土屋でした

―その後、土屋に転職することになるんですね。

そうですね。
小規模特養で6年、7年ほど働いて、施設ケアマネをしていたんですが、小さな施設の身内感を感じて、広がりのなさも感じていました。

自分なりに新しく資格を取ってみたり、頑張ってはいたんですが、3年後、5年後どんなふうに働いているか、この先のビジョンが見えなくなってきたんですよね。

もちろん、現場の仕事はそれ自体とても尊くて大切な仕事です。

でも、それだけじゃなくて、何か目標に向けてとか、もっと頑張っていける土壌で働きたいな、っていう思いが出てきて。

それで土屋を見つけた時、事業を全国規模で展開していて、仕事の広がりも感じて。

「ここでなら志高く働けるんじゃないかな」って思ったんです。

自分は年齢も年齢なので、「この先、是が非でもキャリアアップを」というほどの思いはないんですが、覇気というか、志を持ってこの仕事で働きたい思いはありました。

定期巡回サービス土屋 西宮に入社をしたのは2025年5月。

ちょうど4月に西宮事業所が立ち上がったばかりで、そこから1ヶ月ほどして入社しました。

定期巡回の仕事自体は初めてでしたが、基本は在宅介護の仕組みであること。

それから、高齢者介護はある程度の知識と経験もあったので大きな戸惑いもなく、働き始めることができたと思います。

―今はどんな仕事に関わられているんでしょうか。

そうですね。

今は、西宮で計画作成責任者として、直接、利用者の方のご自宅を巡回しながら、支援を行なったり、支援を実施するための定期巡回訪問介護計画書を作成しています。

介護保険サービスというのは、利用者が新しいサービスを利用する時、居宅介護のケアマネさんがサービス担当者会議を開くんです。

そこに私も参加をして、クライアントとご家族さんと話をします。

基本は「クライアントさんとご家族さんがどんな支援をご希望するか」です。

具体的には、服薬の確認とか、ご本人がどんなお手伝いをお願いしたいか――とか。

他にも、訪問看護師さんが同席されていたら助言をいただくこともありますし、「こういった時は緊急なので呼んでください」といった情報を全員で共有をしたり。

たとえば、具体的にいうと「ちょっと買い物のお手伝いしてほしいんやわ」といった利用者のご希望を会議を通して、介護の計画書に落とし込みます。

そして、ケアプランに基づいた定期巡回訪問介護計画書に沿って、サービスの提供が行なわれます。

CHAPTER6

どんな人でも、何かしら抱えてるものがある――「心のことを大事にしていかなあかん」

介護職を続けて20年ほど。ここからまた、変わっていくもの、そして変わらないもの。

―今度は、宮澤さんの価値観の部分を伺いたいなと思います。仕事に限らず、人と関わる中で、今、宮澤さんが大事にされてることはどんなことですか?

そうですね。
すべての人が、経験や苦労、いろいろあって年齢を重ねていて。

どんな世代の方も、何かしら抱えてるものがあって、何もない人なんて絶対にいない。

そう思えることで、相手に謙虚になれたり、相手を敬う心が生まれると思うので、そういう部分を大事にしてますね。

―そういう部分は、今まで高齢の方と関わってきた中で築いてきたことなんでしょうか?

そうですね。

この仕事をする前は、いろんなことをもっと軽く考えていた方だったかもしれないですね。

でも福祉の仕事を続けていく中で、若い頃の考え方とは絶対的に変わっていってると思います。

福祉の仕事って、生産性や競争だけを求めるような業種じゃないですよね。

この仕事をしていると、親しくなった方が亡くなる場面に立ち会うことも多くなるし、命の重みや意義みたいなものをその度に感じて。

人が生活をしていくにはモノや金銭面の充実も重要なんですが、やっぱり目に見えない大事なもの――心のことを大事にしていかなあかんって。

そう思うようになりましたね。

今も、どんどん見えるものが変わってきてます。
だから、5年後、10年後も、変わっていくやろうと思いますしね。

―そうですよね。ここまでお話を伺ってきて――宮澤さんは福祉の仕事を20年近く続けられてきてます。この仕事を続けられてる原動力になってるものってどんなところにあるんでしょうか。

原動力――今、自分は独り身なんですね。でも娘がいるんです。

娘とは定期的に会ってるんですが、自分の本音を言うと、そこだけなんですね。

こうして働き続けてきたのは、娘の存在が何よりの原動力ですね。

CHAPTER7

働く人たちの中にある、優しさと誇りを感じながら

土屋って大きいから、私の知らないところで、きっともっといろんなことが起こっていて――そのことがもうすごいな、と思うんです

―お仕事の話ばかり伺ってきたので、趣味やお休みの日はどんなことをしてるか、少しプライベートなところを伺いたいです。

趣味は、体を動かすのが好きでね。
スポーツジムに週何回か行って、体を動かして。

それからバイクツーリングで遠くに行くのはよくやってます。
それで、田舎の風景の中をバーッとバイクで走るのが趣味ですね。

―どの辺りまで行かれるんですか?

最近は今住んでいる兵庫から、大阪の最南端の多奈川までとか。
それから、1日かけて、岡山にも行きました。

いつもとちょっと違うところに行けるのが好きですね。

―バイクは若い頃からお好きなんですか。

そうですね。16歳でバイクの免許を取ってます。
その時は50ccでしたけれど。

その後も、ちょこちょこ、好きで乗ってますね。

―では最後に――これからのところを。定期巡回サービス西宮の地域でどんなことを行なっていきたいか、聞かせてください。

定期巡回サービス西宮には今、クライアントが7人、スタッフが5人います。

一緒に働いている方はどの方も支援に一生懸命な方たちです。

定期巡回は、毎日、定期的に利用者のご自宅を訪問するので「来てくれて安心やわ」といった声をいただいたり、頼りにされることは純粋に嬉しいですね。

だからこそ、今のサービスの質を大切にしながら、今後は関わるクライアントを少しずつ広げていきたいですよね。

本音を言うと――声に応えられているクライアントの人数はまだまだ少ないので、多くのクライアントを支えられる事業所になっていきたいな、というのがいちばんの思いです。

―土屋という会社自体にはいかがですか?入社してみて感じたこと、土屋のこれからについて思うことなどあったら伺いたいです。

そうですね。
たとえば――土屋がオフィシャルパートナーとなっているKAIGO LEADERSという介護に関心を持つ人たちが集まる、より良い社会を目指すコミュニティがあります。

私はそこでライティング講座を受講させてもらったことがあるんですが、定期的にオンラインで講座を開いてくれて。

相談に乗ってもらったり、成果報告会にも行かせてもらったんですが、盛大でした。

「介護の仕事しながら、こんな世界も見せてくれるんやなぁ」、って。

私の知らないところで、きっともっといろんなことが起こっていて――土屋って大きいから、それぞれの場所でそれぞれに事業や活動が広がっていってるわけじゃないですか。

だから「こんなふうになってほしい」というよりも、今がもうすごいな、と思うんですよ。

それに、どんな仕事でもそうですが、仕事って――「今日仕事や」って行って、帰ってきて「明日仕事や」って――そんなルーティンワークになりがちですよね。でも土屋はそうじゃない。

理念の部分はもちろん、意識が高い方が多く働かれていると思います。みなさんの中に優しさと誇りがあって、誇り高いイメージがあります。

「あぁ、あの土屋さんね。介護の会社のええとこやな」って――介護や福祉業界で、そんなふうに言われるようになっていったらいいな、と思いますね。

―この春から、宮澤さんは社内のマインドフルネスサークル「Refrel(リフレル)」の活動(well-being委員会)のリーダーにもなられましたね。

そうですね。
もともとは、マインドフルネスや瞑想に興味があったというよりは会社の取り組みのひとつとしてサークルがあることを聞いて、「自分も参加したいな」っていう気持ちで参加をしたんです。

参加してみて、その効果を実感したんですが――。

これまで、社内のブランド創造部主導でやってきたサークル活動を、メンバーの中からリーダーを募って、新たな形で動きはじめる、という話を聞いて、立候補をしました。

ただ、「自分がサークルを動かしたい」なんて自信は全くなくて――「ちょっと手伝えることないですか?」みたいな感覚なんですよ。

事業所の売上げや経営に直接関わるところではないのですが、自分が働いている会社でサークルを続けていく活動に関わることもひとつ、責任を持つことだと思うので、そういう気持ちでいますね。

―関わりはじめて、いかがですか。

すでに何度かミーティングをさせていただきました。

サークルを続けていくにあたって、細かなところはこれから相談をしていくんですが――リーダーに立候補したのは、入社してすぐのタイミングだったので、

初めはwell-being副委員長の澤田由佳(さわだゆか/CSR推進協議会副委員長)さんも、川崎知子(かわさきともこ/本社 ブランド創造部)さんも、雲の上の人みたいな存在だったので、ミーティングでは緊張、緊張で(笑)。

でも、月1回のサークル会ではいろいろと話を聞いてくださって、返答してくれて。そのやり取りは「とてもありがたいなぁ」、と。

もちろん、定期巡回の仕事がいちばん、というところは前提なんですが、会社の取り組みを活性化できるよう、できる限り頑張っていきたいなと思ってますね。

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