定期巡回

定期巡回サービス土屋

佐々木峻

八王子 管理者

愛、愛だよ。無償の愛。

 《interview 2026.05.08》

「人の話を聞くのが、こどもの頃から好きでした」――北海道で生まれ育ち、とあるきっかけから介護の道へ飛び込んだ佐々木峻(ささきしゅん)。
現在、定期巡回サービス土屋八王子で管理者として働いています。
北海道から東京へ、施設介護から在宅介護へ、介護士からマネージャーへ。
自分のまわりは少しずつ変わっても、変わらずにある「困っている人がいる」という状況、そして佐々木の中にずっとあった「困っている人に手を差し伸べたい」という思い。
管理者として人と出会うことになり広がった関係性と、移りゆく環境の中でも大事にしていきたいこととは――佐々木の日々を訪ねます。

CHAPTER1

「こどもの頃からずっと、人の話を聞くのは好きでした」

根っから明るいかというとそうでもないんですが、笑って過ごすことが多かったです

―北海道のお生まれなんですね。

そうですね。生まれ育ったのは北海道の小樽市です。
海と山に囲まれて、自然いっぱいのところでした。

こどもの頃は外で鬼ごっこをしたり、公園で遊んだりが多かったんですが、ゲームも好きで。今もずっとゲームしてます(笑)。

なので、がっつりインドアでもなく、外でも部屋の中でも遊んでました。

―どんなお子さんでしたか?

今もなんですが、割とずっとニコニコしてたというか(笑)。
僕自身が根っから明るいかというとそうでもないんですが、笑って過ごすことが多かったですね。

自分からみんなに喋りに行くというよりは、話しかけられて、それに笑って応える。聞き手側の方がずっと多かったです。

―10代の頃はいかがでしたか?当時、熱中してたものや部活動、ハマっていたものがあったら教えてください。

そうですね。
小学校の後半から中学校まではずっと少林寺拳法という武術と、バスケットボールをやっていました。

スポーツ全般が得意で、体を動かすのはすごく好きでしたね。

―少林寺拳法って……どうやってはじめるんですか?

めずらしいかな、と思うんですが(笑)、実家の近くの市民センターでできる習い事が剣道か少林寺拳法しかなかったんです。

親父が柔道をやっていたので、ずっと「武術をやっておくのがいい」と言われていて。

剣道は道具がないとできなかったんですが、少林寺拳法はなくてもできたので始めました。

少林寺拳法は「型」が多いんですよ。
空手のように「戦う」というより、「型に」沿って技を学んでいました。

バスケは、学校の部活動でずっとやっていたんです。
あまり背が高くなかったので、シュートだけをずっと練習してましたね(笑)。

―(笑)。その頃と今の佐々木さん、変わらない部分ってありますか?

人の話を聞くのはずっと好きですね。
僕の周りの友達もよく話す人が多いんです。

永遠に喋り続けたい人が多くて(笑)。男性よりは女性の方が自分のことを喋る人が多かったので、学生の時は女性の友達も多かったですね。

今も利用者さんの話はもちろん、職員の話を聞くのも好きで、その頃から一貫して人の話を聞いてることが好きですね。

CHAPTER2

無償の愛情をくれたおばあちゃん、おじいちゃんのこと

薬科大学から、「自分が直接関われるような形で働きたい」と思うようになって介護の専門学校へ

中学、高校は正直なところ、目標は特になくて――勉強だけしていました。
高校は進学校だったので、進路がある程度決まっちゃってる部分があったんです。

極端に言うと、「理系はお医者さんとか薬剤師、文系は弁護士」とか。

それもあって、僕も特に「何かになりたい」という思いもなく、薬科大学に入って、最初は薬剤師を目指していました。

大学に入ってすぐに、僕を育ててくれた祖母が亡くなって――。
そこから、祖父が元気がなくなってきてしまってたんです。

その時に「自分って何もできないんだな」と感じるようになって、介護の仕事に初めて興味を持ちました。

―おばあさま、おじいさまとは一緒に住んでらしたんですか?

両親が共働きだったので、ずっと一緒に過ごしていました。

おじいちゃん、おばあちゃんが徐々に体が弱っていくのを見ながら、力になれない自分がすごく嫌で、大学を途中で放り投げて(笑)。

2年生の3月に大学を辞めて、4月には介護の専門学校に入り直して、そこからはずっと介護士をしてきました。

「お薬を処方する」のも大事なことだとは思っていたんですが、自分が直接関われるような形で働きたいな、と思うようになったんです。

―おばあさま、おじいさまがどんな方だったのか、伺ってみたいです。

僕には妹がいて、2人兄妹なんです。
ちっちゃい頃から「これでもか」っていうくらい、祖父母からは甘やかされて育ちました。

具体的な話だと――食後に果物を必ず出してくれたんですよ。
たとえば、桃を丸々1個。僕と妹に、桃1個ずつ出してくれたり。

―すごい!1個ずつなんですね(笑)。

この話をすると、よく「すごい」って言われます(笑)。
それぐらい、「とにかくいっぱい食べなさい」、と。

いちごも毎回、1パックずつ出してくれたんですよ。
両親からはいつも「これは普通じゃないんだよ」って言われてましたけどね。

とにかく本当に優しい人たちで、無償の愛情をくれました。

―いわゆる“座学”の勉強の世界から、介護の学校に行かれてからはいかがでした?

そうですね。
介護の学校は「え、これって勉強なの?」みたいな科目が多かったです(笑)。

うまい言い方が見つからないんですが、僕は大学まではいわゆる“勉強”みたいなものしかしてこなかった。

でも、介護の世界はまた視点が全然違った。
介護の勉強は数学のように正しい答えが必ず一つではないし、クライアントの状態によって対応が変わってくることが多くあります。

生活を支えるためのことを学ぶのはすごく新鮮でした。

―勉強されながら、「こういうところで働きたいな」といった仕事のイメージは最初から具体的に持っていたんですか?

専門学校に入った時から「特養(特別養護老人ホーム)で働きたい」「なるべくターミナルケアに携われるような仕事をやりたい」という思いはありましたね。

CHAPTER3

施設介護から、在宅介護へ――「いつまでも自分の家で過ごしたい」という声を追って

いくら楽しい時間や環境をつくったとしても、利用者の方に「何かしたいことある?」と聞くと、最終的には「お家で生活したい」と――

学校を卒業後は希望通り、特養に入職して5年ほど働きました。
働き始めた頃は、とにかく「施設での生活を楽しんでもらえるように」という思いがあったので、日常的なレクリエーションをすごく大事にしてましたね。

たとえば、「今日はみんなで歌を歌おう」とか「今日はこんな映画を見よう」とか。

時には「みんなで甘いものでもつくろうよ」とか、いろんなことをやっていましたね。

―働き始めて、「この仕事、向いてるな」なんて感じたことはありましたか?

人のお世話をすることは、あまり苦じゃなかったですね。

そういう意味では、「向いてるな」とまでは思わなかったですけど、世に言う、“介護=大変な仕事”みたいには感じなかったです。

その後、同じグループ内のグループホームに異動して、1年間働きました。

グループホームは“お家で過ごせている”という雰囲気があって――より在宅での生活に近い形で関われている感覚はありましたね。

グループホームでの勤務までは北海道にいたんです。

その後、奥さんが東京生まれだったので、そこから東京に移ってきて、特養で3年ほど、その後、サ高住(サービス付き高齢者むけ住宅)で半年ほど働いたあと、土屋に入社しました。

―土屋にはどんなきっかけで入社されたんでしょうか。

これまで施設で長いこと勤務してきたんですが、利用者さんが第一に思うのはやっぱり――「いつまでも自分の家で過ごしたい」ということだったんです。

働き始めた頃は、頑張ってレクをやってはいたんですが、いくら楽しい時間や環境をつくったとしても、「何かしたいことある?」と聞くと、最終的には「お家で生活したい」と――利用者の方がそう仰るのを何度も伺ってきました。

「だったら、利用者の方の家での生活を支える仕事に関わりたいな」という思いがぼんやり浮かんできたのもあって、土屋の定期巡回サービスに入ったんです。

―施設にいた時と、定期巡回や訪問介護での関わり方の違い、それから視点の違いについて聞かせてください。

そうですね。
施設だと、“利用者本人の思い”よりは、圧倒的に“介護士の思い”を優先させるような環境で働いてきたんだな、というのが僕の印象です。

もちろん利用者の意思を聞いてから介護士が動く時もあるんですが。

在宅に移ってからは「クライアントがどうしたいか」をいちばんに考えて働ける環境になったと思います。

2024年に土屋に入社して、最初は定期巡回サービス土屋小金井で1年ほど、その後、2025年に八王子に移って、管理者として事業所の立ち上げから関わり、6月に訪問介護を、9月に定期巡回サービス土屋を開設しました。

八王子の地域には、もともと定期巡回事業をしている事業者が少なかったんです。

「今まで、この地域ではあまり定期巡回サービスが使われてこなかった」という前提がすでにある中で事業をスタートしたので、そこは当初、難しいところがありましたね。

―どんな難しさがあったんでしょう。

定期巡回は、随時訪問であったり、夜間の訪問であったり、いわば“定期巡回事業でしかできないこと”がいろいろあります。

ただ、これまで、そういった関わりが必要な方には「施設への入所」という対応をすることで解決をしてきたので、その前提がある中で、地域の事業者の方々に定期巡回というサービスの必要性を理解していただくこと――そこがなかなか難しい点でした。

それもあって、ケアマネージャーの方には、「なぜこのサービスが必要なのか」といった本質的なところからお話を聞いていただいたんです。

でも、そればっかりでは話も堅くなってしまうので、「実際にはどんなことで困ることが多いですか」「困った時はどうしてますか」といった具体的な困りごとを、今もこまめに伺っています。

そういったやり取りの中で、支援体制で困った時に相談や連絡をいただけるような体制と、関係性づくりに力を入れてやってるところです。

CHAPTER4

「そうですよね」「そうなのよ」――利用者の方との言葉じゃないやり取り

「どうしたらこの方は喜ぶんだろう」を日々考えながら、利用者の方が喜ぶことを探していた

―これまで関わられてきた方とのエピソードを伺えたらなぁ、と思います。今も印象に残ってる方との出会いや自分を作ってくれた人――それはクライアントに限らず、上司や同僚でもよいので、思い浮かぶ方がいらしたら、聞かせてください。

いちばん最初に特養で働いた時についてくれた介護リーダーが自分の中では印象に残ってますね。

そのリーダーの方は、利用者さんと話す時は必ず笑顔なんですが、職員と関わる時は真剣な表情で。

僕なんかはアテンダントと話す時でもヘラヘラしちゃったりするんですが……。

その方はメリハリをしっかりつけて、利用者さんとも職員とも関わられていました。
その姿を見ながら、「あの人みたいになりたいな」って思って働いていましたね。

それから、最初に働いた特養で出会った利用者さんも印象に残ってますね。

その方は認知症が進んでいて、お声かけしても通じないぐらいの方だったんですが、お話をよくしてくださる方だったんです。

そのお話に合わせて僕が相づちを打ったり、「そうですよね」って一生懸命に伝えると、急に「そうなのよ」ってその方からお話が始まったり――。

関わり方次第で表情ややり取りが変わることもありましたし、会話がはまった時はすごく喜んでくださいました。

―ちなみにその方とはどんなお話をされてたんですか?

その方は「縫い物をどうするか」といったお話しが多かったですね。女性の方だったんですが、会話というよりは雰囲気で話していました。

なので、具体的に「こういう話をしていた」とは言いづらいというか(笑)。

でも、適当に会話するのとは違うんですよ。

「今日は困った表情してるから、『こうしてみたらいいんじゃない?』って言ってみよう」とか、「今日はこんな表情だから、教えてあげるというよりかは、『そうだよね』って同調してあげる方がいいかな」とか。

日によって、どんなお話がはまるかが違う方だったので、その日の表情や様子から気持ちを想像して話をしていました。

「今日は、こういうことをお話してたら笑顔になれる日なのかな」とか、翌日同じ話してみたけど、「今日はこれじゃなかった」という日もあったり(笑)。

「どうしたらこの方は喜ぶんだろう」ということを日々考えながら、いろんな方法で関わって。

その方が喜ぶことを探していた自分が印象に残ってますね。

CHAPTER5

「その方が本当に伝えたいことはなんだろう」――相手の主訴を理解すること

定期巡回で働くようになってから、他事業者の方と関わることが多くなり、自身の位置が変わった

―お仕事や日々の中で考えていることを伺えればな、と思います。人と関わる時に佐々木さんが大事にされてることはどんなことですか?

僕はもともと、人の話を聞くのが楽しいんです。

それって、ある種、「相手のため」な部分もあるんですが、それ以上に「自分が楽しめてるから聞いてる」というところが大きいんです。

介護職を続けてるからなのか、年齢を重ねていってるからなのかはわからないですが、相手が何を大切にしてお話するか――相手がケアマネージャーさんだったとしても、利用者さんだったとしてもそこは同じです。

「その方が本当に伝えたいことはなんだろう」というところを深掘りして聞いていく。

ここ最近は、相手の主訴を理解することが大事だな、って思ってますね。

たとえば――定期巡回では、ケアマネージャーさんから「こういう支援をしてほしい」といった声をいただくことが多いんです。

その時に、「実際にどういうところに困っていて、どういう部分を重要にしているか」「なぜその支援が必要なのか」――そんなところをじっくり伺っています。

―そこは、佐々木さんが時間をかけて培ってきた部分なんでしょうか。それとも……

利用者さんに対しては、じっくりお話を伺って「この方がこう仰ってるから、◯◯がいいんじゃないか」といった提案をすることは今までもずっとやってきました。

でも、ケアマネージャーさんや地域包括支援センターの方、さまざまな専門職の方とのやり取りは、これまでは施設勤務だったのでそこまで多くなかったんです。

そこが定期巡回で働くようになってから大きく変わったことですね。

定期巡回は開設から関わっていたのもあって、やりがいを人一倍感じられたのかな、と思います。

管理者業務自体が今まで経験したことなかったので、そこからはひたすら学びというか。

何もわからないまま管理者になったところもあったので、ひとつひとつ勉強になりました。

ただ、それ以上に感じたのは――今までは「自分は介護職」という意識が強かったんですが、

今は、マネージャーとしての意識が強くあります。
管理者になると、クライアントと関わるだけじゃなく、事業所として外部の方と関わっていく機会が増えるので。

支援内容はもちろんですが、ケアマネージャーさんや外部の方と関わる時の関わりひとつひとつを大事にしていくことが、事業所、ひいては会社全体の取り組みにつながるんじゃないかな、と思ってますね。

CHAPTER6

働く環境は変わったとしても、「困ってる方たちに対して手を差し伸べたい」という思いはずっと変わらない

支援だけじゃなく、どういった形で地域に関われるか。そこは今後やっていきたいところですね

―佐々木さんはお休みの日はどんなことをしてますか?

休みの日はずーっとゲームしてます(笑)。
ただ、ゲームばかりしてると、こもりっきりになってしまうので、そうならないよう休みの日は外出の時間も必ずつくってますね。

食事を食べるだけでもいいですし、買い物するだけでも外に出るようにしていて。

あとは体を動かすのも好きなので、お手軽なところではボーリングとかもしてますね。

―これからのことを最後に伺っていきたいです。「こういうところに携わっていきたいな」「こんなことをやっていきたい」という思いについて聞かせてください。

今年に入ってからようやく定期巡回っていうものが認知されるようになってきたかな、と感じるところがあるんです。

少しずつですが、クライアントやご家族の思いを事業者の方々へお伝えしていく中で、定期巡回サービスの必要性が認知されてきたところはあるのかな、と思います。

ただ、認知されることもすごく大事なことではあるんですが、「支援だけじゃなく、どういった形で地域に関われるか」みたいなところは今後、やっていきたいところですね。

―今はケアマネージャーさんや他事業所との連携をじっくりつくっていってると仰ってました。

そうですね。そこは時間をかけたいです。

事業所全体のこと考えると、地域の中での関係性をつくっていきながら、運営をしていくことがすごく大事だな、と思ったところもあって。

ただ、人材的にそこまで余裕がないところも正直あって、地域に出ていく時間をつくることの難しさもあります。

少しずつ、何かしらの形でもいいので、関われるような動きができたらいいな、と思ってます。

―ご自身として、「これからこんなふうに生きていきたい」――そんな思いはありますか?

うーん、そうですねぇ……。
もともとそんなに何か目標を持って頑張ることがあまりできないタイプというか、今を必死に生きてるタイプの人間なので(笑)。

具体的な目標はないんです。

今は、まず事業所をしっかり地域に根付かせることが目標といえば目標ですね。

「ここに頼めばなんとかなる」っていう関係性をつくりあげていきたいかなと思います。

―おばあさま、おじいさまのことがあってから、介護の仕事をずっと続けてらっしゃいます。この仕事をこれまで続けてきた“理由”の部分を伺いたいです。

そうですねーー。
施設で働いていようと、訪問介護で働いていようと、「困ってる人がいる」という状況は変わらずあると思うんです。

働く環境は変わったとしても、「困ってる方たちに対して手を差し伸べたい」という思いはずっと変わらないです。

―学校で介護を学ばれた時から、「ターミナルケアに関わりたいと思っていた」、と仰っていましたね。

そうですね。

僕は特養での勤務が長かったので、おそらく他の施設に比べると、施設で最期を迎える方と過ごす時間や看取りに立ち会う機会は多くあったと思います。

定期巡回でも、ターミナルケアや看取りに携わることもあります。在宅介護だとより一層、ご本人はもちろんですが、ご家族様の思いや、ケアマネさんの思い、いろんな人の思いを感じられますね。

もちろん、施設もそうなんですよ。

ただ、在宅介護は、いろんな人の思いをより近いところで感じながら支援に入ります。

「最期まで自分の家で過ごしたい」というクライアントの思いをいちばんにケアに関わっていくことは今後も変わらず大事にしていきたいですね。

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