介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

小川貴代

大阪 アテンダント

小さな頃から障害を持つ方やおばあちゃんといることが“なんとなく”好きだった。
出会いがつないだ小川の「今」をめぐって。

 《interview 2023.7.15》

ホームケア土屋 大阪でアテンダントとして活躍する小川 貴代。小さな頃から障害を持つ方やおばあちゃんといることが“なんとなく”好きだったと言います。なぜ、今、小川は介護の仕事と出会っているのだろう――。彼女が“なんとなく”選んできた道を辿ると、重度訪問介護の仕事にたどり着いた「今」が見えてきました。出会いがつないだ小川の「今」をめぐって。一緒に暮らす“猫ちゃん”も同席してのインタビューです。

CHAPTER1

猫たちとの生活

今、何匹の猫ちゃんと一緒に暮らしていらっしゃるんですか?

今、一緒にいるのは3匹です。実家と合わせたら8匹に減ったんですが、多い時は12匹いました。みんな、保護猫で。

―12匹!お母様もやっぱり猫さんがお好きで?

母は元々犬好きだったんですが、私がそんななので、必然的に猫好きに変わりました(笑)。

―小川さんにとって猫の魅力はどんなところにありますか。

そうですね。猫っていう存在自体が魅力の塊なんです。たまたま私は昔から野良猫と非常にご縁があって、保護してきては“我が子”と思って一緒に暮らしています。私には人間の子どもがいてないので、猫ちゃんと関わることで――これはかっこつけてるんじゃないんですが、何て言ったらいいんかな……。怒り以外の愛とか、悲しみとか、いろんな感情を生まれさせてもらってる。猫といることで、私は心の成長をさせてもらっているんです。

日々いなくてはならない存在で、ひとりひとり性格も特徴も全然違います。見た目はもちろん、仕草も可愛いいんですが、目に見えない魅力も感じていて。必要だから神様が出会わせてくれてるんだな、と思う存在ですね。

―猫と一緒にいる時は、小川さんはどんな自分になっているんですか?

子どもとお母さん、そんな関係ですね、完全に。猫ちゃんから『ママ』って言われている気もします(笑)。猫たちも私のことを母親と思っているんじゃないかな、と。

―かなり大家族のお母さんですね(笑)。

そうですね(笑)。
一ヶ月半前に実家から引っ越してきて、猫たちと暮らし始めたばかりで。今は自然がすごく多いところに住んでます。

―引っ越してきて、生活や仕事で変わったところはありますか?

まだ一ヶ月半なので……ようやく、ようやく落ち着いたなぁというところです。引越ししてすぐに猫ちゃんが脱走したんですよ。そんなトラブルがちょこちょことありました。

―その子は無事に帰ってきたんですか?

引っ越して1週間だったんですが、私がついドアをロックをし忘れて、網戸を開ける癖がある猫ちゃんが脱走してしまって……。知らない土地だし、昔、同じようなことがあって猫ちゃんをひとり亡くしてしまってるから、それを思い出してもう帰って来ないんじゃないか――って。でも、『あの時、すぐにこうしておけばよかった』と後悔したことを思い出して、すぐにチラシをつくってポスティングしたり、探偵事務所に電話したり、いろんな人からアドバイスをいただいて。
それが効果あったのか、次の日、その猫ちゃんが家のベランダに帰ってきてたんです。別の窓から出たはずなのに。本当に良かったです、帰ってきてくれて。

CHAPTER2

“じゅんちゃん”という名の友達

私には弟が3人いて。

―じゃあ、4兄弟の長女なんですね。

ええ、4兄弟。これが関係しているのか、昔は男っぽいというか、やんちゃというか。すごく元気で、走り回ってました。

介護職をしている今から振り返ってみると、小学校高学年ぐらいからよく障害者施設に遊びに行っていたんです。
何の障害だったかはわからないんですが、“じゅんちゃん”っていう障害をお持ちの方がクラスにいて、その子と学校が終わった後に遊んだり、よくいっしょにいたなぁという記憶があります。同じクラスだったんですが、席もいつも横になることが多くて、気づけば一緒に遊んでいました。

定期的に席替えがあったんですが、なぜか私の横か、前後にはいつも、じゅんちゃんがいて。
じゅんちゃんは、授業中よく、ティッシュを細かくちぎっていたので、私がそれを片付ける――そんな役割をしていました。でも、じゅんちゃんが私を頼るという感じではなくて、私が一方的にじゅんちゃんのことが気になっていましたね。

―お家で遊んだりも?

はい。学校が終わって、一旦家に帰って、じゅんちゃんの家の前で待ち合わせして。じゅんちゃんにはお姉さんがいてたんですが、お姉さんも同じ障害をお持ちで。お姉さんとじゅんちゃんと、私と他の教室の友達と、いつも4、5人でじゅんちゃんの家の前でボール遊びをしてたのが頭に残ってます。

―じゅんちゃんとはどんなところで気が合っていましたか

私が一方的に気になってただけで、じゅんちゃんから『小川さーん!』って来てた記憶はないです(笑)。だからお家にも、多分、私が勝手に遊びに行ってたんでしょうね。

今度、中高生になると、私はおばあちゃんが大好きになりました。例えば電車で、立ってるおばあちゃんの近くに足を広げて席に座っている若者を見かけたら、『席譲ってあげたらどうですか?』なんて言ったり(笑)。『おばあさんを守りたい』というような気持ちがありました。それは今も変わらないですね。

―おばあちゃんをそんなに好きなのはどうしてなんでしょう。

それは多分、私が若い時に2人のおばあちゃんを亡くしてるんです。小さい頃、おばあちゃんには本当によくしてもらった記憶しかなくて、当時はすごく若かったのと、その頃の私は少々やんちゃだったので、2人とも私のことを心配しながら亡くなられたという話を母から聞いていました。
だから『もっと○○しておけばよかった』とか『今ならこんなことしてあげられるのに』とか、そういった後悔はすごく多くて。おばあちゃん好きは、多分そこからきてるんだと思います。
だから、他のおばあさんにも、自分のおばあちゃんのような感覚で接してしまうんでしょうかね。存在そのものが可愛いくて、『何か手助けしたいなぁ』っていう不思議な感情が湧き上がってくる。街でおばあちゃんが困っていたら、後ろで見守ってたりすることもあります(笑)。

CHAPTER3

弟と叶えた夢

―小川さんはこれまでも介護の仕事をされてきたんですか?

いえ、20代、30代は全く違う仕事をさせていただいてました。まわりの友人からは『なんで介護職選んだん?』って言われるぐらい。
でも今回、振り返ってみたら――小学生や中学生の時に、将来、障害者やおばあちゃんと関わる仕事をするような気がしてた時期がありました(笑)。

―そうなんですね。介護の仕事をする前は、どんな仕事をされていたんですか。

弟と、大阪の心斎橋で6年間、バーラウンジとレストランバーを経営していました。

―そうなんですか!お店を始められたきっかけというのは?

20代の頃に『いつか自分で飲食店をやってみたいな』という妄想をしてる時期がありまして、いつもメモにバーの内装やインテリア、配置を想像しながら描いてた時期があったんです。
でも、その願いも叶わず、気づけば数年経っていたんですが、忘れた頃に弟が――彼はフレンチのお店でシェフをしていて、調理師の資格を持っていて――『レストランバーをやる』と言い出して。私はそれまでずっと飲食で働いていたので、すかさずそこに便乗したのがきっかけです。それが私が27歳の時ですね。弟は下の階でレストランバーを、私はその一つ上の階でバーラウンジを一緒にオープンしました。

―お店ではどんなお料理を出したり、どんな空間になっていたんでしょう。

料理は調理師免許を持っているのが弟だけだったので、弟が担当していました。おすすめ料理はオムライス。それを目的に来てくれる方が結構いて、オムライスをメインにいろんな料理を出していました。
夏には浴衣を着て、ヨーヨーやかき氷を出したり、そんなイベント出店にも力を入れていましたね。笑いの絶えない空間で、例えば住職の方とか、幅広くいろんな方が来てくれていました。素晴らしいスタッフとお客様に恵まれて本当に楽しかったですね。

―弟さんの下のお店と小川さんの上の階では、違う空間だったのかなぁ、なんて思うんですが。

そうですね。1階の弟の店のコンセプトが白色で、上の私の店が黒色。お店のロゴマークは翼になっていて、片一方が黒で、もう片方が白というコンセプトでした。今だったらきっと『白がいい』って言ったと思うんですが(笑)。当時は黒でしたね。

CHAPTER4

いつか、介護の仕事をするような気がしてた

お店を閉店した後は、知り合いのお店を手伝ったりしながら、ずっと行きたかった海外にひとりで行ったりして。自分探しというのか、『やってみたいな』と思ったことをやってみてました。

―先ほど、小川さんは「いつか介護の仕事をするような気がしてた」と仰っていたんですが、介護の仕事とはどんなふうに出会ったんですか?

これはですね。本当にたまたまなんですが、家の近くに新しい高齢者施設ができて、母が『ここいいやん』って求人のチラシを見せてくれて。タイミングも良くて面接に行ってみた、そこからですね。

いつか介護の仕事をするのかも……という予感は、介護施設でおばあさんと実際に関わらせていただいて、相談やお話を聞かせていただく中で、『やっぱりそうだったのかな』と感じました。
その施設におひとり、ターミナルケアに入られていた方がいらしたんですが、その方は放置されているような状態だったんです。リーダーや看護師さんも声を揃えて『まだ生きてるんや』というようなことを言ったり、その場のドンと呼ばれていたスタッフも、おばあさんにきつくて。私はすごく胸が痛くて、率先してそのおばあさんのケアをさせていただいていました。その時におばあさんが涙を流しながら私に『ありがとう。あなただけや』って言ってくださって。その時に何かが確定したような気がします。
『ありがとう』と言ってもらえて嬉しかったこともあるし、自分が他に何もしてあげられないのが悔しいなぁという気持ちもあって。でもそこで、自分の中に何かが生まれたのかな、と思います。

―その後に、重度訪問介護(重訪)の仕事と出会うんですね。最初に支援現場に入った時はどんなことを思いましたか?

最初はALS(筋萎縮性側索硬化症)をお持ちの、呼吸器を装着されている女性のケアに入らせていただくことになりました。そこでは、自分が置かれている環境と状態がいかにありがたいのか、感謝すべきなのかを一番強く感じて――環境を比べてはいけないと思うんですが、その方とは年齢も近く、趣味でも共通点が多かったんです。だからこそ余計に、自分が普段していることがすごくありがたいことだったんだなと気づきました。

『この方に何かしてあげられたらいいな』――と言ったら失礼かもしれませんが、そんな思いで気づけば、1年、2年と経過していました。当初、難しいと言われていた現場でしたが、クライアントの方から信頼を得ることができて、頼っていただけるようになっていた時はすごく嬉しかったです。

―そのクライアントの方とは、どんなところで小川さんと共通点があったんですか?

その方も動物がすごくお好きで、いつも『志村どうぶつ園』等の動物の番組を録画して見ておられて。あとは、もともとサーフィンをされていたり――私はずっと昔にやっていたくらいですが――お持ちのものや服一つ取っても、好みが似てるというか、あらゆることがすごく似ているなと感じました。お花も大好きだったんですよね。

私が支援に伺っていたクライアントの方は、体が動かない方がほとんどだったんですが、『ありがとう』と笑顔で言われると――本当は私の方が笑顔で明るく元気になってもらえたら、と思って関わっているのに――逆に元気をいただいています。
私が『ありがとう』って言うのと、一文字一文字、文字盤を使って、まばたきで『ありがとう』って仰ってくださるのとは同じ『ありがとう』でも全然違っていて。そんな時や、ご家族の方から『感謝してます』と言っていただいた時はとにかく嬉しい。『やっていてよかったな』と思える一番の瞬間はそこですね。その言葉を聞くと自分の中で頑張っていけるし、それがエネルギーとなって、仕事をさせてもらってるなぁと感じます。

CHAPTER5

人として大事にされるということ、大事にするということ

―今はどんなクライアントの方の支援に伺っているんですか。

訪問先がとても楽しくて。皆さんから“イケメン”と言われている頚椎損傷の男性がいらっしゃるんです。すごく温かいご家庭で、明るい雰囲気。ご家族も、携わるスタッフの方も本当に皆さんいい方ばかりなんです。特におばあさまが大変優しくて、すごく面白いんです。毎朝、クライアントのほっぺにね。キスをされるんですよ。

―えっ!おばあさまが?!

はい、おばあさまが恋人みたいに(笑)。クライアントの方は首から下が動かないから、振り払うこともできない。すごく嫌そうな顔をされているんですが、冗談まじりで『嬉しいですね』なんて言ったら、『お父さんにキスされて嬉しいか?』『それと一緒やで』と怒られてしまいました(笑)。
なんとも微笑ましい場面で、もう愛がたっぷりの心和む現場です。支援でお家に伺うのが楽しみで、関わるスタッフがみんな『いい現場やなぁ』と言ってます。おばあさんが中心になられて明るい雰囲気づくりをされてるんじゃないでしょうか。

―小川さんは、アテンダントとして支援に関わられている中で、「重訪というサービスがこんなふうに広がっていったらいいな」と考えることってありますか。

ご家庭に訪問させていただくと、クライアントの方だけでなく、頑張られているご家族の心身が心配になることが多々あります。ご家族様にもっと安心して、ゆっくりご自身の自由時間をとっていただけるような環境をつくれたらいいなぁとは思っています。

―日々の支援の中で、「こんなことができたらいいな」ということはありますか?

難しいことだとは思うんですが、一番は旅行支援ですね。以前、頚椎損傷のクライアントの方がご家族様とヘルパーと旅行に行かれたんですよ。すごく楽しそうな画像や動画をたくさん見せていただいて、『また次も行きたい』って仰っていたんです。その姿がキラキラして見えて。次の目標を見つけて、生きる活力というか、そういうものが生まれているように感じたんです。
大きな旅行ではなくても、例えばお庭で花火大会や流しそうめんとか。寝たきりだけではなくて、ちょっとでもそんな時間ができたらいいなと思います。

―小川さんは重度訪問の仕事を始めて4年目になります。今もこの仕事を続けている理由にはどんなものがあるのか、聞かせてください。

はい。とにかく私は今、土屋の上司の方々に本当に感謝しています。皆様、優しくて、丁寧な対応をしてくださって、働きやすい環境づくりをしてくださる――それが、この仕事を続けられている一番の理由です。
それに、土屋で働くアテンダントの方っていい方ばっかりで。介護や福祉業界はよく人間関係の悩みを聞くんですが、そういうストレスもありません。でも、何よりもクライアント様やご家族様から感謝されて、信頼いただいているからこそ、続けられているんだなと思います。
クライアントの方や、上司の方々にそんなふうに思っていただけると『人として大事にされてるんだなぁ』という感覚が生まれてくるんです。私はもともと人見知りで、緊張しいのところがあって……でも、そうやって大事にされることで私の中で生まれる感情が、支援現場での丁寧なケアにもつながります。そんなふうに喜んでいただけると、こちらも何倍も嬉しいし、やりがいもあるからこそ、この仕事を続けられていますね。

CHAPTER6

「あなた」と出会った意味

―小川さんと話していると、これまでされてきたどの仕事にも一貫したものをお持ちのように感じます。共通して大切にされてきた「こと」や「もの」はありますか?

それはもう、『出会いとご縁と学び』です。目の前の方とご縁があった意味をいつも考えるんですが、自分の成長のために何かしらの意味があって、この方と出会っていると思っています。これは介護の現場でなかったとしても、あらゆる面でそうだと思ってやってきました。
出会いには絶対に意味があって。何か出来事が起こる時もそうですけれど、『なぜこの人と出会ったんだろう』『なぜこのことが起こったんだろう』ということを考えます。介護現場は人と人の関わりですから、訪問先とのご縁については日々、強く感じていますね。

―これまで土屋で働く方たちのインタビューをしてきて、介護の仕事をされてる方は、生き物を飼われている方が多いんだなぁという印象を持っています。小川さんにとって、猫さんがお好きなことと、介護という仕事の共通点はありますか。

そうですね。今、一緒にいる子はみんな保護猫なんですが、出会った時に『保護しないと死んでしまうから、私が面倒みる!』という、どこか正義感のようなものがありますね。それで面倒を見たり、どうにかして里親を探したり。
それは、介護の仕事の『この方に喜んで頂ける』『喜んでいただいている顔を見たい』『この方にとって快適なケアをさせていただきたい』と思う感覚と似ているのかもしれません。

―最後に、冒頭で登場してくださった“じゅんちゃん”のことをお聞きしてインタビューを終わろうと思います。じゅんちゃんに再び出会ったとしたら、なんて声をかけますか?

これはね、本当の話を言うと……13年前ぐらいにばったり道端でじゅんちゃんに会ったんです。
私はもう、すぐに『じゅんちゃんだ!』ってわかりました。お互い自転車に乗っていたんですが、すれ違いざまに『じゅんちゃーん!』と言ったら止まってくれて。でもじゅんちゃんは、誰だかわからない(笑)。『ほら、小川―、小川―!』って言ってみたんですが、ちょっと照れくさそうでした。多分、私のこと忘れてるかなって(笑)。そういうことが一回ありました。
……そんななんですけどね。でも『じゅんちゃん、ありがとう』って思います。私にとっては、じゅんちゃんとの思い出は宝物になってますので。


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