本社管理部

株式会社土屋 本社管理部

豊田

リクルート管理室

「人を大事にすること」とは、「相手をよく知ること」。働くことが世界を広げてくれる。

 《interview 2023.8.10》

土屋の中でも、多くの人が行き交う本社管理部。リクルート管理室で活躍する豊田は、そんな環境の中でも常に「ひとりの人」と出会い、相手を知ることによって、それぞれの価値観に触れ、自身の世界を広げてきました。「この場所で、自分ができることってなんだろう――」。忙しい業務の中でも、彼女の思考からは、時に広い空間で立ち止まり、ゆっくり息継ぎをする呼吸が聞こえてくるようです。彼女が生まれ育った「海」の景色から、物語は始まります。

CHAPTER1

最初の記憶に触れる――海と島、地球科学との出会い

豊田は広島生まれ。瀬戸内海にうかぶ島々をつなぐ海道のはじまる場所で育ちます。

豊田「二つ上に姉がいて、ずっと一緒に遊んでいました。あまり大きな声では言えないんですが、工事中の工事現場に入ったり、海が近かったので、歩いて行って、服のまま海に入ってお母さんに怒られたり。そんなことばかりでした」

姉と妹の三姉妹。豊田にとって海は、いつも近くにあるものでした。

豊田「小さい頃の記憶が海から始まっていて。私の母も瀬戸内海の別の島の出身なんですが、母の地元に行った時にお母さんの背中に捕まって、ゴーグルをつけて初めて海を覗いた――それが、海の中を見た最初の記憶です。

その時に水中から見たキラキラ輝いている綺麗な海――もちろん、小さい頃の記憶だから記憶の補正もあるかもしれないです――が、自分の中で大事にしたい記憶というのかな。『海が好きだな』という思いがずっと心の中にあるので、これまでの人生でも、海の存在が色々なところで関わってきてるんだと思います。

ちょうど、今一緒に働いているチームメンバーとも、小さい頃の初めての記憶について話をしていました。その人も『小さい頃、初めて飲んだクリームソーダの記憶は強烈に残ってる』という話をしていたんです」

「瀬戸内の海に、そんなに強い地元愛があるわけでもないんですが……」と言いつつも、その後、大学は大分へ、就職は福岡へ。海の近い土地で過ごします。

豊田「高校の頃は部活もしていなかったから、アルバイトをしてお金を貯めて。いつの頃からかバイクに乗りたいという夢があったんです。

実際にバイクに乗り始めたのは大学生になってからなんですが、一人でどこにでも行けるので行動範囲が広がったし、“誰かに言われて“ではなく、”自分で決めてどこかに行く“という経験も楽しかったですね。私はもともと一人でどこかに行って初めての経験をすることにそんなに抵抗がなくて。それに、女性一人で走っていると、色んな人に話しかけられるんですよ。

その一回きりの出会い――そこに何かあるわけではないんですが、話しかけてくださった人たちと数分でもお話すると、みなさんそれぞれに背景があってバイクに乗っている。自分にない経験や話を聞くのが楽しくて乗っていました」

大学では、豊田は「地球化学」という学科を専攻します。大分という土地柄、温泉の源泉のサンプル採取や水質分析、記録等の研究をしていたそう。

豊田「高校卒業後の進路を決めるとなった時、当時の私は、やりたいことやなりたい職業は特になかったんですが、『白衣が着れる仕事ができたらいいな』と思って(笑)。その時に思い浮かんだのが、お医者さんと薬剤師と理科系の教師。当時、東野圭吾のガリレオシリーズをよく読んでいて、『(本に登場する)湯川先生も白衣を着ていたし、化学の先生もいいかもな』って思ったんです(笑)。

そんなふんわりした理由で理系を選んで、化学の教科書を読み出したんですが、実験方法は料理の作り方とも似ていて、すんなり自分の中に入ってきて、面白いぐらいにテストの点数が伸びました。

その後、大学の理系学科に進学して3年生で地球化学を専攻した時も、高校生の時に感じた化学の面白さ――“どんな反応があって”、“どうしてこの式なのか”という手順を順番にあてはめていくと、ちゃんとそこに見合った結果が出てくる――がありました。とはいえ、本当に行き当たりばったりで進路を決めて、気づいたらやっていた……という感じなんです」

CHAPTER2

進むべき道を外れた時、見えてきた内なる思い――島での暮らし

その後、大学を卒業し、大学院進学を考えていた豊田でしたが、進学を取りやめ、ある場所へ向かいます。

豊田「大学に進学する時もそうだったんですが、高校を卒業して、大学に行って、一般企業に就職して……というのが周りで一番多い生き方なのかな、と思っていたし、実際に自分もそのように進んできていたんです。

でも実際に“大学院に進学しない”という選択をした時、“今までは学校があるから、次に進むべき道がある”という状況だったのが、そこでパタっと道がなくなって、“今まで当然進むべきだと思っていた道は必ずしも進まなくてはいけないわけではない”ということに初めて気がつきました。

『じゃあ、大学在学中にやってみたかったけど、大学があるし、進学があるし、就職があるし……と思ってやめていたことで、何かやってみたいことあるかな』と考えた時に、『綺麗な海を見てみたいなぁ』と思ったんです」

そして豊田は、奄美大島や八丈島に移住。当時住んでいた福岡と島を行き来しながらその土地で働き、一年ほど島で暮らします。

島から戻り、一度は就職をしますが、本人曰く「向いていなくて」、しばらくして退職。その後、豊田には社会と距離を取った“空白の時間”がありました。

豊田「八丈島にいた時に、一歳上の女の子の友達ができたんです。その子は今、東京で働いていて、私が住んでいた福岡とは物理的な距離があったんですが、毎日ラインで話したり、今の時代に珍しいかもしれないんですが、文通もしていました。

私が就業していなかった時期も、それぞれの考えを手紙で送り合っていたんです。その子も仕事に疲れて、ちょうど何もしてない時でした。お互い出会ったばかりだったけれど、同じような状況にいて、でもつかず離れずのような関係がちょうどいい距離感だった。

自分がこれまでしてきた失敗や辛かったこと、今辛いことなんかを包み隠さず話しながら『今まで自分がどんな感じで思ってきたか』『この先どうやって人生をつくっていったらいいんだろう』というような話を夜遅くまでしていました。手紙を書くことで自分の考えや思いを文章化して、お互いがお互いの気持ちを整理していたんだと思います」

「一旦社会から離れて、社会に戻っていくことについて考えられるいい時間になったのかな」と話す豊田。
その時期を過ぎ、「そろそろ働こうかな」と思った豊田は、近所で配送センターの新規立ち上げの仕事を見つけ、応募。トントン拍子で、配送の仕事をスタートさせます。

CHAPTER3

規律や数字と、「70人」の背景のあいだに立って

配送センターの新規立ち上げの仕事で店長補佐に

豊田「配送の仕事は、最初は配達員で入ったのですが、気づいたら店長補佐をやっていました。
70名のアルバイトの方たちのシフトを作っていたんですが、そこには70人それぞれの属性があって――例えば、学生や主婦の方、扶養内で働きたい主婦の方、シングルマザーでお子さんを保育所に預けるにあたって規定日以上の出勤が必要な方、そこにプラスして『就活が始まるから、できるだけ多めに働きたい』っていう個別の事情――その全てに添えなくても、会社として必要な人数と従業員側の希望をすり合わせて、できるだけシフトに反映させていきたかったんです」

そこには豊田らしい、“小さなこだわり“もあったと言います。

豊田「例えば、ある人が連続してシフトに入る場合、同じシフトパターンでつなげて、毎日同じ時間に出勤できるよう組んでいました。それは従業員のためだけではなく、同じ時間に出勤することで、本人が出勤時間を間違えないようにするという会社側のメリットもあったんです。そんなふうに両者の視点を取り入れながら、全ての条件のパズルを組み合わせていくようにシフトを作成するところに、私は仕事の面白さを感じるようになりました。

当時、私は会社と従業員、両者の意見を聞く立場にいたのですが、会社の構造として、店長補佐の上には店長がいて、店長の上にはマネージャーがいて……という階層があって、上からは職場の規律や売上の数字が一方的に届きます。

でも、店長補佐として、ただ数字を伝えても従業員の方は付いてこない。“会社としての業務”と“業務に従事する人”、どちらかに比重が偏っても良くないんですが、私は『お客様の満足度を上げるなら、まずは従業員の満足度を上げないことには絶対に叶わない』と考えていたんです」

「そう考えた時に思い浮かんだのは、最初に就職した会社のことだった」と話す豊田。
豊田が最初に働いた会社では、新人は始業30分以上前の出勤があたりまえ。女性社員が先輩社員の机を回りお茶やコーヒーを淹れる習わしがあり、上司からの「若い女の子が淹れてくれた方が美味しいでしょう」という言葉も聞かれたと言います。

豊田「今思うと『時代錯誤だな』と思えるんですが、当時は『社会ってそういうものなんだ』と思っていました。外部の研修機関に相談もしたんですが、そこでも『新人で何も営業利益を生み出せていないんだから』なんて言われてしまって。

でも、『そうじゃないんじゃないかな』って。確かに利益は生み出せていないかもしれないけれど、“私の時間”というものを会社に提供してる。本来、労働時間にカウントされるべき時間がないものにされていたし、まだ直接的な利益にはつながっていないけど、その時間の中に“今後の成長“だってあるはずだと思ったんです」

当時の苦い経験と、立ち止まって考えた空白の時間をバネに、配送の仕事では会社と従業員、両者の間に立ちながら、豊田は独自の視点を培っていきます。

豊田「自分がマイナスな感情を持っている会社に『貢献しよう』と思う人って少ないですよね。

例えそれができていたとしても、それは働いている人の優しさがあってできていることで、従業員の方が心を削ってギリギリのバランスを保っているような気がして――。それで心を病んだり、仕事を辞めてしまったり、バランスが保てなくなって、パラパラと崩れてしまうイメージが私の中にはずっとあったんです。

もちろん会社だから、達成しないといけない目標の数値はあります。でもその数値をただ伝えるのではなく、『一人ひとりがどのくらい頑張れば、この数値に反映できるのか』という、具体的な数値を朝礼や夕礼で伝えるようにしていました。

他にも、シフトをつくる最初の段階でもあるんですが、まずは従業員の方たちがそれぞれの家の状況や背景等、なんでも相談できる環境をつくれるように気をつけていたんです」

CHAPTER4

「人を大事にすること」とは、「相手をよく知ること」。働くことが世界を広げてくれる

豊田はその後、配送の仕事を退職。
2022年、土屋と出会い、本社管理部で採用関連の仕事を受け持つことになります。

時に立ち止まって考えながら、“仕事”と“人”と出会ってきた豊田。彼女にとって、“働くこと”とはどんなことなのでしょうか。

豊田「立派なことなんて言えないんですが(笑)、私はこれまで重度訪問介護について全く知りませんでした。でも今は介護業界にいて、実際に介護の仕事があって、障害をお持ちの方がいて、この仕事でしか出会えなかった知識や情報を知ることができました。

それに土屋で働いている“人”との出会いもあって、介護業界でずっと働いてきた人もいれば、全然違う業界にいた方もいらっしゃる。どんな仕事も、この会社に来なければ出会うことがなかった状況があると思っているんです。

そうやって出会った人の話を、かいつまんででも聞くことで、“こんな価値観があって、こんな生活をしている人が他にもいる”ことを知る――働くことは、世界の広がり、知見を広めるようなきっかけになるのかな、と感じています」

「今、私はすごくいい環境にいる」と話す豊田。

豊田「今のチームでは、例えば自分が『こういうやり方の方が良いな』と思って、しれーとやっていたことを『これ、すごくいい!』って気づいてお互いに褒め合ったり、『ありがとう』って言い合える環境があるんですよね。自分が何の気なしにやったことも、みんなが拾い上げてくれる環境は、『この仕事をしていてよかったな』と思えます」

そんな豊田に「仕事において大事にしていること」を尋ねると。

豊田「私は採用の窓口にいるので、もちろん応募者の方が一番にはあるんですが、一緒に働くチーム内での連携が取れなければ、その応募者の方にもいい対応ができないんです。だからまずは『一緒に働く人を大事にしたいな』という気持ちがあります。

今、同じチームのメンバーは数人いるんですが、同じ属性の人なんていなくて。でも、その人がどんな人生を歩んできたか全てを知らなくても、相手をよく知ることで、自分が困った状況になった時に『あの人だったらこんな知識を持ってそう』『こんな経験をしたって言っていたから、助言をもらえるんじゃないかな』なんて、一人で悩まずに問題をシェアして解決の糸口を見つけていけるんです。

だから私も、チームとして機能していくためにも『こんなこと聞いたら迷惑かけちゃうかな』という心理的な遠慮はしないように話しています。他のチームと関わる時にも、そういう心の距離の近さは大事なのかな。

最初にお話しした“小さい頃に飲んだクリームソーダの記憶”も、業務の合間にチームのメンバーと話していたことなんですよ。そんな話もできるようなフランクな関係で仕事をしていけるように、対立しない関係性や環境をつくっていくことは大事にしていますね」

そんな環境や関係性はめぐりめぐって、豊田自身にもやわらかな変化を運んできました。

豊田「土屋に入ってからは、人生のロールモデルとなるような上司の元で働けていて、プラスになるような出会いがたくさんあります。

他にも、これまで出会ってきた友人たちたちを見ていると、『人から話を聞く』という体験をすることで、それは自分の人生ではないけれど、それぞれの人生で出会ってきた人の価値観に触れている。色んな人の考えを取り入れて、その人が独自の価値観というものを形成しているんだなと思うようになったんです。

一方で、自分が持つ価値観と重ならない人もいます。そういう価値観と出会った時、相手をどう受け入れるか――。その全てを受け入れることは難しくても、たくさんの人と出会っていくことで、『そういう考えを持つ人がいる』という事実は受け入れられるようになったんじゃないかな」

CHAPTER5

「知らない」ことを「知る」ことが、密室の窓を拓いてゆく

出会いと、知ることが、豊田にもたらしたもの――。

豊田は、2023年に出版された土屋の代表・高濱敏之『異端の福祉』を読み、「家庭のことというのは、ある意味で密室なので外側からなかなか見えない、という言葉が印象的だった」と話します。

豊田「私たちは知らないことはどうしても知ることができない。それはある意味で“密室”とも言えて、だからこそ本を読んで、家庭の中でどんな人がいるのかを知れたことは意味のあることでした。

私自身も、以前、家族が障がいを持っている人から家族のことを相談されたことがあったんです。その時、私は何もできなかったーーそれは当時の私が無知で、何ができるかわからなかったから。でも大人になった今、知識を身につけたことで変えていけるもの、教えてあげられることがあるんじゃないかと思います」

「その密室の窓を開く機会がなければ、外に違った景色が広がっていることにすら気付きにくい。(略)そういった密室にいる人に外から手を差し伸べたり、窓から入り込む涼やかな風を吹かせること、その人に関わって違った景色を目の前に拓くために」と豊田は自身のコラムの中で書いています。

豊田「以前業務で参加していたオンライン会社説明会で、高濱代表が『2025年問題』についてお話をされていました。私は土屋に入るまで、その問題を知らなかったんです。でも、2025年問題や2040年問題、それに続く問題を調べていくと、介護難民問題だけでなく、今も介護職が足りていない状況や、2040年には社会保障制度自体の存続の危機を迎えるという現実が見えてきました。

だからと言って、私自身が直接、問題を解決していくことは難しいですが、自分が今の立場でできることとして、土屋という会社に入社してくださった人たちが、それぞれの場所で、それぞれの仕事にはまって、会社自体も働く人も、お互い良い関係で働いていけるように――小さなすれ違いで生まれてくる問題に対応できるようにより知識をつけていきたいです」

「働く人にとって、会社にとって、良い環境とは何か――」。
自身のかつての経験を活かし、働く人の権利を知り、伝えていくためにも、豊田は今、労務の資格取得を見据えて、労働基準法についての学びを深めていると言います。

豊田「その人が時間や心を削って仕事をすることは、もしかしたら会社側にとっては純粋な利益になっていくのかもしれません。でもそれは、その人が生きていく上では良い環境とは言えない。『正しく労働することではないのかな』と今は感じています。

でも、私は最初に入った会社ではそのことを知らなくて、『社会ってこういうものなんだ』って飲み込んじゃった。自分が知らなかったから、そういう状況が生まれてしまうこともあるんだって知ったんです。だから、私が気付けたところから声を上げていって、『ここってどうなんだろう?』ってチームの中で相談し合ったり、『この方がいいんじゃないかな』っていう意見を上に上げていけるような努力をしていきたいと思っています。

言葉にするのは難しいんですが、私は、どんな問題があったとしても、完成形というか、整えられていく形というものがあると思っているんです。先ほど挙げたような、色んな色が付いているパズルのピースがあって、それを組み合わせていく。最終的に必ずしもきれいな形になるとは限らなくても、お互いが抱えている条件がうまく重なり合うところがあるのかな……と思うことはありますね」

最近、仕事で嬉しかったことを尋ねると、「求人に応募があった時に最初に履歴書を受け取って面接を組んで、たまたま名前を覚えていた方がいたんです。その方が社内企画で入選されていて、『今も頑張って働いてくださってるんだな』って。そういう時ちょっと嬉しくなります」と笑います。

場や人との対話を通して、その都度、自身を変容させ、やわらかな思考を紡いできた豊田。
「考えごとをしたい時は海に行く」と話す豊田に最後、こんな質問を投げかけました。

――地球や海、島を見つめて育った豊田さんにとって、常に傍らにあった海はどんな存在ですか?

豊田「そうですね。自分の中で一番感じているのは――私は、奄美大島に行っている時にスキンダイビング(素潜り)を始めたんです。海の底に向かって20mぐらい潜って、それから上を向いてゆっくり上がってくるんですが、その時に周りの音が急に消えるんです。水中で。

そこでゆっくり考える時間があって、そういう時、自分は何を考えていたんだろう……と思うと、何かを考えているわけではなくて、誰にも邪魔されない環境で、音も入ってこない状況で、自然の中で自分自身と出会う時間があるのかな――そんなふうに感じています」


TOP
TOP