《interview 2023.7.10》
土屋の新事業となる定期巡回サービス・板橋でオフィスマネージャーを務める志賀和弥。開設から5ヶ月。地域と、クライアントとひたすら向き合う日々が続いています。「その人に、本当に必要なケアは何なのか」ーー“ケアの本質”を見つめた先で、今、志賀が見えているものとは。地域に根付く新たな事業をスタートした土屋の未来と、志賀のこれまで〜現在を重ねて追いかけます。
定期巡回サービス
板橋 オフィスマネージャー
定期巡回サービス
板橋 オフィスマネージャー
土屋の新事業となる定期巡回サービス・板橋でオフィスマネージャーを務める志賀和弥。開設から5ヶ月。地域と、クライアントとひたすら向き合う日々が続いています。「その人に、本当に必要なケアは何なのか」ーー“ケアの本質”を見つめた先で、今、志賀が見えているものとは。地域に根付く新たな事業をスタートした土屋の未来と、志賀のこれまで〜現在を重ねて追いかけます。
CHAPTER1
志賀は東京・昭島市に生まれ育ちます。
志賀「親しい人とはよく喋るんですけれども、人見知りでした。小学3年生の頃からバスケットボールを始めて。週5で練習があり、10年ほどバスケ中心の生活をしていました。負けず嫌いだったので、バスケでめちゃめちゃ泣いていた覚えがあります(笑)。
2つ下の弟とはよく一緒に遊んでいたんですが、勝負ごとがあった時に、負けるとすぐ不機嫌になったり、バスケットボールでもうまくいかない時に『負けた』と思いたくないので、言い訳を探したり。とにかく“負ける”とか、“うまくいかない”ことが耐えられない子どもでしたね(笑)」
その後、バスケを続けながら中学・高校へと進学。卒業が迫ると、慌てて進路先を考えたと言います。
志賀「高校を卒業する時に、いわゆる“敏腕サラリーマン”のような姿の自分が想像できなくて。ただ友達と話すことはすごく好きだったので、それがお仕事につながったらいいなとは思っていましたね。人との関わりでお仕事させていただくーーそんなふわっとしたイメージで、福祉科のある大学に入学しました。
大学では、対象を児童や高齢者、障害者と決めて、その方々への寄り添い方にアプローチしていくゼミが多かったのですが、私が希望したゼミのテーマが地域福祉で、特に対象を特定していなかったんです。内容は『高齢者のふれあいいきいきサロンをゼミで経営しよう』というもの。“空間をつくる”という点が面白そうだなと感じました」
ゼミで携わった地域のサロンは、学生だけでなく、先生や物件のオーナー等、地域の様々な人の手を借りながらの運営。なかなか軌道に乗らず、「達成感を味わうというよりは、失敗例をたくさん経験できた一年」となり、ほろ苦い思いもしたそうです。
では志賀は、なぜ、“地域福祉”を選んだのでしょうか?
志賀「そうですね。私は何かのスペシャリストになれる気がしなかったんですよ。これは、自分に自信がないことが起因してると思うんですが。
20代の頃、ある施設にボランティアに行った時のことなんですが、施設の中の人だけには色々お手伝いをしてあげるのに、『じゃあ、外に出たらお手伝いしないのか?』という疑問が浮かんで。その切り替えが当時の僕には難しくて、ビジネスライクに感じたんだと思うんです。
誰かが助ける人で、誰かが助けられる人――という役割で動くのではなく、いろんな人がいろんな空間で支え合って、みんなで協力する。そんな場が僕は好きです。その思いが“地域”という対象を定めないところとリンクしていたのかなと後になって思いました」
CHAPTER2
志賀は大学を卒業後、有料老人ホームに就職します。
志賀「有料老人ホームでは、とにかくできないことだらけで可愛がられながら働いていました(笑)。勢いに任せて、利用者に全力投球していたなぁと思います。おそらくその時が一番、介護士としてはキラキラしていましたね。
認知症ケアは、知識を知れば知るほど、専門的な知見からその人への関わり方を考えるフェーズが増えてくるんですが、当時は知識がなかった分、介護士として、というより『どうやって、一人ひとりの“孫”というポジションを勝ち取っていくか』という関わり方を探していました。知識よりも、とにかく利用者の方と過ごす時間を増やして。無駄なことも多かったけれど、その分、利用者のことを考える時間も多くて、最初の1、2年はがむしゃらに働いていました」
ところが志賀は、有料老人ホームを2年ほどで退職。フリーランスへ転向します。
志賀「当時、自分が“やりたい”と思ったことに対して、一番実現しそうな未来が待っている道がフリーランスだったんです。何かを考えてフリーランスになったというよりは、“今、やりたいこと”が会社の中だと制限されそうだから辞めてしまおう、という感じでした」
「単純に好奇心が強かったんでしょうね。当時はかなり無鉄砲で。今も多少そういう側面はあるんですけども」と笑う志賀。
フリーランスとして“その時、やりたかった“のは、コーチングの仕事でした。
志賀「でも、一方で、お金を稼ぐためにやらなきゃいけなかったのが物販やアフィリエイトの仕事でした。その両方でフリーランスの仕事を始めたんですが、結果、本質を追い求めていたつもりが、本質からズレていたことに気づいたんです」
その“ズレ”は少しずつ大きなものになっていったと言います。
志賀「最初は筋が通っていたんですよ。コーチングの仕事では『ライフステージを変えたい』『職を変えたい』『フリーになりたい』という方のお話を聞くことで、その人のもやもやが晴れたり、やりたいことに向かって会社を辞めるにはどんなふうに稼いだらいいか、を提案するコンサル業務も並行してできたら、自己実現をしながら経済面も支えていけるようになれる、と考えていたんです。
最終的には、資金ショートを起こしてフリーランスを辞めることになったんですが、その前にも物販の方で何度か失敗はしていました。ただ、最初のうちはその都度『立て直していこう』と思えたんですよね。でもその後、のがわに入職する前には、物販を立て直す意味が自分の中で見出せなくなっていて。
コーチングの仕事をやりたくて会社を辞めたのに、やらなければいけない仕事ーー生活を安定させるためにお金を稼ぐ物販――の方がどんどん比重が大きくなってしまった。『物販を立て直しても、結局、会社を辞めた意味がないなぁ』とわかってフリーランスを辞めたんです」
2019年、志賀は認知症対応型共同生活介護 グループホームのがわ(以下、のがわ)に入職。
志賀「仕事として、人の気持ちにアプローチすることをメインにしながら時間を過ごしたいと思った時に、介護は素敵なお仕事だなと思っていて。介護の仕事をしながら、その中で出会う入居者の方たちの声に耳をすませられるんじゃないかなと思ったんです」
CHAPTER3
再び、高齢者と関わる介護の仕事に就いた志賀。
当時、人手が足りていなかったというのがわで、体力のある20代の志賀はとにかく「入浴行きます!」と自ら働きかけ、動き続けたと言います。
志賀「当時ののがわは、入浴やその他のケアに関しても、人手が足りずできていない部分もたくさんありました。
それでものがわは、“入居者の尊厳を大切にする“という、施設としての軸がしっかりあって、『僕がこれまで持っていた介護業界のイメージとすごく違う職場だ』と思ったんです」
「まずはこの、“のがわの軸が何なのか”を僕は知らないといけない」と考えた志賀。彼がふれたその軸とは。
志賀「認知症ケアと、自己決定です。例えば、入居者本人の意志で転ぶことに対して、のがわのスタッフはあまり大きく囚われないんです。もちろん、大きなADL低下に繋がらなければーーなんですが。
本人が自分の意思で歩いて転んだとしても、むしろ、そこまでの過程で、本人が意思を持って楽しく生きたところに“オッケー”を出せる職場なんです。“リスクをしっかりケアした制限が多い中での自己実現”でもなく、リスクと自己実現のバランスを利用者と一緒に取っていきます。そこには、スタッフ側が必要以上にリスクをケアしすぎることで失われてしまう、入居者ご本人の生きる意思や尊厳があるからです。
スタッフを見ているうちに、『入居者本人の自己決定に高く優先順位を持っているんだ』『それを当たり前にやっているベテランスタッフは、のがわの伝統を蓄積されているんだな』と思うようになりました」
当時ののがわは、スタッフの半数以上が65歳以上だったそう。志賀は、試行錯誤を重ねていくうちに、のがわの“伝統”や“蓄積”が見えてくるようになったと言います。
志賀「そうやって時を重ねるにつれて、のがわが大切にしているものを私はすごく好きになっていけたんです。それは、のがわでこれまで働いてきた人にとっては、口を酸っぱくして言われてきたことだから当たり前のことなんですが、のがわのように自己決定を大切にできている施設は、多くはないんじゃないかと思いました」
主任を務めていた志賀はある時、当時の代表取締役だった高浜将之から、「のがわの理念をスタッフが腑に落とせるような何かをしてほしい」という依頼を受けます。
志賀は、その理念に沿って、スタッフ一人ひとりが、入居者やスタッフにどんな関わりを試みるか――月ごとの目標を自分で立ててもらい、その間に、まわりや自身にどんな気づきや変化があったか――を全員で共有する「理念のシート」という取り組みをスタートしました。
志賀「大切にしているものがすごく素敵でも、その職場に長くいるとそれが当たり前の環境になってくる。すると、その素敵さは見えなくなっていきます。
例えば仕事って、自分が頑張るほど、他の方が頑張れていない部分も見えてくる。頑張ることがつらい時もあるし、自分だけが頑張ったからと言って給料が上がるわけでもない。
そういう中で、スタッフの皆さんにのがわで働いている対価としての何かーー『この場所で自分たちが大切にしていることは、外から見ると実はすごく素敵なことなんだ』という気づきだったり、『だからのがわで働き続けたい』という思いだったり、『職場では形に残らないけど、その人にとってプラスになる経験』ーーをそれぞれの中に蓄えていける職場環境がつくりたかったんです」
志賀のそんなアプローチは、かつて彼がフリーランスで携わってきたコーチングの手法とも重なります。
志賀「おそらく僕の中で、介護という仕事をすることの一歩先にあるもの――それが、“のがわで、介護の仕事をする”という価値でした。その価値を、働いている皆さんが感じることができたら、みんなで楽しく、同じ方向を見て働けるのかな、と。上からやらされるのではなく、『自分たちでこうしていこう』と決めたことに向かいながら、お互いを褒め合って働いていけたらいいなと思ったんですよね。そのためにどんなシステムがいるんだろう……と考えて取り組んだのが『理念のシート』だったんです」
CHAPTER4
2022年、土屋グループの一員となったのがわ。
その後の2023年1月、志賀はのがわを離れ、土屋の新事業となる定期巡回サービス土屋・板橋の立ち上げに関わります。
定期巡回サービス(以下、定期巡回)とはどのような事業なのでしょうか。
志賀「定期巡回サービスは、簡単に申し上げると“地域を施設に見立てた訪問介護”というイメージです。訪問介護のように『何時から何時までクライアントのご自宅に伺って、何を行なう』という予定をあらかじめ細かく決めず、その都度、クライアントにとって必要なことを提供していくサービスになります。
定期巡回はまだまだ認知度も低く、収益の伴う運営を継続しようとするとどうしても本質からズレやすいーーという現状がありますが、土屋で広げていくからには、本質に沿って事業規模を広げられるようなモデルを板橋でつくっていきたいと思っています」
では、“定期巡回サービスの本質”とは、どの点にあるのでしょうか。
志賀「クライアントの方に、適切な量のケアを、適切な分、提供するということです。
定期巡回の料金体系は、月額のサブスクのような形なんです。何回訪問しても、訪問しなくても、クライアントが支払う料金は一緒で、施設の売り上げも同じ。そういう中で、『何回呼んでも一緒なら、たくさん呼んだほうが得だな』と思われるクライアントやご家族の方もいらっしゃるんですが、自立支援の観点から言うと、こちらが余剰にケアを提供することは本人の生活やできることを奪ってしまうことに繋がります。ですから、『たくさん来てもらうこと=いいこと』ではなく、『その人にとって必要な量を見極めて我々が介入することが、本当の意味でクライアントの生活を支えることになるんです』という点を理解していただくことが定期巡回の始点になると考えています。
また、料金体系が一定のため、売上が変わらない。その中で売上を上げるために、訪問の回数制限を設けている事業所もあります。でも、クライアントにとって必要な訪問回数が一定である可能性は少ないですし、要介護度が同じでも、体調が悪い時期や家族の助けがもらえる時期等、その時々で介入しなければいけない回数というのは違います。だからこそ、制限を設けてしまうと、緊急時に呼びにくかったり、本人の生活を支えるにあたって『必要ないな』とも思われてしまう。それでは、定期巡回の運営は訪問介護の延長に過ぎないーーと考えているんです」
志賀が語るのは、定期巡回に留まらず、人と関わる“ケアの本質”とも言える部分です。
志賀「正直なところ、現状では、当初、厚生労働省が意図したような運営がなされていないケースも多いというのが私の見解です。だからこそ土屋では、その“本質”に立ち返って運営を進めていくことで、『このまま病院から退院できそうにない』と思われている方が在宅生活に戻れるように、また『施設に入らなければ自宅で過ごすのは難しいかな』と在宅で暮らしたいのにリソースがなくて在宅生活を諦めようとされている方に、このサービスを使っていただきたいと考えています」
CHAPTER5
開設から5ヶ月を迎えた定期巡回サービス・板橋。
地域を駆け回ってきた志賀の目には、今、板橋という地域はどのように見えているのでしょうか。
志賀「まだまだ見えてなくて(笑)。地域の特徴をいろいろな方から教えてもらっている真最中です。
ただ、板橋という地域は、高齢者に寄り添うリソースは非常に良いものが揃っているのかなと僕は感じています。ケアマネージャーの方、区役所や地域包括支援センターの方、病院、クライアントご本人――とにかく今は、会う方すべてから学んでいて、言われたことをやっていくうちに、板橋のいろいろなものに触れていっているなという実感はありますね」
「今は管理者としての事務作業以外はすべて営業――いわば顧客創造に時間を割いています」と話す志賀。
志賀「会った方から『こういうことできる?』と聞かれて、『わからないので調べます』と調べてみたら、『ギリギリできます!』ということが多々あって。『定期巡回って、こういう使い方ができるんだ』ということが、今のペースだと、ほぼ毎月、自分の中で更新されているんです。まだまだその可能性が広がっている最中。これからも、どんどんその可能性は見えていくんだと思います」
先ほど志賀が語った“クライアントにとって本当に必要な量のケアを届ける”方法。そこにも、兆しが見えてきたそうです。
志賀「言語化するのが難しいのですが、ケアの根拠を明確にして、根拠がないケアは行なわないという視点で、今やろうとしているのが、アセスメントシートの最適化です。
アセスメントシートは、クライアントご本人の状況を観察し、『自立・ほぼ自立』、『一人でできる・できない』というチェック項目を介助者が記入するシートで、『この項目が○○だから、こういう支援が必要である』と、客観的にクライアントの状態や状況を共有して、支援を提供していく際に使用するものです。その中で『なぜ、この支援を提供しているのか』という理由を改めて問い直す作業が大事なのでは、と私は考えました。
実際に、6月から入ったスタッフに、『すべてのクライアントに提供している支援の理由を、全部書いてくれませんか』とお願いしました。その作業の中で『なぜ、このケアをやっているんだろう?』という項目が一つ見つかって、『こういう作業を繰り返しやっていくと、クライアントにとって本当に必要なケアの量が見えてくるのかな』という発見がありました。行程の一歩目が、ようやく今、見えてきた感じですね」
ここまで走り続けてきた志賀が、この時ようやく、ほっとした表情を見せてくれました。
プライベートでは大の日本酒好き。ひさびさにのんびりした休日を過ごしてきたばかりだと言います。
志賀「実は土日で旅行に行っていたんです。そこは日本酒がおいしいところで、地酒を買って。客室に露天風呂があったので、そこにお盆と徳利とお猪口を乗っけて水にプカプカさせてーーというのを一度やってみたくてやりました(笑)。
グレードが高いお酒も、普段飲むお酒も、私は両方好きなんですが、日常をつくるのはやっぱりグレードが高すぎないお酒です。いいお酒もたくさん飲んでいきたいんですが、ちっちゃい酒屋さんで、高くないけど美味しいお酒が眠っているのを探すのが好きなんですよ」
こんなところにも“自分のものさしで一つを選ばず、訪れた出会いの中からしっくりくるものを探す”という側面を覗かせる志賀。
板橋を皮切りに、この7月には、粕谷、そして熊本でも定期巡回サービス 土屋がスタートしました。
それぞれの地域に、一人のクライアントに、本当に必要なサービスを――
志賀の確かな一歩とともに、地域の声に耳をすませる定期巡回の歩みは、始まったばかりです。
これまでの働き方や会社という枠組みが解かれつつある今、フリーランスで働いた経験がある志賀にとって、「組織の一員であること」をどのように捉えているのか。インタビューではそんな部分にもふれました。
志賀「介護の仕事を始めた時、クライアントに関わっている自分の時間って意外と少ないんだな、と思ったんですよ。常勤として1日8時間働いて、週に2日休みがあったとしたら、週5日は1日の中で16時間、週2日は24時間、クライアントと接していない。だとしたら、自分がその人と関われるのってほんの一部なのかな、と。自分が職場を離れたら、個人として提供できるものがなくなるーーそう考えると、個人で提供できるものよりかは、組織としてその方に提供できることを大切にできたらいいなと思ったんです」
“個の価値観を100%発揮できる状態だった”というフリーランス時代、「人を雇う」という視点を持ったという彼は、その時、「雇う側の意に沿った仕事をして初めて、お給料分の仕事をしたと言えるんだ」と実感するようになったと言います。
志賀「今の時代は、“個性”とか“自分にしかできないことを”と言われていると思うんですが、そういうことは誰に言われなくても、自分で伸ばしたり、仕事に活かしていくんじゃないかと思うんです。
現在は私は会社員なので、その基盤として最低限備えてもらいたいものーー例えば、土屋では、バリューについての説明会を行なって会社の価値観を全社員で共有していますがーーをつくることを大事にしたい。僕らのお客様はクライアントなので、クライアントが求めているもの=会社が言っていることだと理解しています」
個性を別の言葉に置き換えると、「価値観や感性でしょうか」と話す志賀。
志賀「私は、『誰がいても、どんな人が入ってきても、ここまでは安定した支援をクライアントの方に提供できます』と言えるような仕事がしたいなと思ったんですね。
『このメンバーだからどうにかまわる』という会社は、誰か一人が抜けたらクライアントに不利益が生じてしまったり、会社の存続が危うくなってしまう。だからこそ、最低限、組織の力を備えた上で、その上に個の発揮ができたらいいなと考えています」