介護事業部

土屋ケアカレッジ

児玉夏樹

管理者

テレアポ→施設介護→訪問介護→重度訪問介護→ケアカレッジ。人が好きだから。

 《interview 2026.06.02》

「今、自分がやっていることは、本当に“その人のため”になっているだろうか」――仕事の中で芽生えた小さな違和感。
「矛盾なく、目の前の人のためにできる仕事」として思い浮かんだのが介護の仕事でした。
その後、施設や在宅での10年ほどの現場経験を経て、今は次の担い手を育てる立場として、土屋ケアカレッジカンパニー事業部で働く児玉夏樹(こだまなつき)。
自然に、そして心のままに――児玉の歩みのリズムに耳を傾けます。

CHAPTER1

そうですね、音楽はずっと好きでしたね

工事の解体現場で基地をつくって遊んだり、ドッジボールをやったり。それからビックリマンシールの交換をしたり。

―こどもの頃からお話を伺ってるんですが……児玉さんはどちらで生まれ育ったんでしょうか?

そこからなんですね(笑)。
出身は京都です。

宇治市ってご存知ですか?
“宇治茶”の宇治なんですが、平等院鳳凰堂がある宇治市の、隣の市で生まれ育ちました。

宇治市にはホームケア土屋の事業所があるんですよ。
ホームケア土屋京滋っていう名前で、京都の「京」に滋賀県の「滋」をとってつけられた名前なんです。

私は今、土屋ケアカレッジで働いていますが、その前はそこで勤務していました。

―そうだったんですね。生まれ育ったのはどんなところでしたか?

私が住んでいた街は――こどもの頃は今と全然違って、田んぼやイチジク畑しかなかったですね。

―小さい頃はどんなことをして遊んでましたか?

そうですね……野上さんは当時、どんなことして遊んでましたか?ゴム飛びとかされてました?

―そうですね。ゴム跳びはよくしましたね。それから縄跳び、缶蹴り、鬼ごっこ……あと私は絵を描くのが好きだったので、部屋で何人かで集まって描いたり、つくったり。そんなこともよくしてました。

私は――工事の解体現場で基地をつくって遊んだり、ドッジボールをやったり。

あと「ビックリマンシール」(お菓子のおまけでついていた)が流行ってた頃だったので――友達と、そのシールの交換をして遊んでいたような気がします。

―ビックリマンシール、ありましたね〜。当時の児玉さんはどんなお子さんでしたか?

どういう子やったんやろう……。きょうだいがいたんです。
私、弟、妹っていう順で、私は長男で。

性格とはちょっと違うかもしれませんが、「ふたりをよく見てたな」っていう記憶はありますね。

―遊ぶ時には、一緒に連れていってあげたりとかですか?

そうですね。
ふたりが仲間外れにならないように、と段取りをしたり、そんなことをしてたと思います。

―10代になってからはどんなふうに過ごしていたんでしょうか。当時夢中になってたことがあったら教えてください。

中学校は吹奏楽部に入っていて、ブラスバンドに熱中して取り組んでいました。

私が住んでいた市と隣の宇治市との境目には大きな川が流れていて。

休みの日も、その河岸の堤防で同じその部活の仲間と、楽器――当時、トランペットを吹いていたんですが――を練習していた記憶があります。

あとは両親とも帰りが遅い生活だったので、家事もしてましたね。

―妹さん、弟さんのご飯をつくったり?

いえいえ、ご飯まではさすがにつくってはなかったですが、できる範囲でお手伝いをしてました。

―もともと音楽はお好きだったんでしょうか。

そうですね、音楽は好きでしたね。

でも「音楽が好き」と言ってるその「音楽」って、普通のポップスというか――だから学校で演奏するような、吹奏楽の曲とはまたちょっと違うんですけれども。

ただ、音楽そのものはずっと好きだったんでしょうね。

CHAPTER2

あの頃、「仕事をしたい」というより「社会に出たい」思いの方が強かった

旅行業界の専門学校から、ワーキングホリデーでオーストラリアへ

高校を卒業した後は、旅行業界の専門学校に行ったんです。
ホテルや空港といった、旅行に関係する業界の仕事がひとつになったビジネス専門学校があったんですね。

そこに1年行って、2年目は学校を中退してワーホリ(ワーキングホリデー)に行きました。

―そういったお仕事には高校の頃からご興味があったんですか?

そうですね……かっこいいと思ったんでしょうね(笑)。

あとはサービス業というか――その時はまだ介護の「か」の字も考えてなかったですけれども――「人のために何かする」っていうことがその時から好きだったんだと思います。そのくせ、中退したんですけれど(笑)。

―その後、ワーホリに行かれたんですね。

はい、ワーホリで、オーストラリアへ行ってました。
きっと、「いいな」と思ったんでしょうね。

ただ、どうして行きたくなったかは、なぜかあまり記憶にないんですよ。

私が通っていた高校は、授業がお昼までで、学校が終わってからはアルバイトをしなくちゃいけなかったんです。

働いた時間がそのまま授業の単位になる、定時制中心の学校だったんですよ。

一方で、ワーホリも、海外で遊ぶだけじゃなく、仕事の体験ができる制度でした。

その時から「仕事をしたい」「お金を稼ぎたい」というよりは、「社会に出たい」という思いの方が強かったのかな。
今、話しながらそう思いました。

―何年ぐらい行かれてたんですか?

ワーホリの制度自体が1年だったので、1年間いましたね。
オーストラリアに行ったのはミレニアムの時やったので――成人式は日本で迎えられなかったので、多分20歳だったと思います。

日本食のレストランで仕事をしていたんですが、そこで得た給料を全部、CDにつぎ込んでいましたね。
その頃、音楽をたくさん聞いていたんですよね。

ワーホリに行って何か得たもの……と聞かれたら、C Dを得ました(笑)。
もちろん、多少は英語も身につけたんでしょうけれども。

CHAPTER3

電話の向こうにいる「人」を想って

「今、自分がやってることってその人のためになってるのかな」――疑問を持ったことが、介護の仕事へのきっかけでした

その後、日本に戻ってからは、テレアポ(テレフォンアポインター)のお仕事を何年かしていました。新聞の勧誘とかですね。

その中で、最後にしたのが電話番号案内のコールセンターの仕事だったんです。
その時に、介護に興味を持ったきっかけがあって――。

―どんなお仕事だったんですか?

お客さまから知りたい企業名や個人名、住所などを伺い、専用システムで電話番号を検索してご案内するーーという仕事です。

私はそこで、電話をかけてこられたお客さまの対応をしたり、オペレーターの応対品質向上に向けた指導や育成にも携わっていました。

番号案内では、「ひとつの案内につき、いくら」という料金が決まっていたので、会社側からすると、一件の電話にかける時間は短ければ短いほど良かったんですね。

今でこそほとんどの方がスマホを持つようになって、電話番号もすぐに調べられますが、当時は電話を調べる機能って電話帳ぐらいしかなかったんです。

それもあって、若い方から高齢の方までいろんな世代の方が問い合わせをされてきました。

その中には――これは電話だけのやり取りなので推測ですが――字を書けているかどうかもわからない方もいらっしゃいました。

でも、会社としては、どの人にも同じ短い時間の中で応対しないといけなかったんです。

一律の対応が求められる中で、「この内容で、ほんまに伝わったのかな」っていう疑問が出てきて――「今、自分がやってることって本当に親切にできてるのかな」「その人のためになってるのか」という疑問を持つようになりました。

そこから、「じっくり、その人のためにできる仕事がないかな」と思ったのが最初に介護を始めようと思ったきっかけでしたね。

―お電話でのやり取りの仕事だったんですね。

そうですね。

基本的にはボタンひとつで、その番号が音声で伝わるシステムだったんですが、「お客さまが(音声での案内を)理解されていないな」とこちらで判断した方には、音声を止めて、直接口頭でお伝えすることもしていたんです。

でもそれは、時間も手間もかかるので会社からするとプラスにはならないんですよ。

そのあたりから、自分がやっていることに矛盾を感じていたんだな、と思います。

―実際に介護の仕事に興味が出始めてからは、すぐ転職をされたんですか?

そうですね、すぐ転職しました。

最初は、求人を見て施設に飛び込んだわけじゃなくて、介護の仕事を斡旋してくれる人材派遣業の力を借りて。

短期の契約で、特養(特別養護老人ホーム)で半年ぐらい働きましたね。

―実際に始めてみて、いかがでした?

理由はわからないんですけれども……何も抵抗がなかったと思います。「なんで?」と言われても僕自身もわからないんですが。

でも、なんとなく、自分の中で「介護ってどんなことをするんだろう」というイメージをして仕事を始められたんです。

今から思うとーー母が看護師として働いていたので、家でも時折、病院での出来事や現場の話を聞かせてくれたことが、間接的に介護の仕事に関心を持つきっかけのひとつになったのかもしれませんね。

たとえば通常――いきなり排泄介助をするとなると、「人のうんちを触るの?」ってなると思うんです。

もちろん、直接は触らないですよ。

でも、自分がそういう場面に出会った時も、抵抗がなかったんだと思います。自然に入れた、というか。

―先ほど、テレアポの仕事には「矛盾が出てきた」と仰ってました。介護に仕事を移られた時、その辺りは――自分の思いとやってることの一致というか、入る前にイメージしてたものは矛盾がなかった、という感じだったんでしょうか。

きっとそうだったんでしょうね。
施設なら施設で、「そこにいらっしゃる方の困りごとを解消する」という意味では、番号案内で働いていた時と似ていたのかもしれませんね。

ただ、お風呂の介助や排泄の介助って、ある程度イメージはできても、実際にやるとなると、そこから先の話だと思うんです。

実際に自分がやってみて――「なんで抵抗がなかったんだろう」と振り返ってみると、もしかしたらその時に私を指導してくださった方が、自然に入れるようにうまくきっかけをつくってくださってたのかもしれないです。

だから「自分には無理だな」って思った覚えがないんですよ。

それもあって、「目の前のその人のために」という気持ちは、コールセンターの仕事から持ち続けられたのかもしれません。

茨城県のドライブ中の一コマです

CHAPTER4

おばあちゃんの手の記憶に耳をすませて

「これって、この人のためになってるのかな」――施設で感じた矛盾から訪問介護へ

―最初に働かれた特養で出会った方たちの中で、印象に残ってる方っていらっしゃいますか?

今も覚えてるのは――片目が義眼のおばあちゃんがいらしたんです。
その方は、何十年もあん摩マッサージ指圧師のお仕事をされてきた方でした。

認知症の方だったんですが、時々、スタッフの肩を揉んでくれたんですよ。

その時の握力が、自分なら絶対出せへんぐらい強くて。
体の小さい方だったんですが、ギュッ!って。

身体記憶というんでしょうか――手や体で覚えて、ずっと働かれてきたんでしょうね。

「『ここまで力を入れよう』ってその時に考えてなくても、そうしてきたことは今も体に記憶されて残ってるんだな」――そんなふうに感じた記憶があります。

それから、軍歌を歌われる方もいらっしゃいました。
「戦時中を生きてこられた世代の方なんだな」と感じたこともありましたね。

―介護の現場のお仕事は15年ほどされてきた、と伺っています。

そうですね。
派遣での特養の仕事が終わってからは、その施設の紹介で、別の特養で3年ほど勤務をしていました。

建物内に複数の部屋があって、ひとつの部屋にベッドがいくつかある従来型のユニット施設で働いて。

その後、訪問介護に転職しました。

―訪問介護に行かれたんですね。そこはどういったきっかけがあったんでしょうか。

施設って集団で生活されている場所じゃないですか。

だから形態として、その方がその時にお風呂に入りたくなくても、朝起きたくなくても、夜まだ起きていたくても、スタッフの都合で排泄や入浴の介助したり、移乗をしなくちゃいけないんです。

そういう点に「これって、この人のためになってるのかな」と思って――コールセンターの時と一緒ですよね。

そういう矛盾を感じるようになりました。

一方で、施設は施設で、入居者のご家族がご自宅で見られない事情もあって、施設に入居されてる方もいらっしゃいます。

ご家族はその間、ご自身、そのご家族が生活したいスタイルで日々を送れるという良さもあるので、一概には言えないのですが。

ある業態の中にいながら、「なんとか◯◯を変えたい」と思ったところで仕組みを変えるのって難しい。

「この業態は、こういう形で介護サービスをする場所なんだ」ということに気付いて、「じゃあ、どうしたらいいんかな」と思った時に、訪問介護という業態があることを知って――「もう少しじっくり利用者と付き合いながら介護サービスを提供したい」「在宅で介護ができる、そういう仕事に自分が移ろう」と思ったんです。

CHAPTER5

「こうしてほしい」と伝えてきたことは、その人が生活の中でずっと大事にされてきたことなんだな

その家、その人ごとに異なる“モノ”の価値を体で知って

―訪問介護の仕事に移られてからはいかがでしたか。

そうですね。
関わる内容自体は施設と大きく変わりませんが、その方のお家に伺うので、その人がこれまで暮らしてきた場のルールのようなものがあって、その人に合わせないといけない場面が多かったですね。

洗面台の使い方やモノの置き方、向きも含めて、“その方の家のルール”がありますよね。

もちろん、それってあたりまえなんですが、そこは施設とはちがう難しさはあるな、と感じました。

―その人の生活の中に入っていくという支援の中で感じたこと、小さなことでも気づいたことがあったら聞かせてください。

うーん……たとえば、排泄介助で使うオムツというのは、基本的にはそのクライアントのお家で用意をしてくださいます。

その家の方が購入されたものなので、「オムツの扱いひとつとっても、家によってさまざまなんだな」と感じたことは印象に残ってます。

たとえば――ちょっとでも便がついたものは“汚れ物”として、「捨ててください」と仰ったお家もあれば、「それぐらいだったらそのまま使ってください」というお家もありましたし。

それから、オムツって構造上、とっても切れやすいんです。
特にテープを止めるところが。

ちょっと力を入れると「ビッ!」ってすぐ切れちゃう。

もちろん、切ってしまった行為自体は私たちの過失なので、本当はそうならないよう気を付けて対応しないといけません。

でも気をつけていても、そうなってしまうこともあるので、テープが切れてしまった時は、「すみません、テープが切れてしまったんですがどうしたらいいでしょうか」とクライアントやご家族に伺うんです。

そうすると「テープを貼って使い直せば大丈夫ですよ」というお家もあれば、怒られることもあって。

もちろん、「大丈夫ですよ」と言われたからと言って、こちらが手を抜いていいわけではないんですが。

「あるモノの価値」――その人や、その家族がそのモノをどれぐらい大事にされているか――は、本当にお家によってさまざまなんだな、ということを体感しました。

―在宅介護で関わられるようになって、見えてくるものも変わってきたのでは、と思います。

そうですね。
それこそ今お伝えした通り――クライアントご自身は、極力、「それまで住んでいたままの状態で、家にいたい」と思われています。

だから、クライアントが私たちに「こうしてほしい」と伝えてくださることって、その人が介護サービスを受けるまでずっとされてきたことなんだな、って――。

クライアントの「こうありたい」という思いを、私たちの手を介して行なっていく。

その思いのどれもが、「クライアントが求めてることなんだな」と感じて勉強になりました。

それが施設という場だったとしても、クライアントはそう思っていたと思います。

でも在宅では、「クライアントの望みが叶うんだな」とは思いましたね。

CHAPTER6

現場での直接的な関わりから、ケアカレッジでの間接的な関わりへ

講師さんと、受講生さんとーーこれまでの現場経験を活かして

―土屋にはどんなきっかけがあって入社されたんでしょうか。

そうですね。
土屋に入る前の訪問介護でも、高齢者の訪問介護と重度訪問介護(重訪)の両方をやっていたんですよ。

なので、吸引や注入もしていました。

介護って、訪問介護と施設介護だと大きく仕事内容が違ってくると思うんですが、転職を考えていた時は、正直なところ、「在宅介護の仕事ができるなら、どんな会社でもいいな」という思いがあったので、求人サイトでたまたま土屋を見つけて、2021年に入社をしました。

―重訪に関わられていたとのこと――在宅介護の中でも、訪問介護と重訪では違いもあったと思います。その点はいかがでしたか?

いちばん大きかったのは制度面ですね。
やっぱり、支援の時間が違うので。

お風呂介助だけとか、30分とか、おむつ交換だけして、という訪問介護とは違って、重訪は終日、ないし、一晩中支援に入ります。

これは私の視点ですが――「重訪は、(働く側の)身動きが取れない」という意味では、ちょっと窮屈さを感じた点もありましたが、クライアントの暮らし、1日の流れがよくわかりました。

その分、「この方は何をしてほしいのか」「何を望んでいるのか」もよくわかりましたしね。

―その後、土屋ケアカレッジ(カレッジ)でのお仕事に移られます。

2023年にカレッジに異動しました。
もともと、当時所属していたホームケア土屋京滋の事業所が、もうひとつ部屋を借りて、そこで土屋ケアカレッジとして講座をしていたんです。

私はそこで重訪のアテンダントをしながら、カレッジの講師としても重訪の資格についての講義に登壇していました。

2023年にその時住んでいた滋賀から神奈川に引っ越しすることになり――ただ、カレッジが全国各地にあるのは知っていたんですね。

引っ越しをしてからも土屋で働き続けるかどうか、転居を検討する時はすごく悩んで。

それまでは重訪の仕事に関わっていましたが、「転居後はカレッジの仕事中心で、引き続き土屋でお世話になれたらいいな」と思い、今もこうして働いています。

―カレッジの中では児玉さんはどんなことに関わられているんでしょうか。

私のメインの業務は教室の運営です。
今は神奈川在住で、主に土屋ケアカレッジ相模大野教室と、土屋ケアカレッジ横浜教室の管理者をしています。

お申し込みをいただく方や、これから申し込みをされる方からの問い合わせの対応でしたり、講義を受けにいらした受講生さんと運営スタッフとの間には、講義をしてくださる講師さんがいらっしゃるので、講師さんの勤怠や、「受講生にこうお伝えください」といった指示を出したりしています。

それから、教室の環境整備をしたり、カレッジは研修機関なので定期的に行政に申請書を出したりしてますね。

―実際に教室に行かれて働かれているんですか?

今の仕事は、電話をする機会やzoomでの打ち合わせが多いんです。

教室は一部屋しかないので、受講生のお邪魔にならないよう講義のない時に行って仕事をしてることが多いですね。

ちなみに今日もリモートです。

―現場から在宅へ。働き方の変化はどのように感じられていますか。

そうですね。

これまでは自分自身がクライアントの家に訪問したり、その施設でその人と直接関わることがメインだったんですけれども、今は講師さんを中心に関わるようになりました。

カレッジには、これから介護の現場で働きたい方が資格を取りにいらっしゃいます。

仕事そのものは、現場とは違って間接的な関わりにはなりますよね。なので、ちょっと寂しさがないわけじゃないですけれども(笑)。

ただ、頻度はだいぶ減りましたが、受講生さんと直接関わって何かを伝えたり、講義をする機会は今もあるんです。

自分のこれまでの経験は、そういったところで活かせてるのかな、と思いますね。

CHAPTER7

講師さんの“持ち味”を活かして、そして自身の現場経験を活かして

今も活きている、現場で実感した「人によって考え方が違う」という経験

―児玉さんの価値観について伺えたら、と思います。今までの現場でのお仕事からでもいいですし、今、カレッジのスタッフとして、のことでもいいですし――人と関わる時に児玉さんが大切にされていることを聞かせてください。

そうですね。
介護現場に入っていてそう思ったんですが――「人によって考え方が違う」ということを実感した経験は今の仕事にも活きていると思いますね。

自分がパッと「こうだろうな」と感じる部分はあっても、いろんな方向から見ないとわからないこともある。

それはすごく思います。

―介護の仕事を続けられていく中で、児玉さん自身が変わってきた部分――たとえば、姿勢の部分だったり、働き方でも、「続けていく中でこんなところが変わってきたな」と感じるところがあったら聞かせてください。

そうですね。
変わったところは――訪問介護もチームプレイといえばチームプレイなんですけども、なかなかその人のお家に入ってしまうと見えない部分が多いんです。

やはり、マンツーマンでの関わりなので。
それと比べると、カレッジの業務はいろんな人と分担をして、ひとつの仕事をつくり上げることが業務としては多いです。

なので、より団結が必要、というか。

カレッジに異動してからは、より「協力して業務を進めていく必要があるな」と思って働いています。

―先ほど、「人によって考え方が違う」と仰っていました。今、コミュニケーションの方法は、直接だったり、チャットでの文面だったり、電話だったり――仕事の上でもさまざまだと思います。そういったやり取りの中で、児玉さんが日頃気を付けてること――「考え方は人によって違う」ということを前提にした時に――について伺いたいです。

そうですね。
距離の取り方は気を付けないといけないな、って思いますね。

やり取りする中で、「言いすぎたかも」「失敗したな」と思う時も正直、あります。

ただ、基本的に――誰かをひとりぼっちにするような状態をつくるのが個人的にはすごく嫌なんです。

その人も一緒に、同じことをしていきたいんですよね。
ただ、その中でも温度差ってきっとそれぞれにあると思うので。

声のかけ方や、依頼の仕方は相手を観て選んでいかないといけないな、と感じながらやり取りをしてますね。

―「今は、仕事での関わりが間接的になった」と仰ってました。仕事の中で、「こういう時嬉しいな」と感じる瞬間があったら、聞かせてください。

そうですね。

カレッジにはホームページがあって、そこに全国の教室が掲載されています。

googleマップにも各教室が登録されているんですが、受講された方が口コミで投稿できる仕組みになっているんです。

ご飯屋さんみたいに、「このお店が美味しかった!」といった口コミを投稿できるんですね。

そこに、受講生さんが「受講してよかったです」とか「(介護の仕事を)やってみたいと思いました」なんて書いてくださってるのを読むと「よかったな」と思うことはありますね。

私自身は直接的に関わってはいないんですが、講師さんの講義を受けて、そういう言葉を書いてくださるということは、「講師さんとの連携が取れてたんだな」とか「事業所の雰囲気がよかった」という証拠なんです。

その中でもいちばんは――“講師さんの持ち味”の部分なんですよね。

投稿を読むと、講義の中でのやり取りや雰囲気が伝わってきますし、「そんなふうに感じてくださる理由が、ちゃんとあるな」と思います。

ホームケア土屋で働いていた時に、コーディネーター仲間と一緒にZoom研修用の動画(清拭方法)を撮影しました。

CHAPTER8

介護って、「人が好き」からはじまる仕事

「この仕事は他の誰にでもできない」っていう意味で、「誇れる仕事」。

―仕事以外のお話も伺いたいです。児玉さんはお休みの日、どんなふうに過ごされているんでしょうか。

そうですね。
休日は半々ぐらいの割合で車で出かけるか、お家でPS5(プレイステーション5)で遊んでるか、どっちかです(笑)。

まだ神奈川に引っ越してきて3年弱なので、周辺の地域もまだ知らないところも多いんです。

関西に住んでた時もよくしてたんですが、道の駅めぐりとか、そんなことをよくしてます。

その傍ら、外に出ないで、ゲームをしたり、映画を見たりしてますね。

―これから、のところを最後に。ケアカレッジがこんなふうになっていったらいいな、という思いについて聞かせてください。

そうですね。
ケアカレッジは研修機関として、現場支援を担うホームケア土屋がすぐ隣にあるので、「現場に即した、すぐ現場で使える介護を伝えられる学校でずっといたいな」という思いはあります。

それから、介護業界の中には大手と言われる会社がいくつかありますが、「あの有名な、土屋ですね」なんて言ってもらえる時が来ることは期待してますね。

たとえば、土屋ケアカレッジでの講義を受講されるかを検討する際に、資料の請求をされる方ってたくさんいらっしゃるんです。

そういった方は土屋だけじゃなく、複数の会社から資料を取り寄せてご検討されることが多い。

その中で「土屋?あまりよく知らないな」っていう理由で選ばれない――というところを打破して、「土屋だから決めました」といった声が受講生さんから飛んでくるような会社になっていってほしいな、と思います。

―私も児玉さんと同じ2021年入社なんです。土屋に入社されてから、この5年間で会社の規模も大きくなり、認知度も少しずつですが上がってきてるな、と感じています。その辺りは児玉さんの実感としてはいかがですか?

そうですね。

カレッジの取り組みとして、コラボ教室や出張授業みたいなこともしてるんです。

施設や他事業所さんのスペースをお借りして、講義をしたり――それはこちらの営業ありきなんですが――そういった取り組みを通して、少しずつですが教室が増えていってますし、カレッジそのものが大きくなってるなっていう実感はありますね。

今は、ひとつの商品を買うのも、ご飯屋さんに行くのも、口コミを見て検討される方が多いです。

先ほど話をした「口コミを増やしていこう」「口コミを書いてもらえるような関わりをしよう」という取り組みは、ここ2年ほど、カレッジ全体として行なっています。

こちらも少しずつですが件数が増えているので、そういった投稿を読んで、「土屋っていいな」と、学校を選ぶ時の選択肢のひとつに加えてもらえるようなったら嬉しいですね。

「今の受講生さんの何割かはそういった口コミがきっかけで来てくださってるのかな」と思うと、少しずつかもしれないですが広がっていってるのかな、という実感もありますし。

―今は現場から離れていますが、これから支援の現場に向かう受講生の方たちと関わる中で感じていることはありますか?

そうですね。

カレッジにいらっしゃる受講生さんの姿を見ながら感じることはやっぱり――「人の手を借りないと生活ができない」という方々がいらっしゃる現状を知らない方はまだまだいるんだな、と感じています。

支援の現場では、訪問介護や施設の介護職員さんがそばにいて、その人の生活を支えてるわけですが、そういった介護の現状をたくさんの人に知ってもらったり、それを知って、「私もこの仕事をやってみたい」って思う人がたくさん出てきたらいいな、と思いますね。

―介護の仕事を15年ほど続けられています。その理由について――児玉さんにとって、介護を続ける原動力になっているものについて、最後に聞かせてください。

そうですね。

カレッジに移ってからはなかなか見えにくい部分ではありますが、それでも介護の関係で仕事をしてるので、自分がしてることで感謝をされることは、達成感を感じやすいです。

あと……

介護の仕事って――ひと昔前は、「仕事の選択肢がないから、介護で働く」というようなイメージがあったし、正直なところ、自分もそう思っていたところがありました。

でも自分が実際に働いてみて、介護って相手への関心や優しさがないと成り立たない仕事で、相手を感じとるセンスがないとできない仕事で――それは特殊で、特別で……なんていうんだろうな。

「この仕事は他の誰にでもできない」っていう意味で、「誇れる仕事なんだ」と思うようになりました。

それが原動力かはわからないんですが――きっと好きなんでしょうね。それに尽きると思います。

―それはお仕事が、ですか?それとも人が、ですか?

人が、ですね。

そこにあとから仕事がくっついてくる――仕事がきっかけじゃないと他人と関わることってできないのでね。

この仕事を続けているのは、きっとそれだけなんじゃないかな、と思います。

「茨城県の国立公園にあるネモフィラ畑です」

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