あぐり工房

あぐり工房土屋

細谷裕里

スタッフリーダー

わたし、障害のある人と働くって知らずに働き始めました!!

 《interview 2026.1.8》

「よくわからない。でも、ここに行きたい!」——そんな“ときめき”から始まった、細谷裕里(ほそやゆり)のあぐり工房土屋でのしごと。
新体操一筋だったこどもの頃、ダンスに夢中だった青春時代、ヨガや新体操の講師としての再出発を経て、今、「毎日が変化の連続」というあぐり工房の日常の中で見つけた“自分らしさ”。
スタッフリーダーとして、苦手なことも失敗もまるごと抱えて、そこにいる誰もがありのままにいれる場所――仲間と紡ぐ、「これがわたしのしごとです」。

CHAPTER1

学校から帰ったら習い事。新体操三昧の日々

「こう言ったらこの人は喜ぶだろうな……」――妙に大人びたこどもでした

―お子さんの頃からのお話をみなさんに伺っています。どんなところで生まれ育ったんですか

奈良県の生まれです。
生駒山が近くに見えて、奈良公園も近くにありました。

幼稚園の時は、奈良公園にはお弁当持って家族でピクニックに行ったりしてましたね。

今でも大仏はたまに見たくなって、ひとりで見に行くことがあります(笑)。

―奈良の大仏のいる景色ってほかのどこの都市にもない景色ですよね。

そうなんです。

近くに住んでいた時は普通だったんですが、離れてみると妙に大仏が見たくなることがあります(笑)。

―(笑)。ちいさい頃はどんなお子さんでしたか?

母や父曰く――「妙に大人びたこどもだった」とよく言われました。

「こう言ったらこの人は喜ぶだろうな」「大人はこういう言葉を言ったら感動するんだろうな」みたいに空気を読むのが得意で。

あまり可愛くないこどもだったと思います。
その頃は習い事ばかりしていて、あんまり友達と遊んだ記憶がないんです。

幼稚園や学校から帰ったらすぐ習い事。

10歳頃からは習い事を新体操一本にシフトチェンジして、毎日遅くまで新体操三昧の日々でした。

―新体操はどういうきっかけで始められたんですか?

父も母も体育大学を出ていて、スポーツ大好きな、スポーツ一家で。
私はもともとものすごく運動神経が悪くて、歩き始めたのも遅かったそうです。

でも3歳ぐらいの時に、幼稚園の発表会でダンスをしたら、ダンスだけはめちゃくちゃ上手かった。

それで両親が「この子にダンスをさせよう」と近くにあった新体操クラブに入れて。

そこから新体操に熱中しました。
新体操って――ひとつの作品をつくるような感じなんです。

曲を自分で選んで、いろいろな技を入れて流れをつくったり、起承転結のようなストーリーに沿って振りをつけていく。

自分が思ってることをその振りで表せるところが好きで、のめり込みました、すごく。

―中高生の頃も新体操が中心の生活だったんでしょうか。

高校を卒業するまではずっと新体操漬けでした。
ただ、高1の時に新体操での表現を増やしたくてダンスを始めたんです。

ダンスを習いながら、新体操も続けていたんですが、大学進学前に腰を痛めてしまって。

「大学4年間、新体操を続けるのは厳しい」となったので、急遽ダンスの専門学校に進むことになりました。

―専門学校ではどんなダンスを?

全種類ですね。
1時間目ジャズ、2時間目ヒップホップ、3時間目ブレイクダンス、というような。

専門学校時代は――遊びまくっていましたよ。
学校でずっと踊って、夜はクラブに行って踊って。

その頃は寝ずに踊って、寝る・食べるを置いてけぼりにする生活をしてました(笑)。

―(笑)。その中で、細谷さんがいちばんしっくりきていたのはどんなダンスだったんですか。

好きなのはヒップホップだったんですが、おそらく自分に向いてたり、結果が出てたのはジャズとかモダンバレエとかだったのかな、と思います。

ヒップホップはどちらかというと下に降りるリズムなんですが、ジャズは上に上がっていくリズムなんですよ。それが基本になってくるので、正反対と言えば正反対のダンスなんです。

―ダンスを発表する機会もあったんですか?

そうですね。
舞台のオーディションを受けたりしてました。

ただその頃、私がやりたかったのは浜崎あゆみのバックダンサーだったんですけどね(笑)。

まわりはみんな、劇団四季といった舞台系に進む子が多かったですね。

CHAPTER2

新体操をおしえる側に立って――“奇跡みたいな瞬間”のこと

日々積み上げてきたものを本番で出せる、喜びと感動

その後、専門学校に行ってる時に今の主人と出会いまして、そのまま結婚をしました。
そこからアパレル会社に就職して、そこで3ブランドぐらいかな、経験をして。

長女を出産したんです。

こどもが小学校に上がってから、ふと自分に「これ」っていうものがなくなってる気がして。
その時に病気をしたこともあって、“自分”っていうものをつくりたかった。

「自分にできること、得意なことを活かそう」と、まずヨガのインストラクターの資格を取りました。

そうしたら、これまで体を動かしてきたのですごく楽しくて。

「これを仕事にしよう」と思って、ヨガのインストラクターを個人事業主として始めたんです。

その後、インストラクターをしていたスタジオで「新体操教室もやってもらえないか」というご要望を受けて、そこからは昼間は大人に向けてヨガの講師を、夕方以降はこどもに向けて新体操の先生になって。

新体操の教室は最初は3人ぐらいの生徒からのスタートだったんですが、口コミもあって、1年ほどで20人ぐらいに広がり、「本気で新体操に取り組みたい」という子が多くなったので、独立してチームをつくりました。

―新体操を教えるのは、その時が初めてだったんですか?誰かに伝える、育てることって、自分がプレイヤーとしてするのとはまた違う面があるのかな、と……。

そうですね。やっぱり特殊な世界というか――。

新体操って気軽に始められないスポーツなのもあって、プライベートな部分までお母さんたちと話すことも多かったですし、話す時間は自分の家族以上にありました。

保護者の方とお子さんと私と、“三位一体”じゃないですけど、関係性がものすごく近かった。

こどもたちにとっても、先生というより、おじいちゃん、おばあちゃんの次ぐらいの存在になってたんじゃないかな……と思います。

―当時、ヨガと新体操ではまた違ったやりがいもあったのでは、と思います。

ヨガの方は、どちらかというとゆるむ感じ、癒しを求める方が多かったので、リラックスしていただくことが多かったんですが、新体操の方で試合に出るような子たちはストイック。

毎日泣きながら練習するような日々でした。
それでも、試合で結果が出ないことがほとんどなんですよ。

その中でも、すごくいいものが出る時が、本当にたまにあるんですね。

そういう瞬間を本番に持っていけた時のことは、忘れられないというか――思い出すだけでまだ泣けてきそうです(笑)。

日々、積み上げてきたものを本番で出せる喜びや感動はお金で買えないですし、頑張ったからできるっていうものでもない。

自分が選手じゃなくなってからも、奇跡みたいな瞬間を体験できたことは、私の中ですごく大きかったですね。

―奇跡みたいな瞬間、ちょっと詳しく聞かせてください。

私のチームが活動していた地区は層がすごく厚くて。

競技中に「足が一歩動いてしまった」といったちいさなミスが0.1の減点になり、順位が入れ替わって予選突破できる、できないが決まるーーそれくらいの厳しさでした。

出場しているチームのみんなが夏休みもないぐらいの練習をしてきてるので。
正直なところ、私のチームは上位にいつもいるような強豪チームではなかったんです。

だから予選を突破するなんて奇跡というか――「運が良ければ、いけるかな」ぐらいにしか思っていなかった。

でも、初めて地区大会に行った時、個人競技は全滅だったんですが、みんながいちばん頑張っていた団体競技で優勝ができたんです。

その時、みんなの力がうまく“ギュッ”とひとつになって。
みんなも「まさか!!」と思っていたと思います。その後、新聞にも取り上げていただいたり。

こどもたちの中に、その時の仲間との思い出を“ギュッ”て残せたことが今でもいちばん印象に残ってますね。

CHAPTER3

よくわからないけれど、“ときめき”を感じて――あぐり工房へ

自分でも諦めていたオン・オフの激しさや人に合わせられないところ。でも、あぐり工房で働くようになってからは人との関わりが楽しくなりました

新体操の講師を8年ほど続けたんですが――コロナ禍になった時に、練習で使っていた体育館やスペースが全部閉まってしまって。

それでも当初は外で練習をしていたんです。

ただ、自営業だった主人がコロナで事業を続けられなくなって、兵庫から三重の実家に家族で帰ることになりました。

新体操のチームを別の先生に託して、引っ越すことになったんです。

三重に戻って来てから、仕事を探し始めたんですが――そこで「自分にできることってないな」って思ったんですよね。

新たに新体操教室を立ち上げることも考えましたが、やはり狭い世界。

全国の先生みんなと知り合いだし、置いてきた子たちとまた大会で会うことを想像すると、新しくチームをつくることはできなかった。

そんな中で求人を見ていたんですが、このあたりだと介護や配送ドライバー、と業種が限られていて、自分の中でときめく仕事がなかったんです。

「どうしよう」「やっぱり兵庫に帰ろうかな」と考え始めた時に、内容は全然わかってなかったんですが、<採用担当者:井上早織(いのうえさおり/あぐり工房土屋管理者)>っていう名前がパッて目に入って――

「なんかここ(あぐり工房)に行きたいかも」って思って、すぐに入力して応募の送信をさせていただきました。

―それがどういう仕事か、みたいなことは考えず?

考えなかったですね(笑)。
たしか、「さをり織り」とは書いてあったと思います。

で、「さをり織りってなんぞや?」みたいなところからでした。
今まで見た求人の中では、よくわからないけれど、ときめきを感じたというか(笑)。

―そこから、実際に応募して、面接をしてーー

そうですね。
その時も早織さんが対応してくださって、いろんなことを語ってくれたんですよ。

まだ今の「杜のカフェ」ができる前だったんですが、「ここをカフェにして」「こんなふうにやっていきたい」っていう話をたくさん語ってくださった。

で、「絶対、ここで働きたいな」と思って、次の日には「明日から来れます」ってお伝えをして、面接の2日後からあぐり工房で働き始めました。

―働き始めて、いかがでしたか?

う――ん……すべてが経験したことないことばかりで。
それまで私はずっと個人事業主として働いてきたので、組織で働くことも初めてで。

いわゆる「報・連・相(ホウ・レン・ソウ)」もできなかったんですよ。
「こんなことまで報告しないといけないんだ」って。

わからないことだらけで失敗ばかり繰り返す、ダメ出しもされてばっかり。
でも、そのことで私の中の“負けず嫌い”に火をつけられたというか。

おかげで初めの1年で成長をすごく感じられたので、今は感謝でしかないですね。

―その時の失敗というのはどんな……?

もうありすぎて。ほんっとに(笑)。
毎日毎日泣いていた気がします。

パニックになって納品の品数も数えれなくなって。

「絶対12個あるはずやのに、何回数えても11個しかない」みたいな(笑)。

―“負けず嫌い”なところもあったと思いますが、他にも何か細谷さんの中で引っかかったものがあったのでは、とも思います。

そうですね。
失敗しても必ず最後までやらせてくれたんです、早織さんが。

「できないから別の人に仕事を渡す」とか、初めから「この人はできないだろう」って見るようなことがなくて、「やってみる?」って聞いてくれて。

途中でできないことがあっても教えてくれて、怒られながらも最後までやらせてくれたんです。

ひとつひとつの仕事、全部に達成感があって、「やりきった!」っていう実感を味わえたことが、自分の中ではやりがいにつながったんだと思います。

―すこし戻ってしまうかもしれませんが、あぐり工房を含めたこれまでのお仕事の中で、今の細谷さんをつくってくれた人、自分が変わるきっかけになった出会いってありましたか?

もう本当に、まさにあぐり工房の管理者の早織さんです。

私は我慢もできないし、自分のペースでしか動けない――そういうところを全部、修正してくれたというか。

自分でも諦めていた、オン・オフの激しさとか、人に合わせられず相手を我慢させてしまっていたようなところを、

人並みまではいかないかもしれないですが、みんなと一緒に仕事ができるレベルまで引き上げてくれて。

なので、自分も生きやすくなったというのかな。人との関わりが楽しくなりましたね。

土屋入社後、クリエイト部門の研修で「さをり織り」を学びに(さをりの杜にて、井上早織さんと)

CHAPTER4

さをり織り、そして杜のカフェでの、わたしのしごと。

失敗した料理があったら、失敗作をそのままインスタグラムに載せちゃったり。毎日何かしら事件が起こってます

―今、あぐり工房で細谷さんはどんなお仕事に関わられているんでしょうか。

いちばん初めに入った部署は、クリエイト部門と言って、さをり織りを制作している部門です。

去年まではその部門だけだったんですが、2024年の10月に新しく「杜のカフェ」をオープンするにあたって、カフェも担当させていただくようになりました。

そこからは比重がカフェが8、クリエイトが2ぐらいですね。

―「杜のカフェ」はどんな場所なんですか?

古民家の蔵を改造したカフェで、もともとメンバーさんたちのランチを提供していました。

そのランチをボリュームアップしたり、副菜を足したりして、今は日替わりランチとして、毎日違うメニューで一般の方にお出ししています。

ドリンクは大阪のヒロコーヒーさんというコーヒー屋さんにプロデュースをしてもらって、淹れ方から何から教えていただいて。

こだわりのコーヒーをお出ししてます。

当初は、コーヒーと日替わりランチしかなかったんですが、カフェのスタッフみんなで「夏にはスパークリングのドリンクを」とか、「こどもが来た時はココアとか、リンゴジュースが出せたらいいね」という話からドリンクメニューを増やしたり、

「お肉を食べれない人もいるよね」という話からはリンゴと玉ねぎをペースト状にしたカレーやうどんをメニューに加えたり。

スイーツも、初めはバスクチーズケーキ、ガトーショコラ、月替わりシフォンケーキの3つだけだったんですが、

杜の畑で採れたお芋を使って期間限定でスイートポテトをつくったり……とどんどん種類が増えていって、今、手に負えない状態になってます(笑)。

―お客さんはどんな方がいらっしゃるんですか。

初めは福祉関係の行政の方や、メンバーの保護者の方がほとんどだったんですが、今はインスタグラムやgoogle検索でいらっしゃる方がほとんどですね。

ここを福祉事業所と知らない方が多いです。

―それは素晴らしいです! みなさん、どんな感じで一緒に働かれてるんですか。

そうですね……毎日、何かしら事件が起こって、みんなで爆笑してます(笑)。
失敗した料理があったら、失敗作をそのままインスタグラムに載せちゃったり。

「これ食べたい人、今日カフェに来たら食べられまーす」みたいに(笑)。

―あぐり工房は畑もされてますよね。

そうですね。
あぐり工房は水耕栽培もしているのですが、「杜の畑」と言って、土耕栽培もしています。

実際に畑を耕してくださっているのは、メンバーの保護者の方やNPO法人あぐりの杜で関わってる杜人(もりびと)さんたちなんですが、

そこで採れた野菜をカフェで売るところにも関わらせていただいてます。
それから、あぐりの杜の活動の一環として、災害時避難用のキャンプ場をつくっています。

いざという時に障害を持つ方たちがご家族といっしょに避難できるような場所です。
食料が届くまでは、畑の野菜があれば生き延びれるということもあって始めました。

主にジャガイモ、サツマイモ、それから今なら大根、夏は茄子、きゅうり、トマトといった季節の野菜も育てていますね。

スイカもスイカ割りができるくらい取れます。

あぐりの杜プロジェクトでは、杜人としてプロジェクトに参加してくださる方やボランティアの方々と共に森林や竹林の開拓、耕作放棄地の再生などを進めています。

一緒に山を開拓してキャンプ場をつくったり、「お米をつくりたい」という杜人がいたら穴を掘って田んぼをつくるところからはじめたり。

この間も、焚き火をするファイヤーピットをみんなでつくったんですが、

バーナーもあったけれど、手を使って摩擦を起こして火おこしからして――みんな手が血だらけになってました。

結局、火は起こせなかったんですが(笑)、「これはみんな一生の思い出になるよ」なんて言いながら。

ヨガ講師時代の細谷さん。

CHAPTER5

みんなと、ありのままにいる。その居心地のよさ。

深く関わることで気づいた、その人の別の顔。そして意外な自分

―仕事でも、生活の中でも、細谷さんが人と関わる時に大事にしているところを教えてください。

普段はあまり意識することはないんですが、「相手の人がどう思うだろう」っていうことを考えますね。

私が発する言葉で喜んでくれるか、それとも嫌な思いをされるかをすごく考えるようにしてます。

その癖は小さい時からあるかな。

―逆に今のお仕事に就いてから初めて知ったことってありますか?

正直に言うと、障害者の方たちと仕事をすると知らずにあぐり工房に入ったので――「大丈夫かなぁ」とは、

一瞬、頭をよぎったんですが、初日以降、「相手が障害者の方だ」って思うことってないんです。

たとえば、土屋の事業にある重度訪問介護だと、体を動かすことができない方も多くいらっしゃるので、

実際にこちらから動いて助けることがあるとは思うんですが、今のあぐり工房はB型就労訓練なので、介助が必要な方ってほとんどいらっしゃらないんですよ。

プライベートでも、街中で障害を持った方と会って、今までだったらびっくりしていたこともめちゃくちゃ普通になったというか――。

人のグラデーション、幅が私の中ですごく広がりました。

「そういうグラデーションのあいだに、人がいるんだな」って捉えるようになったというか。

―ご自身ではいかがですか。ご自身のいる位置が変わったような感じとかあったりしますか?

ちょっとかっこよく言いたいんですけど、多分、変わってなくて(笑)。
本当に、ありのままいます、みんなと一緒に。

だし、どちらかというと、怒られることが多いです、メンバーさんに(笑)。

「またスマホ置きっぱなし!」とか、「靴あっちにあったよ」とか、私が面倒を見てもらってる方が多くて。

―(笑)。働いていて、喜びを感じるようなところはどんなところでしょう。

やっぱり必要としてくれてるというか――。

メンバーさんもですし、今、一緒に働いてるスタッフたちに頼ってもらったり、同じ目標に一緒に進んでいったり。

そういうところが今、すごく居心地がいいと言いますか。

うん、すごく居心地がいいです。

―目標っていうのは、どんなことをみんなで共有されているんですか。

そうですね。

長期的に見ると、「この場所を人がいっぱい来る場所にしたい」「観光に来る人がいたらいいな」っていうところはあります。

もうすこし短期的なところでいうと、カフェの新しいメニューやさをり織りの新商品、それらをどうやって売っていくかを考えたり。

今週、年に一度のさをり織りの展示会が3日間、あるんです。

去年までは展示会に向けて、私が主になって動くことが多かったんですが、今年は私が忙しかったのもあって、現場のスタッフさんたちに進行のほとんどをお任せしました。

去年と同じように、みんなで力を合わせて進めていますし、他にも「こんな新商品、どうですか」ってみなさんの方でも考えてくれたり。

カフェスタッフもクリエイトスタッフも、農場のスタッフも「私たち何したらいい?」「ランチづくりを手伝いに行こうか?」なんて声をかけあったり。

ひとつのイベントをつくっていくことそのものが、みんなのモチベーションになってる気がします。

―チームで働くっていうところでは、楽しさと難しさの両方を感じてる、とも仰っていました。

そうですね。

楽しいのは、さっきお話させていただいたように、みんなでイベントをつくっていったり、新商品の開発をしていくところです。

難しさは、私は突っ走ってしまうタイプなので――。

みなさんそれぞれにご家庭とか、働くペースとか、バックグラウンドがある中で、無理矢理「やりましょう」って言ってしまうところがあるんです(笑)。

「私がやりますよ」と言っても、みんなが気を使ってくれて「それやったらやりますよ」って言ってくれて、無理をさせてしまうこともあって。

そういうところはすごく難しいな、って思いました。「みんなが無理だったら、私がやればいい」という考え方だと、全体がうまく回らないんだ、って――。

調和というか、ひとりが頑張るだけではうまくいかない、チームプレーの難しさはすごく感じてますね。

―入社されて3年目になりますが、うまくいかないことも含めて「いいな」って思えてたりしますか?

そうですね――。
スタッフとぶつかったことも何回かあります(笑)。

でも、今ふっと振り返ると――すごく信頼できるスタッフとして、パートナーとしてお仕事をしてるんですよね。

深く関わるにつれ、ぶつかることもあるけれど、「そうやって絆って深まっていくんだな」とも思います。

初めは「苦手かも」と思っていた人の、別の面が見えてきたり、「実はそういう優しさがあるんや」って気付いていけたり。

こういう部分って仕事じゃないと見えないことも多いですよね。

そんなふうに深く関わることができているのは、自分の中の“意外”と言いますか――

今までは「あの人、苦手だな」って思ったら、すぐ関わらない方を選んでしまうことが多かったんですが。

そういった意味でも、発見が多いです。

CHAPTER6

得意なことを、とことん!

何もない日がなくて、毎日が変化の連続

―「お休みの日はどんなことされてるのかな」っていうところもお聞きしたいです。

そうですね。

「休む」って決めたら、「明日はなんもないな」って思ったら、ほんまにひたすら寝る、家から出ない。

一日パジャマ。netflixとソファーとお友達です(笑)。

私はオンオフが激しくて、「お休みの日はトイレ以外はソファーから一歩も動きません」みたいな感じです(笑)。

―これからのところではどうでしょうか。

あぐり工房の中では、今、農場チーム、古民家チーム、カフェチームとメンバーも部門も分かれているんですが、それをごちゃ混ぜにしたい、っていう思いはあります。

「今日は農場の人手が足りないからこっちに来て」とか、「今日は野菜の収穫量が多いから、クリエイト部門から1人ヘルプ行きます」とか――

部門ごとに働くだけじゃなくて、あぐり工房っていうひとつの大きなわっかをつくっていきたいですね。

みんながいろんなお仕事を経験できる場所にしていきたいなと思ってます。

―ご自身のところはいかがですか。

自分自身は、そうですね――どちらかというと自分はもともと自信過剰なタイプなんですね。でも、そういう部分があぐり工房に入って2年半ぐらいで、ガラガラ〜って崩されて(笑)。

ここからは根拠と自信を持って、自分を誇れるように――理想像に向かって自分自身を磨いていきたいなと思っています。

―細谷さんにとって、この仕事を続けていける原動力になってるものってどんなことでしょう。

原動力というか――何もない日がなくて、毎日が変化の連続なんです。

それを日々、「なんとかなんとか」ってしていることが原動力な気がします(笑)。

―(笑)。福祉や介護の仕事をしてると「ドラマ見なくていい」ってよく言いますよね。

本当に。
事件も起こるし、毎日何かしら起こるので退屈しないです。

暇だった日が本当にないですよ、1日も。

―最後に――いろんな方に今伺っているんですが、細谷さんから見た土屋という会社、それから細谷さんの中で感じる“あぐり工房らしさ”みたいなものを感じているところがあったら、伺いたいなと思います。

土屋のみなさんと直接お会いする機会ってあまりないんですが、あぐりの杜に何名か来てくださったことがあって、みなさん面白い方ばっかりで。

初めは構えるんです、「偉い人が来る」みたいな感じで(笑)。
でもみなさん、すごく気さくにお話してくださって、毎回楽しい形でお別れする。

そして、また来てくれるっていうパターンがほとんどで。
私の中で土屋のみなさんって「偉い人も気さく」みたいなイメージがあります。

あぐり工房の方は――みなさん自由と言いますか、自己主張が強い方が多くて(笑)。

お互いぶつかることも多いけど、それを強みにして、「この人はここが得意やから任せた!」って、それぞれの強みや得意を活かす仕事の回し方をしてます。

みんなが働きやすく、みんなで回していく。

この人数だからできることなのかもしれないんですが、そういう環境が私にとっては「いい会社だな」と思えます。

得意なことを、とことんやらせてくれる。

―ちなみに細谷さん自身が思う、自分の得意なこと、自分らしい部分っていうのはどんなところなんでしょう。

私、すごく細かいことが苦手なんです。
記録をしたり、細かい計算をしたり、きっちり何かをすることが極端に苦手で。

初めはそれを克服しようと頑張って、周りも応援してくれてたんですが、

「もうやらんくっていいよ、得意なことやって」って言われた時に、「私、得意なことってないかも」って思ったんですよね。

でも宣伝用のP O Pをつくってみたら、みんなが「すごいすごい」って言ってくれて。

そこからですね。
カフェのメニューやP O Pをつくったり、SNSの集客とか。

広報的な部分を任せてもらえるようになったことが、“自分が率先してする仕事”って思うようになりました。

それがあぐり工房の中での、わたしの役割。

カフェとかお野菜とか、さをり織りを外に向けて発信する役割を与えてもらってることが、今、すごく嬉しいです。

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