あぐり工房

就労継続支援B型事業所 あぐり工房土屋

森本 潤

三重県・名張 スタッフ

利用者から支援員に――

「人と接するのが苦手」だった自分が「利用者さんたちの“希望の星”」へ

 《interview 2024.1.19》

2014年6月に就労継続支援B型事業所 あぐり工房土屋の利用者として仕事をスタートさせた森本 潤。10年目を迎えた2023年10月、同じあぐり工房土屋内で“念願だった”一般就労への夢を叶えました。野菜も人も、ともに育ち、育ち合う三重県・名張の土の上で、利用者からスタッフへの道を歩み始めた森本。今回のインタビューには、入所時から森本を見守り続けてきた管理者の山田 寛が同席。「潤さん」「山田さん」と呼び合うふたりが、それぞれ見つめてきた10年間をかさねます。

CHAPTER1

利用者さんと、誠実に、ニコニコしながら向き合う姿がそこに

利用者からスタッフへ――
あぐり工房土屋での過ごし方とは

―今、どんなお気持ちというか、そんなところから伺えればと思います。いかがですか?

森本 まぁ、もうだいぶガチガチですね(笑)。

―そうでしたか(笑)。森本さん自身が一番リラックスできる時というのは、どんな時なんでしょうか。

森本 はい、仕事の時は午前中の出荷作業が終わったら。まぁ、まったりって感じじゃないですけれど、結構ゆったりできる時間帯で、その時間はリラックスしてます。

―仕事以外ではどんなところでリラックスされてますか?

森本 場所ですか? 友人と飲んでる時はだいぶリラックスしてると思います。

―あぐり工房土屋では、どんな一日を過ごしているんでしょうか。

森本 はい。午前中はビニールハウスでの作業と出荷作業が忙しいので、(そこを)行ったり来たりしてますね。午後はその辺の作業が落ちついてきますので、利用者さんの支援がメインになります。

―利用者の方には、どんな支援を?

森本 野菜の袋詰めだったり、出荷作業とか収穫した後のパネルを外して洗ったり。一人でやってもらえるように教えています。最近、その作業を覚えてくれる人たちがいるんです。

―「次はこれやるんだよ」とか…

森本 はい。ステップアップをどんどん重ねていって。最終的には自分たちが手を出さなくても一人でできるようにやっています。

―森本さん自身も、これまであぐり工房土屋のスタッフから、そんな風にサポートされてきたんでしょうか。

森本 そうですね。

―これまで携わってきた仕事の中で、一番得意な仕事はどんなものですか?

森本 多分、「これが一番得意な仕事」というのはないんです、自分。ないんですけど、「作業を覚えるのが早い」って褒められてます。「飲み込みが早い」って言うんですかね。それはよく評価されてました。

―フルタイムのスタッフになってからは、事務の業務等、これまでになかった新しい仕事もするようになったとお聞きしてます。どんなふうに仕事を進められているんでしょうか。

森本 最初の頃は、隣に先輩がついてくれるんです。そうやって教えてもらいながら、困った時はすぐ聞ける状態なので、覚えていきました。

―今はもう、お一人でその業務もされているんですか?

森本 ちょっと重要な作業は、まだ2人でやったりしてますね。

―では山田さんにお聞きしたいんですが、森本さんが楽しそうに働かれてる姿や、その魅力はどんなところにありますか?

山田 そうですね。潤さんが一番楽しそうに見えるのは、利用者さんと接している時ですね。ニコニコしながら優しいトーンで話されるので、こちらが見てても支援員と利用者さんがいい雰囲気に見えます。ちょっと前まで利用者さんだったのに、支援員になった途端、急に大人びて見えると言いますかーーそんなところが魅力です。

それから誠実さですね。今は若さもあって、きっと真っ白な状態。今後は良くも悪くもいろんなことを吸収されていくと思うんです。いい意味で、アグリーカラーに、そして土屋カラーに染まっていっていただけたらな……と思っています。

―午前と午後では森本さんの表情も違いますか?

山田 そこも潤さんのすごいところなんですが、忙しい状況でも決して余裕のない支援にはならないんですよ。忙しくても利用者さんに必ず誠実に向き合う。そこがきっと福祉の仕事に向いているところかなと思います。

CHAPTER2

あぐり工房土屋に来て、「人と接するのがそれほど苦じゃなくなったんです」

人と接するのが苦手だった森本。
あぐり工房土屋で働くなかで感じられた変化とは――

―小さい頃は、どんな子でしたか?

森本 多分ですが、昔はもう全然喋ってなかったと思うんですよね。

―どんなことをして遊んでいたんでしょうか。

森本 ずっとゲームでしたね。あの頃は。

―中学校や高校は……

森本 ろくに勉強してなかったですね(笑)。その頃もずっとゲームをしてました。

―ゲームは何系のゲームがお好きなんですか?

森本 あの頃だったらアクションでしたかね。最近は、シューティングが多めになりました。

―中学、高校を卒業されてからは?

森本 中学は卒業したんですけどね。高校一年で中退してここに来たんです。

―どういうご理由で、中退されて就職を目指すようになったんでしょうか。

森本 あんまり学校になじめなくて。うつ状態になったんです。それで結局、勉強についていけずに単位がとれなくて、最終的に自主退学しましたね。

―そこから、あぐり工房土屋とはどんなふうに出会ったんですか?

森本 学校の保健室の先生や市役所の福祉課に相談しまして。そこでいろいろと福祉サービスを紹介してくれまして、最終的にここ(あぐり工房土屋)ともう一つの事業所、二つ提案してくれたんです。二つとも体験に行って、それで『ここやったら、なじめるかな』って思ってあぐり工房土屋を選びました。

―あぐり工房土屋で就労の体験をしてみて、どんなふうに思いました?

森本 自分が農業をやるって考えは、当初なかったんです。「ここの人たちはすごい明るいな」って。

―あぐり工房土屋で働かれるようになって、ご自分で変化を感じられたところはありますか。

森本 性格がだいぶ明るくなりましたね、一つは。で、もう一つが、人と接するのがそれほど苦じゃなくなったんです。

―以前は苦手だったところがあったんですか?

森本 そうですね。以前はだいぶこんなんじゃなかったので。もっと何も喋らないような人だったんです。

―じゃあ、そこからずいぶん変わられたんですね。

森本 かなり変わりました。

―山田さんは、そんな森本さんを傍らでどんなふうに見つめてきたんでしょうか。

山田 潤さんがあぐり工房土屋に来たのは9年ほど前のことです。働き始めの当初、本当の初めの初めは、一日中椅子に座ってるだけだったんですよ。特に作業をするわけでもなく、うつむいてたりっていう感じでして。スタッフもちょこちょこ声をかけてたんですけれども、反応があったりなかったりで、答えていただけても「はい」とか「いいえ」ぐらいだったんです。

そんな状況からスタートしておりますので、今の潤さんを見られた方――毎日接してる僕らも感じることなんですけども、たまに会う特定相談支援事業者の方とか、関係機関の方――は、「別人だ」と。「本当に森本さんですか?」なんてことを何回かね。

森本 はい。

山田 ……って言われるぐらい変わってます。でも厳密に言うと、変わったというより、本来はそういう潤さんだったのかもしれないんですけれども。うまいことタイミングが合って、いい形になって“本来の潤さん”がこうして出てきたのかな、とは思いますね。

CHAPTER3

「ちょっと心が開いた」――ひとりとひとりの時間をかさねる

「人と接するのが苦手」
そんな森本が心を開いた「きっかけ」――

―山田さんにとって、印象に残っている森本さんの姿はどんなものですか?

山田 はじめに心を開いてくれるきっかけというのがあってーーあぐり工房土屋のスタッフの中でも、僕が一番初めに潤さんに関わらせてもらったんですね。

利用者の送迎というのは基本的に皆さんまとまって車に乗るんですが、潤さんは当初、半日で帰られていたので、特別送迎だったんですよ。その当時は、私も昼ぐらいに納品業務がありまして、その配送に合わせて潤さんを家まで送るーーそんな時代でした。ですので毎日、送迎の車の中で、潤さんとじっくり会話をする時間があったんです。

初めの頃は全然、喋ってもらえなかったですね(笑)。僕も「どうしようかな」と。

『ゲームが好き』と仰られていたので、話のきっかけになる共通点があればな、と思って僕も実際にゲームをやってみたり、ゲームの勉強したりしました。そこから喋ってくれるようになりました。仕事の方も、そのあたりからちょっとずつちょっとずつ作業を始めてくださったという感じで。

―じっくり関係を育む時間があったんですね(笑)。

山田 そうですね(笑)。実は僕は、初めは潤さんに対してちょっと特別対応をしていてーー

というのは、本来は、個人的に一人の利用者さんに対して思い入れをするのはよくないことなんですけれども、その当時は福祉業界で働き始めたばかりで、僕自身も知識がなかったのです。潤さんに、ずいぶん思い入れがあったんですよ。

ただ会話を続けて、心を開いてもらってからは他の支援員さんが潤さんをうまく軌道に乗せてくれました。潤さんがスタッフの皆さんと馴染んでからは、僕もちょっとずつ距離を離していった……そんな感じですね。もちろん潤さん本人もスタッフの皆さんも、すごく頑張られたと思います。

―森本さんは、今仰ってた「車の中で山田さんと過ごした時間」って覚えてますか。

森本 割とよく話しかけてくださいまして。あの頃から「ちょっと開いたかな」って、今考えたら思いますね。

―どんなお話をされていたとかは……?

森本 あの頃はーーあの送迎車の中は、だいぶゲームの話ばっかりでした(笑)。
やっぱり自分が興味あることを山田さんが探って、話しかけてくれていたと思うんです、あの時は。本当にゲームの話を話してくれましたね。

―じゃあ、ふたりでずっとゲームの話をして…

森本 それがあったからこうなってる……ってことですもんねぇ(笑)。

山田 そうですね(笑)。

CHAPTER4

これまで過ごしてきた、“どんな時”も。

働いてきた10年間を振り返って――

―これまで働かれてきた10年間で印象に残ってることを教えてください。

森本 利用者の皆さんに「なんか話しやすくなったね」って言われたことですかね。印象に残ってるのは。
あと、テレビの取材を受けたことですかね。

―テレビも出演されたんですか?

森本 はい。何年前でしたっけ?

山田 2年前ですね。テレビの取材は結構あるんです。テレビ出た後に納品に行くと、「昨日、出てましたね」なんてあちこちで言われるんです。潤さんは利用者さんの中でも、メインでインタビューを受けていましたね。

―その時は、どんなことを喋ったとか、凄い緊張してたとか(笑)、覚えてますか?

森本 あの時も多分、今みたいな感じで緊張してました(笑)。何喋ってたかもちょっと怪しいですね。

―テレビに出演されてから、周りから「こんなことを言われて」なんてありますか?

森本 テレビ出たって周りには言ってないんです。

―じゃあ、ひっそり出演されて。

森本 はい。

―山田さんにとっては、森本さんの10年間はどんなふうに映っていますか。

山田 やっぱりあぐり工房土屋にいらした当初の印象が一番濃いんですけども、僕が一番思うのは「よくずっとついてきてくれたな」――と。農業って労働環境が結構きついんですよね。寒い中、暑い中、どんな時も嫌がらずに全部やってきてくれました。

スタッフ側は「農業をはじめてみたけれど、思っていた業務内容と違う」とか、「思ってたよりしんどい」っていう理由で辞められていく方が多い中で、利用者であった潤さんがずっとついてきてくれたというのは、今では安心感になっているーーと言いますか。

だから、“この時のこんなことが印象に残ってる”というよりは、今までの過ごしてきた時間が僕の中で一番大きい。毎日会ってますし、本当に、“どんな時も”ですね。

それから、潤さんは絶対に体調を崩さないんですよ。そこは僕に似たのかな、なんて思ってます(笑)。「絶対休まない」って、簡単なことのようで、できる人ってなかなかいないので、素晴らしいなと思います。

―……と仰っていますが、森本さんはご自身の体調で気をつけていることはありますか?

森本 そこまで特別、何かやってるってわけでもないんですけど、体調は崩してないんです。ただ、5年前ぐらいまでは年一で崩してたはずなんですけども。もうそれもなくなったんで、本当にずっと健康ですね。

CHAPTER5

利用者から、一般就労へーー「潤さんオリジナル・就労プロジェクト」

利用者から一般就労までの「流れ」と「明確な目標」

―あぐり工房土屋で、利用者から一般就労に移行されたお話を伺いたいと思います。最初はどんなふうに森本さんにお話があったんでしょうか?

森本 2023年の1月に山田さんから、フルタイムの提案を受けまして、そこでもう喜んでお受けしました。

―お聞きした時は、どんなお気持ちでした?

森本 「ついにこの時が来たか」、と。就職自体は願っていたので。

―すぐその場でお返事をされたんですか?

森本 オッケーっす、みたいな(笑)。

―そこから就労されるまではどんな流れで進んでいったんでしょうか。

森本 はい。利用者の頃にはやらなかった仕事全部、覚えていくっていう流れでしたかね。

―新しい仕事としてはどんな仕事があったんでしょう。

森本 支援記録や売上入力等の事務と、生産管理や計画と防除作業と。少しずつ、「次はこれを覚えていこうか」みたいな感じで進んでいきました。

―その中で、大変だったことはありました?

森本 夏の農薬散布ですね。防護マスクとゴーグルつけて、なおかつその農薬が入ったタンクを背負って、ビニールハウスの中を歩いて撒いているので。「今まで、山田さんたちがこんな仕事やってたんだな」ってだいぶ大変に思いました。

―逆にフルタイムのスタッフになって良かったところはありますか。

森本 給料上がっちゃったことですかね(笑)。

山田 はははは(笑)。

森本 まあ、ただ、頑張りが認められたから、上がったのが嬉しいんです。頑張りがちゃんと形になって。

―そうですよね。ちなみに……お給料が増えた分は、どんなふうに使ってるんでしょうか?

趣味とか飲み代に減っていってますね(笑)。

―では今度は、山田さんが見てきた、森本さんの一般就労への流れを教えてください。

山田 そうですね。今回、潤さんに関しては、一般就労で他の会社にいかれた方とは行程がちょっと違うんですが、一般就労に向けて「こんなことをやっていきましょう」っていうかなり具体的な計画を作らせてもらいました。

もちろん、あぐり工房土屋にとっても初めてのことでしたし、僕も初めてで。1年ぐらいの計画として、「この時期にはこれぐらいの仕事ができていてほしい」「次の段階ではこれぐらいの業務ができている予定」っていう、1ヶ月単位での明確な目標を作成しました。

達成すると所属する作業グループが変わり工賃配分が上がるというステップアップの行程を作ったんです。

というのも、潤さんに求める業務は、正直なところ、本人の負担になる点もあったので、気持ちが折れてしまうのが僕たちは怖かったんです。なんとか本人の気持ちを保ち続けてもらうためにも、潤さん自身のモチベーションを崩さないようにーーその時に、やりがいとして、目にみえる形として、“お金”の存在がありました。

―あぁ、なるほど。

山田 それは「しっかり働いて、仕事がたくさんできるようになったら、お金って稼げるんだよ」っていう当たり前のことを伝えていただけだとは思うんですけども。そういう当たり前のベースの上に、潤さんだからこそ、この目標を組んでいけたというか。そこからはトントン拍子、といった感じですかね。

―今回は、たくさんのスタッフが関わっていたと思うんですが、皆さんでどんなやり取りをされていたんでしょうか。

山田 基本的には、日々のスタッフ全員協力のもと、月一回の会議ですね。

今回は“プロジェクト”として進めていたので、現場のスタッフが主になって、会議で「潤さん、次は◯◯していきましょう」とか「今、◯◯までできるようになってます」っていう報告をし合ったり、㈱アグリ―代表のの野呂一樹さんや管理者の井上早織さんに報告したり。その繰り返しです。

そもそも潤さんは、「いつ雇用しても大丈夫」というぐらいの仕事量を既にしていたんですが、新しい管理業務の部分はしっかり覚えてほしかったんです。「利用者さんとしてやってもらうには責任が重すぎるよね」という新しい仕事がいくつもあって、その中でも「管理業務をいかに覚えてもらうか」という点を重点的に計画に入れていました。

あとは福祉業界としてのルールや支援の仕方という部分も、スタッフの皆さんが指導してくれましたし、ビジネスマナーの部分も計画に盛り込んでいました。

CHAPTER6

「ここで就職できたらいいな」と思い続けてきた

利用者さんたちの“希望の星”へーー
「自分も頑張ったらこうなれるんだ」

山田 僕らからすると、潤さんの今回の就労への道のりは、成功事例なんですね。

しかも就労支援からスタートして、同じ場所で雇用までするっていうーーただ、これを他の人が来て同じようにやったからと言って同じことができるかというと、きっとそうはならない。潤さんだったからできたことで、周りの人との関わりや全てが噛み合ってここまで来れたんだなって思いますね。

―今回、このような形で一般就労までたどり着けたのには、何が成功の要因だったと思われますか?

山田 それはやっぱりーーご本人がずっと「ここで就職したい」と思い続けてくれてたことが大きかったですね。もちろん、僕らの支援との相性でそう思ってもらえたとは思ってるんですが、やっぱり本人の意志が一番大きく影響するのかもしれません。

もう一つはーーいやらしいかもしれないんですが、あぐり工房土屋がM&Aで土屋グループの一員になったことで経済的基盤の安心感が持てたことです。M&A以前は、最低限の人数で現場を回していましたし、正直なところ、自社での雇用は難しい現状でしたので、そこは本当に土屋グループになってよかったことです。

僕らが、土屋グループの一員になる時に「土屋になってからやりたいこと」を紙に書いたんですよ。これはおそらく事業所の全員がそれぞれ書いたと思うんですよね、「土屋になってからのビジョン」を。そこで僕は確か、「ある利用者さんを雇用してほしい」と書きました。だから、それが実現したなっていう感じですね。

―ずっと願っていたことだったんですね。

山田 そうですね。ただ、その一方で、土屋グループになる前に就労まで進めていきたかったーーという思いもありました。

でもいつになるかわからない。やっぱり僕らの思いよりも、“潤さんの人生”がありますし、20代っていう時間も本当に貴重ですので。そこは「潤さんの人生を考えたら、このままうちで就労するより一般就労で他の会社に勤めた方がいいんじゃないか」という葛藤も僕らの中にありました。

ですから、この「潤さんの就労プロジェクトがはじまる」ってなった時は、スタッフ全員が喜びましたね。僕らスタッフにとってはーー潤さんが利用者さんたちの“希望の星”になっていただけたらな、という思いもありましたから。「自分も頑張ったらこうなれるんだ」というような。

―そうでしたか。森本さん自身は、あぐり工房土屋で就職してーーっていうことはずっとご自分の中にあった思いだったんですか?

森本 そうですね。ここに通所して、4年ぐらい経ってから「ここで、就職できたらいいなあ」って思い始めた時期があったんです。それがずっと続いてやっと今叶ったところですかね。

―さっき仰った「ついにこの時が来たか」っていう(笑)。

森本 そうですね(笑)。

CHAPTER7

ずっとずっと、続けてきたこと

利用者から支援者になったからこそーー
「これからの目標」や「こんな存在でありたい」という強い思いとは

―利用者として働かれていた時と、今、フルタイムのスタッフになって、変わってきた部分はありますか?

森本 確かに責任が増えましたけど、気持ちは昔より楽にはなりましたかね。いや、「やっと職につけたな」って。

―それまでは不安もあったんでしょうか。

森本 やっぱりずっとB型(就労)が続いていた状態やったんで、いつ就職できるかなって不安がずっと続いてたんです。それがまあ、こうしてなくなったわけなんで。結構気が楽になりましたね。

―仕事の中では、どんな時に「嬉しいな」と感じられていますか?

森本 自分が利用者さんに仕事を教えて一人で出来るようになってもらえた時はうれしいですね。

―フルタイムのスタッフになられて、周りの友人や、利用者さん、スタッフからはどんな言葉をもらいました?

森本 皆さん「よかったね、おめでとう」ってすごい祝ってくれましたね。

―「これまでこういうところを大事に仕事をしてきた」、「こんなところを大事にしながら、野菜や人と関わっていきたい」というところがあったら教えてください。

森本 今まではあまりなかったんですけど。フルタイムになったわけですから、いろいろみんなに教えていく立場になったので、いろんな人らに合わせながら教えれたらなぁ、と。

―今、「こういうことができたらいいな」と考えられていることはありますか。

森本 まあ、今はまだパートなんですけど、ちゃんと段階踏んで、正社員になれたらな、と。それにはまずは免許を取って。

―配達ができますもんね。

森本 そうですね。

―仕事でのこれからの目標や、「こんな存在でありたいな」というものがあったら教えてください。

森本 山田さんみたいな農場長になれたらなって思います。

―ずっと一緒に仕事をされてきたんですもんね。

森本 はい。

―そんな山田さんに、お聞きします。森本さんが利用者から支援者になって、周りの方たちにはどんな影響がありましたか。

山田 もう目に見えてわかるのは、より一層、利用者の皆さんが頼るようになりましたね、「潤さん、潤さん」って。もちろん、今まででも利用者の中でのリーダー的な存在だったんですが。

ただ、支援員になったことで「もっと潤さんに甘えていいんだ」というような頼り方と言いますか(笑)、さらに人気者と言いますかーーお昼休みも「バドミントンしてくれ」とか、散歩に行く時は「一緒にいってくれ」と、潤さんばっかりモテてますね。そこが潤さんと利用者の方たちの関係で目に見えて変わったところです。
先ほども長所として言いましたけども、どんな状況でも、潤さんは誠実な支援をしますので。

一方で、僕の存在というのは農場長でもあり、管理者でもあるので、利用者さんから遠慮されることもあるんです。でも潤さんの存在は利用者さんにとっても、もう少し近くて、話しかけやすい存在だと思うんですよね。そうなると利用者の方は「山田さんは忙しそうだけど、潤さんがいるやん」なんて、みんな潤さんにいきますので、もう僕の出る幕はなくなった、と。はい、完全に奪われてしまいました(笑)。

―(笑)。森本さん、これから忙しくなっちゃいますね。ますます。

森本 はい。

山田 いつも潤さんの周りには人が3人ぐらいいますからね。

森本 そうっすね。

―森本さんにとっては、あぐり工房土屋スタッフはどんな存在だったんでしょうか?

森本 とにかく優しかったなと思いますね。もうずっとずっと接してくれたんで。それで、心開けてここまでこられたんで。

―今、毎日関わられている利用者の方へ、森本さんから何かお伝えしたいことやメッセージがあったら教えてください。

森本 続けてくことが大事かなって。自分もこうやってずっとずっと、続けていた結果、こうなれましたので。だからもう、みんなも諦めず、ずっとやり続けてくれたらな、って思います。

 


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