介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

中村有志

東海 エリアマネージャー

「人の心がいい方へ動く瞬間」をつくる喜び
「自分主体ではなく、相手ありき」という考え方

 《interview 2022.10.01》

ホームケア土屋 東海でエリアマネージャーとして活躍する中村 有志。入社して1年。中村は、東海地域での様々なニーズに応えながら、常に「はじまりの場所」に立ち、福祉サービスを切り開いてきました。
会社が、自身が、新しくあるために。1人の声に耳をすまし、人との出会いから仕事を創ってきた中村の想いと動きに迫ります。

CHAPTER1

山あり、海あり、多様なニーズに溢れる東海エリアで福祉の総合的支援体制を構築する

中村が働くのは「山間部もあり、海もあり、人口も多く、さまざまな福祉のニーズに溢れている」という東海エリア。

2021年の入社後は、愛知でアテンダント/コーディネーターとして勤務し、同年の10月にはホームケア土屋 高崎の管理者として群馬へ向かいます。

中村「群馬・高崎事業所の立ち上げのタイミングで管理者のご依頼を頂き、群馬での生活がスタートしました。

開設当初は毎日、地域の方々を訪問してパンフレットと名刺を渡し、『重度訪問介護事業所を始めました』と周知活動をしていました。

ところが、行く先々で『重度訪問介護(重訪)って、聞いたことはあるけど……よくわかりません』と言われ、その場で重訪の説明をすることがほとんど。『まずはこのサービスを知ってもらわなければ始まらない』というのがその時に感じたことです。

地域の相談員やケースワーカーさんに参加を募り、オンラインで重度訪問介護の説明会などを企画したり、とにかく重訪を知ってもらう為にいろんなことを試していました」

その後、中村は東海に戻りホームケア土屋岐阜の管理者を兼任しながら現在は愛知・静岡・岐阜・三重4県を跨ぐエリアマネージャーとして活躍しています。

中村「2021年の暮れに東海に戻ってきてからは、事業部のマネジメント業務や面接なども行いながら、直近ですと名古屋でデイサービス(デイホーム土屋 名東)の立ち上げや、重訪の新規事業所の申請業務を担当したり、最近では入社前の統合課程研修の講師などもさせて頂いてます。

東海エリアは、重訪の事業所以外にも訪問看護ステーションや就労継続支援B型事業所、前述のデイサービスもオープンしましたし、多業種・他機関とも連携し、福祉の総合的な支援体制を構築している最中です。

今、困っている方は勿論、これまで対応が難しかった困難な支援にももっと目を向けていけるよう進めています」

エリアに留まらず、業種を横断し、多岐に渡る業務を並行して進めてきた中村。マネージャー職という立場になって学んだことも多いと言います。

中村「どちらかというと性格的には仕事も一人でどんどんのめり込んで進めていくタイプなのですが、東海に戻ってきた頃に自分のキャパの狭さに気付き、『これは誰かにお願いしないと仕事が間に合わない』という状況に直面しました。

もともと仕事を人にお願いするのが苦手でしたが、思い切っていろんな人に頼み込んで助けて頂きました。その時、『周りに人がいて人に助けられるってこんなにありがたいんだな』と強く感じましたし、自分単体ではなくチームとして仕事が回り進み始めていることがとても嬉しかったです」

CHAPTER2

自由人だったこれまで。就職して強く自覚した「人の心がいい方へ動く瞬間」をつくる喜び

三重県で生まれ育ったという中村。小さな頃から好奇心旺盛で、さまざまな分野に興味があったといいます。

中村「田舎育ちだったのが影響してか、外の世界に凄く興味がありました。一人旅が好きで、10代の頃はインドを旅したり、寝袋だけ持って原付で日本一周したり。

一人旅をしていると、災害に巻き込まれ動けなくなったり、色々なトラブルを自分一人で解決しなければいけない場面と日常的に遭遇します。インドではスリにも遭いましたし、なぜか詐欺師にも間違えられました(笑)。

そういう経験を通して自分がスキルアップをしていけることも一人旅の醍醐味ですし、行ったことが無い場所に行く時のワクワク感が昔から好きでたまりません。お金は全く無かったですが(笑)」

中村の“自由”を支えていたもうひとつの軸が、中学生の頃に出会ったという音楽。10代でバンド活動をスタートさせます。

中村「バンドマンの友達や関係者との繋がりで紹介してもらった仕事をしたり、バンドでCDを出して日本各地をツアーで回ったり、音楽をやりながらいろんな仕事をして、少しお金が貯まったら1ヶ月ぐらい旅に出て、また無一文になって帰ってくるーー10代~20代の前半はずっと“その日暮らし”のような生活をしていました」

音楽活動を続けながらライブハウスで働いていた中村。偶然をつかまえるように、人と出会いながら、緩やかに自身の仕事をつくっていきます。

中村「当時働いていた名古屋のライブハウスのオーナーが、『何か自分でやりたいことをやってみたら』と言ってくれて、ライブハウスの隣に空いていたテナントをお借りして雑貨店を経営していたこともあります。そこで地元バンドやツアーバンドのCDを委託販売したり、メニューを考えてフードを出したり。バンドマンやお客さんの憩いの場という感じの“何でも屋”でした」

自由な心を持った仲間に囲まれ、D I Y精神を培ってきた中村は、雑貨屋を5年ほど営んだ後、27歳で「一度、どこかに就職して生活してみよう」と思い立ちます。

そして、知り合いが立ち上げたサービス付き高齢者向け住宅のオープニングスタッフとして、初就職。

中村「福祉介護の分野はそれまで全く経験してこなかった仕事だったのでとにかく新鮮で、手探りで学びながら働くことがとても楽しかったです。

就職してより実感したのは、自分は組織の一員であり、チームの一員であるという考え方。自分個人のプライドじゃなくて、仕事そのものにプライドを持ってやれることが誇らしかった。

それまではどちらかというと個人の考えで行動をしていましたが、就職して介護の仕事そのものの面白さや、今までと全く違う世界で仕事ができることに凄くやりがいを感じて。仕事に向き合う姿勢が変わりました」

「元々、人に喜んでもらうことが好きだった」という中村。それをはっきり自覚させてくれたエピソードがあります。

中村「地域の花火大会を妻と一緒に見に行って凄く感動したんです。その時ふと、『自分が勤めている施設の利用者さん達は、もしかしてこの先ずっとこういう花火を見られないのかな』と思ったら、『なんとしても見せてあげたい!』というエゴ全快の気持ちに駆られてしまって。

私は施設の夏祭りの実行委員長だったので、早速その翌日、社長に『夏祭りの花火の予算を出してほしい』と稟議書を提出し頼み込み、かなりの予算を追加で出して頂けたんです。

市販の打ち上げ花火を予算分買って、消防の許可も取って、当日は屋上に花火をセットして、音楽を用意して、男手を集めて段取りを組んで。

夏祭りのクライマックスに利用者さん達を外に連れ出して、打ち上げ花火を行いました。

終わった後に利用者さん達が集まって来て『この年になってこんないいものが観られると思わなかった』『生きててよかったよ』と、泣きながら言って頂けたんです。興奮のせいか、その夜は皆さん覚醒されたようで、夜勤者さんから翌朝『大変だったよ』と申し送りがありましたが(笑)。

でもその時にはっきりしましたね。こうやって喜んでくれる、感動してもらえる、人の心がいい方に動く瞬間を見ることが改めて好きなんだな、と」

とはいえ、それを<仕事>として捉える時、中村独自の視点が見えてきます。

中村「人に何かをしてあげたい、人に喜んでもらいたい、というのは、自分のエゴのような気もします。仕事は相手あってのこと。『こうしたら相手は喜んでくれるだろう』と考えてした行動が、一方通行になってしまうこともありますから。

でもその上で、この部分は自分にとって本質的に変えられない部分だとも思います。やってみて失敗したら、また喜んでくれることをしつこく考えます(笑)。

今思えば、バンドもお客さんありきですし、相手がどうしたら喜んでくれるのか、驚いてくれるのか、心を動かす事ができるのかを常に考えているので、シンプルにそれが楽しくてずっとやっているのかもしれませんね」

CHAPTER3

誰もが不安と隣り合わせの支援現場で、安心という空気感をつくる

4年ほど勤めた高齢者向け住宅では、裏方として事務や企画に関わっていた中村。「今度は介護現場を経験したい」と、有料老人ホームに転職します。

老人ホームでは夜勤専従として働きながら、日中の時間を曲作りやHP作り、動画の編集等、自身の勉強のために使い、充実した時間を過ごしました。

「独立して仕事を始めよう」と老人ホームの退職を決めたその翌日、前職で一緒だった信頼する方から連絡があり、既に土屋で働いていたその方から「一緒に働きませんか」という誘いを受けます。

2021年6月、株式会社 土屋に入社。

アテンダントとしてスタートした中村は、介護経験こそあったものの、医療的ケアや重度訪問介護は未経験。初めて重訪の支援現場に入る前夜は眠れなかったと言います。

中村「支援初日の前夜はとにかく不安で、一晩中、喀痰吸引(痰の吸引や経管栄養等の医療的ケア)の手順動画を検索して朝までずっと見ていたのを覚えています。

いざ初日の支援に行ってみると、同行してくださった先輩アテンダントからは丁寧に仕事の流れを教えて頂きましたし、ドキドキしている自分に、『とにかく安心できる声掛け』を行なってくださいました。

回数を重ねるごとに不安は少なくなっていき、だんだんクライアントの状態を把握したりコミュニケーションをとって『関係性を築く時間』がつくれるようになってきて、クライアントからありがたいお言葉をいただけた時なんかは、本当に飛び上がるぐらい嬉しくて、毎日が充実していました」

『自分が教える立場になった時には、先輩アテンダントのように安心感を与えられる存在になりたい』という想いが自然と湧いてきた中村。

中村「重訪は一対一の支援です。長時間その方のお宅で過ごすので、独り立ちした後は、『何かあった時に、横に誰もいない』という不安と常に隣り合わせ。

だからこそ、上長や担当コーディネーターと『すぐ連絡が取れる体制』を整えなければいけませんし、アテンダントが不安な気持ちにならないよう、関係性が希薄にならないよう、コミュニケーションを密に取ることを意識して取り組んでいます」

関係性や横のつながりの中で仕事をしてきた中村。エリアマネージャーとなった今、彼が考えるコミュニケーションとはどんなものなのでしょうか。

中村「先輩アテンダントに学んだ『安心感を与える』ということを今も意識しつつ、『どうすればその人が良い方向に向かっていくかな』を考えながら、励まして、励まして、『大丈夫だよ!全然いけてる!』と自信を持ってもらうよう後押ししていくのが自分の基本スタイルですが、臨機応変さも必要ですし難しい部分ですね。

失敗して落ち込んでしまっている方とは、直接会って話して、ご飯を食べて。『こうしてみたらどう?』『自分もこんなミスしたよ』、と真剣に、時に失敗談を笑いながら話して、『元気が出ました!明日からまた頑張ります!』って言ってくれたら、『よっしゃー』という感じですね」

音楽という目に見えない空気感を奏でてきた中村ならではのサポート。そんな彼の人柄に惹かれ、土屋へ入社したメンバーもちらほら。

中村「私に惹かれてではなく、私がその方達に惹かれて声をかけて入社してもらった流れです。いつも助けてもらって感謝しかないです。」

CHAPTER4

クライアントの人生をダイレクトにサポートする。この仕事に必要な「自分主体ではなく、相手ありき」という考え方

これまでも、中村は人と出会いながら手探りで仕事をつくってきました。

その姿勢と地続きに、重訪の仕事で彼が大事にする「いかにその人の立場に立てるか」という視点があります。

中村「重訪の仕事は、クライアントの人生そのものをダイレクトにサポートするという仕事です。クライアントのお宅に訪問して一対一で長時間支援をするという点でも、重訪はとても特殊な仕事。

クライアントの視点に立ってみれば、いくらアテンダントといえども、<長時間、他人を自宅に招き入れて、自分のトータルケアを任せる>というのは相当な信頼関係がなければ、クライアントにとっては不安でしかありません。

支援中はその都度クライアントが何を考えているのか、何を求めているのかをキャッチして、自分主体ではなく相手のことを常に考えて行動し、まずは信頼関係を築いていくことがこの仕事では何より大事なことです。

また、重訪はよく施設介護と比較をされます。慌ただしく多数の方の支援をすることに疲れてしまった施設経験者の中には、この仕事と出会い、クライアントと一対一でしっかり向き合って支援ができる部分に『これだ!』とやりがいを感じてくださる方も非常に多いです。私自身もそうでした。そんな想いがある方には、本当にマッチするお仕事です」

一方で、難しい点もあると言います。

中村「重訪では、1人のクライアントに複数名のアテンダントが関わることも多いです。一対一の関係性を構築していく過程で、その関係性に入り込んでしまうこともある。

クライアントの長い人生を考えたら、『誰が支援に入ってもみんな同じ支援ができる』、これが理想ですが、人対人なので共依存も起こりやすい。だからこそ独りよがりにならずにチームで動いているという意識が何より必要なお仕事ですね」

2020年8月、約700名からスタートした株式会社 土屋は、2022年7月には従業員数2000人を超えました。

中村「土屋には、学歴や職歴・国籍・障害のあるなしに関係なく、様々な背景、経験を持った方が働いています。

私自身、採用面接をしていても、いつも『なるほど』『面白いなー』と聞き入ってしまうぐらい、1人1人に個性や背景があってとても興味深い。

いろんな方が介護業界に集まり『お互いの個性』として認め合えたら、自然とお互いを尊重し合え、寛容さも生まれる。

私も全く畑違いの世界からこの業界に来てワクワクしたように、お互いに『いい刺激を受け合える関係性』をどんどんつくっていきたいです」

“はじめに人ありき”と語る中村にとって、まだ見ぬクライアントの声に耳を傾け、多くのアテンダントと出会い続けることは、一旦、自分の中のものさしを手放し、常に新鮮な眼差しで仕事と向き合い続けるために必要なことなのかもしれません。

中村「土屋は、いろんな業界を跨いで『福祉業界』というフィールドにとらわれず、新たな挑戦を続け、想いを形にする力のある会社。多様性を持って皆で社会的課題を解決していくーーそこがこの会社の大きな魅力です。

仕事を通して自分の可能性も広がるし、会社自体が可能性を広げどんどん大きくなっているので、これからどうなっていくのか楽しみです」

会社の未来にワクワクする、と話す中村。最後に、これからどんな方と仕事を共にしていきたいかを尋ねました。

中村「何か問題が起きた時、『ダメだな、この会社』と後ろを向いてしまうのではなく、『じゃあ、どうすれば会社を、この環境を良くしていけるのか。こうすればどうだろうか?』と自発的に『良くしていこう』と考えられる人が周りに多く、そういう方達は本当に宝だなと感じます。

あとは自分自身の目標を持って、その目標に向かっている人。土屋に入社してから、そんな想いで働くアテンダントの方にたくさん出会いました。

私自身、まだまだわからないことだらけで、とにかく日々勉強と思って働いていますが、不安になる事もしばしば。でもそういう想いを持っている方たちと出会い一緒に働いていけることは、組織が活性化していくし、自分にとっても周りにとっても良い刺激になる。私もいつも奮い立たされています」

出会う人や広がっていく事業を未知の可能性として捉えれば、ワクワクする未来は限りなく広がるーー。誰もが安心して生きていける共生社会の創出を目指し、10年後、100年後を見つめながら、その時代、その場所に必要なサービスを届け続ける株式会社 土屋。

あなたも、その一員になって、ひとりの小さな声に耳を傾けてみませんか。


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