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植松聖

大阪 オフィスマネージャー

クライアントの生活をより良いものにできるよう、支えていける。そこが重訪のいちばんの魅力。

 《interview 2022.08.20》

2020年、これまで働いてきた金融業から転職し、未経験から介護の仕事をスタートさせた植松 聖。「目の前のたった1人の幸せをみんなで考える」−−1対1という関わりの中でクライアントの生活を支える<重度訪問介護>という介護のかたちと出会った植松が、クライアントの生活に入りながら、オフィスマネージャーとして働く今を紹介します。

CHAPTER1

「会社都合で働かされない仕事って?」を考えた時、思い浮かんだ介護の仕事

生まれも育ちも大阪、という植松。
大阪の中でも畑や田んぼがある自然豊かな地域で育ち、「川や田んぼで遊ぶことが多かった」という、わんぱくな幼少期を過ごします。

中学では陸上部に所属。高校・大学進学の際には、一校を受験し、そのまま合格・入学したというエピソードを持つ植松は、両親からは今も「手がかからない子どもだった」と言われるのだそう。

自身の道をコツコツと、真っ直ぐ歩んできた植松。大学では経営学部へ進みます。

植松「元々、数字や数学が好きだったので、大学に入ってからは企業会計研究会という簿記をするクラブに入っていました。まわりからは『それ、何?』ってよく言われるんですけど(笑)。大学に入った当初は、税理士とか会計士になれればいいなと思っていたので、そのために簿記の資格を取りました。

クラブ自体はそんなに厳しくなかったので、普段はゆるっと集まって勉強しながら資格を取って、あとは騒いでいるだけ(笑)。資格を持っている上級生に教えてもらったり、こじんまりと活動してましたね」

マイペースに大学生活を楽しんでいた彼が、その後進んだのは。

植松「卒業後は、漠然と金融系に就職したいな、と考えていました。金融系と言って最初に思い浮かぶのは銀行や証券会社ですが、そのふたつは業界としても完成されている感じで、なんとなく面白くなさそうで(笑)。最終的に就職を決めたのは、まだこれからの業界だった投資会社でした」

2003年、植松は、金(ゴールド)の売買を行う投資会社に営業職として就職します。

植松「わかりやすく言うと、お客様に金(ゴールド)を購入してもらうんですが、その後に金が値上がりすれば会社にとって得が出ますし、値下がりすれば損失が出ます。証券会社の株の売買と近いです。

入社して最初の5年ぐらいはがむしゃらに働いていたんですが、その後は『この仕事、続けていていいのかな』という思いがずっとありました。それは職務内容もそうですし、働いている環境もそうだったんです」

植松は「もしかしたらこの仕事は、自分が働くほど、人を不幸にしているんじゃないか」という思いが拭えなかったと言います。

植松「お客様に100%儲けていただきたい思いで、売買の提案ができていたなら続けていけたんです。でも、会社の収益を上げないといけないから、自分の本意ではなくてもお客様に売り買いを勧めることがかなりあった。お客さんのことは二の次、会社都合で話を進める会社でした」

営業職という職種も、植松が働く環境に追い討ちをかけます。

植松「営業なので数字次第というか、どこまでいっても『ここでOK』みたいな基準がない。平日は朝7時には出社して、家に帰るのは22時過ぎ。土曜日も当然出社する。売上が悪い時は日曜日も働く。社内は『なんで休んでるの?』みたいな雰囲気だったんですよ」

自身の思いと会社の方向性が乖離していきながらも、17年という歳月が過ぎていきます。転職のタイミングは2019年。

植松「2019年にその会社自体が不正会計で半ば倒産するような形になりました。そのタイミングで転職せざるを得なくなって。会社自体は別の会社に吸収合併されたのでそのまま移ることもできたんですが、それは断って自分の力で転職しようと思ったんです」

そして、さっそく転職活動を始めた植松。

植松「前職が営業だったので、最初は同じような営業職を探していました。でも、営業職となると、どこも利益を求めないといけないので『結局、どんな仕事も最終的には会社都合になっていくんだろうな……』という葛藤がありました。

その中で、義父が介護が必要な状況になって介護職の方と触れる機会があったんです。そこで『介護はどうかな』という思いが芽生えたのと、介護は今後もなくならない業種だし、何よりやればやっただけ喜んでもらえる仕事だ、と。そう思って転職サイトを見ていたら、同じように金融系の会社から介護職へ転身した、ある先輩の声が載っていたんですよ」

CHAPTER2

クライアントとの出会い。変容していった支援と、仕事の在り方

すぐさま、植松はその先輩に連絡を取ります。

植松「先輩から『介護業界に興味があるなら、初任者研修という資格を取っておくといい』と聞いたので、資格の取れる教室を探しました。でも当時はコロナ禍で、どこも開校していなかったんです。たまたま電話した教室から『今、一人空きが出ました。今日、入学を決めてくれるなら席を取っておけます』と言われて。もう行くしかない、という感じでその場で入学を決めました」

介護職の基礎となる知識や技術を習得できる初任者研修を修了した植松は、その後、満を持して株式会社 土屋の面接へ。介護未経験ながら、これまでの営業職の経験を買われ、2020年9月、キャリア採用として大阪事業所に入社します。

植松「実際にキャリアアップしていけるかはやってみないとわからない状況でしたが、面接の際にも、キャリアアップのルートがあることは聞いていました」

土屋ではどんな経歴を持っていたとしても、メイン事業である重度訪問介護(重訪)の支援現場に入るところから、そのキャリアをスタートさせます。いわば、肩書きではなく、1人の人間として、1人のクライアントと出会う瞬間。そこで植松が感じたことは。

植松「最初に関わったのは脳性麻痺の方で、体は痩せていて、拘縮(関節を動かす機会が減少した結果、関節が硬くなり、動きが制限された状態)がある方でした。

これまで私は病気や障害を持つ方と直に接することがなかったので、失礼を承知で正直に言ってしまうと、お体の状態にショックを受けました。その方はいわゆる『発語はない』という状況で、ご自身からは『あー』『うー』という声で、なんとか新人の私にご自身のことをどうにか伝えようとしてくださっていた。その声を聞いて『必死に生きてらっしゃるんだ』と感じたんです」

日々、クライアントの生活に触れながら、植松は「結局のところ、僕が障害や病気をすべて理解することはできないだろう」と頭では考えながらも、体で知ろうと試みます。

植松「例えば、A L S(筋萎縮性側索硬化症)の方だったら、全身の感覚は残っていても、病気の進行によっては発症前のように筋肉を使えません。筋肉を動かさないってどういうことだろうと思って、寝る前にベッドの中でじっとしてみたことがあるんです。僕は数分でしんどくなりました。

クライアントの中には弱音を吐いたことがなくて、『いつかは絶対治るんだ』という思いで闘病されている方もいます。私がもし同じ病気になった時、そんなふうに思えるだろうか。それが自分の正直な思いでした」

植松は現場の経験を通して、これまで出会ってこなかったいのちの在り方と向き合っていきます。

あるクライアント宅では、“支援”という仕事の在り方についても考えさせられた植松。

植松「仕事をスタートした頃は何もわからないし、クライアントからの要望も多くて。どんどんやらないと支援が回らなかったので、とにかく早くやり方を覚えて、手が空いたらパッパッと進めていたんですよね。

その姿を見て、クライアントやご家族の方が私に対して『冷たい人だ』と感じることがあったんだと思います。ある時、そんな話になったんです。たわいもない雑談をしていた時に『これまで植松さんは冷たい感じで、事務的で、近寄り難かった』と言われました。私自身は心を開いていたつもりだったんですけれど。

そのことがあって、いわゆる“支援”だけをやっていればいいんじゃないな、と気付かされました。それからは、ケアがクライアントのプライベートにもっと近づいたものになっていったんです。いちばんの変化は、クライアントが私を信頼してくださるようになったことです。それまではプライベートの空間ややり取りはご家族が応対されていたんですが、その会話を機に、クライアントの男性がご自身のタブレットで彼女とラインのやり取りをする際に『彼女へラインを送るから、文字の入力をしてほしい』と言ってくださるようになりました」

CHAPTER3

必要な人にサービスが行き届いていない現状。重度訪問介護を、希望する全ての人へ

2021年1月、大阪事業所のオフィスマネージャーとなった植松は、現在も週に3回ほど支援現場に入っています。異業種から転職した彼が感じる、重訪の魅力とはどんなものなのでしょうか。

植松「クライアントの生活をより良いものにできるよう、支えていける。簡単に言ってしまうと、そこが重訪のいちばんの魅力だと思います。

ひとりのクライアントごと、1人1人の違った生活の中に入っていくので、距離の取り方は正直、難しいです。先ほどの話のように、支援を進めていけばいいと思っていたのがそうではなかったということもありますし、逆に『あまり踏み込んでこないで欲しい』という方もいらっしゃるとは思いますから。

でも、重訪の1対1の関係と、クライアントの家を訪問し生活に入れてもらえることは、その難しさを超える魅力があります。当然、僕らは家族まではなれないんですが、打ち解けて、たわいもない会話ができる関係をつくっていくことが仕事であるのはとても楽しいです」

「クライアントの方と週1回、車椅子に乗って家から数分のところへ散歩に行くんです。『今日も散歩に行けた』という喜び。『今日もこれができたね』って言ってもらえることがすごく嬉しい」と語る植松。

植松「これまで関わったクライアントの中には『次の日を迎えられるかどうかわからない』と仰る方もいました。その方が、朝、目が覚めた時に感じる『今日も無事に朝を迎えられた』という感謝の気持ちについて話してくれたことがあります。支援現場に入ることで、そういう『普段の何気ない日々を送れていること』に対する感謝を改めて教えていただいて、じわじわ実感しています。

僕があたりまえだと思ってきたことは、あたりまえじゃなかった。極端に言えば、今の僕には日々、生きてることへの感謝があります」

その姿勢は、仕事に、そして日々に活きています。

植松「感謝の気持ちを持つことは支援現場でもそうですし、仕事全体で心掛けていることです。例えば、クライアントやアテンダントに対しても『やってもらって、すみません』と言うパターンと、『やってもらって、ありがとうございます」と言うパターンがありますが、できるだけ『ありがとうございます』と感謝の気持ちを持ってそれを伝えることを大事にしています」

重訪と出会い、3年目を迎える植松。「まだ経験が浅いので、まずはマネージャーとして事業所の運営を、併せてこれまでの営業の経験を活かして重訪というサービスを広めていきたい」とこれからを語ります。

植松「先日の社内研修で、日本の全人口のうち、障害や病気をお持ちの方が13人に1人はいらっしゃると聞きました。でも街なかではそんなふうに感じないですよね。そういう方々が街なかで生活するにはまだまだ障壁が多くて、たとえば外に行きたいけれど行けていない方もいっぱいいるでしょうし、希望していても在宅で生活できてない方もいると思うんです。

オフィスマネージャーになってからは、採用の面接や新規のクライアントの支援現場にも行くようになりました。新しいアテンダントやクライアントと出会うようになって見えてくるのは、必要としている方に重訪のサービスが行き届いていない、という現状です。大阪事業所だけを見ても、クライアントの依頼を全部受け入れられているわけではありません。だからこそ、希望する全ての方にサービスを届けられるようにしたい。これから、その声をどんどんどんどん拾っていける形を整えていきたい、という思いがあります」

オフィスマネージャーとしてのこれからを、静やかに平々と語る植松。異業種からの転職を考える方へ、植松が贈るメッセージは。

植松「介護未経験だと『自分に出来るかな』という不安があります。その中でも特に重度・医療ケア・訪問となると更に不安は大きくなりますが、土屋には現場で使える実践的スキルを学ぶ研修やケアカレッジという事業等、しっかりフォローできる体制がありますので、やる気がある方は不安に負けずにどんどんチャレンジして欲しいです。

クライアントやご家族と誠実に向き合い、1つ1つのケアを丁寧にやって下さる方と一緒に働いていきたいですね」

最後に、転職をきっかけに変わったという自身の生活について尋ねました。

植松「結婚して15年になりますが、妻からは『余裕ができたね』とか『明るくなった、元気になった』って言われてます(笑)。前職は常にストレスを感じていたし、帰って寝るだけの生活でしたから。そう考えると、今、妻と二人で暮らしていることが、幸せといえば幸せかな」

重訪と出会い、今を生きるいのちと、日々から生まれる喜びと向き合ってきた植松。

彼が身をもって知った「たわいもない日常」は、一対一という関係性の深淵さと、クライアントの日々の喜びを見つめる仕事の在り方とつながっています。

まだ見ぬクライアントの、ひとりでも多くの声に応えるために−−

株式会社 土屋で、植松のミッションはまだまだ始まったばかりです。


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