介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

徳本和美

徳島 管理者

「家で暮らせる」を支える。人生に寄り添う仕事を、徳島の地に根付かせていく

 《interview 2026.10.01》

子どものサッカーをきっかけに、さまざまな人との出会いや経験を重ねてきたという徳本和美(とくもとかずみ)。
現在はホームケア土屋徳島で管理者を務め、アテンダントの調整や、クライアントとそのご家族、関係機関との連携に加え、自ら現場にも立っています。
重度訪問介護の仕事を通じて実感したのは、住み慣れた自宅で、その人らしく暮らし続けることの大切さ。「人の人生に寄り添える仕事」と語る彼女が、これまでの歩みや仕事への思い、そして徳島で目指す未来について語ります。

CHAPTER1

この場所を守ることが、誰かの毎日を支えている

休日の過ごし方と、最近気になる健康習慣。

-ホームケア土屋徳島はどちらにあるんでしょうか。お住まいもお近くですか。

徳島県徳島市です。
私の出身はその隣の小松島市で、今も住んでいます。

-仕事されているエリアは、どんな地域ですか。

仕事をしている徳島市は、徳島県の真ん中あたり、海や川に囲まれたエリアです。
小松島市は、徳島市のお隣ですが、けっこう静かなところですね。

ちょっと過疎化も進んでいるかと思います。
自宅から事務所は、混んでなければ10分か15分ぐらいで行ける距離で、そんなに遠くはないです。

市街地にもアクセスしやすくて住みやすいかなと思います。

-そうなんですね。ホームケア土屋徳島の働き方はどんな感じなんでしょう。

ここは重度訪問介護・居宅介護の事業所で、徳島市を中心に、障害や難病などで支援が必要な方のご自宅に訪問し、日常生活のサポートをしています。

利用されているクライアントは現在13名、アテンダントはおよそ20名がローテーションで勤務しています。
働き方としては、アテンダントは、訪問先に直行直帰で、事務所に来ることはほぼないですね。

私は管理者の業務があるので、事務所や自宅で事務仕事をしていることもあれば、現場の支援にも対応しているのでいろんな場所に行っています。

-徳本さんが土屋に入社されたのはいつ頃ですか。

令和5年の6月ですね。なので、3年2ヶ月経ったところです。
管理者の仕事は、去年の7月からなので1年くらいです。

-今現在、徳本さんはどんなお仕事をされているんでしょう。

アテンダントとして現場に入りながら、管理者の仕事をしています。管理者としては、勤務シフトを作るなど、アテンダントの配置や訪問にまつわる諸々の調整をすることが大きな役割ですね。

そして、クライアントやご家族との連絡。ご要望をうかがったり、困りごとがあれば対応します。

ほかにも、ケアマネージャーや相談員などの外部の方との連携も取っていきます。
連絡を入れたり、書類をつくったりという事務作業も多いですね。

-現在は、訪問して現場に入ることは少なくなっていますか。

少なくはなっていますけど、ゼロではないです。
短時間の訪問介護の場合など、管理者の事務作業の時間と組み合わせながら、週1、2回、私が固定で入っている現場もあります。

あと、私が持っている資格が役立つ現場も時々あって、そこは積極的に入らせてもらっていますね。

-そうなんですね。それはどんな資格なんでしょう。

「全身性障害者ガイドヘルパー」といって、四肢麻痺や筋力低下などの、車椅子を利用するような全身性の障害がある方の移動支援に関する資格です。

ホームケア土屋徳島では、通院の介助や、その他の外出中の介護のニーズにも対応しています。
なので、クライアントさんの要望によって、その資格を持つ私が出動する、という感じです。

土屋に入る前から障害者福祉には関わっていたので、その頃に講習を受講して取得しました。
過去に勉強したことは、今の仕事にもいろいろ活かされていますね。

-なるほど、ありがとうございます。ではここで、ちょっと話題を変えて、プライベートの近況を伺えればと思うのですが、最近取り入れている日々の習慣やマイブームなどはありますか。

「健康」ですね。
今、健康にはとっても気を付けています。

夜にビールを飲むのはもう控えて、アルコールは週末だけにしてね、疲労回復効果があると聞いてクエン酸を飲んだりとか、ビタミンのサプリを飲んだりとかして…。

あと、とにかくこまめに水を飲んでいます。
もうちょっと減量しなくちゃなんですけど、年齢的に痩せづらくなっているのでね、どうにかしたいな、みたいな…。

-私も大変耳が痛いんですが…。具体的な努力をされていて、素晴らしいですね。その中で、とくに気に入っている習慣などありますか。お気に入りのアイテムなど。

いや、でも、これはまだ半月前ぐらいから始めてるもので、サプリも飲み始めて日が浅いんです。
知り合いで、「すごく肌が綺麗な看護師さんがいて、何か飲んでるの?って聞いたら、これらしいよ」って教えてくれた方がいて。

その方と私も、早速購入して飲み始めました。

-もうそれは、間違いない情報ですね!効果を楽しみに。

そうですね。

-お休みの日はどんなふうに過ごされていますか。

私自身はこれっていう趣味はないんです。
もう成人している子どもがいるんですが、フットサルをしてるので、徳島でのリーグ開催の時は見に行ってますね。

あと、その練習動画を見たりとか。

-技とか、フォーメーションとか、極めていくと、いろいろ専門知識が必要な世界ですよね。

そうですよね。
でも、私は全然知識を極めるつもりはなくて。

極めたらもういろいろと審判に対して腹が立ったりするんだろうなと(笑)。
なのでルールも細かくは知らないです。

ただ、昔からずっと見ているので、チームの全体的な雰囲気は感じたり、チームメイトに対して「あの子うまくなったな」「今日は惜しかったな」みたいな感じはわかります。

-チームのサポーターでいらっしゃるってことですよね。
そこまでいいものじゃないですけど。楽しいですね。

事務所からの風景・徳島市の真ん中にある眉山

CHAPTER2

子どもと一緒に飛び込んだ、サッカーの世界

阿波踊りの太鼓が鳴る街。サッカーを通じて人の輪が広がった。

-これまでのお話を少し伺えればと思います。子ども時代はどんなお子さんだったんでしょう。

小さい時は、動きは活発ですけど、おとなしい感じの子でした。
近所に男の子しかいなかったので、一緒になって外でいろいろちょっと危険な遊びもしていましたけど、基本的にはあんまり自己主張しないようなタイプだったと思います。

小学校はすごく人数が多い学校だったので、逆にもう近所の子しか遊ぶ子はいないみたいな感じで。

小学校に入ってからも、やっぱり女の子の友達は全然いなかったです。

-活発に外遊びをしてたんですね。

そうですね。
私の子どもの頃は、今みたいにゲーム機とかもなくて、遊ぶものが少なかったので、室内遊びをやってる子は少なかったんですよ。

とりあえずみんな外に出て、集まって遊ぶ、たぶんそんな感じでした。
凧揚げが好きだったのは記憶に残っていますね。

-生まれも育ちも徳島で、現在もお住まいのエリアとのことですが、地元のお気に入りは何かありますか。

うーん。ないんですよ(笑)。
自分では「何もないところだなー」って長年思ってきているので、難しいんですが、唯一、阿波踊りはやっぱり盛り上がりますね。

ちょうど終わったくらいの時期ですけど。徳島で何かって言われたら、阿波踊りですね。

-たしかに阿波踊りは大きいお祭りですよね。ご自身も見に行ったり、踊ったりしますか。

4日間開催されますが、昔は毎年皆勤賞でした。
その頃は踊っていたわけではなく友達とワイワイ楽しんでました。

子どもが小さい時には連(れん)に入って、一緒に踊っていた時期も少しだけありました。

でもちょうど同じ時期にサッカーを始めたので、両立は難しくてサッカーに絞りました。
阿波踊りは、練習も結構あるんですよね、週3回とか。

-年間通してですか。

そうです。年間通して、週3回練習。どこの連も多分そのぐらいだと思います。

-それはすごいですね。地元の本気度が伝わってきます。

なので、地元の風景といえば、夕方とか夜になると、橋の下とかちょっとした広場から、賑やかに太鼓の音が聞こえてきたりする風景。

もはやそれは本当に好きな人たちが個人的に練習してるのかもしれないんですけれど、太鼓の音って徳島ではけっこう日常的に聞くことがありますね。

-なるほど。それはおもしろい風景ですね、初めて知りました。では、これまでを振り返ってみて、ご自身を大きく変えたな、と思う出来事はどんなことでしたか。影響を受けた出会いはあったでしょうか。

私自身のことで、若い時の何か特別な出来事はちょっと思いつかないんですが、子育てのなかで刺激を受けたことはいろいろあったな、と思いますね。

娘が2人いるんですが、上が小6で、下が小3の時にサッカーを始めてから、日常がものすごく忙しくなったんです。

女子も入れる少年団チームで、練習の送迎だったりとか、試合の付き添いだったりとかがあって。
私は子どもと一緒にチームの活動にけっこう関わってきた方だと思います。

チームの指導者が私の地元の同級生だったので、気持ち的にも距離感が近い感じで、しょっちゅうみんなで集まったりもしていました。

子どもたちも、サッカーを始めたあたりからすごく成長し出したし、私もチームの活動があったから、人間関係が広がっていろんな経験をしてこれたかな。

だから、私が影響を受けた人は、サッカーで出会った人たちだと思いますね。

-女子サッカーなんですね。

そうなんです。
小学校は少年団チームで、中学高校はクラブチームで続けていて。

今現在、上の子が23歳、下の子がもうすぐ21歳になりますが、今もフットサルを続けているので、けっこう長いこと関わってきましたね。

私もずっとその世界にいます。

-それはすごいですね。思い出に残ってるエピソードはありますか。

今となっては、子どもたちに対して「あの頃ちょっと追い込みすぎちゃったかな」と思うこともあります。

親も一緒にのめり込むので、「もうちょっとこうしたらいいやん」みたいなことをつい言ってしまう。
本人は本人で考えてやっているので、今思えば言わなきゃよかったと思うんですけど。

そういう経験もすごく勉強になりました。

私自身のターニングポイントではないですが、サッカーを通じて子どもが大きく変わる瞬間に立ち会った記憶があって、それは強く心に残っています。

下の子が中学2年の時に新たに加わった指導者の方との出会いですね。

海外でずっと活躍されていた選手の方が怪我で辞めて国内に戻ってきていて、たまたま子どもたちのチームに指導者として関わってくれるようになったんです。

その当時の下の子は、サッカーは続けてはいたものの「遊びのほうが楽しい」という時期で、いつも練習時間ギリギリまで遊んでいて帰ってこないから、送迎するこっちがハラハラするくらいでした。

でも、その指導者との出会いで180度変わったんですよ。
すごく人格的にも素晴らしい方だったんですね。

もう、うちの子どもはその方の全てをリスペクトする、という感じで。

そこからは、1人で砂浜に行って、黙々と走り込みとかをして、帰ってきてご飯を食べて、また練習に…という「自主練の鬼」になりました。

あまりの変わりようだったので、逆に「遊ぶ時間も作らんと友達おらんくなるよ」って、そんな心配が出てくるぐらいでした。

-そんな真剣な気持ちにさせてくれる出会いだったんですね。

そうなんです。この指導者の方はすごい方でした。
私自身もその方から大いに影響を受けたと思います。

うちにご飯を食べに来てもらったり、親しくさせてもらいました。

そのすごさというのは、まず、自分の成功も失敗も、経験として包み隠さず話してくれること、いつでも同じ目線に立って対話をしてくれることでした。

私にも子どもにもです。そして、誰よりも努力すること。

本当にめちゃくちゃストイックで、山に走りに行ったり、自分を追い込むようなトレーニングを日々されているんです。

だからこそ、子どもも私もその方の言葉を素直に受け取ることができたんだな、と感じます。影響を受けた出会いというと、その方が思い浮かびますね。

次女の奮闘を見守る

CHAPTER3

「行ったらどうにかなるよ」その姿に教えてもらったこと

子育てをしながら始めた福祉の仕事。重度訪問介護との出会い。

-徳本さんは、お仕事はずっと福祉関係でいらっしゃるんですか。

子どもたちが保育所に通っていた頃はいつ休むかわからないので、ある程度融通がきく働き方をしていて、徐々に子どもの成長に合わせて仕事は変えてきています。

介護の仕事は、もともと潔癖症ぎみだったのでちょっと抵抗感があったんですけれど、母子家庭なので「もっといろんな仕事ができたほうがいいな」と思って、思い切って資格を取って勤め始めました。

最初に勤めた施設は、特別養護老人ホームですね。
でも正直なところ、その施設は自分には合わなくて、子どもとの時間も全然取れなくなってしまったので、長くは勤めませんでした。

それ以降は十数年、訪問介護一本です。

-福祉のお仕事を続けるなかで、心に残っている出会いはありますか。

土屋に入社する前に勤めていたところには、視覚障害のあるクライアントさんが多くいらっしゃいました。

中途失明の方がほとんどで、元気にバリバリ働いていたけれど病気で失明して、以前はできたことが突然できなくなってしまったという方々です。

どんな病気や障害でもそうですけど、自分の変化を受け入れられない方も、なかにはいらっしゃるんですよね。
行動範囲がとても狭くなってしまって、本当に落ち込んでしまう。
そんな姿もたくさん見ました。

でも一方で、とても活発で、どこにでも行く方がいらっしゃったんです。
中途失明で、今はほんの少しの視力、光の方向などは見えるという方でした。1人で、大阪とか東北まで、本当にあちこち旅行に行くんです。

もともと、そうやって県外も飛び回っていた方だったので、新幹線の経路とかいろんな地理をご存知だったことも大きいと思うんですけど、「行ったらどうにかなるよ」みたいな、カラッと前向きな感じの方だったんですよね。

しかも、触発された他の視覚障害者の方を旅行に連れ出すこともされていて。
結果的に、その連れ出された方も外に出ていくきっかけになっていました。

本当にすごいな、と思いましたね。
私も当時は、視覚障害者だから誰かに付き添われないと外には行けないというイメージを持っていたんですけれど、覆されました。

「旅行も行けるよ、どこでも行けるよ」ということを示してくださった方です。

強く記憶に残っています。

-ありがとうございます。土屋を知ったのはどんなきっかけだったんでしょう。

知った時期は、ホームケア土屋が徳島にできてすぐくらいの頃だったと思います。
私が当時訪問介護でうかがっていたクライアントさんを介してですね。

入所施設から自宅に戻られた方だったんですが、「施設だと職員さんが常駐していたから安心感があったけど、自宅ではやっぱりトイレで困っている」とお話しされていた時に、「重度訪問介護」というものがあるらしい、という話題になりました。

その時の私はまだ土屋の名前は知らなかったんですよね。
でも当時そのエリアで重度訪問介護は土屋しかなかったと思います。

後から、その方に重度訪問介護が3〜4時間で入ってもらえるようになったと聞いて、そこで初めて、土屋の名前を知りました。

訪問介護はひとつの訪問先での滞在時間は1〜2時間と短いので、そのなかでやらなきゃいけないことがたくさんあって、けっこう詰め込むことも多かったんですよね。

決まったことをこなすともう終了時間が来るので、お相手のペースでゆっくりコミュニケーションを取る時間はなかなか取れない。

だから、「重度訪問介護の3〜4時間ってどんな感じなんだろう」と興味が湧きました。

-その後、ご自身も土屋で働く方向に動き始めたんですね。

私が土屋への転職を検討し始めたのは、遠方で体調を崩している娘のそばに引っ越してサポートがしたいと思ったからでした。

それで引越し先での自分の仕事を考えた時に、土屋が思い浮かんだんです。何より土屋は事業所が全国にたくさんある。

娘の住んでいるエリアにも事業所があることがわかっていたので、私もそちらに引っ越して生活を変えていこうと思いました。

結果としては、いろんな要因があって私は引っ越さずに、当初考えたとおりにはならなかったですが、土屋に転職し、このホームケア土屋徳島で働き始めました。

今は娘の体調も回復したので、よかったです。

-そうだったんですね。よかったです。

モンステラのグリーンに癒される

CHAPTER4

そばにいる時間のなかで知った、人と向き合うということ

印象深いクライアントとの思い出。「長く働きたい」と思える職場をつくりたい。

-初めての重度訪問介護のお仕事はいかがでしたか。

それまでの訪問介護では仕事中に止まっている時間が一切なかったんですよね。

だから、最初の頃は、長時間クライアントさんに付き添う場面で「私、そんなに長くじーっと座っておれるのかな」という心配をしていました。

-実際、その心配はどうだったんでしょう。

まったく問題なかったですね。
じっと座ってはいるけど、絶えずクライアントさんの状態を見守って観察しているので、15時間入っていたとしても、暇になることは全然ないんですよね。

入った当初から、医療的ケアが必要なクライアントさんのところにうかがうこともありました。
体調が急変することも考えられるので、まだ経験が浅い頃は、毎回かなり緊張して過ごしていましたね。

夜勤の仕事も初めてだったので、あらゆることが新鮮でしたね。

普段自分の生活を外側から自分で見ることはできないですけど、夜間帯の15時間を過ごすと、ご本人も知らないその方の生活をまるまる見ていると感じるんです。

その時、初めて「人の人生に寄り添う」ということに実感が湧きました。

-これまでの重度訪問介護の現場で印象深い出来事はありましたか。

今、この小松島市にある徳島県医療的ケア児等支援センターを利用する子どもたちにも少し関わらせていただいています。
支援に入る機会は多くないんですけれど、これはとても学ぶことが多いですね。

-医療的ケアが必要なお子さんのご自宅にうかがうんですね。

そうです。
印象深かったのは、お会いしたばかりの頃は刺激が嫌でほとんど目を閉じていた子。

はじめの頃はそんな感じでしたし、学校の授業やイベントに行こうとなっていても直前になると体調不良になり外出できなくなる、ということが続いていましたね。

お母さんとも、「前もって外出を伝えていたけど、言うのやめようか…」と相談していました。

でも、しばらく関わっているうちに私のことも認識してもらえたようで、病院以外の外出に行けるようになったんです。
それから時が経って、外出の時もいつも起きて過ごせるようになっていきました。

-そういった姿を傍で見られるのは、やっぱり嬉しいですよね。

そうですね。
あと、目を開けて、いろんなことを認識してもらえているんだ、という実感。

それはやりがいを感じましたね。
「外に出たらこういうことも楽しめるよ、おもしろいことにも出会えるよ」ということを知ってもらうお手伝いを多少はできたのかもしれないなって。

あと、嬉しいことで言うと、クライアントさんに「笑ってもらえること」はとても嬉しいです。

子どもでも、大人でも。

日々の関わりのなかで、笑ってもらえるのは本当に些細な他愛もないことなんです。
例えば、クライアントさんはテレビドラマを見ている方が多くて、私もよく見ているので、その共通の話題で笑ってもらったりとかですね。

私がお会いするALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の方は、四肢が不自由で目の瞬きだけで会話をされるんですが、日常のなかにも本当にしんどいことが多いと思うんです。

そんななかで一瞬でも「ふっ」と気持ちが緩むようなことがあったらいいなと思っています。
頑張って笑わせるわけではないんですけど、自分が現場に入る時にはそんな時間を過ごせるように心がけています。

-そうなんですね。他愛のないやり取りがお相手の心をほぐすこともありますね。一方で、「これは難しかったな」と振り返るような現場はありましたか。

もうご逝去されてしまった方で、求める支援の水準がとても高くて厳しいクライアントさんがいらっしゃって、その現場では鍛えられたなと思います。

厳しいお言葉をいただいて、正直こちらも内心は憂鬱になってしまうこともあったんですが、時間をかけて少しずつ信頼関係を築いていきました。

その方は、病気が進行するなかで相当痛みが強かったと思うんですよ。
日々どんどん辛い状態になっていたと思う。

でも一切弱音を吐かれることはありませんでした。
ご自身にもとても厳しい方だったんだと思います。

だから、もちろんアテンダントに対する厳しい言葉にも悪気があったわけではない。

この仕事は、人の本質に触れる仕事でもあるんだと思いました。

-なるほど、ありがとうございます。徳本さんが人との関わりのなかで大切にしているのはどんなことですか。

そうですね。「嘘をつかないこと」ですね。
私は本当に、いつでもこのままなんです。

伝え方は場面や相手によって変える配慮はしますが、基本的には、ありのままを伝えるコミュニケーションを大切にしています。

-それは持ち前の性格なんでしょうか。何かきっかけがありましたか。

思いつくのは、多分、子どもたちのサッカーをサポートするなかでの人間関係ですね。

続けていくなかで、子どもの親同士、指導者、そのほかにもいろんな方と、練習や試合の時に定期的に集まって、一緒に何かしていくという関係になるんですよ。

そこでいろんな出来事が起こるんですが、私はもともと、はっきりものを言う性格なので、みんなが薄々思っていても面倒で言わないことを、言ってしまう。

衝突も多かったんですが、でもそのおかげで一歩踏み込んだコミュニケーションができたし、その対応の仕方も本当に勉強させてもらいました。

-「正直に話す」というところは、先ほどお話に出たサッカーの指導者の方の姿にも重なるところがありそうですね。管理者をされていて、いろんな方と関わる立場かと思いますが、工夫されていることなどはあるでしょうか。

お一人お一人とよくお話しすることですね。
同じひとつの現場でも、クライアントから見た風景と、アテンダントから見た風景は同じではありませんし、アテンダントのなかでも「それぞれの見方」がありますよね。

ちょっとした不満などは、個別の会話でないと言いづらい、というのもあります。
だから、多面的に情報を得るためにも、お一人ずつとしっかり話すコミュニケーションを心がけています。

アテンダントについて言えば、他の方から聞いた内容によって何か調整や改善をお願いする場合、いきなり「こういう状況だと聞いているから直して」と言うのではなくて、「この件についてはどんな調子ですか」と、まずはそのアテンダントの見方を聞き取るようにするなどですね。

あとは、連絡をもらった時には、最後に「他に何もないですか?他に何かあったら聞きますよ」ということを毎回伝えるようにしています。

近すぎず遠すぎずというところで、できるだけ話しやすい環境をいつもつくっておきたいと思っていますね。
人間関係の苦労はなるべく少ないように、「長く働き続けたいな」と思ってもらえることを目指しています。

CHAPTER5

家で暮らす選択肢をもっと身近に

クライアントが安心できる暮らしと、支える人たちの未来を見据えて

-これからのことを少し伺えたらと思います。土屋でお仕事をされてきて、これからおこなっていきたいことはどんなことですか。

このホームケア土屋徳島を、この地域に今よりもさらに深く根付かせていくことですね。
クライアントさんが常に抱えている切実な不安として、「今受けられているサービスが同じように受けられなくなること」があると思います。

担当者が変わったり、事業所が閉所したり、ですね。

そして、アテンダントの立場からしても、管理者や運営方針が変わることは、自分が仕事を続けられるかどうか、に関わることです。ケアマネージャーや、地域のいろんな機関と連携して、何年もかけて築いてきた信頼関係が、また初めからになることもある。

私が管理者になった時も、アテンダントに「長くいてほしい」と言われました。
より多くのニーズに応えられるように、現場の負担がなるべく少ないように、私もこの管理者の役割をしっかり務めていきたいですね。

-なるほど。

徳島には応えられる事業所の数がまだ多くないんですね。
重度訪問介護のことを知らないがゆえに、「家で付きっきりでケアできない=入院」という選択肢を選んでいる方も多いんですよね。

だから、潜在的なニーズにも目を向けて、「重度訪問介護を使えば、家でおれるよ」ということをもっと広く伝えていきたいです。

-徳本さんから見て、クライアントさんはお家で過ごすことにどんな価値を感じられていると思いますか。

やっぱり、好きなときに好きなことができること、住み慣れた環境でご自身のペースで過ごせることが一番大きいんじゃないでしょうか。

病院や施設では専門性の高い設備を使えるなどのメリットはありますが、1人のスタッフが、複数人のクライアントさんを受け持つことが一般的ですね。

医療的ケアが必要な方はその制約の範囲にはなりますけど、それでも、重度訪問介護では1対1なので、自分で選べることの幅は広がると思います。

-では最後に、これから福祉の世界を目指す方や、土屋への就職を検討されてる方に一言お願いします。

福祉は、誰かの人生に寄り添える仕事です。
重度訪問介護では、クライアントさんと長い時間を一緒に過ごせるからこそ築いていける関係性がありますし、クライアントさんとの交流を通して、自分自身を振り返ったり、人生について考える時間も持てるかなと思います。

そして、焦らず仕事ができるので、支援の範囲のなかで、クライアントさんのニーズをどう満たすのか、自分で考えて挑戦できる仕事だとも思いますね。

お一人お一人にしっかり向き合えるところは、本当にこの仕事の良いところです。ぜひ興味のある方は飛び込んでもらいたいなと思います。

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