―「営業は自分には向いてるんじゃないか」と思い、お仕事を始められてーーいかがでしたか?
営業はもちろん人と関わる仕事ではあったんですがーー時代が不景気やリーマンショックと重なっていた時で、ものすごく業績が落ちてる時期だったんです。
それまでは、飲料関係の業界というのは「従業員のためにお金を出して準備する福利厚生のような形」として取り入れている会社が多かったんです。
もともと1980年代のバブル経済とともに右肩上がりで伸びてきた分野で、バブルが崩壊した後も「コーヒーぐらいは従業員のために残しておかないと……」なんてところもあって、まだ直接、不景気の煽りを受けずに残っていました。
それが、リーマンショックや不景気でその分野が会社の予算から一気に削られることになりーーそういう時期に就職をしたので、仕事はめちゃくちゃ厳しかったですね。
今みたいに「環境を整える」とか「ブラック企業」なんて言葉もなかった頃です。
朝7時ぐらいに出勤して、夜1時ぐらいまで残業してーー業績が右肩下がりの中、会社としては右肩上がりの計画を立てないといけない。
なんとか達成するための営業の計画を立てて、夜遅くまでお客さんのところに行ってーーそこで6、7年は頑張りました。
当時は苦しくて仕方なかったんですが、まだ若かったのもあって。
ただ、そこで学んだことは今の仕事にも繋がってます。
管理者になると求められる質や数字がありますよね。
結果にこだわることと、そこに達成するための思考のプロセスといったところは当時のめちゃくちゃ厳しい環境で養われたんじゃないかな、と思ってますね。
その後――30歳になる手前で、福祉の業界に入りました。
そのきっかけは、もちろん仕事がめちゃくちゃ厳しくて、どうあがいても業績も上がらないのもあったし、「このままこの会社で営業の仕事を続けるのか」っていう、自分や将来に対する不安みたいなものもあったんですがーー。
そのタイミングで祖父母がふたり同時に要介護状態になったんです。
―そうだったんですね。
はい。僕は“おばあちゃん子”、“おじいちゃん子”で育ってきたので、ふたりにはとっても可愛がってもらってきました。
家族もみんな仲が良かったのもあって、家族内では「まさか、あのおじいちゃんとおばあちゃんがこんなふうになるなんて……」っていうぐらいの大事件だったんですよ。
今ほど認知症や認知症の方への理解も世の中に浸透してなかった頃でしたしね。
今となっては、「(認知症の方)本人が言ってることを否定してはいけない」「同じことを何回も言っても、そのまま受け取ってあげればいいんだよ」といった認識をご存じの方も多いと思いますが、当時の私も、私の家族もそういったことを知らず、めちゃくちゃ動揺してーー。
みんなで、「どうする?どうする?」みたいになってる時に、おばあちゃんとおじいちゃんの介護を通して、ケアマネージャーさんや福祉用具の仕事を知ったんです。
もともとは営業をやっていたので、「福祉の相談員や福祉用具の営業のような形で人の役に立つ仕事もあるんだ」って思いました。
「その仕事だったら、自分の今までの経験も、こどもの頃から思っていた『人の役に立ちたい』っていう思いも両方叶えれるんじゃないか」って考えたんです。
そこで、介護職員基礎研修(今でいう実務者研修)を受けに行くことにして。
当時、取ろうと思っていた福祉用具の専門相談員の資格コースは、数日通って修了できたんですが、その時のおばあちゃん、おじいちゃんのために「認知症のことをちゃんと知りたい」っていう気持ちがあったので、半年ほどかかるコースに行くことにしたんです。
その時に、認知症ケアの指導者や、介護のベテランの方から実際にお話を伺って、「すごいお仕事なんだなぁ」って感心したんですよ。
でも、その時はまだ“他人事”というか、「僕にはできないかな」って思ってるところもありました。
そんな中で、熊本の認知症ケア上級専門士の松永美根子(まつながみねこ)さんと出会ってーー僕にとっては、今も恩師だと思っている方なんですがーーご自身が副施設長を務めていた施設に声をかけてくださったんです。
「介護の現場を知らんと、福祉用具の仕事はできないよ。うちに来なっせ」って。その言葉を間に受けちゃって(笑)。
―(笑)。
いろいろ悩んだんですが、学んでいくうちに、素直に「やってみたい」っていう気持ちが芽生えたんですよね。
人の役にも立てるし、おばあちゃん、おじいちゃん好きだし、実地研修に行っても、全然大変そうに見えなかったし、排泄ケアといった関わりにも全然抵抗がなかった。
それで、介護福祉士とケアマネージャーを目指すことに決めて。ただーー当時、介護職員は給料がすごく低かったんです。
今でこそ処遇改善加算(介護職員の給与や労働環境を改善するための国の制度)もあって、他の専門職と同じくらいの給与がいただけるようにはなってますが。
なので、「うちで5年間働きなっせ」って言われて、「これはまずは勉強だな」と思って(笑)、老人保健施設(老健)に勤めることになりました。