研修事業部

介護事業部 ホームケア土屋

渡部有真

秋田 オフィスマネージャー

多くの人にこの仕事に関わってもらいたい。

 《interview 2021.12.09》

ホームケア土屋秋田で、介護の現場と地域をつなぐコーディネーターとして活躍する渡部有真。未経験から今の仕事と出会った渡部の傍らには、そこへと導いてくれた”仲間”がいます。苦境と、そこで気づいた周りへの感謝の想い。重度訪問介護という仕事に導かれた渡部が、介護の仕事とコミュニケーションについて語ります。

 

CHAPTER1

「すべての仕事がやりがい」。入社1年、めまぐるしいキャリアアップ

渡部が重度訪問介護の仕事をスタートさせたのは、昨年9月。

現在は、ホームケア秋田でコーディネーターを務める傍ら、サービス責任者や管理者を兼任し、アテンダントのシフト調整や、支援におけるケアマネージャー・看護師との連携など、現場とのつなぎ役として、日々奮闘しています。

今の業務について尋ねると、「すべての仕事にやりがいを感じている」と語る渡部。

無資格・未経験から介護の仕事をスタートさせた渡部ですが、そのキャリアはこの1年でめまぐるしく変化しました。

入社後、現場での介護を経験。その後、半年かけて介護福祉士実務者研修を修了。そして現場を離れ、今夏からコーディネーターとなります。

そんな渡部の経歴を尋ねると、「以前は、法務省の職員をしていた」という意外な答えが。ですが、その仕事を続ける中では「やる気と勢いで(仕事を)してきたので、なかなか目標が定まらなかった」と言います。

前職の勤続が10年を過ぎた頃、自身の中で何かが「燃え尽きた」という渡部。「もっと人を笑かしたり、もっと面白かったり、もっと笑顔になれるような仕事がいい」と30代で転職を決意しました。

おりしも、退職をしたのは2020年春。コロナ禍と重なり、渡部の転職活動は思うように進みませんでした。

 

CHAPTER2

「その人間性があれば」。他者が見出してくれた可能性から介護の仕事へ

離職中、仕事を探していた渡部は、馴染みの店のマスターから“ある人”を紹介されます。それが、重度訪問介護で働いている方でした。

最初は、趣味である釣りの話で意気投合。お互いの仕事の話をするようになり、渡部は会話を重ねるにつれて、介護の仕事に興味を持ち始めます。

とはいえ、介護の仕事は全くの未経験。「資格も経験もなく、仕事ができるのだろうか」――そう尋ねると、その方は肯定的な言葉を返してくれたと言います。

渡部 「『資格や経験は、必要は必要だけど、その前にクライアントの方と人として出会い、やっていけるかどうか。お前のその人間性があれば、資格は入社してから取っていけばいい』と言ってくれました。その言葉を信じてみようと思ったんです」

出会いから数ヶ月。渡部はその言葉に背中を押され、重度訪問介護の世界へ飛び込みます。

他者が見出してくれた、という渡部の『人間性』。その人間性が培われてきた土壌には、幼少期から続けている剣道の教えがありました。

渡部 「剣道の教えの中には、『相手を尊重する』という姿勢が大前提にあります。相手に嫌な想いをさせたり、失礼なことをすると、その相手とは剣道ができなくなってしまう。

それはコミュニケーションではなく、ただの一方通行になってしまうんです。ですから私は、『相手に伝わる』という礼儀をとても大事にしています」

そして、「この教えは、今、重度訪問介護という仕事に活きている」と渡部は言います。

渡部 「例えば、管理者が一人で、一方通行で動いていれば、周りの人はついてきません。それこそ単純に利益を上げることなんてできないんです。

現場のアテンダントの方たちとの相互のやりとりがあってこそ、それが事業所としての、会社としての利益につながるわけで、あくまで今の自分の立場は、縁の下の力持ちになることなんだな、と思っていますね」

「剣道は、相手がいないと練習さえできない」と語る渡部。その言葉の背景には、大学時代の、ある経験がありました。

CHAPTER3

挫折の経験から気づいた、自分を支える“仲間”の存在

渡部は、父が師範、兄弟も剣道で活躍、という恵まれた環境の中、3歳から剣道を始めます。順風満帆に剣道を続けてきましたが、その転期は東京の大学へ入学した時に訪れました。

渡部 「当時は『自分のやることが全てだ』と驕った考えを持っていて、過信していたんでしょうね。

でも大学に行ったら、そんな人が山程いたんです。その中で最初は揉まれながら、なんとかのし上がろうとしていたんですけれど、うまくいかないことがたくさん出てきて、壁にぶち当たりました」

思い悩んだ渡部は、剣道から離れることを決め、故郷の秋田へ戻ります。そして、師範である父親にそのことを告げると、予想外の言葉が返ってきました。

渡部 「親父から『あぁ、やめろ』って言われたんです。最初は『何を言っているんだ、この人』と思いましたね」

それから1ヶ月。

父親との沈黙の対話を経て、渡部の心境は変化していました。

渡部 「それまで『一人で勝手に進んでいたら、今の場所に立っていた』と私は思っていたんです。自分は、一人で剣道をやっていると思っていたんだ、とわかりました。そしたら、違う何かが見えてきたんですね」

「親父の言葉は、『自分一人で剣道をやるつもりなら、やめたらいい』という意味だった」と気づいた渡部。「もう一度だけチャンスをもらいに」東京の大学に戻りますが、すでにそこには渡部の場所はありませんでした。

そんな中、渡部が剣道に戻れるよう道をつくってくれたのが、練習を共にしていた“仲間”たち。

渡部 「そこから最後の最後に這い上がることができたのは、自分の力じゃなくて、周りの支えでした。自分の力なんて0.1ミリもなかったんです。

その時に、『あぁ、仲間ってすっごい大事なんだな』と実感したんですね」

その後、仲間の支えによって、チームに戻り、剣道を続けることができたという渡部。

回復の経験を通して、仲間の大切さを噛み締めた渡部の想いは、今、仕事を共にする“仲間”への想いへとつながっています。

渡部 「私の仕事の上でのモットーは、横だろうと縦だろうと、壁は絶対につくらないこと。立場が違うからとか、勤続年数が違うからとか、そういう基準で話をするような状況をつくり出すことはしたくないんです。

そのためには、仲間と、そしてコミュニケーションが大事です。目を合わせて話ができる環境を、風通しよくつくっていきたいというのが今の最大の目標ですね」

秋田を含む東北ブロックは「縦も横もつながりが強い」と自負する渡部。境界を超え、そして仲間と共に、渡部はあたらしい関係性をつくり出しています。

CHAPTER4

「重度訪問介護をもっと知ってもらいたい」。仕事をつくる喜びと共に

現場をフォローアップする立場として、支援のコーディネートにとどまらず、マーケティング、リスクマネージメント、研修事業……等々、さまざまな分野に広がっているという渡部の業務。忙しくも、今のこの状況を楽しんでいると笑顔で言います。

渡部 「『こうやったらもっと良くなるんじゃないか』というような話を上にすると、驚くぐらい『ダメ』と言わない。土屋では、『まずは、やってみよう』ってなるんです。私にとって、こんな魅力のある会社はないですね」

仕事を任せてもらえること。大きな責任を伴うからこそ、自らの手で仕事をつくっていける喜びを、渡部は今、肌で実感しています。

そんな渡部がこれから力を入れていきたいのが、アテンダントたちが働きやすい環境をつくること。

コロナ禍でオンラインのやり取りが続く中、感染予防を考慮しつつ「顔を合わせてミーティングをしよう」と働きかける姿には、未経験からスタートした渡部ならではの目線がありました。

渡部 「私は介護の世界を全く知らずに入ってきました。最初は不安もあったし、勇気を使うための力が必要でした。

未経験でこの仕事を始める方はみんな、多かれ少なかれ、この思いを持っていると思うんです。だから、この不安をなんとかする手立てはないか、とずっと考えています」

とはいえ、クライアント、アテンダント、それぞれの状況を思い浮かべるほど、答えが出せない思いも募ります。

「今の時点でその答えを出すとすれば」と前置きをした上で、「『重度訪問って何?』ということを世の人にもっと知ってもらうことが重要なのでは」と渡部は言います。

渡部 「重度訪問介護は、必ずしも、介護経験をしてきた人ばかりが務める仕事ではないんです。経験からだけではなく、見守りやコミュニケーション支援、そこからのスタートでもいいんだよ、と言いたいですね」

クライアントと、人として出会うこと。「そんな考え方をみんなが持てるような流れをつくれたら、もっとこの仕事が働きやすくなるのでは」と渡部は続けます。多くの人にこの仕事に関わってもらいたい。その想いの奥には、自身がこの仕事と出会えたことへの感謝と、現場で実感した喜びがあります。

渡部 「私も実際に支援に入って、クライアントの方が求めていることがなかなか読み解けなかったことがありました。けれども、それがわかって『ありがとう』と言ってもらえた時。感謝をいただける、こんなに幸せなことはないんです。

だから、極端なことを言えば、そこに対して感謝ができる気持ちを持っている人は、誰でも土屋で働くことができると思います」

秋田の大地で、コーディネーターとしての垣根を超え、広く現場を行き来する渡部。その視線は、少し遠くの未来を、まっすぐに、そして貪欲に見つめています。


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