研修事業部

研修事業部 土屋ケアカレッジ

幸 将史

福岡薬院教室・小倉教室 スタッフ

悔しかったことや、虚しかった記憶も今、相手のことを考えるための材料になっている

 《interview 2024.2.10》

土屋ケアカレッジすで働く幸将史(ゆきまさし)。土屋に入社する前は、出版社での仕事を30年。ひとつの仕事を長年続けていく中で見えてきたもの、そして自ら「ポジティブな考え方を持っている人間ではない」と話す幸が、仕事と、人と、これまでどんなふうに歩んできたのか――。“自身の真面目さ“と付き合ってきた幸にとって、どうやら、いい仕事をするにはプライベートの充実が関係しているようです。

CHAPTER1

野球したり、釣りしたり。外を走り回っていた幼少期

証券会社での経験、その後の転職。目の前の人、目の前のことを大事にできる仕事へーー。

福岡で生まれ育った幸。

幸「福岡といっても田舎出身なので、何せ当時はゲームもないですし、雨が降ったら遊ぶものがないような場所で育ったので。野球したり、釣りしたり……小さい頃は外を走り回っていました。

釣りは父親から教わりました。海が近くになかったので、川ですね。教わってからは一人で、池やダムにも釣りに行くようになって、野球は小学生ぐらいからやっていて、草野球チームを作って続けていましたね」

地元福岡の高校を卒業したあと、大学は岡山へ。

幸「岡山、好きでしたね。土屋に入社して本社が岡山と聞いた時は、ちょっとびっくりしました。最初はなかなか馴染まなかったです。言葉も福岡とはだいぶ違いますしね。でも慣れてきたら、それがすごく心地よく感じるようになって――。岡山の人も好きでした。素朴で、あまり飾らないような感じがします」

大学では経済学を学び、卒業後は証券会社へ就職します。

幸「証券会社はかなり厳しい世界だったです。全然ついていけなくて、1年で辞めました。僕は営業職で、一日200件飛び込み営業をしていました。でも、ほとんど断られていく。相手には話も聞いてもらえないような感じでも、軒並み訪問して――それを毎日繰り返していました。

証券会社というのは、手数料収入がメインなので、株や投資信託の商品を売買してもらえればいいのです。だから、お客さんが儲かろうが損しようが、会社にとってはあまり関係がない。とにかくお客さんに商品を動かしてもらえればいいだけです。ちょうど僕が入社した時は、バブルが弾けた時期だったので、何を売買してもお客さんに損をさせてしまうような状態でした。

僕はお客さんに対してなかなか強く話せなかったので、営業成績も良くなかった。上司からは『相手が損をするとか考えるから、お前はダメだ』って毎日罵倒されていました。もちろん、仕事として割り切らなきゃいけないのもわかってはいたけど、結局割り切れる人というのは――同期が300人ぐらいいた中で、入社後1年経って残っていたのは50人以下。

どんどん辞めていくので、残っている人は“ある意味”エリートですよね。僕自身は『もうこういう業界ではやっていけないかな』と思って、辞めました」

その後、幸は教育系の出版社へ転職。

幸「出版社で塾のような授業もしている会社で、教材の販売をしていたり、通信添削の事業があったり。最後の10年ちょっとは、通信制高校の運営と、教員もしていました。

大学生の頃に塾の講師のアルバイトを3年ぐらいしていたこともあって、教育系の仕事は自分にとっては割と馴染みやすかったですね。前職のように、相手のことを考えずに売り上げだけを上げるという指示もなく、とにかく預かった子どもたちの成績を上げようと考えていました。

目の前のことを真面目にやっていたら売上も上がるような仕事だったので、自分には合っていたのかなと思います」

CHAPTER2

「相手のことを理解しないと、正しいことだって正しく伝わらない――上司が教えてくれたこと

人の心を動かすなんて簡単にできないからこそーー自分なりの、人を理解する方法

25歳で入社し、その後、30年間勤めたという出版社では、「若い頃からいろんな仕事をさせてもらった」と言います。

幸「30代半ばからは管理職を任せてもらっていました。僕自身は上に立つことが苦手で、はっきり言って人間的にも無理で――。

そこでだいぶ失敗もしましたが、ただ上司には恵まれました。“仕事がうまくいった”なんて記憶は未だにないですが、上司から教わったことだけを覚えていって、少しずつ少しずつ経験を積み重ねていけたのかなとは思っています」

これまで仕事の上で大切にしてきたことを尋ねると、「人と関わっていくのってすごく難しいですよね」と話す幸。ある上司から教わったことが今も心に残っていると言います。

幸「一番覚えているのは、管理職を任され始めた頃に、上司に対して腹立たしくなる時期っていうものがありました。で、上司に対してどんどん意見をしましたが、しすぎて言い合いになったり、人前で上司を罵倒するようなことをしてしまったり。まぁ、それをやってしまった時は当たり前に僕が飛ばされましたけど(笑)。

でも、飛ばされた後に上の人から言われたのは、『お前が言っていることは間違ってない。正しいけど、人に正論をぶつけたところで誰も動かせん』と――。『正しいことをしたいのだったら正論をぶつけるだけじゃなくて、ちゃんと相手のことも理解する。

とにかく相手のことを考えて、相手が納得できる状況にもっていかないと正しいことは正しく伝わらない』『あんなふうに意見をぶつけるだけだったら、何もできんよ』って叱られました。」

「“人の心を動かす”なんて簡単にできることではない、と強く実感しました」という幸。

勤務の間に、転勤を11回。東京、名古屋、大阪、岐阜、熊本……と各地を巡ったのち、「最後、地元の福岡に転勤になったところで、『もうここに定着する!』と宣言した」そう。

仕事を通して、人との関係を築いていく難しさを感じながらも、その土地、その場で、人と出会ってきた幸。どんなふうに人と接してきたのでしょうか。

幸「そうですね。異動する度に、そこで一緒に働く人たちとはほぼ初対面です。だからまずは、一緒に働く人たちのことを知ろうと思って、全員の履歴書を見て、学歴とか職歴とか、家族構成を頭に叩き込んでいきました。『この人がどういう気持ちで仕事をしているのか』というところに、なるべく自分を近づけるよう努力しようとしました。それは今でも癖ですね。

一緒に仕事する人のことを、ある程度――別にいい大学出ているから偉いとか、そういったことではなくて――例えば『部活で頑張った人=何かに打ち込んだ経験のある人』とか、『挫折を経験している人=今まで努力して乗り越えたことがある人』といったことを知りたくて。

あとはその人の今の精神状態ですね。『現在、充実しているorそうではない』。だから会話をしながら、そんなことを考えていつも接していました」

CHAPTER3

通信制高校での“想定外の出会い”

通信制高校での教員経験を通して、見えてきたもの。子ども本人、親、そして社会の側の視点

土屋へ入社し、障害や介護・福祉という分野と初めて関わるようになったという幸ですが、以前の職場でも、別のかたちで“想定外の出会い”を経験していたと言います。

幸「以前の会社で、最後の10年間いた部署は通信制高校(サポート校)でした。
当時、急な人事異動で通信制高校へ行くことになって、教員もしました。行ってみたら引きこもりの子がいたり、ヤンキーやギャルの子がいたり、発達障害や精神疾患を持っている子もたくさんいて。それは、今まで自分が接したことのない層の方たちでした。

例えば、授業中に騒いでいるAさんをガツンと叱ると、近くにいる引きこもりのBさんが泣き出して、登校できなくなってしまう。で、Bさんの親から学校に苦情が入る――そんなことが日常的にあって、正直なところ、『なんなん?ここ?』って最初は思いました。

でも、関わっているうちにだんだん、『この人たちがどれだけ普段、ストレスを抱えて生活しているのか』が少しずつわかってきました。いわゆる“モンスターペアレンツ”と呼ばれる人たちとの面談の時には、年齢や立場上、僕が対応することも多かったですから。

そうやって関わっていく中で知ったのは、発達障害とかADHDとか、いろんな診断を受けた子たち――診断がなかったとしても、社会に馴染めない子たち――を抱えている親御さんというのはものすごいストレスを抱えているということ。

『自分が悪かったのではないか』という後悔の念と、『世間が悪い』という両方の思いが混ざっていて、話をしていても、なかなか心を開いてはもらえなかった。もちろん、親御さんだけでなく、子どもたちもそうでした。

通信制高校には10年ぐらいいましたが、この仕事は一番自分の成長が実感できなかったですね。『上手くいくようになった』なんて実感は一度もなくて――。卒業式で『あぁ、卒業できてよかったな』とは思えても、その子のこれからの人生のことを考えたら、『もっと出来ることがあったのではないだろうか』と――そんな思いばかりでした。

だから土屋に入って、障害や介護の仕事に携わるようになって、『障害をお持ちの方のストレスってどれほどのものだろう』とよく考えます。また、『そういう方を介護する側のストレスも相当なものだろうな』とも。

自分のことだって思い通りにいかないのに、介護職の方たちはもっと思い通りにならない“他者”を介護していくわけで、多分、ものすごい戦場だろうな、現場は……ということは容易に想像がつきました。

だから、『現場のアテンダントの方たちの苦労は、カレッジに入社した僕なんかと比べ物にならないものだろう』という思いがあります。だから、『現場の人たちの役に立つような仕事をしたいな』っていう思いは、入社当初からありました」

CHAPTER4

信頼する友の、言葉と、仕事への思いをたよりに――入社のきっかけ

「人」に惹かれて、土屋へ。まだない“何か”を、かたちにしていく

その後、出版社を退職し、2023年4月、土屋へ入社した幸。
幸を土屋に導いてくれたのは、以前の職場で一緒働いたことのある田村進(現在は本社・顧客創造部に所属)でした。

幸「田村さんとは実際に同じ事務所で仕事したのは1年だけです。2007年か8年だったか……一緒に仕事した時、彼がすごく評価されて、翌年は営業所の所長に抜擢されていました。まっすぐに頑張る男でした。

転勤を繰り返していると、以前に働いていた支社の人ともあんまり付き合わないようになります。余計な話をして、後任が仕事をしにくくなってはいけないので。
加えて社交的な性格ではないので、休みの日は家族と過ごすことがほとんどなのですが、彼だけは普通に家族や子どもさんを連れて遊びに来てくれていました。

『(自分が)仕事を探している』ということは、数年前から周囲に言ってはいました。出版社は、55歳で「役職定年+部署移動」という制度があって、その前に転職しようと思っている、と――

ちょうど土屋に入社する数か月前に、田村さんが僕のところにやってきました。その時にすごく改まった顔で、『ぜひ一緒に仕事したい』と言ってくれた。『土屋は今から事業を大きく展開していく会社。でもまだ何も形ができていない。だから、一生懸命つくろうとしている』、『是非、一緒にこの仕事をしたい』と熱弁してくれました。

『彼がこれだけ一生懸命打ち込んでいる仕事だったら、いい仕事だろうな』と思った。彼の人間的な部分をものすごく信頼していたので。裏表もないところが彼の一番の長所です。本当にまっすぐに、『会社を良くしたいから』と――。

その熱意に惹かれて、土屋に入社することになりました。」

CHAPTER5

ケアカレッジができること――現場へ向かう時に必要な“プラスアルファの気持ち”

経験豊富な講師たちと話をすることで、受講生自身の人生の目標が見え、その人の仕事のやりがいに繋げられるようにーー

「土屋に入社するまでは介護の仕事や重度訪問介護についての知識もなく、『喀痰(かくたん)』っていう単語も入社して知ったぐらいのレベルでした」と話す幸。

わからなさの中、ひたすら“目の前の仕事”を追いかけてきた半年が過ぎ、昨年の10月からはケアカレッジ内の『研修品質』部署に在籍。「全国のカレッジの方とお話させてもらえるようになったのは、そこからですね」と言います。

重度訪問介護従業者養成研修の統合課程だけでなく、初任者研修、実務者研修など、さまざまな資格が取得できるケアカレッジ土屋。では、幸のいる福岡薬院教室/小倉駅前教室にはどんな人たちが集まり、どのように学びを深めているのでしょうか。

幸「ケアカレッジに来る方は、ある程度、介護の経験がある方が多いです。『今、介護の仕事はしているけど、無資格でまだ資格を取っていない』とか、『なかなか自信を持てていない』とおっしゃる方もすごく多い。

そんな人たちがケアカレッジに来て、講義を受けるとか資格を取るだけじゃなくて、介護経験の豊富な講師の方たちと話をすることによって、人生の目標が見え、その人の仕事のやりがいに繋がったらいいな、と思います。

カレッジの講師の方たちも、受講生に同じ思いを持っている方が本当に多い。だからカレッジに来てくれた方には経験豊富な講師と接する機会をたくさん持ってもらって――『資格を取る』という目的だけではなくて、カレッジから現場に戻る時に、“プラスアルファの気持ち”を持てるよう、フォローができたらいいなと思っています」

講師のスケジュール調整や受講生への連絡、事務作業等、普段は裏方で動くことの多い幸ですが、受講生と直接、関わることもあるのでしょうか。

幸「福岡の薬院教室では、僕は朝の受講生が来る時間はいるようにしています。講義が始まったら『先生、お願いします』と言って去るのですが――
その時間では、僕から何かを伝えるというよりも、来てくれた方の話を聞くようにしています。『今、どういう仕事をされているのですか?』とか。先生の前で話をしていると、先生がそのやりとりを聞いて、授業中でも受講生の方へいろいろアドバイスできるのかなと思って」

話すこと、聞くこと、分かち合うこと――。
学びだけでなく、心の栄養も補充し、また現場へ戻っていく受講生を送り出す幸の立場は、どこか、巣立ってゆく子の自立と安全を願う親の気持ちとも重なります。

幸「介護を受ける側の人は、社会的に弱い立場の側にいることが多いので、社会に対して思い通りにいかないストレスはすごくあると思います。だから、介護する側の人たちへの気遣いが足りなくなる場面もあるのだろうな――と、カレッジに来る受講生の話を聞いていると実感します。辛い思いをされている方が多いとよく感じます。

僕自身は今、ホームケア土屋のスタッフの方とは、事務処理や実地研修、統合課程等で関わることがほとんどですが――日々、アテンダントの方が、そのような環境の中で仕事をされていることに対して尊敬の気持ちを持っています。ケアカレッジは、いわばホームケアのバックオフィス。

現場に対して尊敬の思いを持っていないとできない。だから、現場の方が望めば、どんな要望にも気持ちよく応えよう――と。現場の方がいるから我々の仕事がある。現場の方たちの少しでも役に立てるような仕事ができたらいい――そういう気持ちで今、やっています」

「と言っても、入社して1年経っていないので、まだ役に立ったと言えるような仕事はできていなくて――」と笑う幸。

幸「いろんな方から教わって、仕事を覚えていくので精一杯。ただ、自分は他のスタッフよりも年齢がだいぶ年上です。だから今までの仕事でしてきたいろんな経験を、少しでも今の仕事へ貢献できるようにしていけたらいいなとは思っています。

土屋ケアカレッジの人たちは本当に真面目な方・仕事熱心な方ばかりです。でもその分、気分転換ができてない人も多いだろうなと感じます。そこが気になっているところです。この仕事って、やろうと思ったら、パソコンさえあれば、1日中でもできるような仕事で――業務量も多いですし。

だからこそ、働く人たちの働き方を考えていけるような――ケアする人のケアを考えていくことぐらいしか、僕は今、貢献ができないと思う。何かアドバイスみたいものができたら嬉しいですね」

CHAPTER6

「できるだけ、ニコニコして仕事ができるように」――仕事と、家族との時間のバランス

相手の長所を見ていくことが、その人が本来持っている力の発揮につながる

さまざまな世代の人が集まるケアカレッジで、ひとまわり上の“年長者”として、受講生やスタッフと関わる幸。
インタビューを進めていくうちに、自身の体験と、自分への理解から、人への接し方を見つけてきた彼の、人柄と仕事への姿勢が垣間見えてきました。

幸「まぁ、『自分ってダメだなぁ』と思うぐらい真面目ですけれど(笑)、僕は若い頃、上司に休みの日や夜の飲み会に連れ回されるのがすごく嫌でした。断れないじゃないですか、上司から『休みの日に◯◯にいこう』って言われたら。だから、『自分が上に立ったら、絶対に部下を誘わない』って決めていて――プライベートと仕事は切り離したいと思っていました。

今、時代も変わってきました。10年、15年前だったら、新入社員を呼び捨てにするのが普通だったのが、今は誰に対しても敬語を使いますよね。他にも、悪意もなく相手に注意をしたようなことが、相手をものすごく傷つけてしまう――そんな場面も今までたくさん見てきました。

だからこそ、普段から気をつけているのはとにかく相手の長所を見ることです。短所は目を瞑ろう――と思っています。いいところを伸ばしていくことが、その人が本来持っている力を発揮してもらえることにつながります。

ただ、それをするには自分のメンタルが安定してないとできないですよね。だから僕はプライベートがいつも充実して、落ち着いて過ごせていたら、仕事中もニコニコできるのかなと思っているので、家族との時間はすごく大事にしています。

僕は基本的にあんまりポジティブな考え方を持っている人間ではないので、どちらかというと自分のアラの方がよく見えるタイプです(笑)。そういった意味でも、自分にとってはプライベートの時間を過ごす家の居心地が良くないと、と思っています。『とにかく仕事のことは一旦忘れて、切り替えができるように』という感じで、休みの日は妻といつも2人で過ごしています。それが自分にとっての気分転換の方法です。

もし自分一人だったら――家に帰っても切り替えができなくて、仕事のことばかり考えていると思います。気分転換ができないまま、週明けから普通の顔で出勤するなんて自分にはできないだろうな、と思っているので――。

そうでないと僕の場合は、人には優しくできないというか。できるだけ、ニコニコした顔で人前に出たいので。そうありたいなって思うようになったのは40歳ぐらいからですね」

CHAPTER7

長い休みは沖縄へ――島の空気を吸って、“命の洗濯”をしに

時間が止まったような場所で何日間かのんびりして、戻ってきたら、『また仕事を頑張ろう』と思える

普段の生活や仕事の中でも“気分転換”を大事にしている幸が、最も落ち着く場所――それが、沖縄だと言います。「今年のお正月も、沖縄で過ごしました」という幸に、その魅力を尋ねました。

幸「長い休みは、ほぼ沖縄にいます。昨年の夏も1週間いましたし、春にも沖縄に行きました。ずっと海で釣りをしています(笑)。石垣島とか宮古島とか、那覇よりさらに南に行くので、そこでぼーっとしながら、釣り竿持って。そういうのんびりした時間が好きですね。

沖縄に行くのは、なんでしょうね――命の洗濯ですかね(笑)。時間が止まったような場所ですよね。釣竿持って海辺に行って、別に釣れなくてもなんにも思わないですよ。ぼーっと海にいて、のんびりする。晩御飯もその辺で沖縄そば食べて終わり。それで僕は満足できます。何日間かのんびりして、戻ってきて、『また頑張ろう』って感じですかね」

幸にとっての安らぎの場所である旅先にもまた、奥様の姿が。

幸「そうですね、沖縄に行く時は二人で行きます。うちの奥さんはシュノーケリングが好きなので、港から船に乗ってツアーへ。僕は泳げないから(笑)その間釣りをして、夕方また港に妻を迎えにいく――そんな感じで過ごします。

今年のお正月に行った宮古島は冬だったので、船のシュノーケリングツアーがなくて、妻はビーチで泳いでいたから――ちょっと寒いけど我慢したら泳げるぐらいの水温らしいです――妻の泳いでいる姿を見ながら、釣りをしていました。『向こうの方で泳いでいるなー』って思いながら(笑)。

以前の仕事で11回転勤した時も、奥さんはずっと一緒についてきてくれました。2人だけの家族なので、まぁ、仲良く暮らしたいですね。人生の最終目標は、よぼよぼになっても手をつないで歩く老夫婦。そんな感じです」


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