介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

前田信行

秋田 管理者

野山で生き物を探した目は、いま東北の、まだ届かない声を探している

 《interview 2026.07.23》

常にオープンな心で、クライアントやともに働く仲間たちと向き合い続ける前田信行(まえだのぶゆき)。
もともとは極端な人見知りだった前田ですが、販売業や介護職、営業、さらには会社経営まで「やってみたい」という気持ちに素直に従い、多彩なキャリアを歩んできました。
そして導かれるように再び介護の世界へ――これまでの多様な人との出会いが彼にもたらしたものとは。
現在はホームケア土屋秋田で管理者として働く前田を訪ねます。

CHAPTER1

ずっと変わらないのは、ポジティブなところ。

こどもの頃はものすごく人見知りだったんです。人前に出るのも喋るのも嫌でしたし、道を歩くときは顔を上げて歩けないぐらいでした(笑)

―前田さんのこどもの頃のお話から聞かせてください。

出身は青森県の青森市です。
青森自体が田舎ではあるので、住みやすいところでしたね。

こどもの頃は、ものすごく人見知りだったんですよ。

人前に出るのも喋るのも嫌でしたし、道を歩くときは顔を上げて歩けないぐらいでした(笑)。

ひとりで何をしてただろうな……。

フィギュアで遊んだり、漫画読んだり。
友達と遊んでいた記憶もあるんですが、ひとりの方が多かったかな、と思います。

兄と姉ともよく一緒に遊んでましたね。
父親がかなりサバイバル感のある方だったので(笑)、父に付いて山に行ったり、川に行ったり、海に行ったり。

生き物を見つけては持ち帰ってました。

―家にも生き物がいたんですか?

そうですね。父は鳥も好きで。

朝は鳥の鳴き声で起こされることも多かったです(笑)。
亀や爬虫類、両生類、鳥類を家で飼っていましたね。

―今も前田さんは生き物がお好きなんでしょうか。

そうですね。
僕は蛇やトカゲが大好きで、飼いたいんですが……実は妻が苦手なんです。

なので捕まえてきたら、カゴに入れて2、3日は外で飼って、泣く泣く逃がす――みたいなことを繰り返してます(笑)。

―中学生や高校生になると、また興味あるものが変わってくるんじゃないかなと思います。どんなことに熱中されていましたか?

もともと小学校高学年から休み時間にサッカーで遊んでいて、ハマって。

中学生になって、すぐにサッカー部に入りました。

部活では1年生からレギュラーに入らせてもらったので、中学の間はずっとサッカーをやってましたね。

あとは変わらないですかね。
人見知りが強かったので女の子ともあまり喋れなかったですし(笑)。

でも高校に入ってからは、ちょっと垢抜けてきた感じが出てきて。

うちの両親も兄姉ももともとはみんな明るい人なんです。
その頃から人見知りが抜けて、徐々に前に出るようになりました。

―その頃と、今のご自身と変わらない部分ってありますか?

昔から「バカ正直だ」とは言われたりしますね(笑)。
あと、ポジティブなところは今もあるな、と思います。

もちろん、悩むは悩むんですよ。
でも時間が経てば「まぁ、いいか」ってなっちゃうので。

でもそこは、自分の中ですごく強い武器かな、と思ってるところはありますね。

今思えば、ですが――小学校の時も何を言われても何をされても全然気にしないタイプだったんですね。

よく考えると、バカなのか、ポジティブなのかわからないんですが(笑)。

中学の頃、不良の子たちに石を投げられても、自転車通学でヘルメットもかぶってたし、「当たっても全然きかないよー」みたいな感じでしたし。

―それはポジティブすぎます……(笑)。

(笑)。

CHAPTER2

販売、介護職、営業、管理職、経営者――「やってみたい」という素直な気持ちからさまざまな仕事へ

めぐりめぐってーー「もう一度、介護をやってみようかな」

―学校を卒業されてからは、どんなお仕事をされてきたんでしょうか。

高校の時に販売のアルバイトをやっていて。
そこで品出しや発注、接客をやって、「いいな」と思ったんです。

卒業してから初社会人として、薬局で販売業に従事してたんですが――「保育士になりたいな」っていう思いが実はあって。

―それはいつごろから思われていたんですか?

うちは姉と兄がいて、僕が高校の時に甥っ子が生まれたんです。その頃から甥っ子の世話をしたり、一緒に遊んだりしてたので、ずっと興味があって。

「保育士もいいな」って思った時代がありました。

それで「どうしても保育士をやってみたいな」って思って――社会人が受験できる保育士試験があったので、2回受けたんですが、2回とも落ちて諦めました(笑)。

で、心機一転――「介護やってみようかな」って思ったんです。

ヘルパー2級(今の初任者研修)の資格を取って、特養(特別養護老人ホーム)に勤めてはみたんですが、結局1年ぐらいでやっぱり販売業に戻りたくなって、大手ディスカウントストアの販売業に転職したんです。

そこから5年ぐらいですかね。
転勤族として、初めて県外に出て。

青森から始まって仙台、八戸、群馬。それで秋田に来ました。

そこからは秋田に住み着いてます。
ディスカウントストアで5年ほど働いた後は、宝飾店で10年ほど働いて、店長や管理職をやらせていただきました。

ただそこで今度は「次は営業をやってみたいな」と思って、広告代理店でも1年ほど働いたんです。

この後の話はちょっと黒歴史になるんですが……(笑)

広告代理店の営業って、いろんな社長さんと話をする機会がすごく多いんですね。

さまざまな業種の社長さんとお話するようになって、「自分も会社を経営してみたいな」と、当時知り合った人と一緒に会社を立ち上げたんです。

が、騙されてしまったところがあって、結局、会社は閉めることになったんですが――でも、その会社では認知症予防の教材販売をしていて、営業をする時にいろんな施設を回らせていただいてたんですよ。

そこで「これからの時代、介護が必要になってくる」「高齢者の方も増えてきてる」っていう話を聞いているうちに、「もう一度介護をやってみようかな」って思った。

介護の仕事を調べている時に、土屋と出会ってそこで――ひと言で言うと、「魅了された」というか、「ここしかない」、と。

―そうだったんですね。

そう感じて土屋1本で転職活動をしました。

訪問介護はやったことはなかったんですが、すぐに応募して、その週に採用が決まったんです。

CHAPTER3

いろんな仕事、いろんな人との出会いが自分が持ってなかった感情や考え方を教えてくれた

どの仕事も、共通してるのは「人との繋がり」。

―前田さんがもともと関心があった保育も、実際に働かれた介護も近い部分がありますよね。実際に働いてみてどんな感想を持ったのか、聞かせてください。

今思えば、保育士も介護士も近いところはあったと思いますが、対象が違いますよね。

でも共通してるのは、「人との繋がり」。

保育も介護も「その人の、役に立ちたい」っていうところは同じだと思うので。

ただ「やってみたいな」っていう思いだけで――多分、僕は次男なので自由なところがあって、考えもあちこち行ったりするので、「あれやってみたいな」と思えば、素直にこれまでやってきたんです(笑)。

でも今振り返ってみれば、「昔から人と関わるのが好きだったんだな」って思いますね。

―実際に特養でご高齢の方たちとやり取りされた時は、いかがでしたか?

認知症の方は昔の記憶がすごく残っています。

たとえば昔、教師をやっていた方で、「こういう教え子がいて、こういうふうに教えてたんだよ」っていう話を聞かせてくださったこともあって、ひとりひとりの物語を聞くのがすごく好きでした。

身内だったら、ある程度、そういう話も聞けますが、他人のストーリーはほとんど知らずに生きてきた。

「そういう人生があるんだ」「そういう考え方があるんだ」っていうことも学びました。

でも当時はそこまで考えてないと思います(笑)。

ただ、話を聞かせてもらうことが楽しかったし、おばあちゃん、おじいちゃんも大好きだったので、関われたことはすごく嬉しかったんでしょうね。

―今までのお仕事を伺っていると、やっぱり対「人」なんですね。介護に限らず、販売だったり、接客だったり、営業だったり――前田さんはそこにずっと関わられてきたんだなと思って聞いていました。一度離れた販売の仕事にまた戻られたのはどういった思いからだったんですか。

ディスカウントストアで働いていた時は、消耗品を担当していて、売り場を任されていたんです。

そのお店は特殊で、グループ長が直接、問屋さんとやり取りができました。

いわばバイヤーみたいな立ち位置で、仕事ができるのが楽しくて。

いくらで仕入れて、「これをいくらで売ればいくら利益が出る」っていうことを考えてましたね。

店舗によって、棚の商品の陳列も違っていて、担当者が自由に棚作りすることもできました。

「いかにお客様にアピールできるか」っていう面でも楽しくてやらせていただいてました。

あとは――仲間ですかね。今でもつるんでますが、いい仲間と巡り会えました。

こどもの頃からの友達って実は今も関わってる人は少ないんです。今もつるんでるのは、社会人になってから知り合った方々が多いですね。

これまでいろんな仕事に就いてきて、その都度いろんな人と関わってきて、もちろん中にはいい人も悪い人もいて――(笑)。

それでも、慕ってくれる後輩やなんでも喋れる同期、なんでも相談できる上司、そういった人と繋がれたのは自分の中でも財産です。

それが、自分が持ってなかった感情や考え方を教えてくれたっていうところに繋がったのかな。

出会いや人との繋がりって自分にとってもプラスになるんだ――っていうことは今も常々感じています。

CHAPTER4

ふたたび、介護の仕事へ――「もしかしたらこの仕事、向いてるんじゃないかな。だからまた戻ってきたんじゃないかな」って。

重度訪問介護、「小さな声に応えていく」仕事

―土屋との出会いについて、「ホームページを見て、一瞬で魅了されてしまった」と先ほど仰ってたんですが、具体的にはどういったところに魅力を感じられていたんですか。

土屋は、重度訪問介護がメインの事業にはなりますが、他にもいろいろな事業を展開してますよね。

介護業界に対してそれだけ幅広く動いてるという意識の高さが、まず魅力でした。

小さな事業所だとひとつの事業しか関われないことも多いですよね。

だから全国に展開していること、そして「小さな声に応えていく」っていう理念の言葉がすごく心に残ったんですよ。

会社自体は大きいけれど、本質は大きなことじゃない――だから「小さな声」という言葉を選んだんだろうなぁ、と。

「その声にひとつひとつ応えていく」「見逃さず手を取っていく」っていう強い意思が伝わってきたんです。

―重度訪問介護には携わってみて、いかがでしたか。

そうですね。
僕は2023年2月にホームケア土屋秋田に入社させていただきました。

重訪を利用してるクライアント、それから介護保険や居宅介護の日中短時間の方にも入社当時から入らせていただいてますが、特養と違うのは時間に縛られないところです。

これは施設介護からホームケア土屋に転職された方みなさん、口を揃えて仰るんですが、クライアントと1対1で対応できてじっくりお話ができるところ――そこは「その通りだな」って思いました。

その時間帯、人のために寄り添えるところが重訪の魅力なのかな、って。

僕は喋るのも結構好きなので、重訪の現場ではずっと喋ってましたね(笑)。コミュニケーションをすることがすごく楽しかった。

さまざまなご病気や障害をお持ちで、それでも生きることを諦めない――クライアントの姿に勇気をもらって、「俺も頑張らなきゃいけないな」って思えた。

その思いは今もずっと続いてます。

―再び介護の仕事に戻ってーーいかがでしたか?

そうですね。
これは自分で言っていいのかわからないんですが、「もしかしたら、この仕事向いてるんじゃないかな」って思いました(笑)。

だから、また戻ってきたんじゃないかな、って。
臭い言葉で言うと、運命的なところがあるんじゃないかな、って。

―コラムでも「この仕事、天職かも」って書かれてましたね。

書いてましたね(笑)。
すみません、ちょっと調子に乗りました(笑)。

―いえいえ、きっと本当にそう思われたんじゃないかと思います。

そうですね。そう思いましたね。

CHAPTER5

クライアントのやりたいこと、実現したいこと。夢を一緒に叶えた時間

僕は常にオープンなので、このままでいることが大事なのかな。仕事だけじゃなく、プライベートでも、誰に対しても

―重度訪問介護に携わると、クライアントとの出会いもすごく大きいと思います。心に残っているクライアントさんや印象に残っている出来事がありましたら、聞かせてください。

印象に残っているのは――入社して最初に現場に入らせていただいた5歳ほど年上の男性の方です。

気管切開をしていらしたので、文字盤と指文字でコミュニケーションをするんですが、映画もお好きで、共通の話題が結構ありました。すごく気さくな方だったんですね。

僕らはチームになって、365日、毎日支援に入らせていただいたので、すごく仲良くさせていただいたんです。

その方は感染症も持っていて、他の病院や施設への入所を断られてしまったんですが、ひとつだけ受け入れてくれる施設があって、そこで生活をされていました。

その施設に僕らが伺う、という特殊な形の支援だったんです。

その方には夢があって――「いずれひとり暮らしをしたい」「いろんなところに行きたい」という話をよくされてました。

その夢をひとつずつ叶えられるように、いろんな関係事業所とも連携を取りながら、初めて外出支援をさせていただいたことも記憶に残ってます。

美術がお好きな方だったので、美術館に3回、4回ぐらい一緒に行かせてもらって。「夢がひとつ、叶ったね」って。

そこから「じゃあ、次はひとり暮らしだね」「アパートを探しに行こう」っていう話をして。

そこからいろいろ調べて、最終的に一緒に下見に行って「この家、いいよね」っていうところまで話をしていたんですが――ご体調が急変されて、2025年の7月にご逝去されたんです。

なので、夢半ばで――残念なところではあるんですけれども。

でも、クライアントのやりたいこと、実現したいこと。

夢、ですよね。
全部は叶えられなかったんですが、いくつかを一緒に考えたり相談したりすることができて。

そこは本当にいちばんの思い出かな。

―そうだったんですね。たくさんの方との出会いがあったと思います。この仕事に就いて、ご自身が変わってきたところはありますか?

そうですね。
やっぱり自分の考え方や捉え方の幅が広がったのがいちばんですね。

先ほどもお話ししましたが、クライアントやご家族、それから支援関係者の方々とお話をする中で考え方も十人十色、それぞれあるじゃないですか。

そんな中で話し合いを持って、「こういう考え方もあるんだ」「じゃあ、ここはこうした方がいいんだ」「今までこうやってきたけど、それは良くなかったね」っていうところにたくさん気づけた。

やっぱり人と関わるイコール、自分の学びや成長に繋がるんだなっていうことは改めて思います。

―今はまた現場から管理者になられています。仕事ではどんなところに喜びとかやりがいを感じられてますか。

少なくはなりましたが、今も現場にも入らせていただいてます。

感謝の気持ちを仰っていただけると、「やってよかったな」と思いますね。

もちろん、「ありがとう」の言葉をいただくためにやってるわけではないんですが。
ただ、自分自身も「ありがとう」と「ごめんなさい」は必ず伝えよう、っていう意識は常に持ってるんです。

それはクライアントやご家族に対してだけでなく、アテンダントに対しても、誰に対しても、絶対に忘れちゃいけない。

この、「ありがとう」と「ごめんなさい」っていう言葉は、以前、上司だった渡部有真さん(わたなべゆうま/現在は土屋ケアカレッジ課長)から教えていただいたんです。

シンプルですが、なかなか素直に言えない時もあります。

でも意識することで、相手も自分自身も素直になれるし、双方にとってプラスになるので。

まず自分から素直になること。
ここを意識しながらコミュニケーションを取ってますが――まだまだ足りないところも多いですね(笑)。

―前田さんが人と関わる時、大切にしてるところもきっとそこなんですね。

そうですね。やっぱり素直さ、かな。
自分が心を開かないと相手も心を開かないですよね。

僕は常にオープンなので、このままでいることが大事なのかな、と思います。

仕事だけじゃなく、プライベートでも、誰に対しても。

CHAPTER6

休みの日は、こどもと一緒に田んぼでカエル、ヘビ、トカゲを捕まえて

「クライアントとご家族の生活のために」――そのひとつの目標に向けて協力すること

―お休みの日の過ごし方も伺えたら、と思います。最初にも少しお話しましたが、こんな趣味があります、とか、こんなことして過ごしてます、といったところを聞かせてください。

そうですね。
こどもが生まれてからは――長男が今9歳なんですが――2歳ぐらいから生き物探しにはどんどん連れて行ってます(笑)。

公園や田んぼに入って、爬虫類やカエルを一緒に探しに行って、捕まえて家に持って帰って。

―でも、家の中には……

入れられないんですが……(笑)。
2、3日世話をして、逃がすっていう流れは今も続いてます。

そのおかげで、長男もカエルとかトカゲは自分で捕まえることができるので。

僕の中では、「生き物に触れない」ってちょっと嫌なんです(笑)。

小さい頃から生き物と触れていたらそういう面も変わってくると思うし、もともと自分も好きだったので、そこは長男と似てるなと思います。

あとは公園に行ったり、庭でサッカーしたり、ゲームしたり。
今はこどもが中心ですね。

夜にひとりで映画観るのも好きなんです。
結構、ホラー系が大好きなので、ひとりでホラー映画見たりしてます(笑)。

―これからのところはいかがでしょうか。「ホームケア秋田でこんなことをしていきたい」「こんな事業所にしていきたい」といった思いがありましたら聞かせてください。

そうですね。
管理者をさせていただいてから意識してるのは、繋がりを広げていくことですね。

今、他事業所の管理者さんとも仲良くさせていただいていて――相談員さんやケアマネージャーさん、訪問看護さん……重訪では、いろんな職種の方々と関わります。

そこで繋がることを最初の一歩として――さらに枝分かれして、みなさんそれぞれに部会や連絡会を開かれている方も多いんです。

そこにも参加させていただいたりしながら、そうすると別の相談員さんや行政の方とも繋がれて、どんどん輪が広がっていくんですよ。

介護業界にはいろんな業種や事業所がありますが、目標は同じだと思うんです。

「クライアントとご家族の生活のために」――そのひとつの目標に向けて協力することは支援の質の向上にも繋がりますし、人との関わり方もレベルアップしていくと思うんですよね。

これからは事業者だけでなく、行政の方とも一丸となってやっていきたいですね。

まだまだ輪は小さいですが。

―土屋という会社としてのこれから――となった時、いかがでしょうか。

地域性にもよるとは思うんですが、秋田は重訪を利用してる方がまだまだ少ないんです。

東北では重訪の認知度がそこまで高くないところがあるので、あちこちへ営業しながら広げていくことが今の僕らの役割のひとつではあります。

今、秋田を含む東北エリアで、土屋という会社がサービスを提供している事業所ってホームケアしかないんですね。

これからは施設介護も含め、東北エリアでさまざまな事業を展開していければ、支援の輪もどんどん広がっていきますし、小さな声に応えていく、というところにも繋がっていくのかな、と思ってます。

自分もできる限り、協力できるところは協力したいな、という思いです。

CHAPTER7

クライアント、アテンダント、そして仲間たち――今関わってる人が全員、僕にとっての原動力

まわりからもよく言われるんです。「なんでそんなポジティブなの?!」って(笑)

―この仕事を続けてる原動力について――前田さんにとってはどんなものでしょうか。

そうですね。
原動力は――まずは今、関わっているクライアントですね。

「最後まで責任を持って寄り添っていきたい」という思いもありますし、クライアントやそのご家族からも、「土屋に来てもらってよかった」っていう声もいただいてきました。

それから、アテンダントさんです。
事業所を支えてくださってるのはアテンダントさんなので、仕事を続けられるよう働きやすい環境づくりは、我々がやらなきゃいけないことです。

あと、仲間ですね。
北海道・東北ブロックは管理者さん同士がすごく仲がいいんです。

管理者さんだけのチャットがあって、そこで「これどうだったっけ?」「この期日、いつだっけ?」っていうちょっとしたやり取りをしたり。

さっきも電話して話していたんですが、そういう仲間の存在はすごく支えにはなってます。

だから、今関わってる人が全員、原動力って感じです。
ちょっと大げさですけど(笑)。

―すごく素敵な答えだなぁ、と思います。素直でポジティブな前田さんに――“自分らしさ”ってどんなところかな、ということを最後に伺ってみたいな、と思いました。

自分らしさ……そうですね。
基本、そのままなので。

馬鹿正直、素直、ポジティブ、みたいな言葉しか出てこないですね(笑)。それが自分、というか。

その中でもどれかひとつって言われたら、ポジティブっていうところなのかな。

自分でもそう思いますし、まわりからもよく言われるんです。
「なんでそんなポジティブなの?!」って(笑)。

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