
「小さな声」への決意/香山 里美(土屋ケアカレッジ 研修品質課)
「命を預かる」という仕事は、高度な専門性を身につけた者が、確かな知識と技術をもって行うものである。
長年、医療機関で看護師として勤務してきた私は、ごく当たり前のようにそのような考え方の枠組みの中にいた。
的確な診断を下す医師、身体と心のケアを支える看護師、そして患者の内なる力をサポートするコ・メディカル。
命に関わる職業はどれも専門性が高く、それゆえに医療機関はこうしたプロフェッショナル集団によって厳格に守られていた。
それほどまでに人の命とは尊く、重いものだからである。
私自身も国家資格を手にしたときは、自らの使命に身が引き締まる思いがしたことを鮮明に記憶している。しかし私は、この書籍を読み、専門性という要素のほかに、「命を預かる」「人に寄り添う」ためのもう一つの大切な要素があることを改めて知った。
私が重度訪問介護を担う「土屋ケアカレッジ」と出会ったのは数年前の夏のことである。
業務に深く関わっていくうち、私は元大工、元カフェ店員、元学習塾講師など、実に多様なバックグラウンドを持つ人々と出会った。
医療という「純粋培養」の世界で育ってきた私にとって、最初から医療や介護の道を志していたわけではない人々が集まっている事実は新鮮な驚きであり、ある種の違和感を覚えたことも否めない。
しかし同時に、彼らがそれまでに歩んできた人生の歴史に対して関心を抱くようにもなった。
そんな折、本書が発刊され、私たちの手元に届いた。書籍の中には、数多くの登場人物たちの生きてきた歴史が克明に描かれていた。
ページを読み進めると、やはり多くの方は最初から介護をスタート地点としていなかった。
彼らは人生のどの時期にどんな分岐点を迎え、現在の「土屋」の土台となるマインドを築いてこられたのか。
ページをめくるたびに、一人ひとりのストーリーが、まるで鮮明な映像動画を見ているかのように脳裏に浮かび上がってきた。
人は誰しも、今いる環境の中で「このままで本当に良いのだろうか?」と立ち止まる瞬間がある。
その迷いに目をつむり、変化を恐れてそのまま生きることも決して悪ではない。
むしろ、守るべきものが多ければ多いほど、目の前に敷かれたレールをそのまま進む方が平穏かもしれない。
専門的な資格、つまり積み重ねた知識と技術があって、初めて信頼と安全が担保されると信じて疑わなかった私だが、本書を読み進めるうちに、大切な古い記憶が呼び覚まされた。
それは、書籍に登場する宮本さんや大山景子さんのクライアントとのエピソードに触れた時のことである。
かつて私が医療現場で働いていた頃、資格を持たない介護職員がいた。
しかし、彼女の患者への向き合い方は資格の有無という枠組みを遥かに超えていた。
優れた観察力や洞察力、確かなサポート技術、そして言葉の柔らかさを持つ彼女は、患者や看護師から深く信頼され、相手に寄り添う意味を誰よりも実践できる存在だった。
また、私自身の新人時代を振り返っても、看護ケアや医師の補助に手こずっている時に「大丈夫、落ち着いてやったらいいよ」と優しく声をかけてくれたり、業務に追われる私を「昼ご飯はちゃんと食べられたん?」と心配してくれたりしたのは、ケアされる側であるはずの患者さん自身だった。
看護師である私がどれほど彼らに癒やされ、救われていたかというシーンが鮮やかに思い出された。
国家資格を持ち、命を預かるプロフェッショナルである前に、人と人とをつなぐもっと本質的で大切なものがあることを、私はずっと前から知っていたはずだったのだ。
人は人生の岐路に立った時、心の中に宿った「違和感」や「本当にやりたいこと」に気づいてしまうと、心の羅針盤は素直な気持ちへと方向を指し示す。
その瞬間、自分の選択に対して不思議な自信と覚悟が芽生えるものである。
本書に描かれた先人たちも、そのような葛藤と決断を経験されてきたのだろう。
「小さな声」を探し求める。
というタイトルには、重度訪問介護を必要とするクライアントの声を探し求めるという意味が込められている。
しかしそれだけでなく、他者を思いやる心や、自分自身の内面に宿った「小さな声(意思)」に誠実であろうとする人々を、高浜代表自身が熱意を持って探し求めていたのではないかというメッセージをも、私は本書から受け取った。
独立した組織として歩んできたみなさんの多大な功績への称賛はもちろんのこと、何よりもご自身の中にある「小さな声」に耳を傾け、勇気を持って行動されたその生き方に、心からの敬意と称賛を贈りたいと思う。




















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