ジャズ喫茶/安積遊歩

二十代のとき、ジャズ喫茶に行くのが好きだった。
その頃は車椅子で行ってもあまりにジャズ喫 茶の中が狭かったので、玄関の前に車椅子を置いて歩いて中に入った。

そしてコーヒーを頼み、 タバコを吸い、こんな運動をしてても絶対になかなか変わらないだろうなと絶望していた。
その頃は8ミリ映画を作っていたのだが、とにかく資金もなければ支援者も少なかった。

ほとんど が映画好きの支援者の男性が一人と私でカメラを回したり編集したりしていた。
ジャズを聴きなが らタバコの煙の中でお金の算段を考えていた。

算段といっても、街頭カンパと自分たちの持ち出 ししかないので、週に2回くらいは一日三、四時間街頭カンパをした。
そして疲れ切るとジャズ喫 茶に駆け込んだのだった。

そのジャズ喫茶のトイレはぼっとん便所で、そのうえ段差がすごかった。
しょっちゅうコーヒーを飲 みに行きたくても、そのトイレのことを考えるとジャズは流れていなくても他の喫茶店に行くことも あった。

ある時、そのジャズ喫茶のマスターが話しかけてきた。

「あなたがよく来てくれるから、トイレを車 椅子でも使いやすいものに改装しようと考えている」と言ってきた。
驚いて彼の顔をしみじみ見つ めたが、本気そうな顔だったので、どんな設計にしようとしているのか尋ねた。

すると「どんな設計 がいいのでしょうね」と謙虚に言ってくれたので、「絶対引き戸がいいですよ」と熱弁した。
それからトイレの改装が本当に実現するまで、数ヶ月だったか数年だったかは記憶にない。

いつ のまにか、広くはないけれどトイレは引き戸になって水洗になった。
そしてちょうどその頃、映画も できた。マスターが映画を見てくれたかどうか、それも覚えていない。

ただ、マスターは私に非常 に興味を持ったらしく、私の写真集を作りたいと言ってきた。
私は知らなかったが、彼はその地域ではちょっとした写真家であったらしい。
私に「ダイアン・アー バスは知っているか」と聞いてきた。

私が「知らない」と答えると、すぐに彼女の写真集を貸してくれた。
そこにはさまざまに身体が他の人たちとは違う人たちが凝集していた。

私はページを開くた び惹き込まれながらも、ダイアン・アーバスのその視点に辛く詰め寄られている気がして、なかな かページを繰れなかった。
ダイアン・アーバスは社会から排除・抹殺されそうな人々を追い続け、自分もまたビルの屋上から 飛び降りて人間社会からの離脱を貫徹したという。

マスターは「僕はあなただけの写真集を撮っ てダイアン・アーバスとは違う形の写真集を作りたい」と言ってきた。
私はダイアン・アーバスがなぜ自殺しなければならなかったのかに少し打ちのめされて、なかな か彼の提案を承諾しなかった。

それでも彼も諦めず、カメラを抱えて私の元に何度かやって来るようになった。
私もダイアン・アーバスはちょっと傍に置いておこうかなという気になっていった。

彼が「はーい、こっちを見て」とか「今度は脇から撮ってみるよ」という声がおもしろくなって、いつ のまにか彼のプロジェクトを一緒にやり始めたのだった。
ところがある日、彼が約束した時間に大 幅に遅れ、ついには連絡なしに来なかった時があった。

私はアーティストというのはそんなものか もしれないと思いながらあまり気にせずにいた。
それまでに彼が私を写し、現像してきた何枚かの写真を見ながら、彼からの連絡を待つしかない のだと思い決めた。

その頃私は福島県青い芝の会のリーダーシップをとっていた男性との同棲を解消していた。
そし て六歳年下の男性と隣の県に移り、いわゆる専業主婦というのをやっていた。

それは、差別に満 ちたこの社会への抵抗による選択だった。
この社会は障害をもつ女性にはいわゆる「普通」の女性がしている結婚や専業主婦は無理なの だと言っていたから、それに抗っての選択だった。

ただ、心の中で抵抗しての選択をしながら、ま た彼の写真のモデルをするというのはなかなか普通とは違うな、と苦笑する思いもあった。
それから数ヶ月が経ち、私は久しぶりに彼のジャズ喫茶を訪ねた。

そして驚きの彼の訃報を知っ た。彼はとにかく変わった人で、50歳を過ぎたか過ぎなかったかくらいだったが、なんと国民健康 保険に入らず、病気になっても医者にも行かず、あっという間に亡くなってしまったという。

私は常々「医者に行けば病気が良くなり回復できる」という言説に疑問を抱いていたので、彼が 亡くなってしまったことには衝撃を受けはしたがそれより国民健康保険に入っていなかったことの 方に驚いた。

私たちはいつだって自分自身でありたいと願っているだろう。
しかしその自分自身であるというこ とはいったいどういうことなのか、大好きなジャズ喫茶を経営しそこに車椅子を使う客が来たこと に触発されて車椅子用トイレをつけた彼。

そして大好きな写真で私を追いかけ、ダイアン・アーバ

スの写真集とともに何かをメッセージしながら逝ってしまった彼。
99%の人々が当時入っていた健 康保険に入らず飄々と突然に逝ってしまった彼。

私はジャズを聴くたび、自分らしさとは何かを考 え、彼を思い出す。

◆プロフィール

安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。
アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。
障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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