土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
重度訪問介護を使い始める障がいをもつ人の戸惑いにはさまざまある。まず、幼いときからの障害者であれば、親や周りの人が自分の身の回りのことをやってくれていたから、自分が何をやってもらっていたかもあまり自覚できていない。それをきちんと自覚して自分以外の人に頼んでやってもらわなければならないということは、二重にも三重にも不安だろう。「うまく頼めるだろうか」「頼んでわかってもらえるだろうか」、そのうえ言語障害があればなおさら、伝わらないことでのもどかしさや不安は強くなる。
しかしそれでも、自分の身体の自由を最低限でも確保しなければ、自分の人生に対する尊厳や自由であることの権利を放棄してしまうことと自覚して、この制度をつくり育ててきた仲間たちがいる。その仲間たちによって介助料をその労働に対する対価として支払えるようになった。
ところが今度はその介助料を支払うことで、別の悩みや葛藤が生まれてきた。それは、「介助料を払っているのだからもっときちんとやれよ」というような、ある種傲慢ともいえる期待であり要求である。
もちろん介助をする人の年齢にもよるが、40代以前の人は特に、幼いときから自然環境のなかでたくさんの命と触れ合って遊ぶという状況から疎外されてきた人が多い。そのうえ人間関係も、家族や学校の往復というように、多様な人との関わりから隔絶されてきた。だから他の命への想像力をなかなか培えない。そうした状況が、彼らを、障がいをもつ人の要求を「わがまま」だとか、「独りよがり」と決めつけさせてしまう。そこにはなかなかに、自分がそちら側の身体をもっていたらどんなふうに感じるのだろうというような思いやりや想像力は育たない。
そしてそれに乗じるかたちで、障がいをもつ人の場合にも二パターンがある。一つは、人に頼むことの気疲れと遠慮から、この制度を使うことを放棄していくこと。それは時間支給についてミニマム化されることに抵抗しないことも含む。
もう一つは、中途(ある程度大人になってからの)障害を持つ人によく見られるのだが、自分が障がいをもつ前に、どんな経済との関係性の中にいたかにひどく影響される。つまり、雇用者側として人を使っていたら、この制度のなかでも介助者を自分が雇用しているという錯覚に陥り、何でも言うことはやってもらおうという立場に容易にいってしまう。そしてそれができないとなると、その介助者を簡単にクビにするという障害を持つ人も出てくる。
重度訪問介護の制度のなかでは、私たちが介助者を雇っているわけではない。介助者を雇用しているのはあくまでも事業所であって、事業所が介助者に給料を払っているわけだから、私たちが介助者を拒絶しても事業所は彼らをすぐにクビにするわけにはいかない。それは労働契約違反だ。労働者を守るために、システムは少しずつながら進化してはきた。しかし介助の仕事は非正規雇用がほとんどで、そこには多くの問題がある。そのために事業所は介助者の要請にも派遣にも慎重にならざるをえない。そして慎重になればなられるほど、追い詰められるのは私たち、障がいをもつ人なのだ。
私たちは恒常的な介助者不足で悩んでいる。その介助者不足をさらに助長するような、介助者に対する好き嫌いとか気が合う合わないだけではない介助者との関係づくりが必要だ。介助者は私たちに自分の身体的自由を分かち合って、私たちの身体的自由を保障するという仕事をしてくれる。しかしだからといって介助者の身体は私たちの手足そのものではない。その介助者にもそれぞれの尊厳と歴史がある。その歴史のなかで培われてきている私たちとのさまざまな違いを、私たちは互いに理解して関係性をつくっていくというプロセス、それがこの重度訪問介護の重要な側面である。
もちろん私たちは、私たちの人生を生きるためのシステムだから、自分の好みや感性を妥協させることなく告げていく。例えば私はベジタリアンなので、自分の家では一切肉を食べたくはないし、料理したくもない。しかし介助者に対してはなぜ肉を食べないかをゆっくり説明し、共感を求める努力をするが、食べないよう強制することはしない。また、化学物質の害についても、私自身も症状が出るし、環境にとっても良くないと知っているので、なるべく洗剤や柔軟剤、化粧品の類も使わないでほしいと介助者に頼んでいる。料理は私が何を作ってほしいかをあらかた決め、野菜の切り方等も必要に応じてきちんと指示するし、洗濯物のほし方も自分のやり方を伝える。歯の磨き方もそうだし、寝具の用意も全部私が決める。
自分の生活をどんなふうに過ごしたいか、それを地域のなかで実現していくための自立生活だが、それは周りの人々との幸せと結びついていなければならないという思いと前提が私にはいつもある。その周りの人たちのなかには、子どもたちもいればお年寄りもいる。彼らも含めた平和への世界観こそ、この制度を使って私たちが実現したいものなのだ、と私は信じている。
◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。