心のバリアフリー 「重度訪問介護を使って」 / 高橋誠人

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

ボクは四肢麻痺で、左腕はヒジから手先が無い。
左手がないのは小さい頃から。

ボクは幼少の頃、特別支援学校の時はあんまり友達も出来なかった。
原因は身体に障害があって動けないからとかではなく、母は自分の子供が障害児だという事を世間に隠していたからだ。だからあまり人に会ったり、外に出させてもらえなかったりした。外へ出る時は義手を付けられ、なるべく分からないようにと隠されていた。

ボクには弟がいて、母は弟ばかり可愛がり、自分は放置されていた。
障害があるからという事で見放されていた。
いわゆる育児放棄だ。

母と弟が外に出かける時、1人で放置される事もあった。
正直、虐待もあり、今でも思い出すと恐怖が蘇る。

ボクは子供なりに辛い日々を送っていた。

小6くらいの頃、初めて乗った電動車椅子!
当時、電動車椅子は、自分に乗れるのか…、と不安もいっぱいだったが、次第に電動車椅子がボクの足だと思うようになっていった。

その頃、両親が離婚。父親に引き取られ、おばあちゃんと過ごした。

自分の病気、脳性麻痺だと知ったのが高校を卒業してからの事。

あの頃、自分では訓練を続けていったら歩けるようになると思っていた。
が、「先生ボク歩けるの?」って聞いたら、医師からは「歩けない」と告げられた。

ただ、身体を動かさないと筋力も体力も落ちるので、筋トレ目的で特別支援学校のよさこいチームに参加するようになった。

何かやりたい!という強い気持ちはあったけど、やっているうちに、何か違うと感じた。

その頃くらいか、よさこいの先生の知人だった、プロ車椅子ダンサーの方を紹介してもらい、その方と出会った。
講演会も見に行って、この人とやりたい!と思った。
和歌山から大阪に通ってレッスンをしてもらい、充実した日々を送った。

ヘルパーさんにレッスンや色んなイベントなどにも連れて行ってもらい、10年前くらいだろうか、今の土屋の和歌山の管理者である山本潤さんに初めて会った。山本さんは、その当時、介護はまだしていなかったが、ボクにも話しかけてくれた。

色々なイベントに参加したり、SNSをやって色んな人と繋がったりする中で、Facebookである人を見つけ感銘を受けた。
いつも的確なアドバイスをしてくれ、心を落ち着かせてくれる人。
思春期に母がいなくなったボクからしたら、母親的な存在でもあった。

少しずつ色んな人と出会い、沢山パワーももらえていた。

話は戻るが、重度訪問介護を利用したきっかけはおばあちゃんが入院した時。

外出に使える支給時間は18時間/月。1日に換算してみたら、たった36分間。

でもヘルパーを初めて使った時は本当に嬉しかったのを覚えている。何よりも、自分の時間を好きなように使える事が。

しかしバリアが無くなったわけではなく、色んな制限があった。

また実際に自分の身体の事を考えると、ヘルパーの事を気遣うようになり、そんな自分もしんどくなってきた。

そして、ボクは色々考えた。
今の自分に少しでも人の手を借りずに出来ることは何か。

自分だけで出来ること=車椅子ダンス。
劇団とかも考えたが、舞台に上がったり、下りたり、人の手を借りないといけない。

そんな時、一番支えてくれたのが車椅子プロダンサーの先生だった。

「車椅子だからこそ出来る事がある」

出来ないと思っていた自分を勇気づけてくれた。

当時、和歌山県では車椅子ダンスチームがなかった。自分の地元和歌山で障害者でも出来ることを何かしたい!

そこで作ったのが車椅子ダンスチーム「和歌山ビクトリー」。
支援学校での友達に声をかけ結成した。

そして2年ほど前に相談員から紹介されたのが、土屋のヘルパー。

話をしに来た人が、なんと土屋で働くようになっていたあの山本潤さんだった。
運命の再会をして、ボクは土屋で介護を受けたいと強く要望した。

土屋のヘルパーに入ってもらい、ボクの毎日は楽しくなっていった。

土屋と出会って想うこと。
出来ること、出来ないことをはっきり言ってくれる。
アドバイスをくれたり、相談に乗ってくれる。

常に対等に思ってくれ、たまに(山本さんに)お小言をもらう事もあるけど、ボクはそれが良いと思う。

土屋はボクを引き出してくれた。
ヘルパーの対応からは心のバリアがなくなった。

本当に土屋と出会えて良かったと思っている!

障害者も健常者も関係のない社会を創りたい!
ヘルパーさんと一心同体になり、安心して暮らせる世の中にしたい。

ボクら障害者って本当に苦労して、自分で考えて生きていかないといけない事を分かってほしい。

国はバリアフリーを昔から打ち出してはいるが、様々な制度にまだバリアがありすぎる。

和歌山でいうと、18時間/月の移動支援時間しか出ない。1日に換算するとたった36分だ。これでは、例えば近所のコンビニすら毎日行けない。どう考えてもおかしいと思う。

同じ人間なのに制限される、このバリアを壊したい。

だから、ボクは土屋に出会い、土屋の会社としての想い、ヘルパーさんたちの想いと共に、障害者の暮らしを少しでも豊かで安心して暮らせるようにしていき、社会、そして心のバリアフリーを実現したい。

これからもこんなボクを沢山の人に見てほしい。

障害者のボクたちでも出来ることは沢山ある。

 

◆プロフィール
高橋 誠人
和歌山県出身 平成3年生まれ 29歳

生まれつき脳性麻痺で左腕がない。
特別支援学校を卒業し、車椅子ダンサーを目指しレッスンを受ける。
2年前に土屋と出会い支援を受けるようになり、月2回(1回9時間)のヘルパーが楽しみで待ち遠しい。

 

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