社会福祉法人グロー元理事長・北岡賢剛氏の
セクシャルハラスメントについての抗議 ならびに考察
2024年10月24日、従業員へのセクシャルハラスメントで提訴されていた「社会福祉法人グロー」(滋賀県)の元理事長・北岡賢剛氏およびグローに対し、一審で有罪判決が言い渡されました。
社会福祉法人グローは、北岡氏によって設立された障害分野における象徴的な組織であり、北岡氏自身、障害者アートというカルチャーの基盤を作った象徴的な人物であるとともに、日本の障害福祉制度を作ってきた中心人物でもあります。
また、北岡氏がグローの理事長であった当時に関わりのあった福祉の祭典「アメニティフォーラム」は、厚生労働省の元事務次官を含め、障害分野においてリーダーシップを取る方は必ず参加するというほど重要なイベントでした。
そうした国の政策にも影響を与えるような一大人物、そして人権回復の取組みやノーマライゼーションを実現してきた中心人物の一人が、女性従業員に対して、長期継続的に深刻なセクシャルハラスメントを行っていたことが司法の場で確定されるに当たり、同じ障害福祉業界に属する一企業として、株式会社土屋は北岡氏およびその加害行為に対して強く抗議し、セクシャルハラスメントに断固反対することを表明いたします。
私自身は北岡氏とのつながりはありませんが、北岡氏は障害福祉におけるカリスマリーダーであり、業界の中心人物でもあります。彼を崇拝し、信者のような方が現れると同時に、障害当事者運動のリーダーたちの多くが北岡氏を慕い、ある意味では北岡氏の影響下にあったとも言えます。
こうした中、同じ業界を担う者としては、障害福祉分野における第一人者が犯した過ちに対して羞恥の念を禁じ得ないのと同時に、さらなる加害を防止するためにも、この問題自体がはらんでいる「権力とセクシャリティ」という重要なテーマについて考察することが不可欠だと考えます。
社会には今なおジェンダー不平等がれっきとして存在し、女性に接待されるような場所では権力、ひいては財力があればあるほどもてはやされるのが現実です。権力を持つと、女性に“モテる”と勘違いするリスクも高じ、自尊感情が高まるのは想像に難くありませんが、これは人間の本性として致し方ない面があると感じる一方で、我々がメディアコントロール下にあることがそれを助長していることも否めません。
男性が高級車を所有したり、高級ブランドの服を身に付けるなどで自身を飾るのは、基本的には異性のアテンションを集めたいという思惑ゆえかと思いますが、それらが女性の興味を惹くと考えるのも、先天的ではなく、後天的な学習によるものです。
幼児が高級車や高級ブランドに身を包んだ人を“イケてる”と思うかと言えば、そうではないはずで、かつてアメリカがマスメディアを通じて3S(スポーツ、セックス、スクリーン)を打ち出すことで国民の意識を作ったように、我々は知らない間にメディアコントロールによってセクシャリティに関する感度を作られています。にも関わらず、もともと自分の中にそれがあったかのように思い込んでいる構造がある。
人間である限り、そこから抜け出すのは難しいとはいえ、権力・富を持つと、容易にそれを現実化することができます。これらを鑑みても、性的であるということと権力との相関性は実はかなり深部でつながっていると感じます。そして、その結果として、権力を持った男性たちが、その権力を乱用することで、セクシャルハラスメントが起きると思われます。
今回の、期間・行為ともにあまりにひどい、深刻なセクシャルハラスメントを受けた被害者の方に対しては気の毒な思いを禁じ得ず、被害者の苦しみを思うとセクシャルハラスメントは絶対にあってはならないことであり、加害者に対する嫌悪と怒りを感じますが、北岡氏自身、その構造の一バリエーションに過ぎず、明らかにワンオブゼムであり、突然出現した変異体ではありません。多くの力ある男性が辿る道をそのまま辿っただけだとも言えます。それゆえ、今回の事件を、我々自身が自分たちの主体のあり方を見直すべき契機とする必要性を感じます。
権力とセクシャリティの関係はコインの裏表のように危ういものです。なんでも自分の思い通りになるというような思考にはまるのは、多くの人たちに開かれている危険な道であり、「明日は我が身」と思って、常に反省的である必要があると思います。そして、それにはそのような可能性を持った自分自身の感性や感情に対して、一定のクリティカル(批判的)な視点、外から見る視点を持つことが大切です。
その上で、一定以上の収入や地位のある男性は、多くの人が間違うリスクを持っている道を、どうすれば同じ轍を踏まないで済むのかについて真摯に考え、常に自分自身に対してマインドフルであるべきだと気づくことで、他者をコントロール下において人権を侵すというお決まりのルートから脱却せねばならないと感じます。
一方、残念ながらセクシャルハラスメントが跡を絶たない以上、女性自身もこうした被害に遭うリスクを極力、避ける必要性を感じます。一定数の女性は、生きていくために必死であるがゆえに、権力・地位・お金のある人たちの恩恵にあずかりたいと、自然な感情として思うわけです。あるいは、新興宗教の教祖と信者の関係に見られるように、閉ざされた領域における共依存と権力関係構造に組み込まれ、支配と服従の関係に陥るケースもままあります。
セクシャルハラスメントにおいては圧倒的に加害者が悪いことは間違いありませんが、加害者たり得る者が注意しなければいけないのと同様に、被害者も注意する必要がある。社会で生きている以上、自分自身が、「権力とセクシャリティ」のストーリーの中に入っているということを、きちんとマインドフルを効かせて気づくことが大切です。そうでなければ、権力を持つ者の餌食にされてしまうことが、リスクとしてあると思います。
とはいえ、本来は加害者たり得る者側の問題であり、企業としても同様です。当社でも、上司からセクシャルハラスメントを受けたという女性の訴えが定期的にあり、程度は今回の事件に比べて低いとはいえ、ここにおける問題は程度だけではありません。やはり、従業員が被害に遭いやすいということです。
会社や組織で働く時点において、従業員はその中の権力構造にどうしても位置付けられてしまいます。もっとも、位置付けられないと業務が成立しないので、権力は組織を機能させる上で必要ではありますが、従業員にとっては給料が支払われている以上、自身の首根っこを握られているということにもなり、上司の性的な要求を拒否することで異動や、扱いが悪くなることを恐れてハラスメントに耐える方もいます。
まさにMeToo運動の背景にある問題ですが、企業としては、そうした人事権の悪用を禁止する自覚が必要です。訴えに対しては、その不当性がどこにあるのかについては明確に示すべきだと思いますし、人事権に対するモラルを社会全体に訴えていくことが大切だと思われます。
もちろん冤罪は許されませんが、当社ではセクシャルハラスメントをもたらすような不当なあり方には強く抗議しますし、一人一人の社員に身を正す決意を求めたいと思います。企業が人の集まりである以上、すべてをゼロにすることは難しいかもしれませんが、ハラスメントの断絶は追求すべき最も重要なモラルだと考えています。