今、この文章を書いている日は、年度が切り替わった4月1日です。毎年の事ですが、私自身の生活は何も大きな変化が無くても、年度初めは私を取り巻く福祉施策の背景に大きな変化がある時期です。
今年も私の住んでいる自治体の障害福祉課の担当係長や、私が使っている福祉制度の書類の手続きをして下さる職員が3分の1入れ替わり、福祉とは全く関係のない部署から空いたポストを埋める為に同じ階級の人がやってきました。
不正を防いだり、癒着をおこさせない中立で公平な行政施策の推進という建前論は分かるのですが、福祉というものをたくさん利用して、ずっと死ぬまで生きていたい当事者からすると、また一から自分の置かれている状況や経済状態、生活環境を総合的に伝える事で、暮らしの質を担保していく作業をするのが生業のように生きていかなければならない時期が来たと思わざるを得ません。
それは、私や同じような境遇の仲間が地域で当たり前のように生きていくためには必要な事である事は言うまでもない事実です。
「担当者が変わっていく時には書面で全部引き継いでいるので何の不安も感じる必要はありませんよ!」「職員一人が、当事者の福祉サービスの必要性を決定しているわけではなく、組織として支給決定したり給付決定したりしたものが当事者一人一人の暮らしに反映されていく組織的な仕組みですから大丈夫です!」というご説明をいつもお決まりのように伝えられるのです。
今までの経験上、上記で言われた事が不安に感じなかった事は少なく、結果、人が入れ代わる度に説明をする必要が出て来るのです。同じ説明をしても伝わりの良い人・伝わりにくい人は当然いる訳です。そこをどう切り抜けて現在の生活よりも少しでもより良い生活を出来るようにするのかが、当事者に求められた生きる為のスキルだと私は思います。
行政と交渉して行政に嫌われたくはないので、あまりうるさい事を言わなくても、万人が妥当だと考えて頂ける福祉サービスを受ける事が可能であれば、少しは不便があっても我慢をしたりしながら生きていく生き方もあると思いますし、それは一人ひとりの当事者の生き方による所になるので、何が正しいとか、そういった事ではないと思います。生きる事の求めるところは多様であって当たり前と思うからです。でも私は、あえて行政と対峙し闘う人生を選んで生きてきました。
それも「とてもしんどい生き方だなあ」といつも思いながらですが、私が突破できれば、きっと他の人の役にも立つ事をしているのだと自分に言い聞かせながら毎日を暮らしています。
その為、今年度も少しでも正しい理解を広められるように、挨拶から始まって必要な時には話合いをしていこうと思っています。
話は少し変わりますが、先日、私の昔の仲間が志半ばでお亡くなりになっていた事をつい最近耳にしました。その人も、自立生活が軌道に乗るまで紆余曲折ありました。その過程にほんの少しですが関わらせて頂いていたので、心を痛めると同時に、その方は地域で生きた事に100%ではなかったにせよ満足感と達成感が持てる生き方を完結する事が出来たのかと考えさせられました。
その真相は、本人のみぞ知る所なので何とも言えませんが、重度な障害があってもなくても、人生を全うするということは大変なことであると改めて考えさせられる出来事でした。それでも地域で自分らしさを求めて生き切った事については敬意と感服を覚えずにはいられません。
そんな生き方を施策や国の政治がしっかりと裏付けを持って支えてくだされば、もっともっと沢山の重度障がい者と言われている人々が、地域で生活できるようになると思います。
先日、たまたま国会中継を目にした私は、重度訪問介護の告示に規定されている社会通念上適当でない外出や通勤・通学、就労が未だに重度訪問介護で当然の権利として認められていない事が、石破首相を目の前にして語られ、切り込んでいく当事者議員の姿を見て、やっと国会中継の場で重度訪問介護制度の是非が議論される時代が来たのかと思い一瞬喜びたい気持ちになりましたが、その答弁に対する石破首相の発言がどう見ても誰かが書いた原稿を棒読みしていて、首相の本心から滲み出てくる発言でなかった事に、想像は付いていたもののガッカリさせられました。
それでも重度障がい者の地域生活の実現を、国会の中心で短い時間とはいえ議論されるようになって来た事は一定の評価に値すると思わずにはいられませんでした。
国が制度の運用において、告示に書いてある事のみをもって重度障がい者の生活圏を規制したり狭めたりするものではないと言わせる事が可能になった事は、成果の一つだと思います。
あとは当事者の努力で、地方自治体の各行政と今可能な事や、必要性・緊急性を考慮に入れた理解と、より良い個々人の実態に即した運用を勝ち取っていく事が何より大切と改めて痛感した出来事でした。
◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生
養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を精力的に行う。
◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動