小さな自分を抱きしめて 〜母と妹そして学校教育(2)➁〜 / 安積遊歩

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

妹には3人の男の子がいる。妹と私はむちゃくちゃ仲良しで育ったから、妹の子供たちと私も、私の娘も実に仲良しだ。最近でこそなかなか会えないが、どんなに遠く離れていてもお互いを思う気持ちが決して減じることはない。コロナで万が一にも数年会わない時があっても、会った時には「きゃー‼︎嬉しい!」と言って彼らに飛びついて行けるほどに気持ちはピッタンコだ。

妹は小さい時からまさに私とピッタンコのように育ってきた。幼い時からの距離の近さがどんなに大事かを自分の人生で確信していたのだろう。だから彼らが育つ時に1番大事にしたのは、共に同じ時間、同じ空間を沢山分かち合う、ということだった。

私の娘が生まれた時は、10代を生きていた3人の息子たちは世の中では反抗期とも言われ大変な時期だったに違いない。しかし妹は、私の娘が事あるごとに彼らが一緒に居られるよう考えてくれた。そして私もまた、娘を連れて妹の家をできる限りよく訪ねた。

3人の息子たちはそれぞれ小学4年、2年、末っ子は保育園から登校拒否、そして登園拒否をした。もちろん何が大切かをよく知っている妹でも、彼らの決断を最初の最初から受け入れられたわけではなかった。

妹がハタチの時、私は自立生活をするということで突然家を去った。妹にとってはそれはある種、私の裏切り行為であり、驚愕と不安に追い込まれる出来事だったと思う。「自分は姉の面倒を見ながら一生を暮らすのだ」と思っていたにも関わらず、その目標を見失ったわけだから。

そこから立ち直るため障害を持つ姉の居る優しいヤングケアラーの役割を降り、いわゆる世間並みに子育てに奔走していた彼女。その彼女に今度は息子たちが「世間並みから降りろ」と言うように、次々に登校拒否をしていった。「長男が学校に行かないと言っているけど、どうしたらいい?」と、心細げな声で妹が電話してきた時のことを、私もはっきりと覚えている。

幼稚園の頃から妹は比較・競争がある集団生活が嫌いだった。小さな頃から母の家事を手伝い、私の介助に時間をとられていたので学校の成績は良くなかった。

社会は学校の勉強よりずっと大事なことをしている子より、成績が良い子の方を大事にする。という非人間的な価値観を常識と呼んでいる。

妹からの電話を受けた時、私にはその常識が全くなかったので思わず彼女の不安げな声を無視して、「いやぁ、良かったよかった。これでいつでも彼に車椅子を押してもらえて、どこにでも行ける。秋には、大阪に呼ばれているから大阪に車椅子を押して一緒に行こう、と言っておいて。」と答えたのだった。妹はそれを聞いて私に相談しても無駄だと思ったらしく、その後数ヶ月は電話をくれなかった。そして兄弟仲の良い子達だったから3人とも次々に家で過ごすようになっていった。

そんな中、共に在り、共に生きるための優しさや賢さを育てるために、妹は息子たちの登校拒否を良いチャンスに転じて行った。「この子達は学校に行かない方が幸せなのだ」と確信した彼女は、彼らがそのことで後ろめたく思わないよう、家の中でも外でも彼らと遊びまくった。

そして彼らと同じように学校に行かないでいる子供たちを探して友人を作り、彼らも自分もまた孤立させないようにという努力を始めた。家に居ることが圧倒的に多くなったので、彼らは皆、料理や家事をするようになった。

今、彼らはそれぞれの家族を作っているが、素晴らしいと思うのは、彼らにはジェンダー意識が皆無だということだ。

学校の中でよく見聞きする「男の子だから、女の子だから」という言い方から、学校に行かないことで自由だったためか、料理や家事を仕事と同じように本当によくする。ある意味、どちらがやっても当たり前のことなのに、私自身が、まだ彼らが良くやることに驚くこと自体がおかしいのかもしれないが。

そしてもう一つ、妹の子育てで特筆すべきは「大きくなったら何になりたいか」とか、「何を仕事にするのか」というような会話もまた皆無だったことだ。子供である今を楽しんでいいという思いと、将来は彼らの主体性に任せるという信頼があった。
父親が大工だったために10代の一時期に長男も次男もそれを手伝っていたことはあった。しかし、その仕事を続けなければならないというような眼差しを妹が全く向けていなかったために、彼らは今、自分の好きなことを仕事にしている。

そしてそれぞれにとって、子供や若い人との関わりも仕事以上に大事なものであるということがよくよく身に付いているようだ。ほとんどの30代男子が陥る、酒・タバコ・パチンコ等に対する依存が全くない。

彼らの住んでいる東北の福島は、米所・酒所、そして温泉がいっぱいある。原発が爆発する前には、お正月には皆で温泉に集まって子供たちと遊んでいたのだが、いつもお酒もタバコも吸わない彼らに温泉のスタッフが驚いていたものだ。そして次の日には妹の子供たち家族と私の娘の若い人だけで観光や買い物を楽しむというイベントを妹が詳細に計画してくれた。

私は40歳で娘を産んだので、私亡き後、娘がみんなに大事にされるように、と考えての妹のアイデアだった。娘にとってはスーパー楽しく嬉しい時間だった。

妹にとっては障害を持つ私の存在も登校拒否をした息子たちの存在も、そして私の骨の弱いという体質を受け継いで生まれた娘も、ただただ愛おしい大切な存在だ。彼女の言動には常に優生思想のカケラも見えず、私にとって本当に尊敬する希望の存在である。

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ。

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

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