地域で生きる/22年目の地域生活奮闘記113~最近の人との関わりについて思うこと~ /渡邉由美子

先日、今まで行っていた髪の毛を切る1000円カットが、往復歩きで行くと一時間以上もかかり、時間が少々もったいないなと思っていた私は、家の近所で同じようなことが出来るところはないかと改めてネットで検索をかけ、ダメでもともとと思い、複数介護者を伴って地図を見ながら初めてのお店にアポなしで行ってみました。

家から近く、思った以上にお店の入り口がバリアフリーでした。少し年配のご夫婦が家族経営しているようなこの街にきっと長く根付いていたのだろうと思われるその雰囲気は、フレンドリーでアットホームなお店でした。

カットをする為の椅子に座り替えて、髪の毛を切ってもらう為に私はとても時間がかかります。今みたいに寒い時期だと、着ていたものを脱いで介護者が私を抱える準備をして、車椅子を最短距離で椅子に移せる所にセッティングして息を合わせて乗せ換えてもらうので、他のお店であれば薄利多売で儲けを出しているのだから、効率の悪い人はお断りということを露骨には言わないまでも、空気がそれを物語っていることが多いのです。

以前近場で探したいと思って行ったお店は、私の車椅子姿を見るなり、うちではできないと言われてしまいました。介護者が抱えてカット台に移すから他のお客さんと変わらないと説明をしているにもかかわらず、その説明すら聞く耳を持ってもらえなかった経験をしていました。

そのため、今回もかなり構えて、ダメだったらいつものお店まで歩いていく覚悟で行ってみました。今回のお店は、ドアをガラッと開けた瞬間にウェルカムな雰囲気が感じられました。私がお店に着いた時には誰もお客さんがいなかったこともあり、とても気さくに受け入れて下さったのです。少しおやじギャグは激しかったですが、それもまたこの街の良さと思うことができ、新しいところを開拓できた喜びを味わうことができました。

私の前に帰った人も車椅子だったとのお話や、私の後に入ってきた方も手押し車を引いてやっと歩いていて、常連のような親しげな話をしているのが聞こえてきました。このお店はきっとそういった人情と温かみで万人を受け入れる事によって、経営が成り立っているのだと直感的に思い、次回からも行って見ようと思うことができました。

以前にも同じようなことを述べたかもしれませんが、重要な観点なので再度書いておこうと思います。こんなよい出会いばかりであれば日常の何気ない日々の買い物や、飲食も楽しみの一つとして行うことができますが、残念ながら現実の世の中はそうとばかりもいかないのです。悲しい思い、残念な思いをすることも多々あります。

例えば、日常生活を成り立たせるための買い物時でも様々な出来事があります。公的な税金で介護者に来てもらっているというのならば、介護者に買い物を頼んで私自身はその場に行かず買ってきてもらった方が社会の迷惑にならないのでそうするよう助言されたり、「人のいない時間帯に来なさいよ!どうせ暇なんでしょ」と聞こえるように言われたり、「車椅子ばっかり優先じゃない」と高齢者に怒鳴られたり、「大変ね。お大事に」と病人扱いされる事もあります。

長年生活しているので慣れてしまった出来事でもありますが、正しい理解、正しい関わりを万人と日常的に作っていく方策は無いものかと、落ち込むとかではなく悩んでしまう事があります。

昔の出来事で思い出すのは、私が養護学校を卒業してとにかく家にいてばかりでは、家族と自分という狭い世界で人生が完結してしまうことに危機感を覚えた時代のことです。今みたいに駅にエレベーターはなく、改札口まで行くためには自分が降りた電車の次の電車が到着するのを階段の前で待ち構えていました。

そして電車が到着するや否や、一世一代の大きな声を振り絞って、上の改札口まで階段を上りたくてそこにいるという事を端的に叫び、屈強な男の人を4、5人通行人の中から募って電車に乗っていた時代も、つい昨日のことのように思い出されます。

その頃は持ち上げることが前提で動かなくてはならないので、今みたいな高機能の160キロもある電動車椅子には乗っていたら、平らな所では便利でも階段のところで上がれなくなります。だからリクライニングもなにも機能の付かないオーソドックスな手動車椅子で移動していました。

その頃は、必然的に一般の人たちと階段を上がるという行為のためにふれあい、理解を深めることができていたように思います。毎日電車に乗って移動すると言うだけで闘いだったので、それが良かったわけでもなく、公的保障が確立できたことはもちろんいいことですし、エレベーターが駅に設置されたことはとても前進したよいことです。

が、一般の健常者と自然にふれあう機会を失ってしまったと感じる部分もあるので、そのような自然で必然性のある関わりをどう再生できるかを今改めて考えていく必要があると思えてなりません。

階段を担ぎ上げてもらっていた頃は、一人で動いていてどうしてもトイレに行きたくなってしまったら、デパートに飛び込めばインフォメーションの方が人をかき集めて対応してくれて、大変助かったものでした。

重度訪問介護が充実して通行人に頼みながら暮らす事が減ったのは、生活の安定につながっているのでよいことなのです。でも重度障がいを持つ人とリアルで関わることを通じて、「この社会には様々な人間が生きていて一般市民と共に暮らす事を望んでいるのだ」という事を分かってもらうことが難しくなっているのは、どう埋めていったら良いのかと真剣に考える今日この頃です。

健常者の側に障がいを持つ人が身近にいる暮らしを明瞭に想像してもらえるように、これからも考え続けていきたいと思います。

 

◆プロフィール

渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

関連記事

TOP