【重度訪問介護の事例】母として~寄り添える介護とは~

ホームケア土屋

【事例(ホームケア土屋 鹿児島)】母として~寄り添える介護とは~

年齢:40歳代
性別:女性
疾患:ALS(障害区分6)発症から約7年
ADL:座位保持可能、その他全介助
家族構成:旦那様、子供3人と同居

土屋との出会い

土屋との出会いは約1年前。地方より鹿児島市内に転居のタイミングで支援開始となる。
クライアントの性格はとても温厚で家族思い、支援時も笑顔がたくさん見られ真っ直ぐで優しいお人柄である。

コミュニケーション方法は、フリック式の文字盤や視線入力(miyasuku)を使用中。
夏のある日のコミュニケーション時にクライアントの思いを話して下さる。

「家族と旅行がしたい。子供たちに思い出を作ってあげたい」

土屋としてはクライアントの母としての真っ直ぐで優しい思いに少しでも力になりたいと思い、夢を叶えるにはどのような準備・関りをしていけばいいか考えた。

クライアントの言葉

ご本人が書いてくださった言葉をそのまま添付しています。

罹患する前に家族旅行でディズニーランドとディズニーシーに行った。その時、三男が
また僕が6年生になった時に来たいなって言ってた事がずーっと気になってた。

病気になりいろんなことを諦め家族に迷惑かけてる気持ちでいっぱいの日々を送ってた。
その頃息子の進学で薩摩川内市から鹿児島市に引っ越しがすることが決まり、引っ越ししてからは、買い物に映画、散歩がグーンと楽しくなった。

なかでも、どうしても行ってみたいパン屋さんに土屋のスタッフさんと私で家から片道15分かけてつれだしてもらった。私が選んだパンを家族が美味しいって喜んでくれたことで私は外出の楽しさを再確認したことが、きっかけだったと思う。

旅行の計画

計画自体は、R5.8月頃から本格的に始動した。

問題点

①移動手段…リクライニング車椅子を使用しており頸部の自立保持が難しく体位に制限がある。
状態を踏まえ公共交通機関の使用を考える必要がある。

②ホテルの部屋…バリアフリー完全完備のホテルの検討、介護用具の持ち込み・貸し出しについての下調べの必要がある。

③緊急時対応方法…旅行中の緊急時・トラブル対応、又は考えられる事故の検討。
旅行先でのALS対応病院、バイタルサイン異常時の診察場所、病院受診への判断材料を考える必要がある。

④クライアントが準備できる物品、タイムスケジュールについて

⑤旅行先でのNPPVの実施について…事前に郵送するとなると家での実施ができないため当日持っていくのか、何時間現地で実施が必要なのか検討する必要がある。

上記①~⑤の問題点を一つ一つ解消していく必要があり、土屋スタッフだけの検討ではなくDr・訪看・相談員・家族をいれミーティングを重ねる必要があった。

対処策

①新幹線グリーン車を使用。
新幹線内の個室を予約して過ごしやすい環境を確保した。
新幹線内の個室はグリーン車前方に位置する。

②旅行会社に行き現状や本人が車いすを利用していることを伝えバリアフリー対応のホテルを確保した。

③Dr・訪看・相談員・家族での事前ミーティングを数回重ねていきトラブル対応の方法や当日にDr報告時間を決め観察内容を報告してDrから指示を頂く。
土屋スタッフは2名体制で付き添い、2名とも看護師資格があるスタッフを調整した。

④画像参照 ↓

⑤Dr、相談員と話し合いを重ね医療機器メーカーの方に相談。旅行先のホテルへNPPVレンタルをして、返却もホテルで行えるよう段取りを整えた。他に、サーチレーションもレンタルして常時持ち歩く事で本人の呼吸状態を観察するようにした。

問題点を解消し不安点もあったがR6.1/1~1/2に鹿児島から大阪USJへの旅行を実行する運びへとなった。

当日の様子

当日のクライアントは笑顔いっぱいで、私たち支援者も嬉しさでいっぱいだったが少しの不安と緊張の中で支援開始なった。
新幹線内では吸引器・サーチレーションを常備し栄養の注入やトイレ介助等、2人介助を行った。

新幹線内は揺れが思ったよりもあり支援者側が立位を維持するのが大変な印象だった。
トイレ介助時の移動では問題発生はなく、大阪についてからは駅構内のスタッフに協力をいただきUSJ迄の乗り継ぎもスムーズに行えた。

USJについてからはとても楽しそうにパレードをみられ、車椅子でも入場可能なアトラクションに行きショーを楽しんでおられたがショーの途中に能登半島地震が発生した。
大阪市内も大きな揺れを観測しショーは中止になった。

揺れに伴うケガはなかったが安全を期して早めにホテルへチェックイン。
状況を上長・Drへ報告してホテルについてからは栄養注入・入浴等を済ませNPPV施行。早めに休まれた。

翌日は早くから準備をして、グッズやいろんなエリアに行かれ記念撮影を楽しまれていた。
印象的は言葉として、ご家族より「もう、お母さんのそばにずっといなくても大丈夫だね。来れて良かったね」と話されていた。

クライアントと一緒に考えたタイムスケジュール↓

私たちのミッションの再確認

「探し求める小さな声を」、同行したアテンダント自身が理念の中で一番好きな言葉であり大切にしたい言葉である。
クライアントの強い意志があり、意思を共有する大切さを身を持って学ぶことができた。

障害があっても母として子を思い家族を大切に思う、この誰もが感じる当たり前を、
役目をまっとうする姿は人として心をうたれたことに加え、アテンダントとしてあるべき姿を考えさせられた。

「一緒に旅行に行った」という部分だけを見ればアテンダントが感謝をされるように感じるが、
「一緒に旅行に行きたい」と思わせて下さる真っ直ぐな思いや感謝を伝えて下さるクライアントがいたから実現出来たと考える。

全ての思いや願いを引き受けて実現出来るわけではないが重度訪問介護を利用した事で、活用した事で理想の実現や夢に近づく事が出来るかもしれない。

まだまだ認知度が低い重度訪問介護と出会う事が出来るように、土屋を通して、生活に少しでもキラキラしたものが見出せるように、今後もアテンダント自身、努力していきたいと感じされられる事例だった。

最後に

準備から実現までの期間は約半年間。
他職種の皆様や主治医の先生、ご家族の皆様、当日まで体調管理を一緒にしてくださった他事業所の皆様、大阪の状況を共有してくださった土屋の県外の仲間、当日の仕事を引き受けてくれた心強いスタッフ、本当にありがとうございました。

クライアントより

日々をたくさんのサポートをして頂けけることで安全に過ごせUSJに行けました。罹患してからおしゃれ、化粧をやめ、洋服化粧品を捨てた。いろいろあきらめてきた。

今回サポートをもらうことで栄養剤の代替品、洋服に靴、化粧品などを自分で探し自分で選び買ったりをする事ができ、スケジュール作成でしたい事を決めて行うこと、お土産を自分で選ぶこともできました。

色々とあきらめてきたことを取り戻すいい機会を頂きました。ありがとうございます。

クライアント家族より

現在、妻は次の野望企画に向けて着実に前進しています。

『わが家の大冒険 第二弾!』を乞うご期待!『できない』で始まるのではなく、とにかく本人の希望に寄り添い『やってみる』から始まるみなさんのすてきなスタイルに感謝しかありません。

『チーム 川畑!』のみなさんはわが家にとって無くてはならない存在です。
これからもみなさん個人のおからだを労わって頂きながらわが家の縁の下の力持ちであり続けて下さい!

そしてわが家の経験が次のサポート者へ役立つことを切望させて頂きます。

最後になりましたが、このご支援に許可を頂きましたホームケア土屋のみなさまへ深謝致します。
今後とも本人、家族一同宜しくお願い致します。ありがとうございます。

 

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