土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
幼少時の私はおてんばで、遊びに出掛けては怪我をし、よく病院に連れて行かれたものでした。
手当てをしてくださる看護師の優しさと、きっちりとした清潔な着衣に漠然と憧れを抱いていたのを今も覚えています。
将来的には看護の道に進む、そう思いながらアルバイト先も病院などを選び、学生生活を送っていました。
しかしながら、人生と気持ちというのはどう転ぶものか本当に分からないもので、私は高校時代にお付き合いしていた男性と結婚をするという道を選び、進学することもありませんでした。
そのまま新しい生活を始め、数年後に子供も授かり、ありふれた主婦としての人生を謳歌しようと思っていました。
ですが、若い私たちに、若いだけで乗り越えられるような、それは生易しくはない問題が立ちはだかったとき、私は一人で子供を抱え、母子のみで生きていくことを選びました。
就職は、病院にすることに決めました。やはり憧れが心に残っていたからでしょう、少しでも近しいものになりたかったのです。
市内の総合病院の手術室で勤務。職種は看護助手です。
毎日覚えねばならない仕事はとても刺激的かつ新鮮であり、加え子育てもそれはそれは一人でするには大変なものでしたから、二十代の私には、私だけの時間はほぼありませんでした。
それでも、慌ただしい生活に慣れてきた頃、もう一度看護師の道を真剣に志してみようと思い立ちました。
ですが、結局は思いが立ったままで終わりになりました。
二十代後半に、きっぱりと憧れも夢も捨て、現在任されている病院での仕事に専念しようと向き直しました。
帰宅すると娘から時折言われた、「病院の匂いがする」という言葉は、誇らしくも寂しいものでありました。
手術室での勤務も二十年以上経ってきた頃、異動があり、私は病棟の勤務に配属されることになりました。
今まではあまり直接的に関わりを持たなかった、患者さん主体の業務です。
端的に言ってしまえば、看護師のお使いをする内容です。
患者さんと直に接している業務は大変楽しく、大好きだったのですが、その代わりに見えて来たものは、実際の病棟で勤務する看護師の、患者さんに接する雑で棘のある態度でした。(忙しさ故にですが…)
段々と、病院の仕事に楽しさややりがいを見出せなくなっていきました。
ふと、では介護の現場はどうなのだろうという考えが浮かんだとき、私は好奇心と勢いで、週に一日だけ介護施設で夜勤のアルバイトを始めることにしました。
するとこれが、思いの外楽しかったのです。
介護の経験は全くなかったのですが、三十年近く病院で看護や介護の現場を見て、聞いている身です。完全に見よう見まねでしたが、思い切ってやってみたのです。
見て聞いて知っているだけの素人という立場の私が、現場で最初にもらったのが感謝の言葉でした。
私は、本当に嬉しく思いました。それと同時に、自分が求めていることもはっきり見えて来たのです。
己の力量が常に試され、尚且つ必要とされる場所。
上手に出来れば褒めてくださる、そして喜んでくださる。とても正直でさっぱりした、私の肌に合う場所だと感じたのです。
何十年とこなしてきた病院の仕事より、週に一日の夜勤に何よりもやり甲斐を見出せている。
病院に興味が失せた頃に、私は潔く退職することを決意しました。
以上が、私が介護の仕事に至るまでの理由です。
山村由紀子(やまむら ゆきこ)
ホームケア土屋 東海