自信と驕りの違い / 笹嶋裕一(常務取締役兼CHO 最高人事責任者)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

思い起こすと若いころはひたすら驕っていたのではないかなあと思います。偉そうな自分を本当に偉いと勘違いして、回想するのも誠に恥ずかしい限りです。

あくまで自分なりの定義、解釈ですが、自信とは羞恥心、失態、痛み、苦しみなどを経験したうえで、鍛錬してはじめて獲得できるものだと思っています。

対して驕りは薄っぺらくて表面的で軽い。知ったつもりになって頭でっかちで高慢で、自信をはき違えた勘違いですよね。でもそんなもんですよね人間って、っていう思いもあります。虚勢を張るってよくいいますが、胸板を厚く見せるような突っ張った歩き方もかわいらしいなと思う部分もあるのです。何故なら、結局皆誰もが一度は通る道だからではないでしょうか。

似て非なるものかもしれませんが、うちの子どもなんかをみていると、鼻を膨らませて「できるもん!知ってるもん!」なんていう姿に愛しさを感じるとともに、まあ頑張りなよって応援したくもなります。

ただやはり驕ってばかりもいられないのが社会であります。一度は通っていいとは思いますが、いつまでもメインストリートだと非常に困ります。
一方で自信は時に説得力を持ち、気持ちを伝えるために重要なツールになると思うのです。

では自信を持つためにはどうしたらいいか。冒頭で鍛錬という言葉を使いましたが、「これでいい」と「これでいいのか?」を自問自答することで、自分自身を奮い立たせることに慣れていくのではないかと思います。ボクシングも柔道も頭で考えてから攻撃を繰り出す時点で当たらない、技がかからないのと同じで、自分を肯定する作業の繰り返しで体に覚えさせる、ひたすら反復する。自信をもつための重要なプロセスのような気がします。

そして謙虚であるかどうか。謙虚は自信の通行手形みたいなもので、いろんな出会いや展開、学びや挫折、全ての局面で合わせ鏡のような役割を果たしてくれると思います。またその積み重ねが自信の根拠となるのではないかと思います。

チームマネジメントにおいてスタッフにいかに驕らずに自信をもたせることができるか。これは「いかに失敗をしてもらうか」に限るのではないでしょうか。そして失敗をしたときに、リカバリーできる環境を用意してあげることができるかどうか。

「失敗は成功のもと」と幼き頃によく言われましたが全くその通りで、自信と過信と驕りは阿修羅のごとくいつどの顔を見せるかわかりません。自信も間違えれば過信になり、驕りはいつでも手招きで待っています。たくさん失敗して出来ることと足りないこと、要は己を知ることが大切で、自信を持つことも驕らないことも「失敗がセット」だと考えております。

 

◆プロフィール
笹嶋 裕一(ささじま ゆういち)
1978年、東京都生まれ。

バリスタに憧れエスプレッソカフェにて勤務。その後マンション管理の営業職を経験し福祉分野へ。デイサービス、訪問介護、訪問看護のマネージャーを経験し現在に至る。

 

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