土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
私がこの仕事を始めようと思った理由ですが、もともと理学療法士を目指していました。目指してはいましたが、ずっとスポーツに明け暮れていた生活でしたので学力は並程度以下でした。頑張って勉強しましたが学力が上がるわけでもなく、目標としていたリハビリの専門学校に受からず・・・
何をしようか色々考えました。美容師?柔道整復師?スポーツトレーナー?いろんな学校から資料請求しましたがピンとこず。色々悩んでいると、友達に「介護の学校行ってみらん?絶対楽しいし、望んでいる人と関わる仕事につけるよ!」と話を聞き、いざオープンキャンパスへ。
行ってみるとまあまあ勉強は楽しそうかなと思う程度でした。でもやってみるかという気持ちになり、その流れでソーシャルワーカー科受験。難なく合格。といったところから介護の世界に片足を突っ込んだ形になりました。勉強していくうちに3Kの話が出てきました。これは続くかなーと心配はありましたが、何とか3年間通い卒業しました。
いざ仕事が始まると、臭いわキツイわ給料安いわで、続かんやろうなと思っていました。やっていくうちに話はかみ合わない、うんこは投げつけられると、ストレスになることが多々ありました。
ある日、専門学校でお世話になった実習先の担当の方の話を思い出しました。
「認知症の人は自分がその行動をやりたくてやっているわけではないんよ。なかにはそういう人もおるけど大半は違う。認知症という病気がやりよることやけん、こっちが怒ろうがその人が悪いわけではない。本心は言えないだけ。
全人類、生を授かった瞬間から小説のように物語がスタートする。障害がある人も認知症になった人も同じように物語がある。その物語の中に家族や友人以外で長く登場人物として出てこれる。こんなに他人の物語の中に長く出てこれる介護の仕事は本当に素晴らしい仕事よ。
そんな物語の主人公は鳥かごの中に閉じ込められたような生活を強いられている。その物語の中の登場人物の一人として何がしてあげられるか、施設に入っている以上そこで最期を迎えるわけだから、最後の一言が、ここの施設の○○さんに出会って楽しく過ごすことができ最期を迎えられました、ここにきて本当に良かった、”本当にありがとう”って締めてもらえたらよくない?こんな仕事介護か病院でしかできんよ。」と話をしてくださったのを思い出しました。
それからは流れ作業の勤務から抜け出し、買い物に行きたい人、お墓参りに行きたい人…あらゆる要望に答えてきました。やってきたことが本当にいいかわかりません。自己満足かもしれません。認知症の方が明日には忘れてしまうかもしれません。でもその時その一瞬、少しでも楽しい幸せと思ってもらえたらやってよかったなと思っていました。
私が介護の仕事を始めた、続けられた理由です。
これからも出会っていくクライアント、アテンダントの物語の登場人物に小山田がいて良かったなと思ってもらえるよう、これからも精進していきたいと思います。
小山田康浩(おやまだ やすひろ)
ホームケア土屋 大分