土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
歌は世につれ世は歌につれ。これまでの人生で出会った歌が、出会った時の自分を思い出すよすがになっている。
初めて出会った歌は童謡である。昭和20年代後半から30年代にかけて、童謡はラジオから流れてきた。姉二人と一緒に聴いて、一緒に歌ったりもした。記憶にしっかりと根づいて、忘れることができない。私だけではない、同じ年代に幼少期を送った人間の共通体験である。こうやって歌を覚え、美しい日本語を身につけた。
今の子どもたちは、童謡を聴くのだろうか。ましてや、歌うのだろうか。それより以前に、童謡で歌われている情景は思い描けるのだろうか。「あれ松虫が鳴いている」(虫のこえ)の松虫ってどんな虫。めだかの学校と言うが、そのめだかは、環境省のレッドデータブック登載の絶滅危惧種になっている。めだかと一緒に、童謡も同じ運命で、絶滅に瀕していくことになるのだろうか。
「めだかの学校」もそうだが、童謡にはさまざまな動物たちが登場する。子鹿のバンビ、お猿のかごや、蛙の笛、からすの赤ちゃん、ちんちん千鳥、かなりや、わらいかわせみ、虫のこえ、でんでん虫虫かたつむり、池の鯉、赤とんぼ、浜千鳥、兎のダンス、めえめこやぎ、黄金虫、証城寺の狸囃子、かもめの水兵さん、うさぎとかめ。童謡に登場する動物たちを思いつくまま書き連ねてもこれだけある。子どもの頃の私は、動物たちに童謡の中で先に出会っていた。わらいかわせみってどんなセミなんだろうと好奇心も刺激された。
童謡には大きな魅力がある。外国には、マザーグースのように、昔からの子どもの歌はあっても、日本の童謡のように、現在も大量に作られ、広く歌われている種類の歌はないのではないだろうか。その意味では、世界に誇る日本の文化の一つである。童謡は歌詞がいい。幼少期に童謡に親しんで、良き日本語に接することは、その後の言語生活に極めて重要な影響を与える。
私の小学校時代、童謡歌手は雑誌の表紙やグラビアを飾るアイドルだった。古賀さと子、近藤圭子、小鳩くるみ、川田正子・孝子、伴久美子 、松島トモ子。その中でも安田祥子さん章子さん姉妹が私のお気に入り。特にお姉さんの祥子さんには淡い憧れを抱いていた。章子さんは、長じて由紀さおりと改名して大活躍。
宮城県知事時代にお二人と親しくなる機会があり、一緒に会食もした。会食中の2時間、三人で童謡を何曲も歌って盛り上がった。まさに至福のひとときであった。仙台公演の折には私も何度か見に行っている。お二人は公演が終わるとすぐに、東北大学の緩和ケア病棟に出かけて、病床で童謡を何曲も歌い続けた。聴いている患者さんは、数ヶ月後に死期を迎えるような重症の方々である。童謡には重症の患者さんを癒す力がある。子ども時代を思い出し、その頃に親しんだ情景を思い起こすのだろう。患者さんの手を握りながら、伴奏なしで歌い続ける姉妹は、医療ではできないようなすごいことをしている。
童謡は歌詞がいい。だから今でも諳で歌える。「母さんお肩を叩きましょう タントンタントンタントントン」、「唄を忘れたかなりやは 後の山に棄てましょか」(西條八十)、「この道はいつか来た道 ああそうだよ あかしやの花が咲いてる」、「赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」(北原白秋)、「青い眼をしたお人形は アメリカ生まれのセルロイド」、「雨降りお月さん 雲の蔭 お嫁にゆくときゃ 誰とゆく」(野口雨情)、「あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花」、「だれかさんがみつけた ちいさい秋みつけた」(サトウハチロー)。
美しい日本語のお手本のような童謡を史郎少年は口ずさんでいた。どこで、いつ、誰と歌っていたんだろう。その時の私は幸福な世界の真ん中にいたことは確かである。
◆プロフィール
浅野 史郎(あさの しろう)
1948年仙台市出身 横浜市にて配偶者と二人暮らし
「明日の障害福祉のために」
大学卒業後厚生省入省、39歳で障害福祉課長に就任。1年9ヶ月の課長時代に多くの志ある実践者と出会い、「障害福祉はライフワーク」と思い定める。役人をやめて故郷宮城県の知事となり3期12年務める。知事退任後、慶応大学SFC、神奈川大学で教授業を15年。
2021年、土屋シンクタンクの特別研究員および土屋ケアカレッジの特別講師に就任。近著のタイトルは「明日の障害福祉のために〜優生思想を乗り越えて」。