再び「怒り」について考える、私は正しい!は本当か? / 新川勝美(訪問看護ステーション土屋 ゼネラルマネージャー)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

この年齢にもなると、色んなことで怒りを露わに人にぶつかるという事もなくなった。以前のコラムに怒りの作法を書かせていただいたが、その中で怒りを覚えた時に6秒ルールを試していると書かせていただいた。怒りの感情が出た時に、心の中で6秒数えると言う簡単なことで、これはアンガーマネジメント研修で学んだものだ。

怒りというのは、不当な扱いや理不尽な言動にさらされた時、人が感じる自然な感情なのである。心理学の世界では、怒りは第二感情であると言われており、二番目に出てくる感情だそうだ。怒って当然と思える出来事に対し、実は怒りより先に生じている感情があるということである。ということは、怒る直前に生じた感情が第一感情になり、ほとんどの場合それは怒りの裏に隠れて自覚されないらしい。と調べてみたら書いてある。

この頃、SNSの書き込みなどにあたかも自分が正しいようにターゲットになった人を、これでもか・・・と、言うぐらいに叩いているのを近ごろはよく見る。○○するとは許せないというふうに。このように、よく例えで言われるマスク警察などのような正義感が強すぎる人は、自分の考えに絶対の自信を持っている。正義感での怒りは、自分の基準で勝手に善悪を作り出している感情で、相手には関係のない自分自身だけの問題だと思う。しかしこの怒りは先ほどの怒りの感情とは違うと思う。が、やはり自分は正しく、これは正義感で言っているのだとすると第二感情が現れたということなのだろうか。

自分もそうですが、人は自分が正しいと思って行動すると思う。しかし、人から間違いを指摘されるのを嫌がる。けれど、間違いをせずに生き続けることは不可能だ。私も数え切れない程、失敗をしている。自分の間違いを認めることも必要だと思う。そもそも生きていく中で何が正しくて何が間違っているのかは、テストの問題のように決めることができないこともあるし、数学の答えのように出すことができない時も往々にしてある。自分が出した答えが合っているのか間違っているのか、常に自分に問い続けた方が良いと思っている。これは正しいと思っていたことが今振り返ると「間違っていたなぁ」、「申し訳なかったなぁ」と思うことがいくつもある。「自分は正しい」ではなく様々な角度から物事が見えるように日々心を養っていきたい。

 

新川 勝美(しんかわ かつみ)
訪問看護ステーション土屋
ゼネラルマネージャー

 

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