社内企画公募「自分と自分の夢について」 / 野村義稀(中国事業所)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

野村義稀(のむらよしき)28歳。
愛媛県松山市出身。広島県福山市在住。
母子家庭の次男。10歳離れた自衛官の兄がいる。
高校は愛媛県の新田高等学校。大学は松山大学経済学部。
高校受験はスポーツ推薦、大学は滑り止め。
前職は直営個別指導型の大手学習塾→建築関係の営業職。
趣味はソフトテニスと釣り。
小学生の時から将来の夢は教員。今は児童養護施設をすること!

全国の皆さまは興味ないだろうなー、と思いつつ話したがりの自分は書きます!笑

小さい頃は運動が大嫌い。
かくれんぼ、鬼ごっこをするとすぐ捕まる。鬼になると友達が逃げる間に家に帰る。
どうしようもない子どもでした。笑

本格的に部活を始めた中学1年生。
反抗期真っ只中で、ひとり親の母を困らす日々。それでも反抗できなかったのが、中学の恩師であり顧問。ソフトテニスの全国チャンプ。今は一緒に酒を飲んだり試合に出る仲だが、当時はめちゃくちゃ怖かった。

ある日、親から顧問に相談があったようで休日の部活後に、野村は残れ、と。
思い当たる節が多すぎて、どれだろう?と考えながら顧問と一対一に。
突然「練習に行くぞ!」と。驚いた。
連れて行かれたのは、社会人のクラブチーム。
そこで出会ったのが「まーくん」だった。

「まーくん」と呼んでいるが、現在77歳。
まだまだ現役ソフトテニスプレーヤー。
当時60歳前半だが、35歳以上の部で優勝するような実力者。
YouTubeとかで見る「〇〇の達人」みたいな人。とにかくすごい。

今思えば、教員と生徒の立場がある以上、線引きをしなければならなかった顧問が頼ったのだろう。
技術面の指導はもちろんだが、ジュースを買ってくれる。ご飯も奢ってくれる。代わりにめちゃくちゃ説教もされる。
父親の代わりのようで、居心地が良かった。

出る大会には全て応援にやって来て、念願のインターハイ出場の時はお祝いも。
大学生になり、事故に遭い、脳挫傷で車椅子生活になった時は毎日病室に来てくれて、気分転換。
怪我により卒業が遅れて、暇を持て余している時は自身が営んでいる自動車部品の卸売業を手伝わせてくれて、社会人の事前学習。
寝坊の多い自分を根気強く本気で怒ってくれたり。転勤で松山から出るときは泣いてくれたり。

この出会い一つ一つがなければ今の自分は形成されていない。間違いなく高校も辞めていただろう。

不安定な時期を支えてくれた恩を返すには、同じように不安定な時期にある子どもたちの支えに自分がなることが1番だ。児童養護施設で共に過ごして共に学び、野村が居て良かった!といつか言われることが大きな夢のひとつだ。

そのきっかけ、入り口に自分の特技であるスポーツや過去の経験を活かすことが出来るのであればそんな嬉しいことはない。

野村 義稀(のむら よしき)
中国事業所

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