土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
ハーモニアス カコフォニー⇒「違いがあることで対立が生じるのではなく、新たな未来が生まれていく」との意味との事。
それぞれの違いを認め、個性を輝かせることで『不協和音を調和させていく』との願いが込められている。
今年のパラリンピックのコンセプト。
検索サイトで検索すれば誰でも調べることができる。
意味があり、素晴らしいコンセプトだと思える。
ただ、「違いがあること」の捉え方を間違えたくないと思う。
ここでいう「違い」は、身体的な違い、文化の違い、思想の違い、宗教の違いなど多様性を指すものと感じる。
犯罪や倫理観に接触する行為を、無かったかのようにしてそういった行為や行動を「違い」として認めて、新しい未来を創造する。これでは、犯罪や倫理観に接触するような行為の後処理を行う又は、現在対応を行っている者から見ると、新しい未来の前に考える事や当事者へ伝える事も必要だと感じる。
犯罪や倫理観に接触する行為を行った人を切り捨てる思想と言われた事も最近あった。
切り捨てるのではなく、やり直す機会を設けると言っており、当事者本人がやり直す為にはどうするか考える期間も必要で、そのためには一定の厳しさも必要だと説いた。
以下、どこかで聞いた言葉、どこかで目にした文字、心に残っているものを思い出せる限り、書き連ねてみたいです。
人はみんな一人ひとり違っている。
一人ひとり違っているのは当たり前のこと。
同じ人間なんていない。
そんなこと誰もがわかっていること。
でも、みんな忘れてしまう。
一人ひとり違うってこと。
忘れずに少しでも思い出して、
その違いを認め合うことで様々な調和が生まれる。
でもその調和を生むためには、準備が必要。
それは、まず、自分を認めること。
自分を認めること、自己受容。
自己受容=自分の和む調べを創ること。
和んでいる人は自然と生き生きしている。
自分という自分を楽しんでいる。
その自分が和むということを
探して創っていくことで、
他人や環境との調和も生まれてくる。
不協和音にならないのは、
自分自身が和む調べを知っているから。
自分と違う誰かを認めることで自分を認められる。
自分を認めることで自分と違う誰かを認められる。
自分と自分と違う誰かは認め合うことで調和が自然と生まれる。
障害があることが特別なことではないことを理解してもらう。
理解してもらうことをあきらめない。
誰もが同じ人間であり、違う人間であることを認め合う。
この文章から、自己受容することで違う人を認められることがわかる。様々な犯罪や倫理観に接触する行為を行った人へも同じように、自分の非を受け入れる→非を受け入れた自分を認める→非を与えた人を認める→調和する、の流れがあると思います。自分の非を受け入れる事に時間がかかるのであれば、非を受け入れられるようになるまで時間を費やせばいい。当事者が非を受け入れるまで待っていられる、当事者と調和できるまで待っている事ができるようにと思います。
藤岡 真人(ふじおか まさと)
ホームケア土屋 中国