~「命の選別」に反対する!~
命に優先順位を付けることに対し強く異を唱えます
重度訪問介護を営み、コロナ禍において日夜、命と向き合うアテンダント(介護者)を主体とする私たち株式会社土屋・ホームケア土屋は、一人一人のかけがえのない命に優先順位を付けようとしている現状に対し、強く異を唱えたいと考えます。
脅かされる社会的弱者の命
私たちはサービスの提供を通じて、誰もが共に生き、学び、働けるインクルーシブな社会の実現を追求しております。そんな私たちにとって、ここ数年の間に、自分たちが拠り所とする共通価値の根幹が揺るがされるような事件が相次ぎました。そして2021年、いよいよ「命の選別」が始まろうとしています。
日本社会を揺るがした3つの重大事件
2016年7月、神奈川県相模原市にある「津久井やまゆり園」で元施設職員である植松聖被告が19名の障害者を殺害し、職員2名を含む26人に重軽傷を負わせた事件は、被告の思想とともに社会に大きな衝撃を与えました。
昨年、植松聖被告に、求刑通り死刑判決が言い渡されましたが、被告は犯行の動機として「重度障害者を殺害すれば不幸が減る」「障害者に使われていた金が他に使われれば世界平和につながる」など、極端な優生思想的発言を繰り返しました。
また、コロナクライシスによる医療崩壊の結果、全世界の病院では人工呼吸器などの医療資源の不足によって治療対象者の選別すなわちトリアージが行われ、イギリスの国立医療機関のガイドラインでは「障害者のように身の回りのケアを頼る人は優先順位が下がる」と書かれていました。
イタリアでは80歳以上の患者の治療を断念するというニュースも流れ、人工呼吸器を装着し回復途上にあった高齢者から若者に人工呼吸器が付け替えられるという命の選別も起きました。
さらに、2019年11月にALSの女性患者が死亡し、女性に依頼され薬物を投与したとされる医師2名が嘱託殺人容疑で起訴されました。医師たちはSNSで安楽死を肯定する発言を繰り返していたそうです。
3つの事件から見えること
この3つの事件、「津久井やまゆり園事件」と「コロナクライシスにともなうトリアージ」、「京都嘱託殺人事件」は、全く異なる事件ではありますが、命の価値に優先順位をつけ、その優先順位に従って「生きることができる命」と「生きることができない命」に境界線を設ける、いわゆる「命の選別」が行われているという点において相通じることころがあると考えます。
そして、この命の選別によって、障害者や高齢者は生産性という観点から優先順位で劣位に置かれ、「迷惑だ」「無価値だ」「役に立たない」といういわれなきレッテルと共に命を奪われていきました。
誰もが生きたいと思える社会を!
私たちは日々、サービスの提供を通じて障害者や高齢者と出会う中で、彼女たち/彼らが「迷惑」でも「無価値」でもなく、「役に立たない」ということもなく、それぞれが独自の個性を持ちながら社会の多様性を促進する上で重要な役割を果たされているということを確信しております。
またもし、たとえ時に「迷惑」で「無価値」で「役に立たない」かのように思われたとしても、その人たちにはその人たちならではのミッションがあり、その創造と実現に私たちは全面的に協力する責任があると考えています。
あらゆる人の命の平等という、憲法にも明記された価値観に対する揺るぎない信念から、私たちは優生思想や命の選別には断固反対します。
死ぬことができる権利を主張し議論する前に、死ぬことができる環境を準備する前に、まずは誰もが生きられる、生きたいと思える社会を作ることに全力を注ぎたいと考えております。
そして危機的状況の中で命の選別が行われざるを得ないのだとしたら、この危機的状況に至ることを事前に防ぐためのあらゆる策を講じる努力をしていきたいと思います。
真にインクルーシブな社会を目指して
私たちの目指す社会は、誰もがともに、自分らしく生きられる真にインクルーシブな社会です。
そのために私たちは、介護を受けたくても受けることができず、介護を必要とする人が家族に迷惑が掛かってしまうと思わざるを得ないような環境を改善します。障害や疾病によって自己否定の感覚に囚われ、希死念慮の中にある当事者の方々と真摯に向き合い、生きる希望を抱くことができるような関係性を模索します。
生産性がある人は生きる価値があり、生産性がない人は生きる価値がないというような偏狭な考えに支配された社会を革新し、全ての人が能力や生産性によらず肯定感を抱くことができる、もう一つの社会の在り方を追求します。
私たちの事業活動全体を通じて、そのプロセスと結果によって、「命の選別」に反対することをここに宣言いたします。
株式会社土屋
代表取締役 高浜敏之
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