永住権の取得 / 安積遊歩

娘がニュージーランドで永住権を取った。2011年に、東北大震災の原発事故で、ニュージーランドに避難してから11年目。数年前までは、絶対に永住権は取れないと思っていた。その思いは、娘を妊娠した時に無事産めるのだろうか、という不安以上に強かったと思う。

障害を持っていることで、様々なシステムから排除され差別されることが当たり前だった。差別されたくないのなら、「体を張って戦え」という眼差しに晒され続けてきた。戦後、バスや鉄道がどんどん走るようになっても、車椅子では乗れなかった。1977年に川崎駅前でバスに乗せろという運動が契機となって、バスへの乗車を認めさせた。学校も、行ける子は権利ではなくお情けで行かせてもらっていた。私が小学校に入る時も中学校の時も、障害があるために、権利としての教育ではなく、「特別な子」として差別的な対応を受けた。

当時は、学校長の一存でそこに行けるかどうかが決まった。小学校は、学校長が「いい人」だったから無事行けたが、中学校では「骨の脆い子は養護学校に行け」「ここには受け入れない」と3ヶ月間強制的に不登校を強いられた。

だから、障害を持つ人に、不妊手術を強制する法律がこの国にあると13歳でしった時、私は子どもを産んではいけないのだと徹底的に自分を否定した。その時から14歳にかけての3ヶ月間、私は何度も自殺を試みた。幸いにもすべて未遂で終わったが。

娘が産まれる2年前の1994年、私はエジプトのカイロに行き、その法律の差別性を世界の人に向かって訴えた。世界人口と開発会議のNGOフォーラムの席上だった。それまでの運動とこの訴えが契機となって、「旧優生保護法」から、優生思想部分を削除させたことは、私の人生の金字塔となった。

しかし、それでも東日本大震災があって、ニュージーランドに避難した時、人と違った私たちの身体には差別が当然のように降り掛かってきた。ビザの延長を申請する度に、人よりも多くの回数を受けなければならなかった、健康診断とレントゲン。どんなに頑張っても、「その体では永住権は無理です」という医療と政治の意思に晒された。

しかし今考えると、その思いは私だけのもので、娘は実に淡々としたものだった。今回も、「嬉しいニュースがあります」と一文が来た時にはすぐに分かったけれど、やっぱり彼女以上に、私は私が喜んでいるのを感じている。

娘は私がビザが切れ、日本に帰らざるを得なかった2014年以降もそのままニュージーランドに残り、大学に行った。その中で、2000人の留学生代表として仕事をした。それに加えて、活躍する若い人等に選ばれて賞を取ったり、メディアからも数回、取材もされた。そのように、何度も何度も私を驚かせてくれた。しかし今回ほど驚き、喜んだことは無い。言ってみれば、娘を産んだ時と同じくらいの喜びだ。

全く10代や20代の時には予想も想像もできなかった事が起こる私の人生。私が25歳の時、原発が福島にごんごん建ち始めたことを知った。その反対運動に関わっていたから、原発事故は起こるだろうと予測はしていた。だから、20代から30代初めの頃までは政治家になって、それを止めさせることをしたいと思っていた。

小さい時の、過酷な医療の私の身体に対する介入。それは、女性として子供を持ちたいという私の無意識の思いを徹底的に打ち砕いた。そんな背景があったから、娘を妊娠したことはあまりの脅威で、喜びを感じられたのは実に出産後4日目だった。妊娠中の不安感、彼の家事のできなさへの苛立ち、それらを掻き消す出産後4日目の娘との出会い。

それから26年が経ち、今娘はニュージーランドで永住権を取得した。東日本大震災が起きた時、娘の命を守ることこそが私にとって全てに優先する課題となった。ニュージーランドは、原子力を持ち込ませない、原発を作らないという法律のある国。そこに避難したことは、避難したくてのことではなく、放射能汚染に命の危機を感じてのことだった。そのことを背景にニュージーランド政府に難民申請をしようかとさえ思った。しかし、日本の政治は私のその考えをあざ笑うかのように、放射能汚染の現実に全く向き合うことはなかった。最近では、日本政府は原発の再稼働を次々に始めるだけではなく、建設再開を言い出している。

そんな中だから、私はニュージーランドで娘が暮らしていることに、大いに安心している。そして、永住権を取れたことに、絶大な希望を感じている。この希望は、私と娘だけのものではなく、日本にまた危機的な状況が起きた時に、若い人の逃げ場にもできるのだから。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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