私自身の人生と肉食から世界をみる/安積遊歩

私は2月に68歳になった。つくづく思うのは、障害を持つ仲間、大多数の人とは違う身体を持つ仲間たちを随分見送ったということ。

小学校は地域の学校で、全校生徒1000人以上のマンモス校だったが、その中で身体障害を持っていたのは、私と、他に3人で、そのうち2人は20代で亡くなった。もう1人の消息はわからない。

1人は交通事故による片足切断だった。今の価値観から言えば、軽度の障害だったのに、なぜか身体障害者の施設に入り、4〜5年もしないで自死してしまった。また、ポリオの子は褥瘡の手当てがうまくいかず亡くなってしまった。

その後、私は20代で障害者運動に出会い、活動を始めた。駅にエレベーターを作ったり、介助料を要求したり、当事者組織である自立生活センターを作ったり、等々。どのようにそれを実現してきたかと言えば、行政交渉や、重い障害を持つ仲間の家を一軒一軒訪ねて回ったり、自立生活センターを通してピアカウンセリングを伝えたりなど、非日常的なことが多かった。

しかしその中でも暮らしは大切だったから、日々の生活では料理や洗濯、掃除などをよくしていたと思う。特に私自身の20代は重い障害を持つ恋人が喘息でもあったので、料理はなるべく身体が心地良く、健康に良いものをつくっていた。

ただ、彼との暮らしのなかでは、介助料の出ないなか、介助者を集めるということが、ときに非常に困難だった。そんな中でも圧力鍋で玄米を炊いて、野菜や大豆中心の食卓を用意し続け、卵や乳製品は食べると言うゆるやかにベジタリアンをしていた。

ところで環境というのは、人間の在り方に最も甚大な影響を与える。生まれたときに七三一部隊のマルタのように扱われることで、私の身体の核には「医療から殺されるのだ」という意識が凝固した。

七三一部隊というのは、細菌戦を成功させるために満州で組織された残酷な日本軍だった。彼らは中国人を捕まえてきては、生体実験を繰り返し、おびただしい数の人命を奪った。

生体実験に供された中国の人たちを彼らはマルタと呼んだ。私もまた、生後40日目から、男性ホルモンを1日置きに投与されるという、生体実験そのものの「治療」を受けた。母親からのメッセージは「生きて生きて幸せになってほしい」という強烈な愛情だったが、私の身体は、医療の側からは完全に物化され続けた。

自分より全く劣った者として人間を見做すとき、最初はかろうじて人であっても、すぐに駆逐すべき、あるいは実験に使うための物になっていく。私の記憶のなかにある医療者の私に対する眼差しは、まさにそれだった。

障害者運動に出会うことで、社会的に排除の極みにある、障害者の「食べる」に対して、私は少しずつ注意深くなっていった。

たくさんの医薬品で身体を変質させられている、障害を持つ私たちが、さらになおホルモン剤や抗生物質漬けの肉や魚を食べさせられることには、うんざりしていた。

このような資本主義社会は、命を大事にするという視点はほとんどない。命以上に経済を大事にしなければ食べることも難しくなるのだというコマーシャリズムを徹底させて、人が食について考えるという余裕や能力を奪っている。そして、家畜や水生生物の現実を知らずに、未来の子どもたちの命をひたすら搾取する方向にある。

そんななかで私は、自分の健康という観点からだけでなく、家畜や水生生物も含めた全ての動物の命という視点に注目するようになった。

それ以前には、一方的に体を傷つけられ、死にも追いやられている少女たち、FGMの廃絶や脱原発、そして沖縄への傲慢な搾取のありようにも、自分でできることはしたいと思い、関わってきた。しかし、動物たちの命に注目し出すと、ここから世界を照射することが必要だと、どんどん思うようになってきた。

肉を食べない方がいいと私が言うと、「そうね、私は豚や牛はなるべく食べないで、鶏肉だけにしているのよ」と言う人が結構いる。しかし、日本では年間10億の鶏、牛、豚が殺されているが、そのうち9億は鶏なのだ。残りの1億が牛や豚だと言われている。

自分の健康の問題以上に、日々虐殺され続ける家畜や魚のおびただしい苦しみと悲しみ。その工場畜産のありようは、動物の命に対する尊厳や倫理観のなさに、人類は悪魔かと思えるほどだ。そして肉食に伴う気候変動は、全ての自然を破壊しつつある。現在、家畜と人間を合わせた哺乳類の数は、地球全体の哺乳類の98%を占める。

例えば、ハンバーガー1個に使う水の量も、ハンバーグの部分だけではなく、小麦や野菜の部分も合わせると、2500リットルの水が必要だ。これは、1日のシャワーの時間を10分間として、1ヶ月分の水の使用量に匹敵するという。つまり一個のハンバーガーを食べるために私たちは2500リットルの水を他の生物から奪っているとも言える。

家畜や水生生物の命を思うことなしに、地球全体の平和はありえないのだ、ということを私は言い続けていきたい。

 

◆プロフィール

安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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