土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
1月29日の東京新聞の一面に「ハッピー・ハイポキシア」という言葉が載っていた。意味は、“幸せな低酸素症”である。自宅で療養中に死亡する新型コロナウイルス感染症患者に相次いで起こる現象として取り上げられていた。
肺炎によって血中の酸素が不足しているのに、呼吸困難にならないとある。低酸素が急激に進むと苦しいが、徐々に酸素がなくなっていくと体はそれに適応するのだ。山登りの時、急に高いところに行くと高山病になるが、徐々に慣れていけば山頂まで行けるのと同じ原理だろう。苦しくない、しかも酸素が薄くなっていく中で徐々に意識が薄れていく。そんな状態で死んでいく。
新聞の一面にこの言葉を見つけたとき、私はALS にまつわる医療の話を思い出していた。ALSが進行し、肺の機能が奪われていく中で気づかぬうちに低酸素状態になっている人たちがいた。パルスオキシメーターで血中酸素飽和度を測らなければ気づかない。呼吸器をつけるかどうか、はっきりと決めないうちにそんな状態になっていく人たちがいた。
一方で、呼吸苦に襲われ、それが続く人たちがいた。人工呼吸器をつけないと当初希望していたが、あまりの苦しさにつけることになる人たちがいた。そしてつけた後、呼吸がぐっと楽になってものごとが鮮明になり、判断ができるようになる。呼吸器をつけてずいぶん楽になったという人たちの話も聞く。
しかしその後、呼吸器を外してほしいと願う人たちが、少なくない数、いる。2009年に行われた調査によると、回答した医師の2割、284人が人工呼吸器を外してほしいと患者側から依頼された経験があるという。このうち227人は違法の可能性があるので外せないと回答し、44人は外すべきではないと回答した。回答の中には「外した」と回答した医師も9名いたという。
医師の苦悩は大きい。ALSの病気を本人に説明すること自体がかつてはタブー視されていた。私が調査に関わるようになった90年代の後半は、さすがにインフォームドコンセントも普及していたから、病名を告知しないなどということは許されなかった。医師たちは段階的告知という方法を模索していた。
段階的告知とはALSの診断が下りたときに、予後のすべてを説明しないという方法だ。ここしばらくの期間でできなくなることを説明する。患者に自分の体について理解しながら進んでもらう方法だ。いっぺんに説明すると、ショックが大きすぎる。受け止められない。パニックになってしまう。だから、徐々に慣らしていく。そして呼吸器をつけるという決断も、その一つ一つの決断の中の一つと受け止められる。
しかしこの方法は必ずしも成功するわけではない。医学書にはしっかり予後が悪く、発症から2年から5年で呼吸苦となることや死亡といった言葉が書かれていたから、医師の言葉よりもそちらを信じてしまえば医師がどれほどソフトランディングを望んでいてもそうはいかない。そして何より医師の段階的な告知内容と身体の変化が必ずしも一致しないこともある。その見極めを誤ると、急激な身体状況の変化の中、思いもよらない判断を迫られることにもなりかねない。
段階的告知の是非を問う間もなく、インターネットの普及により必要な情報も必要ではない情報も、みんな簡単に検索できるようになった。今では誰もがググったら何でも出てくる時代である。2009年の調査は今から10年以上前の調査だが、その当時、情報はいくらでも手に入る時代になっていた。それでもこの調査にはわからないことがたくさんある。
外してほしいと思う人たちが、どんな情報を得て、どんな環境の中で、なぜ外してほしいといったのか。「患者側」「患者や家族」とひとくくりにされる、その中の本人と家族はどれくらいの割合なのか。どう思いが違うのか。同じなのか。調査は医師が行った医師の苦悩を知るための調査だったから、それらのことは明らかにはなっていない。
新聞の記事の最後には、「ALS患者の呼吸苦を和らげるため、モルヒネを使うことは現在の診療報酬では保険適用が認められていないが、『必要なら適用外でも使用する』が47%を占めた」とある。そして2011年にはALS患者へのモルヒネの使用は保険適用となった。
呼吸苦に関して医師は患者の苦しみを取り除くことができるようになった。医師の苦悩も減った。
◆プロフィール
田中 恵美子(たなか えみこ)
1968年生まれ
学習院大学文学部ドイツ文学科卒業後、ドイツ・フランクフルトにて日本企業で働き2年半生活。帰国後、旅行会社に勤務ののち、日本女子大学及び大学院にて社会福祉学を専攻。その間、障害者団体にて介助等経験。
現在、東京家政大学人文学部教育福祉学科にて、社会福祉士養成に携わる。主に障害分野を担当。日本社会福祉学会、障害学会等に所属し、自治体社会福祉審議会委員や自立支援協議会委員等にて障害者計画等に携わる。
研究テーマは、障害者の「自立生活」、知的障害のある親の子育て支援など、社会における障害の理解(障害の社会モデル)を広めることとして、支援者らとともにシンポジウムやワークショップの開催、執筆等を行い、障害者の地域での生活の在り方を模索している。