土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
「ぼくは企業で働いてるからえらいんだ!」
みんなの前でその男の子は言ったそうだ。
「君たちはまだ作業所かい?甘いところで働いてるんだね。困ったら職員が助けてくれるでしょ。
企業は厳しいよ。
だから企業で働けてるぼくはえらいんだよ」
彼はそう言ってみんなを馬鹿にしたように笑い、自分が勤めている会社の自慢話を始めた。
いかに企業で働くことが厳しいか、苦労話もたっぷりと添えてくれたそうだ。
◇◇◇
それは、ある高校の、同窓会のようなOB.OGが集まるイベントでのことだった。
その高校はいわゆる特別支援学校と呼ばれており、主に知的障害や身体障害のある子どもたちが通う高校だった。
ホテルの宴会場に集まった卒業生たちは立食パーティー形式で用意された料理や飲み物を思い思いに手に取り、それぞれグループを作って思い出話に花を咲かせていた。
学生時代の思い出話が一段落すると話題は近況報告に移っていった。
仲間たちは各々が働く作業所での面白かったことや仕事内容、どんな職員がいるかなどの話で盛り上がっていた。
それぞれの施設の給食の比較なんかをして愚痴を言ったり羨ましがったりした。
そこには屈託のない、素朴で和やかなムードがあった。
そこに例の男の子が遅れてやってきた。
彼ははじめのうちは黙ってみんなの話を聞いていた。ところが、久しぶりに会った同級の友人たちがそれぞれ「B型の作業所」で働いていることを知るやいなや
「ぼくは企業で働いてるからえらいんだ!」
というセリフを言い放ったのである。
【B型の作業所】
『正式には就労継続支援B型事業所と呼ばれている。知的や身体などの障害があり企業への就職が困難な方を対象にして事業所の職員のサポートを受けながら働くことができる職場のことであり、雇用契約を結ばずに比較的自由な働き方ができるのが特徴である』
「君たちはまだ作業所かい?甘いところで働いてるんだね。困ったら職員が助けてくれるでしょ。
企業は厳しいよ。
だから企業で働けてるぼくはえらいんだよ」
と彼は話始めた。
そのグループの和やかだったムードは一発で吹き飛ばされ、その場は台無しになった。
みんな嫌な気持ちになり、一瞬にして黙ってしまった。せっかくの楽しいパーティーは暗い雰囲気に包まれた。
◇◇◇
その輪の中に夕子(ユウコ)はいた。
夕子は高校を卒業し、印刷や封入の受注作業が中心の「B型の作業所」に通っていた。
その作業所ではポスターやチラシ、年賀状の印刷を請け負ったり、Tシャツの印刷などもときには行っている。
複数枚のチラシを順番に取って重ねて封筒に入れる仕事も多い。
そこでは職員さんがビジネスマナーから仕事のやり方までいろいろと教えてくれる。
もちろん楽しいことばかりではなく嫌だなと思うこともあるけれど、夕子は休まずに頑張って働きに出ていた。
「作業所で働いてるやつは甘い」
一般企業ではなく作業所で働いていることを馬鹿にされたことが悔しくてたまらず、その気持ちは家に帰ってからもおさまらなかった。
台所で夕食の支度をしていたお母さんのところに行ってすぐにそのことを話した。
「ひどいこと言うわね。そんなこと気にしなくていいわ」とお母さんは慰めてくれた。
それでも夕子は納得がいかなかった。
「企業で働いている人はえらい」それって本当なの?と少しべそをかきながら聞いた。
「それは嘘よ。間違ってる」お母さんは言った。
「作業所よりも一般企業がえらいの?」
「そんなことない」
「作業所で働くことは甘いことなの?」
「いいえ、違う」
「作業所じゃダメなの?」
「………」
お母さんも困ってしまって泣いている夕子の背中を撫でることしかできなかった。
台所の隣のリビングで夕子の兄の数男(カズオ)がその話を聞いていた。
数男は二人の会話に対して何も口を挟まなかったが、ただ黙って考えこんでいた。
大学を卒業して就職はせずにふらふらしていた頃、法事にいくと同じようなことを親戚の叔父さんたちから言われていたことを思い出したのだった。
「フリーターやめて早く正規職員になれよ」
「働くなら中小企業よりも大企業の方がいい」
妹に「ぼくはえらい」と言った奴と叔父さんたちの言葉がなぜだか重なってよみがえってきた。
とりあえず名のある企業に就職したあと、大企業に就職しろと口うるさく言っていた叔父さんたちが何も言わなくなるかと思ったらそうではなかった。
次は「早く結婚しろよ」と言うようになった。
そして、結婚したら「早く子どもを作れ」に変わった。そのあとは「どこに家を買うのか?」「アパートよりもマンション」「マンションよりも一戸建て」「賃貸よりもマイホーム」「中古よりも新築」と言うようになった。
叔父さんたちの価値観には明確な順序づけが存在しているようで、しかもその順序の中で下等ではなく上等を目指すという志向がかなり根強くあるようだった。それは怖いくらいに誰がなんと言おうと揺るぎのないものであるようで、それが絶対的に正しいと他人に「押し付けている」意識もないままに、当たり前のこととして伝えてくるのであった。
「いいところに就職した奴はえらいよ」
叔父さんたちが言いたいことはつまりそういうことだった。
「えらくなれ」
妹に「ぼくはえらい」と言った奴と叔父さんたち。同じなのか、違うのか、似てるのか?
数男は考え込んでモヤモヤとしてしまったのだった。
◇◇◇
次の日夕子は「作業所は甘い。企業で働いている人の方がえらい」と言われた話を自分が通っている作業所の仲間にもした。
仕事の休み時間はみんな作業所の玄関ホールへ出てきて、そこに置いてある木製の丸いテーブルを囲んで話をするのが楽しみなのだ。
和気あいあいとした雰囲気が好きだった。
「私たちはえらくないんだって!」
すごい悔しかったんだ、と彼女が言うと「やな奴だねー」と仲間たちは口々に言って共感を示した。
「そうでしょ、そうでしょ」
「性格悪いんじゃない?」
「そうなのよ!」
「まあまあ、落ち着きたまえよ」ちょっとアキバ系の男子がいさめる。
「だってどう思う?」
「さぁ?」
「本当に企業で働いている人はえらいの?」
「そんなこと絶対にないよ!」みんなは慌てて否定したのだった。
「そんなことない。えらい、えらくないなんてあるものか!」
口々にみんなそう言って彼女を励ました。
しかし、そう答えながらどこか違和感はあったのかもしれない。それは違和感として感じられないほど微かなものだったのかもしれないし、例え感じることができたとしてもそれが一体どこからくるのか、その微かな引っ掛かりの正体は何なのか分からなかっただろう。
あまり分かりたくないというか、見たくないものであることは間違いない。
自分たちが全員作業所で働いているから企業のことがよく分からないという不安も確かにあった。
しかし、それだけではなく心の片隅で同じ作業所の仕事の中にも簡単な仕事と難しい仕事があって、難しい仕事を任命されたときの晴れやかさがなぜか思い起こされていた。
難しい仕事を与えられた晴れやかさ。選ばれたことの晴れやかさ。
はっきりと意識はしないが選ばれたときに、自分たちも心のどこかで「自分はえらい」と思っているのではないだろうか。
選ばれなかった人たちに対して憐れみの気持ちだって感じることがあるけれど、それだって「自分はえらい」の裏返しではないか…。
そんな自分たちと、夕子に「ぼくはえらい」と言った奴、一体何が違うのだろう?
その気持ちははっきりとしたものではなく漠然としたものだった。ぼんやりとしたその気持ちは集まっていた仲間たちの無意識に浮かび上がり、みんな少し暗い気持ちになってきた。
どうして暗くなるのか自分自身でも分からずイライラする仲間も出てきてしまったほどだった。
玄関ホールは暗い影に包まれた。
◇◇◇
その仲間の中に一人だけ企業から移ってきた希(ノゾミ)という女の子がいた。
希は高校を卒業して企業に就職したが、コーチからのきつい指導や同僚からのいじめなど職場の人間関係の悪化が原因で通えなくなり、半年で退社、半年在宅で過ごし4月からこの作業所で働くようになった。
アニメとおしゃれをすることが好きで通勤時は首にきれいなスカーフを巻いている。
口数は少ないが笑顔が清々しく気持ちのよい子だった。
いつも静かに笑っていることがほとんどで、本当に滅多に話さない希がその時は珍しく口を開いた。
「今、幸せ…」
普段から声が小さいのでよく聞かないと聞き取れない。
「えっ!?」
みんな希の側に近寄って顔を寄せて「何って言ったの?」と聞いた。
「何、何?」
すると希ははにかみながら、
「………今、楽しいよ。だから幸せ!」と言った。
「おー!」
その場に明るいどよめきが起こった。
希の言葉は玄関ホールを覆っていた暗い影、仲間たちの心のぼんやりとした不安や言葉にならない微かな違和感を一気に押し流してくれた。
みんな急に気持ちが軽くなった気がした。
「今、幸せ」
どうしてなのだろう?
どうしてその言葉にはみんなを明るくさせる力があったのだろうか?
希は、企業だろうが作業所だろうが働いている場所は関係なくて、今、自分が幸せなのかどうなのかが大切であると言った。
今、幸せか。
今、楽しいか。
どんな場所でもいい、どんな職種でもどんな役職でもいい、どんな働きでもいい。もっと言えば働いていなくてもいい。
どう生きているか。それで今、幸せなのか。
そのことが一番大切なのだということを希は言ったのだった。
それは自分が企業でコーチからきつく言われ、職場からいじめられてきた経験があるからこそ言えるセリフだった。
企業で働いているからえらい、そんなことは決してない。
希はこの作業所の仲間が好きだったし職員が好きだった。仕事内容にも満足していた。
「今、幸せ」
希の実感のこもった言葉には力があった。仲間たちの心はいつの間にか軽やかになり、イライラも消えて冗談を言い合うほどになった。またいつものような和やかな和気あいあいとしたムードが戻ってきた。
「ぼくはえらい」という心ない一言にあれほど悔しがっていた夕子も自然と笑顔になった。
「えらいーえらくない」の話はそれで終わり、みんなはいつものたわいもない話をはじめたのだった。
「今、幸せ」と自分が言えるかどうか。夕子ももう一度心の片隅で考えてみることにした。
おわり