私の人生の動力は好奇心と直感だ。
いわゆる人生の目的というのは、差別を少しでもなくし、みんなと自由と平和を享受したいというものだから、そこに向かうために様々なことや様々な人との出会いを求め続けている。
そして、様々な場所に出かけ、全ての命たちに思いを馳せ、対等とか平等とは何かを考え続けてきた。
自分がそんなふうに生きているから、みんな心の奥底ではそうだろうなと思ってきた。
ところが、ここ十年くらい好奇心や直感がスマホの台頭によって急激に人々から失われているのを感じる。
スマホの中に知りたいことの答えは全てあるかのように思い込んで、人々は常にスマホを覗き込む。
TVやスマホで知ったことは、それは自分の体験であるかのように感じてしまうのだろう、なんと海外旅行したいのだという若い人が減ってきている。
なぜそんなに確信的に言えるのかというと、私は大学生に講演したときは大抵、海外旅行をしたいかどうかを聞いてみているから。
最初にしたくないという人が少しいたときには、あまりに驚いてしまったのだが、ここ最近は、したくないという人が結構増えてきた。
直近二週間くらい前に行った大学では、半数を超える人が行きたくないと言ってきたので、驚いて理由を尋ねた。
まず、お金がないからという現実的な答えにはちょっと納得したが、もちろんお金があればと言う仮定で考えて良いのだよと答えた。
続いて治安が悪いからとか、行く必要を感じないからと言われたときには、思わず唸ってしまった。
日本は15歳から39歳の死亡率の第一位が自殺だと言われている。
私の住む地域の大学の平均自殺率は10人前後だとも聞いている。
交通事故や犯罪によっての死亡率を超えるこの脅威的な数字を知らないために治安が悪いと思わされているのだろうか?
治安というものに精神的な治安という認識やカテゴリーがあったら日本ほどそれが最悪な国はないだろう。
そのうえ、人間の本来持っている様々なことを見たい、知りたいという欲求、つまり好奇心が海外に行ってまで、知る必要を感じないからと斬られたら、生きる喜びや躍動は全てあの画面の向こう側で満足できるということなのか。
介助の仕事を広めようと思っているときに、この好奇心や直感に対する評価の低い人が多すぎて、私は驚き続け時に苦戦し続けている。
もちろん人は大事にされるという保証がなければ、どんな仕事にも就きたくないだろうから、大事にされるという最初の一歩は数字的にも大事にしているよということで、介助の仕事の賃金はほんの少しずつではあるが上がってきた。
特に私が出会う大学生たちには、アルバイトとしての賃金としては良い方だと思って勧める。
しかし、もちろん賃金だけではなく、好奇心や直感を働かせばこの仕事の奥深さや重要性にすぐに気づいてもらえるのだと思うのだ。
ただ残念ながら重要性に気づけない様々な差別と言うのは、まだまだ確かにある。
差別とは何か、と問われたら私はいつも無知と無関心と無視からきていると答える。
「3つの無」が差別を生み出すのだ。
差別する側は時に自分が知らないということにさえ気づいていない。
差別されている側の痛みや歴史に対する想像性もなく、間違った認識をまるでそれを事実かのように思い込んで、差別の第一歩が始まる。
全ての人が自分と同じように、自由に生きたいと思っていることを知ろうとせず、そのうえ無関心が塊となって無視となる。
差別はその繰り返しだ。それを打ち破るのが好奇心であり直感だと私は思うのだ。
二十歳前後に障害者運動に出会ったとき、その中で好奇心と直感が、冒頭にも書いたが、私にとって一番役に立つ動力となってくれた。
重い障害を持つ仲間のユニークな表現とも思えない表現につなげてくれたのはその2つだった。
私が行く度に拍手してくれた彼女が亡くなったとき、自分があまりにも泣けるのでそのこと自体に驚いた。
悲しみとか喪失感というより、彼女のことをもっと知りたかったという好奇心を寸断されたことでの戸惑いと軽い怒りで泣けるのだなと少しずつ泣きながら気づいていった。
今、私たちはこのスマホ依存社会のあら波にもまれ始めている。
様々な嗜好品、アルコールやタバコなどから自由になっていくことの重要さと同じように、スマホも中毒とすることなく、スマホからも自由になろう。
私たちの関係作りに、つまり画面の向こうの世界は暖かくて熱のあるものであると言うことを、知るために使っていこう。
少しずつ様々な人の生き方や暮らしが紹介されて、障害を持つ人自身も隔離や分断を超えて自由に生きたいのだということが知られてきた。
それは非常に良いことだ。
ただ、知るということは関心のきっかけにすぎないから、関心を持って今度は障害を持つ人のそばに赴いてほしい。
もちろん障害を持つ人だけではなく、自分とは全く違う個性を持つ人たちに、近つけば近づくほど差別は軽減していき、さらには無くなっていくことを努力し続けよう。
私たちが生まれてくるのはこの世界に出会いを求め、、自分のオリジンである人々に出会いたいと思っての生命なのだ。
生きることは知りたいという好奇心に彩られている。
◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。
アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。
障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。