最近出会った車いすユーザーの友人の話が心に深く突き刺さった。彼の許可を得たので、彼の話を今日は書いてみる。
彼の親たちは、彼を人として愛することが上手くできず、小さなときから暴力を振るわれ続けた。弟と妹がいるが、2人とも障害を持ち、妹は施設の中にいるという。彼自身も3、4歳から小学1年生まで、最初の施設に入った。その施設でも、彼の自由と愛情を求める心と行動は全く理解されず、常に空腹を感じ続けていた。心が大人たちからの愛情を求めて、所謂乱暴な行動を繰り返した。施設の周りの畑や家々に入っていっては食べれる物を取っては食べたり、小学1年のときには、吸い殻のタバコを拾って、タバコの味も覚えた。彼の愛情を求めて止まない行動は、周りの大人からの叱責の対象で、しょっちゅう家に返されもしたという。そこでもまた、母の恋人のような大人から、更なる暴力を受けた。
児童相談所の中にある小さな小さな施設、一時保護所と家、そして小学2年の時には、新しい施設に移された。新しい施設に行く前に家にいたとき、彼は家の中で、軟禁状態でひとりぼっちだった。そこを出ようと、トイレにマッチを持ち込み、放火を試みた。幸い、ぼやで済んだが、それがきっかけとなり、また別な施設に移された。そこでも、年上の入所者や、職員たちからの様々な暴力を受け続けながら、中学校卒業までを過ごした。彼は「施設は軍隊ですよ」と何度も言った。施設の中での先輩後輩の身分の押しつけ、それを逸脱したときや、彼らを守るべきはずの職員たちからの暴力の話は、聞くに堪えないものだった。だから、15歳で施設を出るとき、彼の目標はボクシングをすることだった。当時、まだ障害を持っていなかった彼は、強くなければ生き延びれないという現実の中で施設を出た。そして、施設を追い出されてからの自分で生きなければならない過酷さは、凄まじいものだったという。親の庇護も社会のサポートもなかった彼は、高校進学に、興味と関心を寄せることもできず、3つも4つもアルバイトをしながら、ボクシングジムに通い続けた。身体的にトレーニングを重ね、強くなることだけが自分の命を守ることだと思い込んだ。
にもかかわらず、彼は17歳の時、体に変調をきたし立てなくなった。多分それまでの様々な暴力とボクシングでの激しいトレーニングの両方からであったろう。身体的な強さや、学歴を勝ち取ってしかこの世界を生き延びることはできないという、この世界のメッセージに真逆の体、立つことさえできない体になったのである。病院では、原因が全く分からないと言われ、車いすを使う選択しか無くなった。車いすに乗ることで、施設や学校で、少人数ではあったが、彼を心配してくれた人々も、少しずつ去っていった。彼を今でも心配してくれているのは、ただ一人、ボクシングの先生だけで、それ以外は、車いすになってからの人間関係の中で生きているという。
私は常々、身体的な強さや学校の成績を競い合う世界が本当に嫌だと感じながら生きてきた。幼い頃は、そういう世界しかないのだから、私自身の歩けない体はこの世にあってはならないものだと、なんとなく思わされてきた。
中学1年のときには、養護学校から転校して、地域の学校で学びたいという意思を踏みにじられた。中学1年の3学期は、教育を全ての子どもに保障しなければならないという憲法は、校長の一存で否定された。今なら、教育を保障しなければならない有り様は、文科省の定める学校教育だけではないということで、フリースクールや、私立の学び場など色々ある。しかし当時は、親も私も学校に行かなければという想いがいっぱいで、不登校は選択肢には全くなかった。中学2年になったときには、その校長が退職し、新しい校長が来る間に、教頭が校長代理代行で、私の就学権は、復活することができた。
学校教育にだけは、子ども1人あたり、年間8万円くらいのお金が使われているという。しかし学校に行かないという子に対しては、行政からの予算はほとんど使われていない。私は義務教育を終えて高校に行こうとしたが、地域の高校には、通学時のサポートが全くなかったため、当然のように、高校進学を諦めさせられた。小中学校は、母親のおんぶとか、親戚の人のサポートがあったが、高校は、余りに遠方であったために、諦めたのだった。
特別支援学校は、地域の学校よりも、更に予算が使われているだろう。私からすれば、そして国連の障害者権利条約においても、どんなに重い障害を持っていても、持っていなくても、全ての子どもは地域の学校で、多様性の中で、お互いへの興味関心を培いながら育つべきだと思っているし、言われている。ところが、日本の教育は、障がいを持っている子どもだけでなく、所謂養護施設に育つ子どもに対しても、非常に厳しいということを、冒頭の彼の話から、深く深く認識した。
◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。