地域で生きる/22年目の地域生活奮闘記112~特別支援学校が変わってきていることへの危機感について~ / 渡邉由美子

先日、zoomミーティングで10年前まで特別支援学校の教員をしていた方から特別支援学校の現状を学ぶ機会がありました。発達障がいやADHD・LDを持つ子どもたちの現状がメインではあったものの、他の全ての障がいにあてはまる興味深い内容でした。

またその現状を踏まえて、障がい当事者になにができるだろうといったことを話し合いました。簡単に結論の出るテーマではありませんが、「地域で生きる」ということを突き詰めていくにあたってとても重要な話題だったので、ここに書いていこうと思います。

特別支援学校に通う児童・生徒は年々増えているそうです。なぜかというと冒頭にあげた子どもたちが特別支援学校に振り分けられるようになったからです。インクルーシブ教育や統合教育が叫ばれ、それが実現するケースも多くなる一方で、発達障がいをもつ子どもたちがそこに振り分けられて通っているとのことでした。

その対象は昔だったら集団生活に馴染めない子ややんちゃな子、ある面ではとても秀でた能力を持っていながら、一つのことにこだわりを持つ子など、一定の配慮は必要でも、地域の学校の中に当たり前に存在していた子たちです。

その子のもつ障がいの特性をいち早く見抜き、適切な教育につなげていくことは、将来、地域生活や就労にスムーズに移行できるようにするという意味ではとても大切なことです。とはいえ「発達障がい」という言葉すらなかった頃は、ごく当たり前に普通学校に通っていた子どもたちが特別支援学校に振り分けられてしまうことをどう受け止めたらよいか悩んでしまいました。

肢体不自由の障がい者についていえば、設備面の問題をクリアし、介護スタッフらを配置するなどして、普通学校に通えるケースが10年前と比べ格段に増えているそうです。ただしその理由は、当事者の立場からすればなんとも言えないものでした。肢体不自由の子は健常者の子どもたちが授業を受けるのに邪魔をしないから置いてもらえるのだというのです。

肢体不自由の子も授業についていけるように特段の配慮がなされるケースは少なく、実態はただ本人や保護者が普通学校を希望するからそこに行けるようにしてくれたというもので、本当の意味で健常児と障がい児が共に学ぶという環境にはなっていないようです。

学校は勉強しに行くだけの場所ではありません。友達をつくったり、社会性を身につけたりする大事な場所です。また大人になったら健常者も障がい者も同じ社会で共存していくことになります。だから幼少期から一緒に過ごすことに大きな意味があると思うのですが、「肢体不自由児はおとなしく、他の子の妨げにならないから」という理由で普通校に進学ができるという現実は、あまりにも寂しいものに感じてなりません。

発達障がいやADHD・LDを抱える子どもたちの話に戻ります。これらの障がいを持つ子は、時に健常児の学びを保障できなくなる要素が多いという理由で特別支援学校に振り分けられます。かといって特別支援学校の多くは、知的障がいを伴わない発達障がい児の教育ノウハウを十分に備えた環境ではありません。知的能力の高い子たちがそこに通えば、十分な教育が受けられるはずがないのです。

障がい者手帳を持っているかどうかに問わず、問題行動をする子だというレッテルを貼られて特別支援学校に振り分けられてしまう児童・生徒の数がおどろくほど増えており、教員たちも教室の確保や落ちついて過ごせる環境整備に四苦八苦しているのだということでした。

文科省が発達障がいや高機能自閉症などのハンデをもつ子を“障がい児”として扱うことを推進しているかのように感じてしまいます。

私が子どもの頃は教育システムそのものがとても不十分で、私のように重度の障がいを持つ子は教育を受ける権利すらありませんでした。”就学猶予“と言われる制度の対象だったからです。

当時は、今の社会で障がいのレッテルを貼られてしまっているような子たちが私の不自由を補ってくれて近所の公園で一緒に遊んだり、駄菓子屋さんに行ったり、楽しく遊んだ記憶もたくさん残っています。

今を生きる障がい児たちは、数十年前よりも劣悪な教育環境に置かれているといってもおかしくないと思います。生きづらさを抱いているという面で、確かに障がいはあるとはいえ、少し工夫をすれば普通学校でやっていける子どもたちは多くいます。彼らが健常者と同じ社会で生きていくチャンスを、幼少期から奪ってしまうような教育制度の在り方には疑問を抱かずにはいられません。

今の日本の福祉制度は「必要な人に必要な時に必要な福祉を」というのではなく、先に作り上げられたシステムに沿ってふるいにかけ、わざわざ生きづらい道を選ばせるように仕向けているように感じます。

健常者でも、なんらかの理由で生きづらさを感じたり、事情があって働けなかったりする時には生活保護を受けられるとか、障がい者にも健常者にもチャレンジする機会は平等に与えられるとか、その人が望む生き方を実現するために必要な福祉サービスを創り上げていく。そういった方向に社会の目が向かないことが不思議でなりません。

現役の先生たちは、年々子どもたちと向き合う時間を十分に確保することがむずかしくなっており、教育委員会や文科省に、学校運営の健全化を訴える書類を作ることに心血を注がなくてはならないそうです。「いったい誰のために仕事をしているんだろう」と首をかしげたくなってしまいます。

もう一つ、教員を志す人が減っていたり、教員の資質が伴わないことで教育崩壊が起こりかねない現代社会において、普通学校の教育の中に障がい児を抱き込んでいくことは非常にむずかしいのだということでした。

単なるきれいごとではなく。本当の意味での統合教育が実現するよう、教育システムの改善が必要だと強く感じさせられたzoom勉強会となりました。

 

◆プロフィール

渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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