ご両親の強い思いと本人の「働いてみたい!」という希望を叶え、重度訪問介護とともに就労をされているIさんの事例を紹介します。
【事例】
10代 女性
障害名:二分脊椎による両上下肢機能障害
アーノルドキアリ奇形による呼吸器機能障害
「二分脊椎症」という障害
Iさんは、お尻の骨が外に突き出た形で生まれてきた「二分脊椎症」という特性があり、生まれてすぐ手術をしましたが、水頭症の合併症を起こし、その影響で小脳が喉の方に下がって呼吸もしづらくなってしまい、1歳前に気管切開しました。
5、6回手術を繰り返して1年ほど入院し、そこから在宅となりましたが、下半身に力が入らないので歩行は難しく、幼いころから車椅子を使用しています。
独自のコミュニケーション
Iさんは歌を歌ったり、本を読むことが大好きで、気管切開した後には独自で喋ることを覚え、舌を使って、“ちぇちぇ”と音を出すなど、自分なりに開発して喋ったり、歌ったりしています。
喉を震わせないと音が出ないところは無音になってしまいますが、だいたいの音は出せるので、会話をすることもできます。
学校生活
幼少期は障害者を受け入れてくれる幼稚園に、週に2回通い、あとの3日を障害者が通う幼稚園に行っていました。
小学校からは養護学校に進み、小学部、中学部、高等部と12年間在籍し、高等部では選挙に立候補し生徒会長を務めました。その頃からIさんには「将来は働いてみたい!」という希望がありました。
養護学校卒業とご両親の思い
卒業後は就職ではなく生活介護の事業所などに通う人が大半だったので、Iさんのご両親は「運が良ければ就職を」と思っていましたが、「チャンスに恵まれるかは分からない。」と考えていました。
重度訪問介護の事業所とともに就労を
Iさんの介護は今までほぼご家族がしてきましたが、ご両親は「将来私たちがいなくなっても娘が一人で暮らしていける環境を作っていきたい」と思っていました。
そんな中、令和2年度から「雇用施策との連携による重度障害者等就労支援特別事業」と独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構(JEED)の「重度訪問介護サービス利用者等職場介助助成金」が開始となり、Iさんは就職に向けての歩みを進めることができました。
自治体、就業先企業、JEED、ホームケア土屋の連携によりこれらの制度を使いながら、現在Iさんは就業先企業の総務部に所属し、週3日、在宅でパソコンを使用したデータ入力業務などを担当しています。
仕事の日はホームケア土屋のアテンダントが就労時間の8時から17時まで付き添い、吸引や入力作業のサポートなどを行います。訪問看護、訪問リハビリなど他事業所とも連携し、Iさんの身体への負担が最小限になるようサポートします。
重度訪問介護には見守りという項目がサービスとして認められており、クライアントの「今は、こうして過ごしたい」をサポートすることができます。
また、ホームケア土屋のアテンダントは重度訪問介護従事者研修(統合課程)という資格を取得し、看護師からの厳格な実地指導を経て、クライアントへ医療的ケア(気管切開による喀痰吸引や胃ろう等を用いた経管栄養等)を行うことができます。
Iさんは「土屋さんのアテンダントの方とお話ししたりして、ほのぼのと仕事できるのが楽しいです。仕事の量が多いので、終えた時に達成感があります。」とお話してくださいました。
働いて、みんなを幸せに
入社して半年が経ち、Iさんは就業先の企業から「予想以上に仕事をしてもらっている。次は何をしてもらおうか考えるのが大変だ」と評価され、重度訪問介護とともに社会へ参加し、貢献をされています。
初任給では家族にケーキをふるまい、お世話になった放課後等デイサービスにお菓子の差し入れをしました。休日には自分で電動車椅子を操作しながら、家族と近くの公園で散歩を楽しみます。
実現させた「革命的」な支援
従来の障害福祉サービスでは、就労中の重度訪問介護の利用は難しく、その実現は不可能とされていましたが、令和2年度に新設された制度に着目した就業先企業と自治体とが、Iさんとご家族の希望を一心に背負い、ホームケアが提供する支援力とコラボレーションして、積極的な支援の具現化を目指しました。
その結果、「重度障書者等就労支援特別事業(雇用施策)」の新制度を適用し、就業先企業とホームケアとが委託契約を交わすことで、重度訪問介護相当サービスとして、「障害者の業務遂行のために必要な職場介助」を実現しました。
これに伴いN市では、「雇用施策との連携によるN市重度障書者等就労支援特別事業(福祉施策)」を適用し、重度訪問介護相当サービスとして、「障害者の身体介護のために必要な職場介助」をも実現しました。
今回の事例は、Iさんとご両親の強い希望と、自治体、就業先企業の協力、またホームケア土屋の支援力が実現させた「革命的」な事例といえるでしょう。