
「優生思想」~第2部:優生思想はいかにして乗り越えられるのか~
対談参加者
浅野史郎……土屋総研 特別研究員
司会……宮本 武尊/取締役 兼 CCO最高文化責任者
社会、そして人に見る優生思想の手ごわさ

第一部で、優生思想が現代社会で多く見られる事例をお話しいただきましたが、第二部では、優生思想どう乗り越えていけばいいのかについて、より深くお伺いできればと思います。
まず、優生思想が生産性を追求する社会と切り離せないものであるとすれば、それを乗り越えるのはかなり困難だと思いますが、この点についてお二人はいかがお考えですか?

この世の中が能力主義で回っていて、一部そうでないと社会全体が回らないってことがある訳ですから、
優生思想がはびこっているのは無理もないことだとは思います。
日本がこれだけ豊かになったのは、やっぱり能力を高めるような教育システムの成功の産物でもある訳であって、だから全否定はできないですよね。
浅野先生だって、日本の福祉を変えてくれた背景には、能力が高く、東京大学法学部に行って外国にも留学できたっていう、我々にはない能力がある人だったからですし、
私も企業経営者なので、能力のある人が沢山いるからこの会社が回ってる面がある以上、それを全部は否定できないけど、
それが間違った方向に突き詰められてしまうと、ヒトラーや植松聖になってしまう。
優生思想自体を根絶やしにするのは無理だと思いますし、そうであるべきでもないと思うんですが、そういうリスクがある中で、
どうこの能力が生み出す価値そのものは保存しながら、優生思想を乗り越えていくかということですね。

高浜さんの仰る教育というのは、その人の能力を高めていく。
言ってみれば、資本主義社会において重要だと思われるような能力を発揮するために行うのが教育だと。
その人を色んな意味で立派な人間にする、ちょっとぎらついて言えば、「資本主義社会での勝者にする」ということですよね。
否定はできないんですけど、資本主義社会においては、冷徹に言うと障害者、働く能力の低い人、この人たちは邪魔者です。
いらないんですね。
社会主義国においてもそうかもしれませんけど、それは認めざるを得ないと。
でも、そこを乗り越えなくちゃいけないんですよ。
ただね、敵が大きいんです。
賀川豊彦という人がいるんですけど、明治生まれのクリスチャンで、生活協同組合運動とか農民運動といった社会運動を実践してた人なんですね。
私も厚生省の社会局生活課長の時に生活協同組合の担当もしていたんですけど、そういう意味でもすごくえらい人だと思ってたんです。
でもこの賀川豊彦さんは優生思想の実践者でもあったんです。
本人は気づいてないでしょうけど。
というのも彼は、「悪質者―その中に障害者も入るんですけど―は不妊手術が必要だ。なぜならば貧困脱出のためだ。
貧困脱出のためには、そういう無能なものは生まれてもらっちゃ困る」というようなことを言っているわけです。
それでちょっとがっかりしたんですけど、逆に言えば、そんな立派な人であっても優生思想に結果的に加担してしまっている。
だから、我々もそこに対抗していこうと思うけど、敵が手ごわいんですよね。

賀川豊彦さんについて言えば、ほんとにすごい偉大な人で、有名な人なんですよ。
世界レベルで言うと、マザー・テレサとかマーティン・ルーサー・キングとか、マハトマ・ガンジーといったラインの、世界中の多くの人たちに尊敬される人だと思うんですよね。
私もすごくあこがれを持って、賀川豊彦さんの自伝とか、彼を紹介した解説文とかを何冊か読みましたが、
この賀川豊彦さんが言ったこと、やったことっていうのは「THE優生思想主義者」じゃないですか。
賀川さんが言ってることは、ほぼほぼ植松聖と一緒なわけです。
ということは、例えば、マハトマ・ガンジーが一番尊敬してた人は実はアドルフ・ヒトラーだったとか、
マザー・テレサがスターリンの本を愛読書として読んでたとかが絶対ないとはいいきれないわけですよ。
普通ありえないことがありえるというのが、優生思想という思想の、ものすごく巧妙なというか、捉えどころのなさみたいなところで、
賀川さんが植松聖のあの事件を見て「心から賛同する」って言ったらやばいじゃないですか。でも、そんな話なんですよね、これ。
そういう意味でも、難しいテーマだと思いますよね。

そうですよ。1948年の「優生保護法」にしたってそうです。
戦後で、日本がまだ貧しかったから、ちゃんとした国にしていきたいということで、そういう劣悪なる不良な子孫がいないほうが国を豊かにできるということのために法制化されたんですね。
だから、その目的自体は分かんないことはないんですよ。
だけどですね、恐ろしいのは、優生保護法は国会で満場一致で成立したんです。
1996年になって、「これはまずい」ってことになって改正して、この前の裁判では、僕もちょっと関わったんですけど、不妊手術された人たちに対する補償が認められたんですね。
でも、当時は共産党も社会党も賛成した。
「やれ、やれ!」ってことだったんです。
満場一致で成立したってことは非常に重いことなんですね。

政治ってそもそも意見対立から生まれているわけであって、それぞれの党は代表者じゃないですか。
自民党はこういう人たちの代表、社会党はこういう人たちの代表、でそれぞれの立場の対立があるから話し合って、決めていきましょうという。
そういう場の中でそもそも全会一致ってほぼ起きないと思うんですよね。
今だって色んな議案が上がってますけど、全会一致なんてほぼないですよね。
ほぼほぼ対立して、賛成する人もいれば反対する人もという中で、この優生保護法がかつて戦後に全会一致で通過したというのは、すごい話だなと思いますね。

だから我々の敵は大きいんですよ。
ちょっと大きく言うとね、優生思想からの脱却っていうのは社会を変えると思います。
優生思想を乗り越えるために~重度訪問介護の果たす意味~

敵は手ごわいとのことですが、どうすればそれを乗り越えられるんでしょうか。

さっき、資本主義社会では優生思想は当たり前だと言いましたが、だったら資本主義をぶっ壊すのかと言えば、私はそうじゃないと思うんですよね。
資本主義社会においては、金権社会とは言わないまでも、お金が一番大事ですよね。
豊かさというのは、お金をいっぱい持っていることとほぼイコールだと考えられていて、それはやむを得ないといったらやむを得ないけど、そうではないんじゃないかと。
きれいごとで言うと、障害を持った人も病気の人も、高齢者の人も認知症の人もみんな一緒に幸せに暮らす社会というのが、一番豊かな社会だと。
そういう中で、優生思想っていうのは、それに反するんです。
ということで、反優生思想を強く発言することによってホッとする社会になると思うので、この反優生思想運動は価値があると思ってますね。
ただ、どうやって優生思想を否定していくかというのは、実は我々の日常活動の中にあるんですよね。
だから、土屋がやってる重度訪問介護というのは、こんなに障害が重い人もちゃんと生きてる。
その生きてるということの意味がすごく大きいんだということを現実に見せつけてるわけですけども、それは一歩一歩、優生思想の撤廃に近づいていることだと思っています。
障害者の就労支援もそうですよね。
下駄をはかしたり、助成金を出したりして人為的に就労ができるようにする。
でもそれは必要なことなんです。
資本主義社会の中に裸で出されていったらば、障害を持った人は全然太刀打ちできません。
劣後していきます。それを引き上げるということは絶対に必要なことなんです。
だからこれも、優生思想ということに対するアンチテーゼというか、それをやる立派な施策だと思ってます。
この施策を作った人はそこまで考えてなかったとは思いますけど。
そのためにも、多くの方に「優生思想とは何たるものか」ということを知ってもらうということは非常に大事なことです。

途方もない挑戦ですよね、反優生思想は。
全会一致を乗り越えていくわけですから、今の時代に一人だけスマホを否定してるといった「超少数派の闘い」というような面があるんじゃないかなとも思います。

浅野先生から、重度訪問介護が優生思想を乗り越える一つの大きい施策だという話がありましたが、
重度訪問介護事業を運営している高浜代表はこれについてどう思われますか?

私は障害者運動の中で、自分の周りにも子宮を取られるといった被害を受けた人たちがいて、
その人たちの悲しみとか苦しみ、怒りに触れて、「優生保護法」とは大変な法律だったなと実感しましたが、
その人たちがそういうような価値観や社会のあり方に対して、様々な角度から抵抗運動をしていったわけです。
それはバリアフリーを実現することだったり、統合教育を実現することだったり、そういったいろんなことを、障害を持った人たちがコミュニティを作って取り組んでいた。
その中に、浅野先生の選挙を応援することも入っていて、私自身、20数年前に、浅野先生の選挙のポスターをあちこちに貼っていたんです(笑)
そんな形で先生とのご縁もありましたが、そんな彼女たち、彼らの運動の結晶体なんですよね、この重度訪問介護は。
最高傑作とも言えるわけですが、だから重度訪問介護の思想とはほぼイコール反優生思想の思想だというのを、根っこに立ち会った私は幸いにも目撃させていただきました。
だから優生思想を乗り越えるためにはありとあらゆることをやらなければいけない、そのありとあらゆることの中の一つに、
このサービスを広げるというのもあって、それ自体が売優生思想を克服するための運動だと本気で思っている部分はあるんですよね。
浅野先生もうちに関わっていただいているのは、先生の反優生思想の闘いと、
この事業を広げるということが、ある種の相関性があると思っていただけてるからとも思っているんですが。

過大評価かもしれませんね、それはね(笑)
私は恥ずかしながら、重度訪問介護っていう事業があるんだと知ったのはごくごく最近で、「これはすばらしい」と。
障害の問題における最高傑作だと。
で、ただそれに賛同したんであって、土屋に入ることになった当時も、優生思想を破る上でというのは考えてませんでした。
でもそう聞くと、つながってることはつながってると思いますね。
ともかく、一般の人の中にある、「内なる優生思想」を破っていかないと、障害福祉の未来はないと。
ということで飽くなき挑戦です。
土屋がやってることも、そこにつながるんです。
重度の障害者を見ると、「この人、何のために生きてるんだろうか、なにもできないじゃないか」と思う人もいるけれども、でもただ生きてるんじゃないんですね、やっぱり。
この人たちに対してケアをすることで、彼らが人間としての普通の生活に近づいている。
そしてそれを見れば、生きてることは大事なことなんだと。
こうしたことを重度訪問介護で実践することが、一つの「内なる優生思想」を打ち破る方策だというように私は思ってます。
優生思想を乗り越えた先にあるもの

最後に、優生思想を乗り越えられた社会があるとすれば、
どういった社会になっているのか、そのイメージの部分をお聞かせいただければと思います。

めちゃめちゃ難しい。
色々問題はあるんですよ、どんな社会であっても。
でも今より以上に人に優しくとか、お金稼ぐためにきしきしやるなんてことで戦って人生をすり減らすのはもったないと。
そういうことがない社会に、それがすべてじゃないんだけど、数歩以上進めていることになると思いますね。
今よりずっと住みやすい社会になると思っています。

私は今52歳で、障害者運動に20数年前に参加したときに出会った人たちって、ちょうど父や浅野先生と同世代くらいの方々が多かったし、
その世代の方々が歴史を幕開けしたんだなというのは、一緒に日々過ごす中で実感させてもらったんですよね。
当時も障害を持った人、そしてその支援者も、“障害を持った人たちの人権を侵すものは何か”といったところで、優生思想に対する問題意識もあったし、
優生思想というのは資本主義の中から生まれてくるメカニズムだっていう捉え方が一般的でした。
だからみんな反資本主義になっていったんですよね。
場合によっては過激なまでの思想を持つ人たちもいて、ある意味、既にある社会のあり方を全否定して、真逆の方向に走っていくみたいな生き方を選んでいったと。
でもそれは社会のロジックに真っ向から対立するので、だんだん孤立していってたし、冒険主義的にもなっていって、
結果的に仲間も募れないから力も持つことができなくて、運動として空転してるという印象もあったんですよね。
やっぱりここは、“反”じゃ限界があるんじゃないかという考えも当時生まれてきた中で、もうちょっと資本主義のシステムを活用しながら、その先に行くというか、
そういった資本主義の形態を「高度な資本主義」とか、前の首相は「新しい資本主義」っていう言葉も使ってましたけど、資本主義を使って資本主義の向こう側に行くような取組みですよね。
それは今もSDGsとかESG投資とかいう言葉で一般化してますけど、そんな形で自分たちが生きている社会をよりよくする、
すなわち根底からひっくり返すというよりかは微修正を繰り返していく、こうしたことが必要なのかなと思います。
我々のこの土屋グループの事業、かつ反優生思想運動そのものも、ささやかながら、そういったインパクトを少しでも社会全体に与えられれば、
先生が仰るような、もうちょっとましな社会というは作っていける可能性があると思うので、一緒に引き続きやっていきたいなと思わせていただいた次第です。

お二人の対談を聞くと、そうした未来が実現しそうな気もしますし、
優生思想を乗り越えるためのカギとして重度訪問介護を広げていくということがあると感じました。
この社会の人たちにもっと優生思想に気付いていただき、向き合っていただき、一緒に乗り超えていければと思います。
本日はありがとうございました。