【異端の福祉 書評】初めての作文 / 青木健太(SDGs推進部)

初めての作文 / 青木健太(SDGs推進部)

私は文章を書くのが苦手で、本を読むのも好きではありません。今から15年ほど前、中学生の時に「ホームレス中学生」を読んだのが最後で、内容もほぼ覚えていません。そんな私ですが、「異端の福祉」を読んで思った事を書きたいと思います。

私は2011年に事故に遭い、障害を負いました。首から下は動かず、人工呼吸器が必要です。4年ほど前から重度訪問介護を利用して一人暮らしをしております。

改めて思ったことは、私と同じ様な境遇(重度障害)にある方たち、そしてその人を支援する人達、先人たちのおかげで今の制度があり、今の生活があるのだなと感謝と尊敬の気持ちが湧きました。

時代が違えば、きっと簡単に死を選んでしまいたくなるほどの環境があり、扱いを受けていたのだろうと思うと、自分は幸せなんだなと痛感します。今はインターネットがあり、現実逃避できるコンテンツが多く、障害があってもまあまあ過ごしやすい世の中ですし、差別を受けるなんてこともあまりありません。

私事ですが、ついこの間、ボッチャ(*1)の大会に出場しました。その大会は、障害の有無にかかわらず健常者も参加できる大会で、150名弱の参加がありました。私がプレーをしているそばに小さい子どもと父親がいて、私のプレーを見ていました。

私を見た子どもが父親に「なんでこんな道具(ランプ*2)を使っているの?」と聞くと、父親は「体は動かないけど、こういう道具を使って工夫しているんだよ」と答えていました。

なんだか言葉では言い表せない温かい気持ちになりました。先人たちの活動と、それに共鳴した高浜さんのような人たちの地道な活動が長い年月を経て、父親のこの一言に辿り着いたと思うと、やはり感謝と尊敬の気持ちでいっぱいになります。

ただ社会はまだ厳しいもので、子どもが近づいて来ても「近づいてはいかん!」と言わんばかりに子どもを引っぱっていく人や、子どもが車いすを見て親に「なにこれ?」と聞いても親は無視をするなど、障害者への理解はまだまだ乏しいと思います。

ですが、ただ待っているだけでは何も変わらないので、障害者からも色々と情報を発信していく必要があると思います。情報を発することは自分の評価にもつながり、JR乗車拒否問題のように賛否両論があり、発信をした当事者が精神的に大変な事もたくさんあるのだろうと察しますが、この先を歩む障害者や自分のためにも、私は高浜さんや新田勲さんのように共生社会を作る一員でありたいと思います。

(*1)ボッチャという競技は、年齢、性別、障害のあるなしにかかわらず、すべての人が一緒に競い合えるスポーツです。障害によりボールを投げることができなくても、ランプ(勾配具)を使い、自分の意思をランプオペレーターに伝えることができれば参加できます

(*2)投球できない選手が使用する専用の用具。ボールを転がして投球。(BC3クラス)

関連記事

TOP