異端児たちよ、リングに上がれ / 須田麻樹子(ホームケア土屋 秋田)
手にした著書の表紙。
その佇まいに、
潔さを感じた。
過去の格好悪さも恥ずかしさもすべて巻き付け、むしろ、エナジイにして前を向いて。
ホームケア土屋の、
私が興味を抱いた重度訪問介護の礎となった人。
ページをめくる背中が
しゃん、とした。
読み進めていくうちに、代表だけではなくクライアントやアテンダントの方々の、現在に至るまでの様々なリアルが綴られていて・・・
決して真っすぐとはいえない人生、迷い道や寄り道、挫折、歯軋りするような後悔、そんなことを味わいながらも、もがくようにして今を生きている私自身をも、
「このままでいいんだよ」
そう、赦されているような気持ちになる。目頭が熱くなった。
ああ、そうだ。
「このままでいいんだよ」
「あなたのままでいいんだよ」っていうことは、この仕事をはじめてから私が関わっている当事者の方々に伝えてきたことそのものだ。
そして、「あなたらしさ」を決して損なうことのないような世界にする為には、あまりにも今の福祉の決まりごとには「このままではいけないこと」が多すぎる。
それは、ずっと自分の中で葛藤してきた、当事者の思いと制度とのギャップ。それが少しでも解消していけるのではないかと感じた事業が重度訪問介護であり、ここで非常勤アテンダントとして受け入れて頂いたのだった。
しかしながらこの事業においても、ギャップはまだまだ解消されることがない。
私が住んでいる地域は特に、だ。
市町村、県自体が障害を「学んでいない」のだ。
今まで居宅介護の仕事をしてきて、何度当事者と一緒に憤り、主張したことだろう。
指点字ユーザーの全盲ろうの方への同行援護サービスを申請したら「常に手が触れているから身体介護サービスでいいですよね?」と言う役所の職員。
障害支援区分6の全介助の方の希望は「県外でのライブ観戦」、泊まりが必須になるにも関わらず移動支援事業の月の利用時間は25時間。やむなく断念。
趣味に使えるならまだいい方で、「高校野球の試合を見に行きたい」という当事者が住む市町村は「趣味活動に使った前例がないから」と移動支援を使わせてもらえなかった。
権者が学ぼうと、理解しようとせず、「その人らしい生き方」という権利すらも拭い去ってしまっている。だから当事者の方々もあきらめ、殻に閉じこもっていることが多い。
身の回りの支援はもちろん、その人の好きな芸術、スポーツ、あるいは社会参加・・・楽しむことを支援することも「あったらラッキー」な制度ではなく、「なければいけない」制度であるはずだ。健常者と「平等」ではなく「公平」になるために。
「この仕事は、行政とたくさんケンカしないといけないんだ」。
相談支援研修の時にファシリテーターの方が私にそう言って励ましてくれたことがある。
高浜代表をはじめ、土屋のアテンダントの方々も事業を拡げていくべく、何度となく戦ってきたと思うし、これからもあきらめずに戦っていくのだという気迫が、読んでいてじわじわと伝わってきた。
この本から窺えるその姿は、
異端児たちの集まり
と、言われるのかも知れない。
途切れのない支援で、「そのままのあなた」での生活を送ってもらうことが出来る。
この事業の存在を広げていこうとするさまをそう言うのならば、
私は喜んで「異端児」と呼ばれよう。
この地域にはまだ浸透していない重度訪問介護。使う人がいないんじゃない、使える環境が整っていないから埋もれているのだ。
先日関わった当事者の家族に、こんな事業があるんですよと話したら、
「初めて知った」と一筋の光を見出したかのように目を輝かせた。
私が住むところは、そんな地域だ。
これほど、
震えるほど、戦いがいのあるリングが、目の前にある。
共に声を上げ、はじめは小さなさざ波でもいい。
それがいつか、大きなうねりとなってこの地域に根付いていけるように。
私たち異端児は、
そんな自分たちの願いと、当事者たちの思いを巻き付けて、
今日もリングに上がり共に戦っていくのだ。