地域で生きる/22年目の地域生活奮闘記68~ウクライナ問題に思うこと~ / 渡邉由美子

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

連日報道されるウクライナ情報のニュースは、日を追うごとに悲惨さを増し、何とも言えない辛さを感じざるを得ない状況です。幼気な少女が少し以前に涙を流しながら戦時下の恐ろしさを切実と訴える映像は本当に見るに堪えない事態で、何か私に出来ることはないかと考えながら過ごす日々です。

そんなウクライナに生きている重度な障がいがある現地の人々が今どうして命を繋いでいるのか?という情報を知る手段を私は残念ながら持ち得ておらず、普段活動している障がい者団体を通じて知る努力をしているところです。

私が暮らしている東京は今のところ一見重度障がいがあっても地域で生きることが可能になってきています。しかしそんな中でも、平和で人々に余裕がなくなれば、たちまち、ナチスのような時代に簡単に逆戻りしてしまうのです。

その上、収束の見えないコロナ禍の長期化を背景にして何事も物価が上がったり、目にみえた価格上昇と一見分からないように上げ底容器が多用されていたり、何事も小さくなったと感じる状態の中暮らしています。それに加えて、ウクライナ問題の影響が庶民の暮らしに直接的な影響として、どう、今後ダメージを受けるようになるのかとても心配です。

今年、86歳になる父親は日本が戦時下であった時の記憶を鮮明に覚えていて、よく、私たち子どもに語ってくれます。私自身も戦争をテーマにした本や映画は学生時代から見てきました。父親の話は、アメリカ軍兵からギブ・ミー・チョコレートと言ってチョコレートや外来のその当時口にすることのできないようなお菓子を貰って、自分も軍隊に入りたいというような、ある種憧れのような記憶でもあるようです。

母親からは防空壕に逃げた記憶や、父親が闇物資をリュックに後ろに倒れそうなくらい背負って、4人の兄弟と自分たち親が飢えをしのげる食料を調達して、焼け爛れた人々が路上に倒れている間を掻い潜って命からがら家までたどり着き、家族を戦争から救うことができた話もよく生々しく聞きます。

そんな話を聞くにつけ、戦争は二度と繰り返してはならないことですし、人が人をどんな理由があるにせよ殺し合うことは通常のことを全て奪い去り、暮らしの破綻をきたすことに他ならないので、収束を一日も早く願わずにはいられない状況です。

ましてや普段から疎まれがちな重度障がい者がこの世の中で生き続けるためには、平和は何よりもなくてはならないことに他なりません。戦時下になった瞬間に重度障がい者は不要な存在、なんの役にも立たない穀潰しとしてしか扱われないことは明白な事実なので、そのような状況にならないように何ができるのか?真剣に考えたいと思う今日この頃です。

確実に中間搾取されず、困っている人の手元に届く形での資金援助を近日中にわずかばかりでもできれば良いと考えることくらいしかできることが思いつかないでいるのです。物資などは、物流が途絶えてしまっているようなニュースも耳にします。また、重複してしまうと困ってしまうことも、他の災害援助などの場面で経験してきたと思います。うまく届けることが出来るのであれば、お金はやはり身を助けるのではないかと思うのです。

個人でできることは、少額でも皆で出し合えば塵も積もれば山となるで、助ける事の一助になる可能性を考えて、障がい者団体が団結して動き始めています。その活動にも協力しながら私に出来るウクライナ問題に対する活動を、怒りを持って行っていきたいと考えています。

プーチン大統領の発言が発表されるごとに過激になっていき、この原稿を書いている時には、核戦争も辞さないというような発言を公式に発表していてとても怖いです。その発言をしているプーチン大統領の顔は何かに取りつかれてしまっているようにも思える表情をしており、ウクライナ地域への侵入や情報統制が激化しています。

もはや日本にいる私たちに伝えられる情報がどこまで信憑性のある情報操作の無い情報なのか、正しく判断する要素を見つけること自体が困難となってしまっている中で、今後ますますこの世界的規模な戦争がどうなっていくのか、様々考えさせられてしまいます。

話は少し変わりますが、つい先日、東日本大震災から11年が経過したニュースを盛んにやっていました。原発を廃炉にする作業はあと40年、50年かかるとの試算が発表されています。未だに放射線量が高く、帰還困難区域が設定されています。これもまた、戦争に匹敵するぐらい、重度障がい者の暮らしを脅かす事態です。

地震災害も私が子どもの頃から首都直下型大地震が来ると言われていたわけですから、本当にもういつ来ても不思議はない状態の中で生活していることに他ならないです。このことを再認識しながら、平和と平穏を願いつつ、どんな生きづらさを抱えた人も分け隔てなく生きられる地域社会の構築を継続することで、重度な障がい者も自分らしく生きられるような世にしていきたいと思います。

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生
養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

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