地域で生きる/21年目の奮闘記㊺~重度訪問介護と介護保険は全く違う制度であることを知ってください・前編~ / 渡邉由美子

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

私の現在の生活は制度交渉によって勝ち取ってきたものです。例えば、親亡き後を安心して地域で生活し続ける、という前提のもとまずは24時間介護の安定をすること、それに18年の歳月を費やし、その上に立って、私の身体を移動させるには外出先では1人の介護者では困難である状況などを踏まえたうえで、2人介護を必要に応じて認めさせるといった交渉、そして人材が確保できなければすべてが上手くいかないといったことを解決するため、私が暮らす区に直接私が推薦する無資格の介護者としての人材を登録できる制度を作らせてきました。

この無資格の介護者の登録をできる制度は全国に現在3カ所しか実施されていません。この制度は「○○区地域参加型介護サポート事業」と呼ばれるものです。このような自由度の高い制度が全国に広まって欲しいと願っています。

この制度は、無資格の介護者となる人材も当事者自らが探し、育成することが前提条件となるものです。責任を自分で持つ代わりに常識的な範囲のことを日常生活に即して行っている分には、ほとんどの制約を受けることがないので本当に人間らしい暮らしを実現することが可能となります。

このような制度交渉の経験を生かして今後は同じように苦労している仲間を支えていけるように、微力ながら力を尽くしていきたいと思っています。

先日、同じような苦労をしている仲間のための制度交渉の為、○○市に急遽結集しました。急遽の結集となってしまったのは、以前から食事・排泄・入浴などの生活の基本的なことが思うようにできておらず、例えば病気ではないのにもかかわらずパジャマで一日中過ごしていたり、かろうじて口を食べ物に近づけるようにして食事をする事が出来るパンやおにぎりばかりを口にしなくてはならなかったりで、それらもしんどさが先に立ち、一日一食となってしまう状態の方がいることが分かったからです。

そのため○○市への制度交渉に向かったのですが、その○○市の障害福祉の運用の在り方を知れば知るほど、驚きと憤りを隠しきれないここ数日の私がいます。

なぜかと言うと、その生活改善を求めている障がい当事者の方は、申請を始めた当時、介護保険が適応される年齢では無かったにも関わらず、当事者が何も主張できなかったり、知識がない事に付け込んで介護保険に誘導されてしまったりしたため、障がい福祉の制度ではなく、介護保険の福祉サービスを受けていたことが発覚したからです。

そのためこの状態ではどうにも生きていけない、と私たち支援団体に救いを求めて来られました。2,3年前のこの出来事をきっかけに、ヘルパー時間数の必要性を伝え続け、安心安全な暮らしを求めるための断続的な粘り強い闘いをしています。

そのような中、先日、この方が体調を崩し緊急入院したとの一報を受け、普段関わっていて日常生活をサポートしている介護者が普段通りの日常生活支援を入院時でも関われるよう交渉に駆け付けました。

緊急入院になってしまったのも、この方は通常の日常生活を送るために普段関わっている介護者による24時間介護の要請を数年前からしているにも関わらず、それが実現されていなかったことによるものでした。

24時間介護の要請をしたとしても行政側がそのような必要性は○○さんにはないだとか、リハビリを今後強化し日常生活を送れるようにする、あるいは家に手摺を付けることで介護者を頼まなくても1人で過ごすことが可能であると判断し、十分な介護を得られなかった結果です。

その結果、就寝する時にも転倒の危険を避けるためしっかりベッドに入って休むことができず、特殊な椅子に座ったまま仮眠をとる、というような十分な休息を得られないような熟睡のできない生活を続けました。

その結果無理がたたり、入院を余儀なくされる状況となりました。そして、今後もしかしたら手術も必要となるかもしれない、といった厳しい病状となってしまったのです。

このような厳しい現実を一分でも早く改善しようと、普段障がい者の日常生活を守るための制度交渉をしている仲間が○○市に集まり、交渉をしました。権限のある係長級の職員を前に、このような事態に至る前になぜ手を打たなかったのかという事の追求から始まり、過去の事はともかくとして、とりあえず現状を改善するために一刻も早く24時間介護を入院中から実現できるよう求めていきました。

しかし、○○市は「一度入院し、その患者に関わる医師や看護師が一巡すれば対応が可能となると考えている」と発言し、最終的には入院生活に慣れるまでの間の緊急的措置として24時間の入院時の付き添いを認めるという対応に落ち着き、恒久的な24時間介護は必要と認められない、との一点張りの回答を繰り返すばかりでした。

平行線の交渉の時間が過ぎていく中で、○○市に24時間介護がなぜ認められないのかということが段々明らかとなってきました。このような○○市の一点張りの回答を続ける理由について、中編ではお話していきたいと思います。また、制度の交渉の進捗状況についても個人情報が明らかとならない範囲で書いていきたいと思います。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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