土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
わたしという人間は、109センチの身長と24キロの体重の身体をもって見える世界と、作る人間関係から成り立っている。わたしは、子どものときにあまりの小ささゆえと骨の脆さ故に、自分が妊娠して出産するということは全くあり得ないと思っていた。
11歳のとき施設に入り、同じ部屋の年上の人たちに生理がどういう意味を持つのかを聞いた。元々好奇心も強く、彼女らの話にも1番年下ながら一生懸命まざろうとした。その子たちに私には生理は来ないかも、とからかわれながら私のその日を激しく待ち焦がれた。14歳で初潮を迎えたその朝に母が渡してくれた生理用品は、脱脂綿をちり紙に包んだだけのものだった。
しかしその数ヶ月後にはどうにかタンポンを購入して試してみた。初めてのタンポンは、あまりの痛みと誰にも聞けない不安の中、一箱の半分さえ使えずに終わった。20代初めに恋人ができたときには、夥しい数のレントゲンを生殖器官を直撃して撮られていたので、小さすぎの身体にプラスして、レントゲン被曝によって妊娠はしないだろうと決めていた。
その予想は、39歳まで当たり続けた。その間、私と同じ小さな身体をもつ友人が何人か妊娠していたが、誰も無事に赤ちゃんを迎えることはできていなかった。今考えると、彼女達の身体に問題があったのではなく、彼女達を取り巻いていた人間関係があまりにも非支援的、もっと言えば差別的であったために、無事な出産が叶わなかったのだとさえ思う。
1996年、わたしはこの身体で娘を産んだ。110センチもない低身長で子供を無事に出産したのは、日本でももしかしたら初めてのことであったかもしれない。というわけで、NHKのディレクターから番組を作りたいという申し出があった。この身体でなければ、注目されるはずのない妊娠と出産。それはある種の差別とも思えて、その申し出にはしばらく悩んだ。
しかし、1948年から96年まで、遺伝的障害を持つ人は子供を産むなという激しい差別が法律として機能していた国。その中、身体を張って抵抗することを記録することは、人類の倫理的発展と、多様性を尊重する共生社会の実現のために意義あることと考えて、申し出を受けることにした。
わたしの娘は、わたしより15センチぐらい身長が高い。ただ、彼女の身体全体の骨も脆く柔らか。だから非常にアクティブな身体は、動けば動くほど少しずつ背骨の湾曲が進んでいる。彼女は今ニュージーランドにいて、ドメスティックバイオレンスの加害者や被害者の人たちの自助グループに参加し、ファシリテーターやそのアシスタントをするという職に就いている。
小さな身体の彼女が、暴力の加害、被害そのどちらものサバイバーたちの中で、ファシリテートをするということの意義深さ。彼女の身体、存在そのものが暴力とは真逆の平和を象徴しているのだろう。彼女はときどき「あなたがそのまんまでここにいてくれることが、わたしたちに力をくれることなんだというアプリシエーションをもらえるんだ。少し恥ずかしいけれどとても嬉しい」と伝えてくれる。
冒頭にも書いたが、人はその身体と関係性によって、その人生の充実と幸福を紡ぎ織る。大きな身体になってみたいと思い、憧れていた幼い日々のわたしに、「小さな身体もなかなか味わい深い人生をくれたよね。色んな人に出会い、関われた。この身体で本当に良かったね」としみじみと伝えたい。
◆プロフィール
安積遊歩(あさかゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ。
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。