番外編 私の身長 / 安積遊歩

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

笑いはどこから来るのだろうか。笑顔は人を幸福にするというけれど、作り笑いをいっぱい見せられると疲れてしまう。子どもの笑い声は私たちを幸せにしてくれるが、人をあざ笑う笑いはいじめであったり、差別にもなる。

しかし笑いは大抵大事なものと考えられ、笑いを得ることが職業となっているものもある。漫才師や落語家やコメディアンがそうだ。私は、笑いは軽い恐怖からの解放、発散であると聞いて人々を観察する中で、それはほとんどの場合確かなことだと考えている。

人々は失敗する人を見て思わず笑うが、それは自分の記憶にある失敗体験の恐怖から自由になろうとして笑っているのだ。軽い恐怖から自由になろうとすることは、身体と心にとっては幸せを呼び込む働き、「笑う角には福来たる」というわけだ。

笑で商売をする人たちは笑いを取れれば取れるほど、人気が上がるというわけだ。今回は、私の小さな身体で起きた笑いの数々を見てみようと思う。本人にとっては笑えない現実が、他人にとってなぜかおかしいことがよくある。それは子どものときに私たちが一生懸命に取り組んでも、失敗したりうまくいかなかったりしたことが、記憶の中に隠れているから、その小さな恐れを発散したくて笑うわけだ。ユーモアのある人が好かれるのには理由があるのだ。

というわけで今回は、私が小さな身体で人々の笑いを巻き起こした経験をいくつか書いてみようと思う。まず一つ目は、若い頃車椅子に乗ってあちこちいくと、よっぽど子どもが乗っていると思われたのか、あるいはお地蔵さんのようにでも思われたのか、よくお金をもらうことがあった。可哀想と哀れまれてのことかとちょっぴり腹立ちながらも、断ることもなくいたが。あるとき、年配の女性が私に手を合わせて拝んだ後、私の手に5円玉と10円玉を乗せた。ぶつぶつと拝んだあとにさらに小銭をくれるのを見て、介助者が「くっくっくっく」と堪えながら笑っている声を聞いて、それでつられて私も笑ってしまった。

また、電動車椅子で1人で歩いていたときに、突然頭に手をのせられて「あなたの体を良くしてあげあげましょう」と言われたことがあった。そのときには、顔も見えない角度の後ろからだし、お金ももらってもいなかったので、とっさに乱暴な言葉が出た。「その汚い手をどきやがれ」彼女は多分苦笑さえもなく逃げていったが、周りの人が驚きながらも笑っていたのを覚えてる。

次に思い出すのは「青年の家」という青少年のための公立の場所に宿泊したときのこと。全員、障害を持っていない仲間と共にいたにもかかわらず、なぜか宿泊者全員の朝の会で私が司会進行をやることになった。シナリオを渡されて驚いた。「国旗掲揚」と言う一文があったのだ。それだけは言いたくないと思い決め、その会に臨んだ。

日本の国旗が果たした加害の歴史。それを十分知りながらここで国旗掲揚ということは、あまりに心が痛すぎる。その言葉は言わず、「今から国旗が上がりますが、見たい人だけ見ればいいですよ。その他の方はご自由にどうぞ。」と言ってみた。最初は何を言われているかわからない人もいたが、国旗を揚げようとしていたその職員が「いや参ったな」と言いながら笑うものだから、他の人たちにもその笑いは伝染して笑いが細波のように広がった。

これは別に、私が小さな身体だからできたことではないかもしれない。しかし、全く意味のない厳粛な雰囲気というのはとにかく嫌いだ。娘の小学校の入学式の時に国旗掲揚や国歌を歌っている間中、トイレに行くふりをして電動車椅子で走り回ったことがあった。場所も場所なので誰かが笑っていた記憶もないが私は1人で、「またトイレに行きたくなったー」と言って笑い続けた。ちょっと怖いことをしようとすれば笑いがよく出る。小さい体は私が真面目にそれでも少し怖い時に何かを取り組もうとすると、自然に笑いを私にも、私をわかってくれる仲間にもくれる、なかなかに良い体だ。

人生でよく笑ったと思ったのは母が亡くなってからの3日間。母の姉や妹たち、そして私の兄や妹が葬式の準備に立ち働く中、私は亡くなった母のそばで冗談を言い続けた。「3年前に亡くなっていた父に、そんなに早く会いに行きたくなっちゃたと言う事は、父亡き後、いい男がよっぽどいなかったと言うことだね。残念残念」とか、「お父ちゃんに惚れ直してもらえるよう、私が最高の化粧してあげよう!」とか。
あまりに辛いからそんなことを言うのだと知っていた家族親戚は、「純子やめろ〜、腹痛ぐなっぺ」っと、私をたしなめながらも笑った。最後には「おこりたいんだか、なんだか、わがんねぐなっちまうべー。よげい涙も止まんなくなっちまう。」(怒りたいのか、何なのか、よくわからなくなってしまう。余計涙も止まらなくなってしまうよ。)と言っていた。

笑いと涙は不安や恐れの2つの異なった表現だ。お葬式の日、私は母が、うるさくて、あの世におちおち行けないくらい泣くかもと言い、それを実現した。

棺桶の蓋を閉じるために釘を石で打ちつけながら、「生き返れ〜!あの世に行っていいなんて言ってないぞっ!」と涙と共に叫んだ。それを聞いて母の兄が、「純子を誰か外に出せ」と、更に絶叫。遠くから母の一番末の妹が走って来て、次の瞬間、私をしっかりと抱きしめながら「泣かせておやり!」と、みんなの方に向き直った。小さな体はいつも簡単に誰かに抱きしめられ続けてきた。その小さな体を産んでくれた母が逝ってしまった葬儀場、その「泣かせておやり」の言葉で殆どの参加者の頬に涙がとめどなく流れていたのが忘れられない。

父と母がくれた小さくて骨の脆い身体は、たくさんの人に助けられながら、周りの人の優しさと笑いや涙を引き出してくれる身体でもある。娘はその母に似て、本当に優しく、穏やかに育ってくれた。小さな体は、その体そのもので平和を語るのだなとしみじみ思う。

 

◆プロフィール
安積遊歩(あさかゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ。

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

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